第149話 浮気と判断するのは自分じゃなくて相手
夕食を終え、就寝の時間となった頃、俺達はシェスカのもとに赴いた。
シェスカは陣の中央にたき火の側で、静かに炎を見つめながら果実酒を飲んでいる。……なんだろう、なんとなく声がかけづらい雰囲気。
「……私に何か用か?」
後ろに立つ俺達に目を向けることなく、シェスカが声をかけてきた。俺がチラリと横を見ると、セリスが、任せます、と目で合図を送ってきたので、とりあえず話しかけてみることにする。
「うーん……別に用があるわけじゃないんだけどな。どっちかって言うとシェスカの方が話したいことがあるんじゃねぇのか?」
「貴様らに話すことなど……なにもない」
一瞬だけ躊躇したような物言い。真面目な性格が災いしてか嘘は苦手みたいだな。
「そんな事ねぇだろうよ。なんでか知らんがセリスの事を目の敵にしているみたいだし」
「…………」
だんまりを決め込むつもりか?そいつは厄介だな。このまま根比べになったら勝てる気がしねぇ。だって見るからにシェスカは我慢強いタイプだ。熱いもの食べても絶対熱いって言わねぇだろ。
こうなったら少し攻め方を変えるか。
「まぁ、俺はどうでもいいんだけどな。シェスカの事を弱い女だって思うだけだから」
「……弱い女?」
頑なにこちらを見ようとしなかったシェスカが鋭い視線を俺に向けてくる。よし、食いついたな。
「聞き捨てならないな。私が弱いって?」
声のトーンは静かなままだが、明らかに怒気をはらんでいた。俺は努めて軽い口調でシェスカに告げる。
「だってそうだろ?腹ん中に一物抱えておきながら、本人を目の前にしたら何も言えずに、陰でコソコソ悪口言うんだろうからな。弱い女じゃねぇか」
いや、別にそういう人が弱いだなんて本気で思ってるわけじゃねぇよ?ただ、シェスカが敏感に反応するのがそのワードだと思っただけだ。
俺は、何も言わずにこちらを睨んでくるシェスカの目をしっかりと見据える。正直、直視し続けるのはきついもんがあるが、ここで目を逸らすわけにはいかない。
「……場所を変える」
しばらく黙りこくっていたシェスカは不意に立ちあがると、灯のない方へと歩いていった。俺達も少しだけ警戒しながらその後についていく。
野営地から少し離れ、完全に人気が無くなったところでシェスカは立ち止まり、こちらへと振り返った。
「ここなら思う存分話すことができる。で?何から話せばいいんだ?」
先程の「弱い女」発言が効いているのか、半ば
「……私を嫌う理由が知りたいです」
セリスがしっかりとシェスカの目を見つめながらストレートに尋ねかけた。うん、シェスカタイプには回りくどい言い方をせず、スパッと聞きたいことを聞いた方が絶対にいい。
シェスカの視線が俺からゆっくりと横へ移動していく。その眼光は対象がセリスに変わろうと鈍ることなどない。
「嫌い、か。確かに私は貴様が嫌いだ。だが、その理由に貴様は気づいているんじゃないのか?」
「……クロ様に守ってもらってばかりいる、ということでしょうか?」
セリスの言葉に眉をピクッと動かすと、シェスカは俺の事を一瞥する。
「話は聞いている。確か貴様の街に攻めてきた勇者をこの男が迎撃したんだってな」
「その通りです。街の……いや、悪魔族の危機をクロ様に救っていただきました」
「ふんっ」
シェスカは気に入らないと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「貴様も魔族の幹部だろ?自分の街くらい自らの手で守れないでどうする!」
「……それに関しては返す言葉もございません」
「だが、それについてはこの男にも責任がある」
へっ?俺?
