14

「お前たちはホント働き者だな」



 ヘルパーマシンの頭を撫でながらシンはマシンたちが運んできた皿を受け取っている。


 一体何度その言葉を聞いただろうか。


 朔夜は立てた膝に肘をつけた体勢で、目だけを細めてシンを見た。


 ベッドの中で皿に盛られたスープを飲み干すその姿は、夕方くらいまで血をどばどば流して止まらなかった人物と同じとは思えない。

 けれど夢ではないという証拠にシンの顔には治癒能力を促す薬を塗った布がべたべた張られていたし、腕には石膏ギブスのような形状をした細胞再生促進装置がはめられていた。傍目から見るとあまりに痛々しい光景ではあったが、当の本人はいたって元気だ。



「あんた、白菜好きだね」



「白菜だけじゃない。野菜は大抵好きだ」



 シンが食料品店で見せた異常なこだわりにより、当初如月家の冷蔵庫には白菜が一株あった。試験休みはもうすぐ終わるので、マシンたちはそれまでに食品を片づけてしまいたいのだろう。マシンたちが持ってきたスープにはあまった白菜が使用されていた。


 朔夜はミカが持ってきた見舞い品の菓子を頬張りながら、傷だらけの少年を見つめた。



 突然ガラスが割れたのだ、とミカは云った。そこには人影もなかった、とネカーは云った。


 しかし朔夜が連絡を受けて駆けつけたとき、現場に落ちていた破片は明らかに割られた際の様相を呈していた。それも外側から割られたものだ。


 けれどシンと同じ側に立っていたネカーは人など絶対いなかったと云い切っている。ミカは、ガラスが割れる少し前にシンは窓の方を見たまま、固まっていたのだと云っていた。


 それからするとやはり、窓の外に誰かいたと考えるのが妥当なのだが、ネカーがあの状況で嘘をつく理由がわからなかった。警察ではないので犯人をつきとめようという気はない。しかし被害にあったのがシンで、ナーサリーでは彼を狙ったかのような事件が相次いでいたのだ。気にはなる。


 今回もその関連だと思うのが普通なのだが、朔夜はそうは考えていなかった。



 ゆえ。



 脳裏に浮かんだ少女に、朔夜はそんな馬鹿なと小さくかぶりを振った。


 確かにゆえは、普段からシンのことを異様に気にしていた。しかし彼女は夢の中の住人で、現実世界の者ではない。夢とは思えないほどリアルで、自我も保たれているが、夢であることに変わりはなく、夢である以上犯人であるとは思えなかった。



 ついこの間まではゆえ犯人説を信じていたためにシンを実家に連れてきたものの、兄弟仲が悪く、これまで何度か命を狙われたことがあると本人より聞いて以降その説は立ち消えた。家庭内のいざこざで命を狙われているということの方が、夢の中の住人が木を折ったり、ガラスを割ったりする説よりは、はるかに現実的だったからだ。



 しかし今回、その線は考えにくい。



 狙撃されたのだったらまだしも、警察の話では外部から巨大な鈍器のようなもので割られている可能性が高いとのことだった。ガラスの散り方から推測するに、シンが立っていた付近を中心に急激な圧力が一気にかかったのだという。しかしそのとき外には誰もいなかった。


 ヤーンス住宅で使われているガラスは壁面を覆うという目的で使用されているため、通常のものより強度が高く、一般に売られている武器では決して割れない。よほどの圧力差でもない限り、面を割るということは出来ないのだ。


 一番知っているはずのシンは事件のことに関してはわからないの一点張りだし、現場にいたはずのネカーやミカは何も見ていないときてる。ゆえならば必ず割れるという証拠もない。


 朔夜は溜息を漏らし、考えても仕方がない、と首を振った。



「何だよ、機嫌悪いな」



 ヘルパーマシンの作った白菜とベーコンのスープをすくっていた手を止め、シンは顔をあげた。



「当たり前だろ。あんた何隠してるんだよ。犯人の顔とか姿、あんた見たんだろ。だから窓の方見て固まってたんだろ」



「……本当に見てない。人影と見間違えたんだ。監視システムにも人は映っていなかっただろ」



「確かにね……」



 朔夜にはシンが嘘をついているという確信めいた感覚があった。

 だが証拠はない。シンが云った通り監視システムには人影はおろか物の影すら映っていなかったのだ。



「朔夜」



 朔夜は渋面を作りながら顔をあげた。



「今、朔夜が思い悩んでいることとは何ら関係ないとは思うが一言云っておきたい」



「は? 何を」



「おれが自分の正体を明かしたのはお前を縛りつけたかったわけじゃないことをだ」



 朔夜は眉根を寄せた。



「何それ。この間も似たようなこと云ってたのに、何でそんなこといきなり云い始めたわけ?」



「朔夜が何を思ってここに招待してくれたのかはわからないが、それが友情故のことではないことくらいわかっている。だからその理由が、以前おれが正体を明かしたことに起因しているのであれば、それを謝りたいと思った」



