第179話 無責任な発言は控えましょう


「…………んっ…………」


 わずかにうめき声が聞こえたセリスは読んでいた本を空間魔法に戻し、ベッドに寝ているマリアに目を向ける。静かにその顔を覗き込むと、マリアはゆっくりと目を開いた。


「…………ここは…………?」


「魔王城にある医務室ですよ」


「セリスさん……?」


 まだ頭がぼーっとしているのか、マリアは焦点の合わない目をセリスに向ける。セリスは意識が完全に覚醒するのを待つように、何も言わずにマリアの顔を見つめた。


「私は……どうなったのですか?」


「大分疲労がたまっていたみたいで、倒れてしまったのです。シルフの薬で熱は下がっていますが、もう少し横になっていた方がいいですよ」


 セリスが優しい声で告げると、マリアは小さくうなずき、天井を見上げる。


「確か……セリスさんのおかげで魔王ルシフェルに会うことができて…………それで、その姿を見たら頭がカーッとしちゃって……」


 記憶を手繰り寄せるようにマリアが独り言を呟いた。段々と鮮明になる倒れる前の光景。


「そのまま魔王ルシフェルに攻撃を……それをセリスさんに止められて……どうしようもなくなった私は喚き散らして……そして……」


 マリアが突然、ハッとした表情を浮かべる。そして、おでこに乗せてある濡れタオルが落ちるのも厭わず、勢いよく起き上がると、セリスに目を向けた。


「クロムウェル君っ!!そうだっ!!クロムウェル君がいた!!セリスさん!!彼は!?彼はどこにっ!?」


「落ち着いてください!」


 何かにとりつかれたように興奮し始めたマリアの肩を必死に押さえて、セリスが大声でなだめる。とりあえず、セリスの言うことを聞いて口を閉じたマリアであったが、興奮は冷めきってはいない。


「マリアさん、あなたが見たのは魔王軍の指揮官。あなたが思い描いている方とは異なるお人……」


「…………」


「…………と、言ってもあなたには無駄のようですね」


 マリアの表情を見たセリスは、彼女にはクロの正体をごまかすことができないことを一瞬で悟った。こちらをまっすぐに見据えるマリアの目が、あれはクロで間違いないと雄弁に語っている。


 セリスはため息をつくと、諦めたように肩をすくめた。


「……えぇ、ご想像の通りです。あなたのおっしゃっているクロムウェル・シューマンという人間は、今は魔王軍指揮官クロとして魔族領で生きております」


「やっぱり……」


 マリアは震える左手をもう一方の手で包み込むと、静かに目を瞑る。そして、何かを噛みしめるようにギュッと手を握ると、ゆっくりと目を開き、嬉しそうに微笑を浮かべた。


「よかった……生きていたんだ」


 心の底から安堵したような声。その目から流れる一筋の涙。それを見てセリスの中にあった仮説が正しかったことを確信する。


「あっ……ってことは、私、勘違いで魔王に襲い掛かっちゃったのっ!?」


 冷静になったことで、自分のしでかした事に気が付いたマリアが、慌ててセリスの方に顔を向けた。


「ど、どどどど、どうしよう!セリスさん!!私、とんでもない事をやらかしちゃった!!」


「だから、落ち着いてくださいその点に関してはルシフェル様にも非があるので、大丈夫ですよ。そうですよね?」


 セリスが後ろに目を向けると、ルシフェルがカーテンの裏からバツの悪そうな表情を浮かべながら現れる。まさか、この場に魔王がいるなど思っていなかったマリアは、目を見開き、手を口に当て、そのまま固まった。


「いや……うん。あの勇者君を奮起させようとね……その方が面白そうだったからつい……。まさか、マリアがそんな本気にするなんて思わなかったから……でも、嘘はついてないんだよ?クロのことは消した、とは言ったけど、殺したなんて言ってないし……彼に転移魔法を唱えて消したのは本当のことだし……それに……」


「言い訳なんて聞きたくありません」


「はい……紛らわしいことを言ってすいませんでした……」


 セリスが怖い顔でギロリと睨みつけると、ルシフェルは身体を縮こませながらマリアに頭を下げる。その様をマリアは目をぱちくりさせながら見ていたが、不意にプッと噴き出した。


「ふふっ……ごめんなさい。……ただ、あまりにも想像していた人と魔王さんが違ったものだから……」


 自分の思い人を殺した憎むべき相手。人の命を奪うことに何の躊躇もない極悪非道な魔王。そんな風に思っていた男が、母親に怒られた子供のような姿をみせる。そのギャップが激しすぎて、マリアは思わず笑ってしまった。そんなマリアを見て、ルシフェルも頭を掻きながらあいまいな笑みを浮かべる。


 マリアは笑顔のまま大きく息を吐き出すと、深々とルシフェルに頭を下げた。


「……私の方こそすみませんでした。勘違いとはいえ、いきなり魔法を撃つようなことをしてしまって」


「全然気にしないで。魔王である僕を無視したり、殴ったり、剣を向けたりする無礼な男だっているんだから」


「それは全部クロムウェル君の事ですか?」


「その通り!」


 ルシフェルがどや顔でサムズアップすると、マリアはクスッと笑う。


「……こんな事ならもっと早くに魔王さんに会いに来ればよかった。悩み続けた自分が馬鹿みたい」


「そう簡単に会えるもんじゃないんだけどね。今回はたまたま運が良かっただけだよ。魔族の中には人間に恨みを持っていて、見かけたら問答無用で攻撃するような奴もいるから」


