第197話 別離

 俺の傷が治るまで、丸一日の時間を要した。


 目を覚ました俺は、シンシアとフローラから魔物暴走スタンピードの話を聞き、すぐさま王都に向かう事を提案した。俺の身体を慮ってか、二人とも最後まで渋っていたが、なんとか首を縦に振ってくれたんだ。二人とも、やっぱりマケドニアの事が気になっていたみたいだ。帰るって言った時の二人の行動は早かったしな。


 ……まぁ、俺はここから早く逃げ出したかっただけの負け犬にすぎないんだけど。


 帰り道は、エルサレンを目指して山を登っていた時のことが嘘のようにスムーズだった。エルサレンを出る時にリーストさんが教えてくれたんだ。霊峰・アルマヤの魔物は聖なる力を持つ者を恐れ、襲い掛かってこない、って。流石は勇者の力ってところかな。


 身体強化バースト全開で山を下っていったのが功を奏したのか、麓に着くまで一日とかからなかった。その間も二人は俺の様子をチラチラ気にしていたよ。俺は二人に心配をかけてばっかりだ。だけど、俺はそんな二人に愛想笑いも向けられなかった。

 心に余裕がない……いや、違うな。それは心が何かに埋め尽くされていなければ成り立たないことだ。俺の場合はそうじゃない……なにもない、空っぽだ。幻影のあいつに負けてからずっとそう。俺は何も考えられなくなっちまった。


 本当……みっともなくて、みじめで、情けなくて、自分が嫌になるわ。




 特に何事もなく、マケドニアにたどり着いた俺達は、少し迷ったが、学園に向かう事にした。街の様子を見る限り、魔物暴走スタンピードの気配はないし、校長が俺達を呼びに来たって話だったからな。それにエルザ先輩がついていったみたいだから詳細を聞ける。


「とりあえず、魔物の姿は見えないようですね」


 シンシアがおっかなびっくりという様子で街の様子を見ながら言った。確かに、ところどころ壊れているようではあったが、暴走した魔物の姿はない。


「そうね。校長先生に聞けばすべてわかることだわ」


「そうですね。その後に城の方へと向かいましょう」


 俺は両手をポケットに突っ込みながら、二人の会話に耳を傾けていた。それに加わるつもりはない。と、いうよりもここまでの道中、一切会話に参加してこなかった。……だめなんだ。言葉が上手く出てこない。