シェスカとセリスのやり取りに自分は関係ないだろう、と高を括っていた俺は、突然の流れ弾に目を丸くする。いや、俺関係ないだろ。
「貴様はこの女を甘やかしすぎなのだ!今日だって、まだ襲われてもいないのに庇うようなそぶりを見せた!」
なんかクソみたいな因縁のつけられ方なんだが。襲われてから守ってたら遅いだろうが。
「大体、この女は貴様の秘書なのだろ!?貴様が身体を張って守るべき相手じゃないはずだ!!」
「うるせぇな。セリスは秘書だけど、俺の恋人でもあるんだよ」
「恋人ぉ?」
シェスカが心底バカにしたような表情を浮かべる。なんだよ、文句あんのか。
「まったく……少しはできる奴だと思ってはいたが、貴様も見た目で女を選ぶような愚かな男だったのか。私の憧れている方とは天と地ほどの差があるな」
「はぁ!?」
「もう少し見る目を養うことを勧めるぞ。仮にも貴様は上に立つ立場なんだからな」
なにこいつ、超むかつくんだけど。お前みたいに適当に肌を露出させてるだけで脳みそ筋肉の奴にはこいつの魅力はわからねぇんだよ。はったおしたろうか、このアマ。
だが、ここはぐっと我慢だ、クロムウェル。ここで言い返したら話し合いにならずにこの場は終了する。それは俺もセリスも望んじゃいない。
「それが私を嫌う理由ですか?」
俺のイライラを目ざとく察したセリスが、即座に話の方向を正す。再びシェスカの釣り目がセリスに向けられた。
「いや、もっと明確な理由がある」
「明確な理由?」
「そうだ。……貴様が部下を権力によって抑圧していることだ」
ふぅ……なんとか俺とは関係ない話になったな。これ以上話したら確実にリアルファイト勃発だ。もう俺は静観を決め込むぞ。
ってか、権力で抑圧ってなんだ?セリスってそんなことしていたっけ?
「おっしゃってる意味がよくわかりませんが……?」
セリスの表情的にマジでわかっていないぞ、これ。シェスカが口から出まかせ言ってるのか?いや、そういうタイプじゃねぇよな。
「自覚がないというのか!嘆かわしい!!私はあの方が不憫でならないっ!!」
「……もう少し具体的に話していただいてもよろしいですか?」
怒り心頭のシェスカを前に困り顔のセリス。シェスカはガシッと身体の前で腕を組むと、般若のような形相でセリスを睨みつけた。
「本来、魔王軍の幹部というのはその種族で一番優秀な者が務めるべきだっ!!我々の親父であるライガのようになっ!!」
ライガって一応部下に慕われてんのね。屋敷で話していた時はシェスカにたじたじだったような気がしないでもないけど。
「それなのに貴様は己より有能な部下がいるというのに、悪魔族の幹部でい続けているっ!!」
「……有能な部下ですか?」
「そうだっ!!私はあんなにも素晴らしい悪魔族の方がいるなど、つい最近まで知らなかったぞ!!大方、表に出して幹部の座が奪われることを恐れたんだろう!!」
あー、それはセリスが悪いわー。そういう輩は俺もあんまり好きじゃねぇぞ?どっかの国のバカ大臣と同レベルじゃねぇか。上に立つ者はしっかりと引き際を見誤らないようにしないとあかん。
…………ところで、その有能な部下って誰の事?正直、全く心当たり無いんだけど?
セリスも俺と同じ思いらしく、眉を寄せて必死に考えを巡らせている。
「私はこの目ではっきりと見た!!あの方の強さをっ!!器をっ!!度量をっ!!あの方こそ悪魔族を、ひいては魔族を統べるのに相応しいっ!!」
おいおい、シェスカにここまでいわせるなんてただ者じゃねぇだろ、そいつ。この女は軽々しく人を尊敬するようなタマじゃねぇぞ。そんな奴、悪魔族にいたか?
「あの方は魔法などとバカにしていた私の目を覚まさせてくれた……この身を差し出しても惜しくない御仁なのだっ!!いや!むしろこの身を捧げたいっ!!」
なんか変なスイッチ入ってないか?こいつは絶対に変な宗教にのめり込むタイプだ。
「……申し訳ありません。あなたがそこまでおっしゃる者に思い当たらないのですが。せめて名前を伺ってもよろしいですか?」
「この期に及んでまだ保身に走るか!!情けない!!」
保身っていうか本当にわかっていないだけだと思う。俺もそうだし。
「いいだろうっ!ならば教えてやるっ!!真に悪魔族の上に立つ者、私の憧れの方の名前をなっ!!」
シェスカが自信満々の表情を俺とセリスに向ける。やばい、ちょっとワクワクしてきた。難しいクイズの答えを聞く瞬間に似てるな、これ。納得できるような解答を頼むぞ、シェスカ!!
