第114話 大切なことを気づかせてくれる奴が本当に大切な人

 景色が赤い。


 窓も机も椅子も、俺の目の前に倒れている男も真っ赤だ。


 その真っ赤な男が俺に手を伸ばしてくる。


 怖い。


 だが、俺の身体は動かなかった。


 男は血まみれの手でゆっくりと俺の頬を撫でる。


 そして、優しく微笑んだ。


 ───恨むなよ、クロムウェル。悪いのは魔族じゃなくて、時代そのものなんだ。


 俺の記憶はそこでぷっつりと途切れている。



「……嫌な夢を見たぜ」


 小さい頃幾度となく見た夢。両親が死ぬ間際の俺の記憶。魔族領に来てから見ることがなくなってたっていうのによ。


「……別に恨んじゃいねぇさ」


 俺は横にかけてあったコートに腕を通すと、足早に家を後にした。




 今日も俺は『ブラックバー』に足を運ぶ。俺の姿を見たゴブ太はため息だけついて、もう何も言ってはこなかった。

 俺がルーチンワークのようにいつもの席に向かうと、ゴブ郎が何か言いたげにこちらを見たが、無言で酒を出してくれる。


「サンキューな」


 俺は小さい声で感謝すると、それを口へと運んだ。美味しさなんて感じない。マキが持ってきてくれる城の朝飯も味なんてしやしない。まるでゴムを食っているような感覚。俺の味覚はおかしくなっちまったみたいだ。


 注がれた酒を何も考えずに飲み干していく。もはやただの作業。時間だけが刻々と過ぎていく。だけど、無心でいられるだけ幸せだった。


「夕方から酒飲んでるとか、良いご身分じゃねぇか」


 そんな話しかけるなオーラ全開の俺に声をかけてくる奴がいた。今までそんな奴、一人としていなかったのに……つーか、それが嫌だからこの席に座ってるっていうのによ。

 俺がうっとおしそうに振り向くと、緑色した大男がニヤニヤと笑いながら俺を見ていた。その後ろには白銀の甲冑が無表情で佇んでいる。


「なんだ、お前らか……」


 俺は興味なさげに言うと、また酒を飲む作業に戻った。そんな俺の隣にギーとボーウィッドが腰を下ろす。


「……あっち行けよ。俺は一人で飲みたい気分なんだ」


「おいおい、随分覇気がねぇな。こりゃまた偽物の指揮官様か?」


 うるせぇな。知っててあえて言いやがって。俺はギーの軽口を無視して、空のグラスをゴブ郎に差し出した。ゴブ郎は一瞬、迷ったようだったが、俺のグラスに酒を注ごうとする。だが、それをボーウィッドが止めた。


「……もういいだろう……飲みすぎだぞ、兄弟……」


「飲みすぎかどうかは俺が決めることだ。ゴブ郎、おかわりくれ」


 ボーウィッドの言葉に耳を貸さず、ゴブ郎の事を睨みつける。ゴブ郎はウィスキーの瓶を持ったまま困った顔で、俺とボーウィッドの顔を交互に見ていた。そんな俺を、ギーが馬鹿にしたように笑う。


「ボーウィッド、許してやれよ。……女に振られたら、酒でも飲んでねぇとやってられねぇのさ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の血液が一瞬にして沸点を超える。乱暴にグラスをカウンターに叩きつけると、勢い良く立ち上がり、ギーを睨みつけた。


