第182話 誰にでもやりたいことをやる権利がある


 翌日。


 質の悪いベッドのせいで若干寝起きが良くないクロがいつものようにアルカに起こされ、大きな欠伸をしながらリビングへと入っていく。すると、セリスと一緒に朝食の支度をしているマリアの姿があった。目が合うとニッコリと笑顔を見せる。


「おはよう、クロ君」


「おはよう」


「おはよう!!マリアお姉ちゃん!!」


 クロが寝ぐせだらけの頭を掻きながら席に座ると、すぐさまセリスが机にコーヒーを置いた。


「おはようございます。マリアさんも手伝ってくださったので、今日は豪華な朝食ですよ。早く歯を磨いて顔を洗ってきてください」


「ふぁ~い」


 まだ寝足りなさそうな顔でダラダラと洗面所に向かい、朝支度を整える。もう冬に入ったせいか、蛇口から出てくる水は凍てつくように冷たく、否が応にもクロの意識を覚醒させた。


 すっきりした頭でリビングに戻ると、ダイニングテーブルの机の上には大量の料理が置かれている。 クロ以外は席に座り、クロが来るのを待っていた。


「こりゃ、すげぇな。朝から腹いっぱいになるわ」


「ちょっと気合入れて作りすぎちゃったかな……?」


「美味しそう!!いただきまーす!!」


 アルカは元気よく手を合わせると、パクパクとご飯を食べ始める。料理を口に運ぶたびに「美味しい!美味しい!」とはしゃいでいるアルカを微笑ましく眺めながら、三人も食事をとっていった。


 朝食を終えると、クロとアルカは日課の鍛錬を行うため、庭へと移動する。後片付けを名乗り出たマリアであったが、セリスが朝食を手伝ってもらったのにそこまではさせられない、と柔らかく断ったため、マリアはテラスに座って二人の鍛錬を見学していた。


「“岩の鷲さん空を飛べロックンイーグル”!!!」


「“無数に穿つ激氷の槍ブリザードヘッジホッグ”」


 四重の魔法陣から飛び出てきたアルカの岩の大鷲を、氷属性魔法でクロが迎撃する。その翼に数多の氷槍を受け、中庭へと落ちていく大鷲を目に留めることもなく、二人は新たな魔法陣を展開し始めた。しかも、無重力状態ゼロ・グラビティで宙を舞いつつ、拳を交えながら、だ。これも、魔法陣を組成するときに棒立ちでいたら格好の的だ、とクロが口酸っぱくアルカに教えた賜物である。


「大分、最上級クアドラプル身体強化バーストにも慣れてきたみたいだな」


「そうだよ!!すぐにパパに追いついちゃうんだから!!」


「それはまだ早いな」


 アルカの攻撃を悠々と躱しながら、クロはその様子をしっかりと観察する。日に日に腕をあげるアルカに喜びを感じる反面、本当に追いつかれそうで若干の焦りを感じていたりもしていた。だが、本人が気づいていないだけで、アルカに引きずられるようにしてクロの実力も着実に上がっている。ただのアルカの護身のためだったはずが、いつの間にか今のクロにとって最も効率のいい訓練になっていた。


 そんな、ある意味で親子の触れ合いともいえる光景を、マリアは固唾をのんで見つめている。息を吐くように転移魔法を使って超高速で組み手をしている二人の姿を見ていると、夢の世界にいるとしか思えなかった。マジックアカデミアの学生達が行っていたランク戦など、子供の遊びにも満たないレベル。それほど常軌を逸した修行風景を前に、マリアはただただ口をぽかんと開けて眺めることしかできない。


「驚いているみたいですね」


 そんなマリアの隣に、洗い物を終えたセリスが腰を下ろす。


「そちらの世界にいるときはほとんどやる気がなかったみたいですからね」


 セリスは二人に目を向けながらマリアに話しかけた。マリアも白熱する戦いに目を離すことができない。


「うん、学園にいた頃は目立つようなことは何一つしていなかったからね。……アルベール君から強いとは聞いていたけど、こんなにすごいとは思わなかったよ」


「アルベール?」


 セリスさんが不思議そうに首をかしげる。


「レックス・アルベール。私の同級生だよ」


「レックス……フローラさんからもその名前を聞きました」


「え?あ、そうか。フローラには会ってるんだもんね」


 マリアが一瞬驚いた様子でセリスの顔を見たが、すぐに納得したように一人頷く。昨日の夜、一緒にベッドで眠った二人は、寝る前に色々話をしたのだった。チャーミルにクロと二人で調査に行ったときにフローラに出会ったこと、自分の街に人間が攻めてきた時に颯爽と助けに来てくれたこと、そして自分の親がクロの親を殺したことも。