「その者の名は、ミスターホワイト様だ!!!!」
……………………。
「上に立つ者に必要な要素、それは圧倒的な強さっ!!あの方はそれを兼ね備えておられる!!」
……………………。
「あの闘技大会の日、私があの方に敗北すると、すぐに我が同朋達は闘技場を後にしたが私は違う!!こっそりと物陰からその後の戦いを見学していたのだっ!!」
……………………。
「貴様らの娘との試合、あれも確かにすごかったのだが、それ以上に魔王様とのエキシビジョンマッチに心が躍った!!」
……………………。
「ミスターホワイト様は魔法陣に優れたお方!!だが、近接戦闘においても見る者を魅了する華やかさを持っておられる!!」
……………………。
「去り際も心ときめいたっ!!魔王様との再戦を声高に歌った姿はまさに漢の中の漢っ!!貴様もああいう男にこそ惚れるべきなのだっ!!」
ビシッ!!と勢いよく指さされたセリスの表情からは一切の感情が抜き取られていた。いやーあれだわ。街で喧嘩しているのをやじ馬してたら、突然名指しで呼ばれて巻き込まれた気分だわ。
「あのー……シェスカさん?」
少し迷ったが、興奮の絶頂にあるシェスカに遠慮がちに声をかけてみる。
「なんだっ!!今からお前ら二人にあの方の素晴らしさを語り聞かせようとしているところなのだっ!!邪魔を───」
「ミスターホワイトって俺だから」
「……………………は?」
鳩が豆鉄砲を食ったような、っていうのはこういう顔の事を言うんだな。チャームポイントの大きな猫目が、完全に黒い点になってる。
「あれは俺が変装した姿だから」
親切な俺はもう一度真実を教えてあげた。だが、シェスカは石の様に固まったままピクリとも動かない。呼吸をしているかさえ疑わしいんだけど。このまま死んじゃったりしないよね?
対処に困った俺が目で助けを求めると、セリスがほとほと呆れたようにため息を吐きながら、額に手を添え
「シェスカさん、クロ様の言っていることは本当の事です。変装していた理由はシェスカさんには関係のないことなので説明しませんが、私の部下を名乗っていたミスターホワイトは紛れもなくクロ様なんです」
「……………………嘘だ」
やっと動き始めたと思ったら、今度は壊れた人形みたいに首を左右に振りだした。心の底から驚くと、人はシンプルな動きしかできなくなるんだな。
「嘘だ……私は信じないぞ……」
なんかシェスカさんの身体から魔力があふれ出していませんか?すげぇ嫌な予感がするんですけど。
「信じない……私は信じない……」
ぶつぶつと呪詛の様に呟きながら、身体に魔法陣を施していく。この後の展開はどんな馬鹿でも予想ができるわ。
「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
絶叫と共にアニマルフォーゼも発動。ボアキングと対峙したときの様に、全身を白い毛が覆っていく。シェスカはフーッフーッと息を荒げながら、焦点の定まらない目を俺たちに向けてきた。
「結局こうなんのかよっ!!」
これだから肉体言語しか知らない奴は嫌なんだ!そんなに信じられないなら、直接身体に思い出させてやるよ!
俺は今にも突撃してきそうなシェスカの背後に転移すると、闘技大会の時と同様、首根っこを思いっきり掴んだ。
「あぁん♡」
え?
艶やかな声を上げながらその場にへたり込むシェスカから俺は慌てて手を放す。反応おかしくない?それだとなんか俺が痴漢したみたいじゃない?
動揺を隠しきれない俺はゆっくりとセリスの方へと顔を向けた。
「……浮気ですか?」
その反応もおかしくない?すげぇニコニコ笑っているけど、めっちゃ怖くない?
とりあえずセリスの横に戻り、シェスカの様子を覗う。元の姿に戻ったシェスカは、女の子座りをしたまま、はぁはぁと息を吐き、顔を紅潮させながら慈しむように自分の首を撫でていた。
「この熱い手の感触……触れられた瞬間全身を駆け巡る電流……まさにミスターホワイト様のもの……ということはつまり……?」
なにやら独り言を呟いているようですが、大丈夫ですか?
「シェスカ……?」
俺が声をかけると、シェスカは身体をビクッと震わせる。そして、俯いたままよろよろと立ち上がると、何も言わずにおぼつかない足取りで野営地の方へと歩いていった。
静寂が辺りを包み込む。なにこれ?なにこの展開?どうしてこうなった?
「本当にあなたはトラブルを巻き起こす天才ですね」
セリスが心底呆れた口調で言い放つ。
「やっぱりこれって俺のせいなの?」
「どう考えてもそうじゃないですか」
めちゃくちゃセリスが冷たい。大量の氷を投げつけられている気分。
「シェスカさんにも考える時間が必要でしょう。話の続きは明日にしましょう」
セリスはこれ見よがしに大きくため息を吐くと、テントへと戻っていった。一人取り残される俺。完全に悪者扱いじゃねぇか。すげぇ納得いかねぇんだけど!!
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