「そうですよね……でも、どうしても確かめたかったから」


「それは……さっき言っていたクロを殺した理由?」


 ルシフェルが尋ねると、マリアは柔和な笑みを浮かべながら頷いた。なぜ、こんな危険を冒してまでその理由が知りたかったのか、そんなことは聞かなくても痛いほど伝わってくる。


「クロムウェル君はどうして魔族領に?」


「マリアも知っていると思うけど、僕とクロは戦ったじゃない?その時にすごく面白い男だと思ったから賭けをしたんだ!僕が勝ったら魔王軍に入って、ってね」


「それで魔王軍にですか……」


「あっ、でも、嫌々従ってるわけじゃないからね?多分だけど」


「それはわかります。彼は自分が気に入らないことは絶対にやらない人なので」


 マリアがクロの姿を脳裏に思い出しながら答えた。それだけで、マリアがクロのことをどれだけ理解しているかうかがい知ることができる。


「じゃあ、魔王さんはクロムウェル君の直属の上司なんですね」


「そういうこと。……クロから敬われたことなんて一度もないけど」


「ふふっ……確かに、クロムウェル君が誰かに敬意を示すところなんて想像できないかな」


 マリアは楽し気に笑うと、視線をルシフェルからセリスに移すした。そして、セリスの目をしっかりと見つめながら穏やかな声で話しかける。


「セリスさんは……クロムウェル君とどういう関係なのかな?」


 そのストレートな問いかけにセリスの肩がビクッと跳ねる。先程、マリアの抱く気持ちに気が付いてしまった以上、セリスはうまく答えることができない。

 マリアの視線から逃げるようにルシフェルへと目を向けると、ルシフェルは首をすぼめて軽く息を吐いた。完全にお手上げの様子。


 セリスは自分をまっすぐに見据えるマリアに視線を戻し、ゆっくりと息を吐き出す。そして、覚悟を決めると、その目を真正面から見つめ返した。


「私はクロ様の秘書であり……恋人です」


「恋人……」


 雪解け水のように澄んだ声で告げられた事実を、マリアは静かに反芻する。その表情に驚きは一切ない。


 視線を下に落とし、しばらく何かを考えている様子のマリアであったが、緩慢な動きで顔をあげると、ぎこちない笑みを浮かべた。


「やっぱりそうなんだね……なんだろう、何となくそんな気がしたんだ」


「…………」


 セリスは何も答えない。例えようのない気持ちを抱きながらマリアのことを見つめることしかできなかった。


「セリスさんは……優しいね」


「えっ?」


 そんなセリスに、マリアが優しく話しかける。思いもよらぬ言葉をかけられ、セリスは驚きながらマリアの顔を見つめた。マリアは目を潤ませながら、それでも必死に笑顔を作る。


「私がクロムウェル君に抱く気持ちに気が付いてなお、ちゃんと事実を教えてくれた。……それはとても優しくて、とても強いこと。私には真似できないかな?」


「そんな……私は……」


「私がセリスさんと似てるって思った理由は、同じ人を好きになったからだったんだね」


 マリアが納得した様に頷いた。なぜ、初対面のセリスを信頼できると思ったのか、それは同じ男に惹かれた仲間だったから。


「……それは私も同じです」


「え?」


「私もマリアさんにある種の同族意識を感じていました。だから、なんとか力になりたいと思って、ルシフェル様のところまで案内したのです。……それを感じた理由までは定かではありませんでしたが」


「そうなんだ……」


 マリアは静かにそう呟くと、顔を正面に向け、何もない空間を見つめた。そして、今、自分の頭の中にある情報をひとつずつかみ砕いていく。そんなマリアに声などかけられるわけもなく、ルシフェルとセリスは何も言わずにマリアの横顔を見守っていた。


 ガチャ。


 静寂が包み込んでいた病室に扉の開く音が響き渡る。全員の視線が集まる中、笑顔でアルカがベッドに駆け寄り、その後ろを複雑な表情を浮かべたクロが歩いてきた。


「マリアお姉ちゃん!!体調は平気?」


「アルカちゃん……ありがとう、大丈夫だよ」


「よかった!!」


 アルカがマリアに声をかけた隙に、クロがセリスとルシフェルに目をやる。その表情からどちらのプランが採用されたのかを察したクロが、困ったように頭を掻いた。そんなクロにマリアが優し気な視線を向ける。


「クロムウェル君……生きていたんだね」


「あー……うん、そういうことだね。心配かけてごめん」


 クロがしどろもどろになりながら頭を下げると、マリアの口角が僅かに上がった。


「そうだね……結構心配したかな?でも、よかったよ」


「あ、ありがとう」


 ひどく落ち着いているマリアに面食らいながら、クロはルシフェルに助けを求める。自分の正体をバラしたのはいいとして、ここから先のプランは全く思いつかない。ここは魔王の指示を仰ぎたいところ。


「…………とりあえず、昔の友達がわざわざこんな遠くまでやって来たんだ。マリアの体調も万全じゃないみたいだし、今日はクロの家で泊めてあげたら?」


「と、泊める!?コレットさんを!?」


 予想外のフェルの発言に目を丸くするクロ。少しだけ悩んだ後、ゆっくりとマリアに目を向けると、遠慮がちな口調で話しかけた。


「……それでもいい?」


「……クロムウェル君とセリスさんがいいなら」


「セリス?」


「……恋人であることを告げたので、それを気にしての事かと」


 クロが首をかしげながらセリス方に顔をやると、セリスは硬い声で答える。


「あぁ、そういうことか。セリスは構わないよな?」


「構いません。マリアさんとは……もう少し話してみたいですから」


 セリスが顔を向けると、マリアは僅かに笑みを浮かべた。それを見てセリスも優しく微笑みかける。


 状況がまったく理解できないクロだけが頭の中に大量の疑問符を浮かべていた。

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