「……別に、そんなんじゃない」



 朔夜は居心地の悪さを感じて顔をそむけた。



「――お前、今すごくつらそうだ」



 わかったような物言いに、朔夜はむかつきを感じた。



「お前からしてみればいい迷惑だというのはわかっている。だが云って楽になるようなことだったら、おれも話くらいは聞ける。その悩みの一部を共有させてくれないか」



 心の中がなんだか酷くざわざわとする。苛々を落ち着かせるように唇をかみしめる。シンはさらに言葉を継いだ。



「云っておくが強制じゃないぞ。無理に話す必要はない。だがおれはいつでもお前の話を聞く。そのことをわかってほしい」



「云えば、楽になるわけ?」



「それは人それぞれだ。云って楽になることもあれば、つらくなることもあるから断定することは出来ない」



 いやに冷静なその物云いに朔夜は胸の奥がむかむかしてくるのを感じた。云いたいことは分かるのに、他人に説教されることが我慢ならないのか、苛立ちが治まらない。



 何でこいつはこんなに偉そうなんだろう。何故こいつにそんなことを云わなければならないんだろう。



 落ち着かなければ、と呼吸を整えたが、感情が膨らんでいくスピードの方が速かった。



「じゃあ、その区別はどうやってつけるんだよ。おれはあんたとこうやって話をしてても楽になるどころか気分が悪くなる一方だ。おれの悩みを聞かせろ? 最後まで話して、それでもつらかったらどうするんだよ。やっぱり間違いでしたって突き放すのか?」



「違う」



「じゃあ一体あんたは何を聞きたいわけ? 悩みをわかちあうと楽になる? あんたとおれは他人同士なのにそんなことあるわけないだろ。あんたはおれがなくした記憶に興味があるだけ。財閥のお坊ちゃんだか何だか知らないけど、探偵ごっこがしたいなら別なところでやれよ。ひとりが好きなやつだって世の中にはいるんだよ。自分の価値観を人に押しつけんな!」



 こんなことが云いたかったはずではない。

 シンがそんなつもりでないことは彼の態度からも分かる。けれど朔夜は自分の怒りを抑えることが出来なかった。


 頭が真っ白になってしまい、自分で自分の感情がコントロール出来なくなる。冷静になるとそのとき自分がどれほど馬鹿なことを口走っていたのかが分かるのに、それを事前に止めることが出来ない。


 朔夜は胸元をきゅっとおさえてうつむいた。心の中はいつものように後悔で溢れ始め、その感覚がまた嫌でたまらない。



 後悔するくらいなら怒鳴らなければいいのに。



 唇を噛み締めうつむいたままの朔夜にシンはそっと手を伸ばした。ギブスを嵌めているせいでおぼつかない指先が頬をかすめる。



「触るなよ」



 口では云ってみたものの朔夜にはシンの手を振り払うことが出来なかった。

 口に出すことなど出来ないが、こうして触れられるのは悪くないと思う。それはまるで不幸な家庭に育ち、愛に飢えた子供のようだった。


 顔が熱くなるのが抑えられない。

 気恥ずかしさあまり顔を逸らそうとしたが、負傷したシンの方が行動が早かった。

 額を指ではじかれる。痛みを発する額をおさえ、朔夜はシンに抗議した。



「……痛いんですけど」



「一方的に怒鳴られたおれの心の方が痛い。人の話は最後まで聞け」



「……」



 黙った朔夜を見て、シンは満足げにうなずき、こほんと息を整えた。



「――おれが朔夜に関わりたいと思っているのは、お前のことが好きだからだ」



「……そういうの……云ってて恥ずかしくないの?」



 朔夜はうつむいたまま、その言葉を聞いていた。唇を噛み締め、服を握りこむ。


 陳腐でつまらない台詞を云われているはずなのに、やけに顔が熱い。自分がシンの言葉を鵜呑みにしているのだと思うと恥ずかしかった。



 これでは本当に愛された例のない可哀相な子供、そのものではないか。



 何故こんな感情にならなければならない。今まで他の誰の言葉にだって、揺り動かされることはなかったのに。



 朔夜はシンをはねつけたい一心で、顔を背けた。



「恥ずかしい? 何故朔夜がそう思うのかそれこそ理解出来ない。おれは朔夜が好きだから朔夜が苦しんでいるのを見たくないし、出来ることならその不安の原因を取り除いてやりたいと思う。それに個人で背負うよりも分割した方が軽くて済むだろ」