「なんだよ?」


 ギーは座ったまま、俺に冷たい視線を向けてくる。


「的外れなこと言ってるんじゃねぇよ」


「的外れなもんか。少なくともお前以外のみんなはそう思ってるぜ?『魔王軍の指揮官は惚れた女に逃げられた哀れな男だ』ってな!」


 反射的に出た俺の拳を、ギーは立ち上がりながら造作もなく躱した。


「はっ!核心をつかれたら暴力ってか?指揮官様はおそろしいねぇ!」


「うるせぇ!それ以上意味わかんねぇことぬかすんなら、本気で相手になるぞ!?」


「やってみろよ。こちとら酔っ払いに負けるほど落ちぶれちゃいねぇぞ?」


 ギーが挑発するように人差し指をクイクイっと動かす。俺はスッと目を細めると、静かに構えをとった。


「……そこまでだ……」


 そんな俺達の間に、ボーウィッドが割って入る。


「……らしくないぞ、兄弟……」


「らしくない?」


 俺はボーウィッドに目を向けながら、その言葉を鼻で笑った。


「らしくないってなんだ?俺らしいってのがわかんねぇな!」


「……俺の知っている兄弟は、こんなところで腐ったりなんかしない……」


「それはお前が勝手に抱いた俺の理想像だろ!?」


 俺は自嘲するように笑いながら、両腕を開く。


「本当の俺はこんなもんだ!!よく見てみろ、兄弟!!」


 ボーウィッドは何も言わずに俺を見つめた。俺は溜まっていた負の感情を一気に吐き出す。


「嫌なことがあったら酒に溺れて、現実逃避!何もかもどうでもよくなるわ、自分の娘は泣かすわ、情けねぇ野郎なんだよ、俺は!!」


「…………」


「おまけに声をかけてくれたお前らには八つ当たり!痛いところをつかれて逆ギレ!本当、最低な奴だよなぁ!?」


「…………」


 あぁ……口にすればするほど、なんて哀れで情けないやつなんだ。こりゃ、セリスに見限られて当然なのかもな。


「お前らも心の中じゃバカにしてんだろ!?所詮は人間だってな!!」


 俺がみっともなく喚き散らすも、ボーウィッドとギーは何も言わずに俺を見ているだけだった。その様子が俺のみじめさをより一層引き立たせる。


「なにが魔王軍指揮官だ!?大事な部下に逃げられるような、そんな屑な男はこんな所からいなくなった方が───」


 ボゴッ!


 右頬に強い衝撃を感じ、俺はそのままテーブルを吹き飛ばしながら床に倒れこんだ。何が起きたのかわからない俺だったが、ボーウィッドの姿を見て殴られたことに気がつく。


「……そんなくだらないセリフを吐くのは……兄弟じゃない……」


 驚くことに、温厚で冷静なあのボーウィッドが、怒りに肩を震わせていた。


「……俺の知っている兄弟は、どんな逆境にも不敵な笑みを浮かべるような男だ……!!」


「ボ、ボーウィッド……?」


 ボーウィッドは困惑している俺の胸ぐらをつかみ、無理やり立たせると、顔をグッと寄せる。


「……セリスがいなくなったからなんだ……!?……それですべてが終わりだっていうのか……!?」


「そ、それは……!!」


 すべて終わり?本当にそうなのか?セリスは俺の両親と違って、まだ生きているんだぞ?


「……大事な人を失ったんなら……お前ならそれを取り戻そうと必死にあがくだろ……!?」


「…………」


「それが……俺の知っているカッコいい魔王軍指揮官だぞ……!?お前はこんなことで諦めるような男じゃない……そうだろ、クロ!?」


「っ!?」


 ボーウィッドの言葉に俺は言葉を失った。


 兄弟の言う通りだ。俺はいつだってそうしてきた。


 デュラハン達のコミュ障を改善するときも、ゴブリンの人手不足の問題を解消するときも、大切な木を守ったときも、いつだって足掻いてきたじゃねぇか。


 それなのになんだ?俺は大事な女から辛辣な言葉を受けただけで惑っちまった、諦めちまった。そんなの全然俺らしくねぇ。


 セリスにきつい言葉をかけられるのなんていつもの事だろうが。出会った時だって、それから俺の秘書になってからだって、棘のある言葉を幾度となく言われてきてんだ。


 今更、それの一つや二つ増えたところで、へこんでる場合じゃねぇだろ!


 俺の目の色が変わったのが分かったのか、ボーウィッドは静かに俺の胸ぐらから手を放した。


「悪いな、ボーウィッド、それとギー。おかげで目が覚めたわ」


「けっ!ようやくかよ!……手のかかる兄弟だぜ」


 ギーが肩を竦めながら憎まれ口をたたくが、その口元は少しだけ綻んでいた。いつもの調子に戻ったボーウィッドが俺に顔を向ける。


「……これからどうするんだ……?」


「……まずは気になることがあるからフレデリカの所へ行く。その後はフェルの所だな」


 前にセリスの様子がおかしくなった時、フレデリカは何かしら話を聞いたはずだ。今はどんな些細なことでもセリスの情報を集めておきたい。


「……そうか……」


 ボーウィッドとギーは顔を見合わせると、同時に拳を突き出してきた。一瞬、呆気にとられた俺だったが、笑みを浮かべながらその拳に自分の拳をぶつける。


「指揮官らしく、さっさと解決してこいよ」


「……兄弟ならやれるさ……」


「おう!……全部終わったら一杯おごらせてくれや!」


 そう言うと、俺は転移魔法を発動し、フローラルツリーへと移動した。



 残されたボーウィッドがギーの方にちらりと視線をやる。


「……フレデリカの所に行くって言ってたな……どう思う……」


「どうって……」


 ギーがカウンターに並べてある酒瓶を一本手に取った。


「こいつが必要になんだろ」


「……そうだな……」


 ボーウィッドはフッと笑うと、フローラルツリーのある方向に顔を向けた。

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