第94話 知ってしまった過去、知らなければよかった真実
クロ様の合図を受けた私はブルゴーニュ邸の近くにある雑木林まで移動しました。対象が付いて来ている事は確認済みなので、クロ様は無事、潜入できた事でしょう。
幻惑魔法をかけているので大丈夫ですが、なんとなく不安です。昨日の一件もありますからね……なぜ彼女にはクロ様であることがわかってしまったのでしょうか。
私は顔を動かさずに、こちらを監視している女性に目を向けます。隠れているつもりなのでしょうが、木の陰からバッチリ若葉色の髪が見えているんですよね。
はぁ……それにしても杜撰な尾行です。
息遣いは聞こえますし、追いかける時にパタパタと足音もたてています。私からの距離も近すぎますし、姿も魔力も気配もダダ漏れです。
悪魔だったら間違いなく落第点です。リスクが高過ぎて隠密の任務につかせられませんね。
確かクロ様のご学友だったとか。それなら未熟なのも納得ですね。所詮は学生、命のやり取りの場に立った事もない甘ちゃんでしょうから。
そう考えるとクロ様は本当に常軌を逸してますね。
さて。こんな半人前の尾行を巻くのは容易いですが……。
やっぱり、気になってしまいすよね。
魔族領に来る前のクロ様。私の知らないクロ様。それを彼女は知っている。
そう思うと、非常に羨ましくあります。自分がこんなにも嫉妬深い女だとは思いませんでした。
でも、好きな相手を知りたいと思う事は悪い事じゃないと思います。
「……隠れていないで、出てきたらどうですか?」
だから、少しくらい聞いてみてもばちは当たりませんよね?
私がそちらに目を向けると、緑髪の少女は戸惑いながら木の陰から出てきました。その反応、まさか気づかれていないと思っていたんですか?
「……バレてるとは思わなかったわ」
そのまさかでした。私はため息が出そうになるのをぐっとこらえ、頭を下げます。
「初めて……ではないですね。ですが、名乗ってはいませんでしたので。私はセリスと申します」
「……フローラ・ブルゴーニュよ」
少し気の強そうな方ですね。私を見る目に明らかな敵意を感じます。
「ブルゴーニュさんですね。よろしくお願いいたします」
「フローラでいいわ。その苗字は好きじゃないのよ」
「……では、フローラさん、と」
フローラさんは軽く頷くと、私の事をじっと見つめてきました。こんなにも見つめられる事なんて滅多にないので、少しドギマギしてしまいます。
「あなたを見たのは2回目だけど、信じられないほど綺麗ね。……あなたと二人ではレックスの前に立ちたくないわ」
レックスというのはフローラさんの思い人でしょうか?そうであれば、その気持ちわかります。私もあなたと二人でクロ様の前には立ちたくないですから。
「フローラさんも十分魅力的だと思います」
「……どうも」
私は本当の事を言ったというのに、フローラさんは悔しそうに顔を歪めました。やはり、人間というのは御し難いです。
「あなたには色々と聞きたいことがあるんだけど……そうねぇ、まずはシューマン君との関係から聞こうかしら?」
「シューマン?」
そういえば昨日もクロ様をそう呼んでましたね。それがクロ様の本当の名前なのでしょうか?
