第125話 涙は嘘をつかない


「はぁ……」


 私はお爺様のもとに向かいながら、大きなため息を吐いてしまいます。どうして私は、こんなにも愚かなのでしょうか。


 私のピンチに颯爽と現れたクロ様は、まさに小説の世界のヒーローのようでした。そういった類の本はあまり読まないのですけどね。それでも憧れには違いありません。私がクロ様に抱いている恋心は既にメーターを振り切っていると思っていたのですが、まだまだ全然上があるみたいです。


 だから、私はクロ様を探し「ありがとう」も「ごめんなさい」も伝えようとしたのです。ですが、私の目に飛び込んできたのは、奇麗なサキュバス達に囲まれて、いつものように鼻の下を伸ばすクロ様の姿。そのせいで感謝も謝罪もできず、挙句の果てには「いかがわしい店に行くな」と念を押して逃走。……思い出すだけで死にたくなります。


 えぇ、知ってますよ。サキュバス達からクロ様に絡んでいってましたよね。それに、クロ様は街を救った英雄。街の者がクロ様に惹かれるのは仕方がないことです。


 だけれどもです。そう理解していても、妬いてしまうものは妬いてしまうのです。好きなんだからしょうがないじゃないですか。


 そもそも、クロ様はここに駆けつけた時に「俺の女に手を出したのはどこのどいつだ?」って言ってくれたんですよ?あ、あれってそういう意味ですよね?……ぽっ。


 い、いや!照れている場合じゃありません!そう言ってくれたのにも関わらず、他の女性に鼻の下を伸ばすなんて、ひどいじゃないですか!あの勇者は、サキュバスは男なら誰でもいい、みたいなこと言っていましたが、クロ様の方が女性なら誰でもいいって感じじゃないですか!ものすごく納得できません!


 それでも、ひどい言葉で突き放した私を救ってくれたのは事実。やはり、お礼は言うべきでしょうね。お爺様の話が終わったら探してみましょう。


 それにしても、お爺様の話とは一体何でしょうか?皆が宴会を楽しんでいる中、いやに真剣な表情で呼び出されましたが……少し気になりますね。


 部屋の前についた私は扉をノックします。なにやら部屋の中でバタバタ音がしますが、とりあえず中に入ってみましょう。


 私が中に入ると、お爺様は指を組みながら領主席に座っていました。


「失礼します。お爺様、話とは一体何ですか?」


「おぉ、来たか。待っていたぞい」


 お爺様は私を笑顔で迎え入れます。なぜでしょう、いやにその笑顔が胡散臭いのですが?


「宴会の最中に悪いのぉ……主役のお前さんを呼び出したりして」


「いえ、今回の真の主役はクロ様ですから」


 実際に街を救ったのはクロ様ですからね。彼がいなければ最悪、街の者が全員殺されていたかもしれません。


「ふむ……実はセリスを呼んだのは他でもない。そのクロ指揮官についてじゃ」


「クロ様ですか……?」


 はて、クロ様についてお爺様に何か言われることはありましたかね?まったく、心当たりがないのですが。


「クロ指揮官は勇者の侵攻を食い止めた立役者なのは儂も理解しとるし、深く感謝もしとる」


「そうですね。私達は彼に未来を救われたと言っても過言ではないと思っています」


「そうじゃな。彼は途絶えるやもしれんかった悪魔族という種族を救ってくれたのじゃ」


 お爺様の言う通りです。今回の相手を考えれば、悪魔族の滅亡も十分あり得ました。そういう意味で、彼は悪魔族全体の恩人ということになるわけです。


 それまで温和な表情で話していたお爺様が、急にその表情を険しいものにしました。


「じゃがなセリス……彼は人間なのじゃ」


 その言葉に私は眉をピクリと動かします。……お爺様の言いたいことが全く分かりません。


「儂は、そんなクロ指揮官の事をお前がどう思っているのか聞きたい。これまで仕えてきて、どんな風に感じたかをお前の口から聞きたいんじゃ」


 私が……クロ様をどう思っているか?そんな簡単なことが聞きたいがために、お爺様は私を呼び出したんですか?私は思わず笑ってしまいました。


「どうした?」


「いえ……そうですね、出会ったころから始めましょうか?」


 私はそう言いながら頭の中で出会った頃の事を思い出します。


「最初は……とにかく嫌いでしたね。嫌いというか憎いに近かったでしょうか?いきなり現れたと思いきや重要なポストを任されますし、憧れの魔王様の秘書を外され、あの人の秘書にならなければならなかったし……人間という種族を忌避していましたし」


 結構ひどいことも言った気がします。あほ面やら間の抜けた顔やら……あれ?言っていることは今とあまり変わりませんかね?


「それで、あの人と一緒に人間に襲われているメフィストの村に行きました。私達が来たときはもう手遅れで……その光景を見た時、悪魔族の長としての責任を感じました」


 クロ様には言ってないですけどね。あの時は結構へこんでいたんですよ?メフィストが街からいなくなった時、私は長ではありませんでしたけどね。それでも、やはり街から離れなければこんなことにはならなかったのではないか、と思わずにはいられませんでした。


「そこで、両親を人間に殺されたアルカと出会いました。自分と似たような境遇に立たされたアルカを、私は何とか助けたいと思いました。ですが、クロ様はあろうことか茫然自失のアルカに刃を向けたんですよ?」


 あの時は驚きました。本気でアルカを殺すんじゃないかって、冷や冷やしたのを覚えています。年端もいかない少女に現実を突きつけて、自ら生きる道を選択させるなんて。


「それでも、結局、アルカの心の壁を無理やり突き破って、失意のどん底にいるアルカを救い出しました。……その時の印象は、変わった人だなって感じですかね」


 でも、そんな彼にだからこそ、アルカは心を開いたのでしょう。彼が全力でぶつかったからこそ、アルカは本音をぶつけてきたのだと思います。


「そして、彼と一緒にいろんな街を巡りました。口がきけないデュラハンを何とかしたり、人員不足のゴブリンに魔法陣を教えたり、オークの性格を魔改造したりしたこともありましたっけ?破天荒といいますか……一緒にいるとすぐに胃が痛くなりますね」