「とりあえず学園に急ぎましょう!」


「はい!」


 二人がちらりと俺に目を向けながら言った。俺は下を向いたまま歩いているから目が合うことがない。二人の姿があまりにも眩しくて、目を向けたら焼けそうだ。


 しばらく街中を歩いていくと、見慣れた門が姿を現す。校門に着いたところで、フローラが遠慮がちに俺に目を向けた。


「レックス……どうするの?」


 どうする?ここまで来たんだからやることは一つだろう。


「校長に会うんだろ?そのために来たんだ」


「そうなんだけど……レックスは大丈夫なの?」


「大丈夫って何がだ?シンシアの回復魔法のおかげですこぶる調子がいいぞ。フローラが心配することなんか何一つない」


「そ、そう」


 フローラが困った表情で、俺から目をそらした。そんなフローラを見かねたシンシアが、俺達の間に割って入る。


「レックスさん!!フローラさんも私もあなたの心が心配なんです!!試練を終えてから、ずっと塞ぎ込んでるじゃないですか!!」


「……そんなつもりはないんだけどな」


 必死に訴えかけてくるシンシアの顔を見ながら、俺は吐き捨てるように言った。シンシアは少しだけ言葉に詰まったようだが、すぐに勢いを取り戻す。


「私は……!!私達は例えレックス君が勇者でなくてもレックス君を信じています!!私達の勇者はあなただけなんですから!!だから、そんなに思いつめないで」


「シンシア」


 俺はシンシアの言葉を遮るように名前を呼んだ。


「それ以上は何も言わないでくれ。…………頼む」


 これ以上、俺をみじめにさせないでくれ。


 俺の言葉を聞いたシンシアは口をつぐみ、悲しそうな顔で下を向く。俺はシンシアから視線を外し、顔を横に向けた。


「……そうですか」


 しばしの沈黙の後、シンシアは囁くように言うと、俺達に背を向け、学園の方へと歩いていく。


「シンシアっ!!」


「……ごめんなさい、フローラさん。少し所用ができました」


 追おうとするフローラを拒絶するようにシンシアは告げた。フローラはシンシアに手を伸ばしていたが、その場を動くことはできない。


「レックス……」


 フローラが眉を八の字にして俺のことを見つめてきた。その視線から逃げるように俺は踵を返し、元来た道を戻っていった。


「レックス!!」


「悪い、フローラ。……少しだけ一人にさせてくれ」


 目的地なんてない。とにかく今は誰もいないところに行きたかった。フローラが追ってくる気配なはい。俺は再びポケットに手を突っ込み、誰もいない街中を歩き始めた。


 あー……めちゃくちゃ格好悪いな、俺。



 シンシアがいなくなり、レックスもどこかへ行ってしまった。


 どれくらいの時間が経っただろう。最早、魔物暴走スタンピードのことなど、どうでもよくなっていたフローラはその場に呆然と立ち尽くしていた。


「フローラ」


 そんな彼女を呼ぶ柔らかい声が聞こえる。フローラはゆっくりと声のした方に目を向け、そして、大きく目を見開いた。


「マ、マリア……?」


「久しぶりだね」


 自分に向けられたその慈愛に満ちた笑顔はまさしくマリアのもの。茫然とその姿を見ていたのも束の間、目を潤ませながら駆け出すと、フローラはマリアの身体に飛びついた。


「バカっ!!何も言わずにどこに行ってたのよ!!」


「ごめんね。心配かけて」


 もう二度とどこかに行かないようにしがみつきながら、フローラはマリアの服を涙で濡らす。そんなフローラの背中を、マリアは微笑みながら優しく撫でつけた。


「みんなに伝えたいことがあって……アルベール君とシンシアは一緒じゃないの?」


「あの二人は……」


 衝撃的な再開で忘れていた記憶が蘇り、フローラは顔を歪める。それを見たマリアが三人の間で何かが起きたことを即座に察した。


「それならとりあえずフローラに伝えておこうかな?」


「……なに?」


 フローラが目元を拭いながらマリアに目を向ける。マリアは一呼吸すると、飛び切りの笑顔をフローラに見せた。


「私は学園を辞めて、お父さんの仕事を継ぐことにしたんだ」


「そう……なの?」


 突然の告白にフローラは目を白黒させる。自分の予想通りの反応を見せるフローラに、マリアは思わず苦笑した。


「うん。……自分が一番したいことが見つかったの。私は商人としての道を歩みたい。魔族と戦う勇者としての道じゃなくてね」


「……そうなんだ」


 少しだけ戸惑いを感じていたフローラだったが、静かにマリアの身体から離れると、懸命に笑顔を浮かべる。


「マリアがしたいことをすればいいと思うわ。私は応援する」


「……ありがとう」


 何があったのかなど聞かない。今は親友の門出を祝うべきなのだ。そんなフローラの気持ちが痛いほど伝わってきたマリアはそれに精一杯の笑顔で応える。


「……じゃあ、いつものカフェに行こうか?」


「えっ?」


「何かあったんでしょ?話を聞くよ」


 マリアの言葉にフローラの心のダムが決壊した。フローラはこぼれる涙も厭わずに、縋りつくようにマリアの身体にすり寄る。


「マリア……マリアぁ……」


 フローラの涙は止まることを知らない。マリアは微笑を浮かべながら、親友の背中を優しくさすり続けた。



 誰もいない廊下を歩く。木霊するのは自分の足音だけ。


 目的の場所にたどり着くと、シンシアは覚悟を固めるように大きく息を吐き出した。そして、ゆっくりと目の前にある扉を開いた。


「……おっ、シンシアか。ということは、勇者の試練は無事に終わったのかの?」


 机に座り、職務をこなしていたマーリンが少し驚いたようにシンシアに目を向ける。


「レックスとフローラはどうした?一緒じゃないのかの?」


「…………マーリン様」


 マーリンの質問には答えず、シンシアは真剣な眼差しでマーリンを見つめた。その手は無意識にイヤリングを触っている。


「私に魔法陣を教えてください」


「…………」


 マーリンは穏やかな笑みを消し、真面目な顔でシンシアに目をやった。その目に浮かぶ意志の炎を見て、シンシアが本気であることを察する。


「……その魔力は今のお主に御しきれるものではない。それでもなおコントロールしようとするのであれば血反吐を吐くことになるが……良いのか?」


「覚悟の上です」


 間髪入れず答えたシンシアの声に迷いは一切なかった。マーリンは静かに自分の髭をなぞる。


「私がみんなを守りたいんです。大切な人が悩むところは……もう見たくない」


「なるほどのぉ……」


 マーリンは少しの間、何かを考えるそぶりを見せると、シンシアに柔和な笑みを向けた。


「わかった。シンシアがその力を使いこなせるよう、儂も協力しよう。生徒の前向きな要望に応えるのが教師じゃからな」


「あ、ありがとうございます!!」


「ただし、訓練は明日からじゃ。今日はゆっくりと身体を休めなさい」


「はい!!よろしくお願いします!!」


 シンシアは元気よく返事をすると嬉しそうな笑顔を向ける。そして、そのまま頭を下げると、校長室を後にした。


 一人部屋に残されたマーリンは椅子から立ち上がると、部屋にある大きな窓に近づき、そこから景色を見下ろす。


「まさかシンシアがあんな顔をするとはのぉ……」


 自分の魔力に怯えていた頃とは別人のようであった。何が彼女をそうさせたかは想像しかできないが、その成長に喜びを感じる。


「ほっほっほ……銀の卵が孵化したようじゃな」


 学園の庭に植わっている木の上にある鳥の巣、そこで産まれたばかりの鳥の雛を見ながら、マーリンは満足そうにつぶやいた。

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