「……昨日あなたと一緒にいた男の子よ」
「あぁ、クロ様の事ですか?」
「クロ様……?」
フローラさんが訝しげな表情を浮かべます。口に手を当て、ブツブツ呟きながら少し考えていましたが、合点がいったようにゆっくりと顔をあげました。
「なるほど、『クロ』ね。で、そのクロ様とあなたの関係はなんなの?」
「昨日見てわかりませんでしたか?恋人です」
なんとか声が上擦らないで言えました。この街での仮のものとはいえ、やはり嬉しいやら、恥ずかしいやらで、どうしても緊張してしまいますね。
私の発言に驚いたのか、フローラさんは目を見開いて固まってしまいました。そんなにあの人と恋人であることが不思議なんでしょうか?それはそれで、なんとなく不満です。
でも、次に驚かされたのは私の方でした。
「それは本気で言っているの?……それとも幻惑魔法によって無理矢理かしら?」
「……えっ?」
幻惑魔法?なぜその事を?人間の世界には幻惑魔法があるというんですか?いや、それならばクロ様が知っていたはず。
困惑する私を見て、フローラさんはニヤリと笑みを浮かべました。
「やっと少し動揺してくれたわね。サキュバスには感情がないのかと思ったわ」
まさか、こんな半人前に私の正体まで見破られるとは。私はなんとか冷静さを装いながら、フローラさんの顔に目を向けます。
「どういうことですか?」
「一応これでもブルゴーニュ家の一員なのよ。私の家は代々、異常に高い魔法耐性を兼ね備えた子供が産まれるの。だから、精神系の魔法である幻惑魔法や、闇属性魔法は効きにくいのよ。あぁ、幻惑魔法がサキュバス特有の魔法であることはお父様から聞いたわ」
だから昨日、クロ様のことが認識できたのですね。そんな体質の人間がいるなんて思いもしませんでした。我ながら迂闊だったとしか言えません。
「……私の正体が知られているなら、下手な誤魔化しは無駄ですね」
「随分落ち着いているのね」
「敵地で取り乱したら命に関わります。常に冷静に、それが私のモットーです」
「立派な事ね。まぁ、でもサキュバスが相手ならシューマン君が騙されていても無理ないわね。それで?本当のところ、シューマン君との関係はなんなの?」
改めてフローラさんが問いかけてきました。その言い方から察するに、私が人間だと偽ってクロ様の近くにいると思っていますね。まぁ、どう思われようが関係ないので否定はしませんが。
「あなたのおっしゃっているシューマンさんとクロ様は別人ですよ?」
「……それでもいいわ。貴方達二人の関係を教えて」
もう嘘をつく必要はないのでしょうがないのですが、恋人と言えないのは少し寂しいですね。
私はため息をつくと、渋々といった感じで答えます。
「……お察しの通り、恋人ではありません」
「やっぱりね。貴方みたいに綺麗な人がシューマン君を相手にするわけないと思った」
その口ぶりに眉がピクリと反応してしまいました。ですが、シューマンさんとクロ様は別人なんですから、目くじらを立てるわけにはいきません。私は魔王軍の幹部、世間知らずのお嬢さん相手に心を乱すことなどありませんから。
「それに、彼は私の事が好きだし」
「はいぃ!?」
今、この女はなんと言いましたか?クロ様が自分を好きだ、とかいう世迷い事を
気がついたら私はフローラさんの肩を鷲掴みにしていました。
「痛っ!!えっ、ちょっと!?何急に!?」
「……なし……しく……がい……」
「えっ?なにっ?ってか目が血走ってて怖いんだけど!」
「その話、詳しくお願いします」
私は至って冷静に尋ねたつもりですが、フローラさんは身体をビクッと震わし、怯えた目を向けてきます。なぜでしょう。
「じ、自分の正体がバレた時よりも狼狽えてない!?冷静さはどうしたのよ!?」
「いいから、早く話してください」
あまり焦らされると、勢いあまって関節を外しそうになってしまうんですが?
「べ、別に大した事じゃないわよ!彼が学園にいる時に告白されたってだけ!」
告……白……。
愕然とする私がゆっくりと手を離すと、フローラさんは慌てて距離をとりました。
まさか、人間界にクロ様のす、す、す、好きな人がいたなんて……。いや、普通に考えればおかしいことではありません。魔族領にいる期間よりも、人間の世界にいる期間の方がよほど長いのですから。
でも、所詮は昔の人。私がフローラさんよりも魅力的な女になれば問題ないはず。
「ふふっ、私の動揺を誘うとは……中々に策士ですね」
「あなたが勝手に動揺してきた気がするけど……まぁ、いいわ。ついでにもう一つ重要な事を教えてあげる」
これ以上は大した話が聞けないと思ったので、転移魔法によりこの場を離れようとした私に、フローラさんが不敵な笑みを向けます。
今更何を聞かされようと、先ほどを超える衝撃などありえません。
ありえないと思っていました。
フローラさんは自信に満ちた表情を浮かべながら、ゆっくりと口を開きます。
「シューマン君の両親は、自分達が命を救った魔族に殺されたのよ」
…………………………えっ?