 朔夜はもうこれ以上聞きたくないというように頭を振った。



「もう、止めろよ。あんたの話聞いてると、すごい……苛々する」



 ああ、まただ。また抑え切れない。



 朔夜は遠くの方で何事かを叫んでいる理性を無視し、いつものように感情のおもむくまま、喋っていた。



「――おかしいよ……あんた。好きだからって何それ。友人関係ってそんなこともしなきゃいけないのかよ。あんたが悩んでるときにはおれも背負わなくちゃならないわけ? 最初に名前の由来をはきちがえただけでそんなふうにつきまとわれるなんて……正直すごい迷惑……」



 心臓が早鐘を打っている。朔夜はゆっくりと息を継ぎながら目を閉じた。発作の前兆かとも思ったが、どうやら違うらしい。それにしてもこの感情の起伏の激しさは尋常ではない。何か別の病にでもかかっているのだろうか。



「――人のために何かしたいとか、そういうのって自然発生的な感情だと思う。だからおれがお前のために何かしたとしても、それに対して朔夜がしなければならないなんて思う必要はない。やったらやり返さないといけないなんてことはないし。第一そんなことを考える時点で友人関係は破綻してるだろ。というよりこんな話をしていること自体がそもそもおかしいぞ」



「あんたと友人関係を築いた覚えはない」



「これからゆっくり構築するんだ」



 ふふっと笑って、シンは枕に頭を沈めた。


 元気そうに見えてもやはりダメージは大きいらしい。

 朔夜は病人に暴言を吐いたという後ろめたさから逃れるために深い溜息をついた。


 シンの云っている言葉は分かるような気がしたが、同時に分からない気もした。


 人のためになど思ったこともない。というより今まで人のことについて考えたことがなかった。

 朔夜にとって他人とはわずらわしいだけの存在だったからだ。


 完全な意志の疎通なんて出来はしないのに空虚な言葉を重ね、剥離しかけた部分をそれで糊付けしていく。寂しいからという理由で無理に他人とともにいて、身も心も削らなくてはならないのならはじめから寄せつけない方がまだいい。一人であることに耐える方がまだましというものだ。


 朔夜には端から見込みがなく、付き合っても別に得ることもない相手と友人関係を築きたいというシンの心情が理解出来なかった。



「……あんた、物好きだね」



 シンの場合はそうとしか云いようがなかった。


 他人のために脳が活性化することすら嫌だと思っている朔夜にとっては理解の範疇を超えている。シンは迷惑そうな表情を浮かべる朔夜を見てきょとんとした顔をすると、やにわに目を細めた。



「そうかもしれない、何云われても朔夜のことは好きだし、朔夜のために何かしてやりたいと思う。人を好きになるのに理由はいらないが、嫌いになるにはそれなりのわけがいる。別に嫌になるようなこと、お前してないだろ?」



「あんたのこと怒鳴ったりしたぞ」



「確かに愉快ではないな。そのあたりは是正を乞うが、まあ喧嘩するほど仲が良いって昔から云うからな。意見の相違による喧嘩は問題ない」



「だから友達じゃない」



「揚げ足取るなよ。嫌な奴だな」



 本気で嫌そうな顔をしてから、シンは気を取り直したように続きを口にした。



「な、外行きたい」



 朔夜は思いっきり顔をしかめた。



「何でいっつもそう唐突なの? 大体そんな恰好で出られるわけないだろ。あんた馬鹿じゃないの」



「じゃあ、ベランダでいい」



 問題は怪我をしているのにもかかわらず動き回ろうとする行為で、場所ではない。しかし外に出られるよりは、と朔夜はベランダで譲歩した。



「少しだけだからな」



 それを聞いてシンは嬉しそうに身を起こした。

 足も手も傷だらけで全身ギブスと湿布に覆われた体でありながら、その動きは想定したものよりも滑らかだった。顔が青白いのは傷のせいではなく、血を流しすぎたせいらしい。


 朔夜は浅く溜息をつくと、よろよろとする少年に肩を貸した。



「悪い」



「……ベランダで何すんだよ」



「星が見たい」



「星?」



「そう、星。ヤーンスに来てからずっと曇ってただろ、今日は晴れてるみたいだし、見てみたい」



「今この状態でしなきゃいけないこととは到底思えないんだけど」



「明後日の夜にはここを発つんだぞ。どっちも曇ってて見られなかった場合、責任取れるのか」



「責任って何のだよ……」



 拒否しようとした途端暴れはじめたシンに、朔夜は折れた。

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