 本当に今思い出すだけでため息が出そうになります。やることなすことめちゃくちゃなんですから、隣にいる私の身にもなって欲しいですね。


「船酔いしたり、火山相手に戦ったり、最近ではルシフェル様と戯れたりもしていましたね」


 子供みたいな人なんですよ、あの人は。本能のままに生きていると言いますか、そういう部分が少しルシフェル様と似ているような気がします。


「実際、迷惑かけられてばかりですね。そのくせ私のことは、口うるさいだの、そんなんだから恋人ができないだの、デリカシーのかけらもありません」


 本当に困った方です。アルカのためにも、私のためにも……他にもいろんな人のために無茶してばかり。私は心配するばかりで、あの人といると早く老けてしまいそうです。




 話せば話すほど、ろくでもない人だって再認識してしまいますね。

 







 でも、私はそんなあの人を───。










「そんなどうしようもないクロ様を……私は心の底から愛しています」





 ガタンッ!


 あれ?今、机の下ですごい音がしたような気がしましたが……。


「お爺様?どうかされましたか?」


「ん?あ、あぁ。セリスが余りにストレートに言うもんじゃから驚いてしまってのぉ。思わず、机に足をぶつけてしまったわい」


「そうですか……?」


 驚くのも当然ですよね。人間嫌いだった私が、人間の男性を愛するなんて。


「……その気持ちはクロ指揮官に伝えないのか?」


 お爺様が尋ねてきます。クロ様に思いを告げる。この溢れんばかりの気持ちを伝えられたらどんなに幸せでしょうか。ですが、それは許されぬことなのです。


「いいえ。一生伝えることはありません」


 私がきっぱりと言い切ると、お爺様は少し驚いた様子でした。


「……理由を聞いても?」


 理由……理由ですか。普通は気になりますよね。……お爺様には話しておくべきでしょうか。


「お爺様は……お父様が私によく言っていた言葉をご存知ですか?」


「ん?それは初耳じゃな。そんな言葉があるのか?」


「えぇ……『私は罪を犯した。自分を助けてくれた人を手にかけ、死に追いやった』と、お父様は幼い私にいつも言っていました」


「……その話は聞いたことがあるのぉ。確か、瀕死の重傷で倒れていた時に出会った人間の夫婦が、自分を治療してくれたというのに、目が覚めて目の前に人間がいることに気が動転してしまい、そのまま手にかけた、と」


 やはり、お爺様も知っていましたか。


「はい。そして、こうも言っていました。『だから、私は自分がしてもらったことを他人にしてやりたい』」


「……その結果が、あの事件というわけじゃな」


 不幸にも、自分を救ってくれた人間の夫婦と同じ末路を辿ることになってしまったのです。私が両親を失った事件でもあり、人間を憎むようになった原因でもあります。


「その話は分かった。それとクロ指揮官に思いを告げられないことと、何の関係があるんじゃ?」


 流石につながりませんよね。ですが、これにあと二つほど情報を加えればすっきり理解できるはずです。


「お爺様……クロ様の両親は魔族に殺されたのです」


「……はっ?」


「そして、それは命を助けた金髪の悪魔によってなされたそうです」


「なっ……!?」


 お爺様が目を見開き、絶句してしまいました。ここまで言えば分かりますよね?


「クロ様の両親を殺したのはあなたの息子……私のお父様です」


「なんと……!!そんなことが……!?」


 私も驚きです。こんなことってあるんですね。もし、これが運命の悪戯であるのだとすれば、こんな残酷なことはありません。


「驚くのも無理はないでしょう。ですが、私はあの人の仇の娘……この事実は変えることはできません」


 勘違いであればいいと何度思ったことでしょうか?ですが、こんなにも状況証拠が揃っているならば、認めざるを得ません。


「これが、私がクロ様に思いを伝えない理由です。……私はあの人にとって恨まれるべき魔族であっても、愛されるべき魔族ではありません」


 愛していただけるかはわかりませんがね。ですが、信頼くらいは抱いていただいていると思います。


「あの人は優しいですから……私が思いを告げたら、それに応えようとするでしょう。自分の気持ちなど二の次で」


 本当にどうしようもない程、優しいお方。もう少し自分本位になってもいいというのに。



 だけど、そんなクロだからこそ、私は愛しているのだ。



 それでも、運命は許してくれませんけどね。


「お父様亡き今、最早私があの人の仇なのです……そんな女を……好きになっ……れる……わけが……りません」


 あれ?なぜでしょうか?視界がぼやけてよく見えません。声もなぜか途切れ途切れになってしまいます。


「セリス……」


 お爺様が悲痛な表情で私にハンカチを渡してきました。ハンカチ?何に使うのでしょうか?

 とにかく、受け取ろうと伸ばした手の上に雫が落ちたことで、私は自分が泣いていることに気がつきました。なんて鈍いんでしょうね。


 ……おかしいですね。拭っても拭っても涙が止まらないんですが?さっきあれだけ涙を流したというのに……私の涙腺はおかしくなってしまったようです。


「……辛いことを聞いたなぁ。すまんの」


「いえ。お爺様には話しておかなければいけないことでしたので」


 お爺様が私を心配そうに見つめます。こんなに泣いていたら心配もされますよね。


「それではこれで失礼させていただきます」


 これ以上は心配をかけたくなかったので、私は頭を下げると足早に部屋を後にしました。

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