8
「……いっ…つ」
目映い白い光が指の間から漏れてくる。それは掌をやけに赤く見せた。
これは血の色だろうか、それとも目の錯覚だろうかと思っている間に少しずつ目の痛みが引いてきたので、シンはゆっくりと両手を下ろした。
室内から日の下に出たときのような眩しさがあったが、順応したらしくもう目は痛みを発しない。
動力が戻ったのだと、シンはインナーバイザーを越しに目を細めながら頭上を
つい先程まで緑色の蛍光色で彩られていたコンピュータも白日の下に晒されて、全貌が明らかになっている。
ルオウとエステバンの場所を確認しようと振り返ると、二人は別な方向を見て固まっていた。
眉根を寄せて、二人の視線の先を辿る。そしてそこにあるものを見た瞬間、シンも二人同様動けなくなった。
眩しささえ感じなくなった明るい空間の中、今までいなかった人物が三人の前に立っている。
ゆったりとしたデザインの白衣に、綺麗に結い上げられた長い髪。
肌は深いしわと染みに覆われていたものの、シンはその顔を知っていた。
「ユ……エ……?」
思わず出したその声はかすれていた。
その老婆はシンの声に反応したように目を細めると、悲しげな表情はそのままに口を開いた。
「この映像を見ている未来の方々へ。わたしの名はエラ・アルト。この街、アルティオの科学者です」
『ユエ』、じゃないのか?
しかし赤の他人には思えなかった。
『ユエ』が端末であろうとなかろうと、エラと名乗るその老婆は『ユエ』の血縁者かモデルとなった人物に違いなかった。それほど似ていたのだ。
「映像……か」
エステバンが心なしか安堵したような声を上げた。
シンは級友を一瞥し、本物と遜色ないまでに精巧な立体映像に視線を戻した。
老婆は穏やかな表情を保ったまま、言葉を紡いだ。
「この映像が発見されているころにはアルティオは滅びているでしょう。度重なる災害で我々は大きな打撃をこうむり、最早その傷を修復する力はありません」
どういうことだ。レシーバーの奥からルオウの声が聞こえる。
それから間髪置かずにエステバンが質問を投げかけた。
「どういうことだって、どうしたんですか?」
「お前たちも授業でやっただろう。月はコロニーとの間で援助物資に関する文書を取り交わしている。その中身は何も食料だけに限ったことではない。医薬品の類もあったはずだ。正式に援助物資が打ち切られたのはこの映像記録の年から十数年はあとだ。それも月から一切連絡がないことを不審に感じたコロニー政府が隊を派遣してようやくわかったほどだぞ。度重なる災害などというものが本当にあったならば、コロニーにその情報が伝わっていても良いはずだ」
「でも実際、
「……ああ」
ルオウやエステバンの声が聞こえていたが、シンは視線をエラ・アルトから外せなかった。
本当に似ている。
シンはナーサリーでのあの忌まわしい出来事の際にしか『ユエ』の姿を見たことがなかったが、それでもエラのする表情の一つ一つが、屋上での少女の面差しを
エラは『ユエ』に似た、薄い微笑を口元に浮かべると、お聞き下さいと静かな口調で告げた。
「我々が滅びることとなったのはコロニーからの運搬物資が原因です。送られてきた援助物資から、あるカビが検出されたのです。DNAを改変した人工種で、その代謝産物は細胞を急速に癌化させるものでした。抗真菌剤もほとんど効かず、まともな機材もない月面では対処のしようがなく、『姉妹』たちは次々に亡くなりました」
エラは特性、DNA、用いた手段など、カビについての情報を淡々と語った。
話を聞いている最中、シンのバイザースクリーンに知らないチャンネルからの通信が届いた。
「わたし自身もすでに感染しています。残ったものはたった十名だけ。その中にはわたしの娘もいます。十名の中で最少年齢。彼女は月における最後の人となるでしょう」
「何故そんなに……」
ルオウのつぶやきに答えるようにエラの言葉が続いた。
二人に気づかれぬよう、シンはエステバンたちの死角にゆっくりと移動すると、着信をスキャンして確認した。そこには地図があった。
「月の環境が人には合わなかったのか、原因は他にあるのか、あの移住計画から数年も経たないうちに、異常が現れたのです。その異常は紫外線に対する極端な耐性低下とそれによって起きる急速老化でした。現時点でのわたしたち
「クローン……」
またルオウの声が耳元で聞こえた。
シンは二人の位置を確認しながら、更に後ろに移動した。
急に届いた地図を困惑しながら見ると、どうやらこの街の地図らしかった。
自分たちのいる場所を確認すると、立体図の上部にあたる場所に点滅するマーカーがあった。
よく見ると微妙に移動している。
シンはそれが朔夜の場所を示すマーカーなのだとすぐにわかった。思わず眼前のコンピュータを見る。
「わたしも、そしてわたしの娘も複製体として生を受けました。娘はわたしの友人テイア・アルトの複製です。アルティオには瞬間整形の技術が発達していましたから、複製体であることは、研究に従事した者にしかわかりません。けれどわたしたちの時代にはすでに全員がクローンでした。だからコロニー政府からの支給品の中に摂食感染型のカビが含まれていたことは致命的でした。致死性真菌症と呼称されたこの病はOSVと同じく体内で変異し、宿主から胞子を放出することで空気感染を引き起こします。またたく間に広がり、我々にそれを押しとどめるだけの力は残っていなかった」
エラはそこで感情を抑えるように口元をわななかせた。
口元に手を持っていく。その腕は一部が壊死したように黒ずんでいた。
「……この記録をご覧になった未来の方々、どうかわたしたちの全記録をお持ちください。そして出来ることならばこの記録を後世に伝えてほしいのです」
数秒のちデータの再生が終了した。
コンソールの光が自動的に赤く輝き、コンピュータの一部からロボットアームが出てきてルオウの掌に何かを落とした。
「何ですか、それ」
エステバンはルオウの掌にある小さな金属片を覗き込んでいる。
「データチップのようだな」
「……もしかして今、俺たち結構まずい瞬間に立ち会ったりしてます?」
「そうだな。エステバン、ゼン」
振り返ったルオウにシンは心臓が飛び出るかと思うほどぎくりとした。
「今のことは他言無用だ。この件は上に預ける。沙汰が出るまで貴様たちは余計なことを口走るな」
シンは敬礼すると、調べるふりをしながら更に二人から距離をとった。
『ユエ』が寄越した居場所に朔夜がいるとすれば早く合流しなければならない。
「何で政府に要請しなかったんですかね。教官がさっきもちょろっと云ってましたけど、月に移住した人たちって確か優遇措置受けられる公約をコロニーと交わしたはずだったような」
「要請はしたんだろう」
「何でわかるんですか?」
「通信システムが旧型だ。暗澹の五百年中期頃、巨大な太陽フレアがコロニーを襲ったとの記録が残っている。旧来の通信システムに深刻な影響が出たため新規を立ち上げたとな。旧回線は使用しないとの理由から破棄されたと聞いていたが、今の話からすると通信遮断の可能性があるかもしれない……」
ルオウはエラから託されたチップを丁寧にしまいこんだ。
エステバンはその様子を見送って顔を傾け、それからようやくシンの異変に気付いたのか、声を上げた。
「ライザー? どうしたんだ?」
シンはヘルメットに現れたエステバンに言葉を返せなかった。
推進剤を使って、縦横無尽に伸びた管を足掛かりに上を目指す。
「ライザー?!」
ルオウからの通信も入ったが、シンは応答しなかった。
朔夜、待っていろ。
シンは通信機器を切り、ひたすら上を目指した。
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