第231話 酔いを醒ますには夜風が一番
「……う、うぇぇ………」
最近魔族に人気のブラックバー。近くを通る者が思わず目をやってしまうような立派な外装をしている店の脇で、苦しそうにえずいている男がいた。
「くそぉ……あの虎野郎、酒強すぎんだろ……」
「大丈夫?」
地面にうずくまりながら悪態をつくアベルの背中を、マリアは心配そうな顔ですりすりとさすっている。もう片方の手で持っている水を差し出すと、アベルは気怠そうに顔を上げながらそれを受け取り、ゆっくりと飲み始めた。
「……ふぅ、サンキューな」
「ううん。それにしてもこんなになるまで飲むなんて、ちゃんと自分のペースでお酒は飲まないとダメだよ?」
「母親みたいなこと言うなって。つーか、マリアは平気なのかよ?」
「私?」
マリアが不思議そうに首を傾げる。その様子は素面の時と一切変わらない。
「セリスと……フレデリカだったか?女三人で、あのライガが飲みつぶれるまで飲んでたじゃねぇか」
「私は全然平気だよ?少しお腹がすいちゃったくらい」
「全然平気って……」
アベルは愕然とした表情を浮かべた。酩酊状態になりながら、三人の飲み比べを観戦していたのだが、マリアは少なくとも二つは木樽を空けている。あとの二人も似たようなものであったが。
「少しだけお酒に強いんだ。あんまり酔わないの」
「少し、ね……」
「あぁ、でもセリスさんもフレデリカさんもすごい飲んでたね!フレデリカさんに関してはなんだか可愛らしい感じになっちゃったし!」
瓶を二本空にしたところからフレデリカの様子が変わった。今日初めて会ったのだからフレデリカのことを知らないアベルであったが、普段と違うことくらいはわかる。むしろ、あの引っ込み思案な性格が彼女の本質なのかもしれない。
アベルは店の壁を背もたれにして地面へと腰を下ろした。普段は身も凍えるような北風が、火照った身体には心地よい。
「……なんだか嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しいよ!セリスさん達は私達二人のために歓迎会を開いてくれたんだよ?」
「そうだな。……魔族のくせに変わった連中だ」
アベルが呆れたような笑みを浮かべる。マリアは少しだけアベルを見つめると、静かにその横に座った。
「アベルさんは嬉しくないの?」
「嬉しい?俺がか?」
「そうだよ。本来は敵対する相手の私達がこんなに良くしてもらえるなんて」
「けっ」
アベルはグラスの水を勢いよく飲み干す。そして、空になったグラスをジッと見つめた。
「……まぁ、悪くねぇわな」
「ふふっ、素直じゃないね」
「うるせぇ」
アベルはグラスから視線を外すと、ゆっくりと空を見上げる。
「……正直言うと、よくわからねぇんだ。こんな扱い受けたことねぇから。人間界にいた時は羨ましがられるか鬱陶しがられるかのどちらかだったしな」
「アベルさん……」
「こんな……普通のダチみたいに酒を飲めるやつとかいなかったから」
アベルは自嘲じみた笑みを浮かべた。やはり酔っぱらっているからだろうか。普段の彼ならばこんなことは絶対に口にはしないだろう。
マリアはその切なげな横顔を何も言わずに見つめていた。
アベルの噂は聞いたことがあった。学園始まって以来の神童。魔法陣の腕も剣の扱いも比類なき孤高の存在。彼に憧れる者は数多くいたが並び立とうとする者はいなかった。
おそらく学園にいたころは独りだったのであろう。入学当初の自分と同じだ。だから少しだけアベルの言っていることがわかる気がした。
だが、自分にはフローラがいてくれた。エルザもシンシアも自分に寄り添ってくれた。しかし、アベルには誰もいない。兄を慕う妹がいたとしても、それは家族であって友人ではないのだ。
マリアは小さく息を吐くと、アベル同様、星空に目を向けた。
「……ここで見る星はすごく奇麗なんだ。あっちの世界にいるときは夜空なんて見たこともなかったから知らなかったけど」
「……そうだな、俺も知らなかった」
「他にも魔族領に来ていろんなことを知ったよ。人間の世界にいたら絶対にわからなかったことを、ね。……だから、私はここに来てよかったって思うんだ」
「…………」
アベルはマリアの顔に目を向ける。
「マリアは……何でここに来たんだ?」
「え?」
少し驚いた様子でマリアがこちらを向いた。魔族との商売のため、というのは聞いた。だが、なんとなくではあるがそれが本当の理由だとは思えない。
真面目な顔で自分を見るアベルを見て、マリアは小さく笑った。
「……私はクロ君の
「
「うん。……前にね、魔王様が私達の所に来たことがあったの。先走った魔族を迎えにね。その時にクロ君は自分を犠牲にして私達を逃がしてくれたんだ」
その時のことを思い出すと、思わず笑みがこぼれる。クロムウェル・シューマンという男は人間の世界でも魔族の世界でも変わらないらしい。
「だから、私は独りでここに来たの。クロ君の最期を聞くために、クロ君の全てを奪った魔王に復讐するために。まぁ、結局は私の早とちりだったんだけどね」
「魔王に復讐、か……随分思い切ったことしようとしたんだな」
「うん、私もそう思う。でも、頭で考える前に身体が動いちゃってね」
マリアが照れたように笑った。その表情を見て、アベルはあることに気が付く。
「マリア……お前はあいつの事を」
「好きだよ」
一部の澱みもない声。まるでそれが当然だ、と言わんばかりの口ぶり。
「私はクロムウェル・シューマンが好き。彼と一緒にいたい、彼と関わりをもっていたい。だから、魔族領にいるの。……いろんな魔族の人にふれ合った今じゃ、それだけが理由じゃないけどね」
「……俺だけじゃなく、マリアまで魔族の世界に引き込んだのか、あいつは」
「私は自分から入り込んだようなもんだよ」
マリアが苦笑いを浮かべた。だが、すぐに真面目な表情になると、アベルの目を見つめる。
「アベルさんは……魔族の世界に来てよかった?」
「…………」
アベルはマリアから視線をそらすと、周りに目をやった。夜も更けてきたからなのか、魔族の姿はちらほらとしか見受けられない。アベルはそんな街並みを眺めながら、静かに口を開く。
「どうだろうな、まだわからねぇよ」
「……そっか」
「……ただ、あの糞みたいな世界より多少はマシなんじゃねぇか、って今は思えるかもな」
「……そうなんだ」
少しだけ嬉しそうな声。なんとなく気恥ずかしいアベルはポリポリと頬を掻いた。
「ということは、こっちに連れて来てくれたクロ君に感謝だね」
「はんっ、誰があんな奴に」
「ふふふ、本当に素直じゃないね」
マリアが優し気に微笑みかける。アベルは顔を顰めながら何かをごまかすように街並みに視線を戻した。
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