第302話 親友

 フローラと二人で薄暗い森の中をただひたすら歩いていく。暗いのは遅い時間だからじゃない。人間の立ち入りを阻むように高く育った樹木と、その頭上に広がる分厚い雲のせいだ。まったく……こんなにも気分が沈んでるんだから、せめて天気ぐらい晴れてくれてもいいだろうに。


「……レックス」


 二、三歩後ろを歩いていたフローラが俺の名前を呼ぶ。俺は足を止めずに、首だけ動かして彼女の方を見た。


「どうした?」


「……なんだかわからなくなっちゃった」


 フローラは困ったような笑みを浮かべる。それは決して楽しい気持ちから来るものではない、笑うしかないといった感じのものだった。


「私がこの戦いに来たのはシューマン君に聞かなければならない事があったからなの。その内容は……なんとなく想像つくかな?」


 フローラがあいつに聞く事……まぁ、 アベルさん関係の話に違いないわな。世間一般じゃあの人を殺したのは魔王軍指揮官ってことになってるから。


「今までは噂や国から言われた事を間に受けて、彼の事を憎んでいたわ。……でも、アラモ平原での戦いで会ったシューマン君は私が想像していた人と違った」


 どこか懺悔にも聞こえるフローラの語りに、俺は何も言わず耳を傾ける。


「そりゃ、学園にいた時とはまるっきり違ったわよ?口調は乱暴だったし、ぶっきらぼうだったし。でも、違うのよ……私の兄を殺した男なのだから、もっと血も涙も無いような悪魔を想像していた……なのに、彼からはそんな気配を微塵も感じなかった。むしろ暖かさすら感じてしまったのよ」


「…………」


「だから、私はここへ戦いに来たわけじゃ無いの。私がここに来たのは真実を知りたかった、ただそれだけ」


 フローラの声が少しずつ小さくなっていった。顔も段々と俯いていく。


「なのに……今度はマリアが、私の親友が私達の前に立ちはだかった。あんなに心優しくて争いを好まないあの子が……」


 もはや泣き声と捉えても遜色ない声音。少しでも油断したら彼女の涙腺は決壊してしまいそうだった。

 フローラはキュッと口を結ぶと、ゆっくりと顔を上げ、俺に向かって無理やり笑顔を作りあげる。


「……もうどっちが悪者かわからないね?」


 その声は助けを求めているかのようにも聞こえた。そして、どうしてこんな事になってしまったのか、答えを欲しがっているようにも聞こえた。


 俺は足を止め、身体ごとフローラに向き直る。


「魔族と人間、どっちが悪でどっちが正義とかはないんだと思う。人間同士だって立場が変われば悪と正義はコロコロ変わっちまうわけだし」


 みんながみんな聖人君子ってわけじゃないからな。悪い人がいればいい人もいる。それはきっと魔族にも同じ事が言えるんだと思う。


「だから、俺もフローラと同じ理由でここに来たんだ。魔族という悪を滅ぼしに来た、とかそんなかっこいい理由じゃなくてさ」


 きっかけは村が滅ぼされた事だった。俺とあいつの思い出がなくなってる事を知って、怒りと悲しみが土石流のように俺の心を埋め尽くした。二人で作ったあの木剣は俺達しか隠し場所を知らない。それが無くなっているという事は、村を滅ぼしたのはあいつの仕業だと思った。

 でも、俺達の前に立ちはだかったマリアを見て思った事がある。いや……本当はあいつを止めてやる、と粋がっていた俺の心の奥底でもう一人の俺がずっと叫んでいた。


 そう、俺の親友は自分が生まれ育った大切な場所を壊すような奴じゃない。


「俺はマリアに感謝してるんだ。世間で言われている魔王軍指揮官が本当の姿であるなら、あいつはここには絶対にいない」


 俺が惚れた女だ、恋心に惑わされて瞳が曇るような奴じゃない。好きだとしても、好きだからこそ、クロムウェルが間違っていたら喉から血を流してでも止めるような奴なんだ。


「でも、やっぱり聞きたい事は山ほどある。だからこそ、俺はあいつに会いにいく」


 俺がきっぱり言い切ると、フローラは潤んだ瞳で俺の目を見つめてきた。


「……だったら、レックスはシューマン君と戦うつもりはないの?」


 不安げな顔でフローラが俺の顔を覗き込んでくる。あいつとやりあうつもりはないのかって?……そんなの決まってんだろ。

 その問いかけに答えようとした瞬間、何かの気配を感じた俺は勢いよく振り返る。


「……邪魔をしてまいましたか。静かに待っていますので、もう少しお話を続けていただいてもかまいませんよ?」


 そこに立っていたのは信じられないくらい美しい金髪の女性だった。少なくとも、俺はこんなに綺麗な人を見た事がない。フレデリカと名乗った魔族も綺麗ではあったが、なんというか綺麗の質が違う。