 その話をしたとき、マリアは何も言わずに聞いてくれたのはセリスにとって、とてもありがたいことだった。


 そういった理由で、マリアはクロが魔族領に来てからのことを大部分把握しているのだった。


「アルベール君はなんでも完璧にこなすヒーローみたいな人なんだ。魔法陣も剣術も同い年で彼に敵う人なんていなかったな」


「そうなんですか。その方はクロ様の異常さを知っていたんですね」


「うん。あの二人は親友だからね」


「親友……?」


 その言葉にセリスは引っ掛かりを覚える。マリアはそんなセリスを不思議そうに見つめた。


「どうしたの?」


「いえ……以前、クロ様の苦手なものを聞いたことがあるんですよ」


「クロ君の苦手なもの?」


「はい」


 あれは確か、フローラルツリーの森で粘土を集めていた時のことだ。虫が苦手なセリスがクロには苦手なものなんてない、と言ったらクロが顔を顰めていた。


「その時に言ってたんです。親友が苦手だって」


「アルベール君が苦手……ふふっ、クロ君らしいね」


 マリアが楽しそうに笑う。


「何か心当たりが?」


「ううん。……ただ、クロ君はアルベール君にいつも振り回されていたからね。苦手だって思っててもおかしくないかなーって。仲良しなのに不思議だよね」


「男の人はそういう所がありますからね」


「そうだね!男の子ってそういう所あるよね!」


 二人はお互いに顔を見合わせるとくすりと笑った。


 マリアは小さく伸びをしながらゆっくりとまわりに目を向ける。荘厳な城にある中庭で戦う親子、そして自分の隣には超弩級な美人の悪魔。しかも、その美女と普通の友達のように話している。魔族は全て敵だと思っていた昨日までの自分では想像もできない状況。


「……マリアさんはこれからどうするおつもりですか?」


 しばらく黙ってクロ達の事を見ていたセリスが、少しだけ遠慮がちに問いかける。マリアはセリスに目を向け、困ったように笑いながら顔を俯けた。


「どうすればいいんだろうね。私がここに来た唯一の理由は失われちゃったし……」


「マリアさんはどうしたいのですか?」


「私?」


 マリアが顔を上げると、セリスがしっかりと目を見据えながらこちらに頷きかけてくる。


「私、か……」


 そう呟きながら、マリアは昨日の事を思い出していた。自分の中にあった魔族像との乖離。ルシフェルも魔族の幹部だと名乗ったあの三人も、自分に対して優しく接してくれた。それがクロのおかげだとわかっていても、自分の事をあたかも存在しないように扱うクラスメート達とは比べるまでもない。


「私は……できれば魔族領ここで生活したいな」


「それはクロ様のそばにいたいからですか?」


「……それもあるけどね。でも、一番はもっと他の魔族の人とも関わってみたいってことかな?」


「そうですか……」


 セリスは微笑みながらゆっくりとマリアから視線を外す。どうやらマリアは自分の思い描いた通りの人物のようだ。変に固執しない柔軟な思考の持ち主で、穏やかな性格。そして、強い芯を持っている。


「……それでは、後でルシフェル様に相談してみましょうか?」


「えっ?」


 マリアが驚いたような声を上げる。


「あれでも一応魔族の王ですからね。こういったことは最終的にルシフェル様の判断になります」


「一応ってひどいね。……でも、いいの?」


「何がですか?」


「私は人間だし……」


 マリアが段々と表情を曇らせ、尻すぼみになりながら告げた。そんなマリアの不安を振り払うように、セリスは首を左右に振る。


「クロ様だって人間です。それに自分のしたい事を言う権利は誰にでもあるんですよ?」


 セリスが柔和な笑みを浮かべた。それを見たマリアは力が抜けたように笑う。

 マリアはセリスの両親が人間に殺された事を知っている。クロは別にしても、そんな人間である自分に対して何も感じないわけがないのだ。その上、恋人であるクロに淡い気持ちを抱いている女。そんな自分に暖かい声をかけてくれるセリスの度量に、マリアは内心ため息をついた。



 ……敵わないな。



「セリスさんがそう言ってくれるならそうしてみようかな?」


「それがいいと思います。……まぁ、ルシフェル様がなんて言うかは予想もつきませんけどね」


 セリスが困ったように眉をへの字に曲げながら微笑む。そんな仕草も反則的に美しかった。


 マリアはかじかむ手にはぁ、と息を吹きかけながら、クロとアルカに目を向ける。願わくば自分もこの輪の中に入りたい、全力で身体を鍛えている親子を見ながら、マリアはそんな事を思っていた。

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