「あたしもレックスから聞いただけだから、詳しい事は知らないけど、殺したのはあなたと同じ金髪の悪魔だったらしいわ」
ちょっと待って。
「せっかく助けたっていうのに、魔族っていうのは恩を仇で返す種族なのね」
その話、どこかで……。
───私は罪を犯した。
「っ!?」
懐かしい声が耳をよぎり、思わず全身が総毛立ちました。その瞬間、私の身体から無意識に膨大な魔力が溢れ出してしまいます。
「ひっ!?」
フローラさんがそれに当てられ、腰を抜かしているようです。私は大変興味深い話を聞かせてくれたフローラさんを立たせてあげようと、手を伸ばしました。
「い、いや……!!」
フローラさんが涙目になりながら、必死に後ずさりしようとしています。ですが、身体が思うように動かないみたいですね。可哀想に、そんなに怖がる事は無いのですよ?私はただ、あなたを───。
「何してんだ、セリス」
その声が、私を元の自分に戻します。
溢れ出していた魔力を抑え込み、振り返ると、眉をひそめながら立っているクロ様の姿がありました。
……クロ様の目には今の光景がどう写っているでしょう。
片や、ブルブルと震えながら、腰を抜かしている美少女。
片や、殺気全開でその美少女に近づく悪魔。
そして、震えている彼女はかつてクロ様が想いを馳せた相手。
この状況でどちらの味方をするかなど、子供でもわかるというものです。
「シュ、シューマン君!騙されちゃダメ!!その人は魔族なのよ!私も今襲われていたところなんだからっ!」
フローラさんが私を指差しながら叫ぶと、クロ様はスッと目を細めました。
あぁ、やっぱり。そうなってしまいますよね。
私などよりも、そこにいる彼女の方がクロ様との付き合いは長いはず。そんな彼女の言葉を信じない理由はない。そもそも、彼女が言っている事は殆ど事実なのだから。
それに、私は知ってしまった。
ゆっくりと近づいてくるクロ様を見ながら、私は覚悟を決めます。
クロ様に葬られるなら、私は幸せかもしれません。愛する人の手で眠りにつく事ができるのだから。
クロ様は私の目の前に立つと、何も言わずに腕を振り上げました。
私は穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと目を閉じます。
「なに普通にバレてんだよ、このダメ秘書」
「ふんぎゃっ!」
クロ様の手刀が私の脳天に突き刺さりました。私は涙目になりながら頭をさすります。
「ほら、こっちの用件は済んだんだ。さっさと帰るぞ」
クロ様はいつもと同じような口調で、いつもと同じように面倒くさそうな顔を向けてきました。本当に普段と何も変わらない態度。
「あ……あの……」
「シューマン君!!」
私が何か話しかけようとした時、後ろで尻餅をついていたフローラさんが叫び声に近い声を上げました。
「その女はあたしたちの敵なのよ!?それを知ってなんで一緒にいようとするのよ!!」
クロ様は足を止め、フローラさんに目を向けます。その瞳のあまりの冷たさに、私は心の底からゾッとしました。
「あんたが俺を誰と間違えてんのか知らないが、俺はあんたのことなんて知らない」
「なっ……!?」
フローラさんが大きく目を見開きます。知人だと思っていた人からそう言われれば、誰でも同じ反応になるでしょう。
クロ様は小さくため息を吐くと、空間魔法から以前アルカを助けるときにつけた紺の仮面を取り出しました。
そして、それを顔にかけながら、フローラさんに向き直ります。
「俺は魔王軍指揮官クロ。それ以外の何者でもない」
クロ様はきっぱりとそう言い切ると、私の腕に手を伸ばし、転移の魔法陣を組成しました。
転移する間近、放心状態のフローラさんにクロ様は一言だけ最後に告げます。
「あんたが言っている男はな……死んだんだよ」
そして、私とクロ様は見慣れた魔王城の中庭へと戻ってきました。
目に映るのはいつもと同じ景色、立っているのはいつもと同じ場所、隣にいるのはいつもと同じ人。違うのは私の心境だけ。
「はぁ……フローラさんにがっつりバレちまった。あの誤魔化しかたじゃ通用しねぇよな」
クロ様が肩をがっくりと落としました。言葉と仕草とは裏腹にあまり気にしていないように思われます。
「とりあえず、フェルに報告しに行こうぜ」
ほら、やっぱり。この切り替えの早さが何よりの証拠です。クロ様は意外とメンタルが弱いので、本気で気にしていたら一日くらいは悩んでいますからね。
私はその言葉には答えず、おもむろに頭を下げました。
「……申し訳ありませんでした」
下を向いているので顔は見えませんが、クロ様が面食らっているのを雰囲気で察します。ですが、私は深々と頭を下げたまま上げようとはしません。
「……言うほど気にしてねぇから、お前も気にすんな」
えぇ、存じております。そして、優しい言葉をかけていただきありがとうございます。
ですが、私が謝ったのは違う理由です。
今はまだ勇気が足りないので、もう少しだけ時間をください。
その時が来たらすべてを打ち明け、あなたのもとから去ります。
私は、あなたの隣にいてはいけない者だということを知ってしまったのだから。
城に向かって歩き出したクロ様の背中を見ながら、私はそんなことを考えていました。
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