 人ならざる者の気配を漂わせているが、そんな事はどうでも良いと思えるくらいの男を惑わす色香。説明を受けなくても肌で感じた、間違いなく目の前にいる美女はサキュバスだ。

 フローラが俺の腕を掴んで引き寄せる。その顔は先ほどまでの弱々しさはすっかりなりを潜め、現れたサキュバスに鋭い視線を向けていた。


「気をつけて、レックス。この女は幻惑魔法を使うわ」


 幻惑魔法……前にフローラが話していたあれか?耐性がないと幻に囚われちまうっていう厄介この上ない魔法だったはずだ。


 金髪のサキュバスは警戒する俺達二人を見ながら、お腹の下あたりに両手を添え、お手本のようなお辞儀をした。


「初めまして、レックス・アルベールさん。私は悪魔族サキュバスのセリスと申します。お噂はかねがね聞いております。……フローラさんは初めましてでも、お久しぶりでもありませんね」


「……そうね。一週間ぶりくらいかしら」


「少しはあの人の助言を聞いて甘えた考えをなくすかと思いきや、先ほどの話を聞いている限りそうでもなさそうですね」


「大きなお世話よ」


 二人の間で火花が散る。どうやらフローラとなにかしら因縁があるようだ。


「行って、レックス。この女の相手は幻惑魔法が効かない私にしかできない」


 フローラがセリスと名乗ったサキュバスから一瞬たりとも目を離さずに俺に告げた。確かに彼女の言う通りだ。俺があのサキュバスの幻惑にかかって、フローラと敵対するなんて事になったら目も当てられない。

 当然、フローラの言葉が聞こえていたセリスが俺の方に顔を向け、誘うように片手を上げた。


「こちらの道を進めば最後の代表がおります。首を長くして待っていますので、早く行って差し上げてください」


 チラッと目をやるとフローラが力強く頷いたので、俺はセリスの示した道に向かって駆け出す。


 代表戦……どうやらこちらの手札は筒抜けだったみたいだな。シンシアはアルカって子と面識があったみたいだし、エルザ先輩にはマリアだ。さっきのサキュバスともフローラは何かあるみたいだし、完全に後手に回ってんな、こりゃ。


 不意に雨粒が顔に当たる。俺は走るのを止め、その場に立ち止まると空を見上げた。この雲の感じだと、そう簡単には止みそうにないな。俺が出かけるときは決まって晴れるから晴れ男だってみんなから言われていたのに。その称号は返上しないといけないみたいだ。

 昼間の明るさは遮るくせに、降り注ぐ雨は全然防いでくれない周りの木々を忌々しく思いながら俺は再び歩き出す。


 シンシアは大丈夫かな?エルザ先輩とフローラも心配だけど、一番やばそうだったのはあの子供だ。確かあいつの養子だったっけ?あいつと関わってからあそこまで強くなったのか、それとも生まれつきなのかはよくわからないけど、大人になったらとんでもない魔族になるぞ、あの子。今でも凄まじい逸材なんだけどな。


 ザーザーと振り始めた雨が容赦なく俺の髪を濡らしていった。


 あー……髪が顔に張り付いて鬱陶しい。もっと短くしとけばよかったわ。本当は坊主とかにしたいんだけど、そうするとフローラが「せっかくの綺麗な金髪がもったいない!」って怒るんだよ。……そういえば、あのセリスって魔族も綺麗な金色の髪をしていたな。俺以外でこの髪の色を見たのは初めてだ。


 一歩進むごとに俺の中に流れる血が冷たくなっていく。

 木々の密度が薄くなってきたって事はそろそろ森を抜ける頃だろ。もっと鼓動が高まったりするのかなって思ってたけど、そんな事はないみたいだ。自分でも驚くくらい心は落ち着いている。


 結局、フローラの問いには答えなかったな。そのタイミングでセリスが来ちまったからしょうがなかったけど、彼女が来なかったら俺はなんて答えるつもりだったんだろうか。

 あいつと話をしたいってのは紛れも無い事実だ。その言葉に嘘偽りはない。だけど、戦うつもりがないのかって聞かれると……。


 フローラから俺を助けたのがあいつだって聞いて嬉しかったんだ。親友に窮地を救われた事がってわけじゃない、その親友が俺を待っているって分かった事が、だ。

 あいつは無理をしてでも俺を牢から出したかったんだ。なんのためかって?この代表戦に俺が出てくるのを望んだからに決まってる。って事はあいつも俺と同じ気持ちなんだろうな。


 俺はあいつと全力で戦いたい。


 フローラには偉そうに言ったけど、結局それだけなんだ。村で一緒だった頃から何にも変わってないんだよ、俺は。


 勝ちたいんだ、お前に。


 森を抜け、平地の先に見える魔王城から伸びる長い階段を降りてくる、黒いコートに身を包んだ懐かしい姿を見ながら、俺はそんなことを考えていた。

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