9

 アルバムの映像は話している間にも転々と移り変わっていった。

 ネカーの家で遊んだときのもの、家族旅行、夏休み、花火大会、どこかのアミューズメントパーク、冬休み、春休み――わずか数年足らずの人生でこなしてきたとは思えないほど、数多くのイベントがそこにはつまっていた。自分の隣には、そこが指定席だというようにいつも同じ顔をした弟がいて、保護者気取りの偉そうな表情を浮かべている。



―――望は偉いわね



 それは母親が口癖のようにくりかえしていた台詞だった。思い出したくなくて慌てて頭を振ると、シンが心配そうに覗き込んできた。

 大丈夫か、と眉根を寄せる少年に小刻みに頷いて見せる。

 両親と弟の会話を思い出すだけで吐き気がした。



 一体いつからこんなふうになってしまったのだろう。



 幼いころから引っ込み思案だったということはアルバムの映像を見ていればわかる。

 ネカーやミカと話しているのは主に望だったし、会話のやり取りも大抵はその望を通して行われていた。自分から率先して何かを行うということはアルバム内ではほぼ皆無。それでも周りは何くれとなく世話を焼いてくれている。嫌がるようなことはあっても、吐き気を感じるほどのことではなかったはずだ。実際、映像の中の自分ははにかみながらも微笑み、その状態を享受しているように見える。寸分たりとも顔の違わない弟の後ろに隠れ、その肩越しから覗くようにしてこちらを見る、幼き日の自分。年齢から考えても、それが演技とは思えなかった。



 映像を見る限り、かつての自分は弟が好きだったのだ。



 じゃあ、今のこの感情は?



 朔夜は脳裏にぐるぐると回る、様々な憶測に振り回されるように思案を重ねた。けれどいくら思い悩もうと、今のような状態になってしまった原因を探ることは出来なかった。記憶に点在する欠けた部分がどうにも邪魔をして、ある一定以上深く掘り下げることが出来ない。

 諦めたように吹嘘すいきょすると、それに合わせたように周囲の映像が変わった。


 今度は診療室の映像だった。家の裏手にあるそこは、精神科の医療所だということが影響してか、普段は立ち入り禁止になっていて入ることは出来なかった。けれど子供心を知ってか一月に一度、開放日というものが設けられていた。そのため入りたいという気持ちはあっても無断で侵入したことはなく、律儀にその日を待って遊んでいた。診療室内の器具で遊ぶ自分たちを見て目を細めていた父親を思い出していると、またしても画面が切り替わった。


 よくもまあ、こんなに撮りためたものだと思う。

 カウントしているわけではないので総数は不明だが、これまでに流れた映像だけでも、ざっと四十はくだらないに違いない。シンも同じようなことを思ったのか、寝そべったままの姿勢でこう云った。



「あと七十近い映像が入ってるんだろ、ものすごい数の記録だよな」



「――母親がこういうの撮るの、趣味だったんだ」



「へえ趣味か。いいな」



 イベントがあるたびにカメラを回す母親を朔夜は覚えている。母は無類のイベント好きで、まとまった休みがあるたびに旅行を画策してはそれを敢行した。

 今現在、映し出されている画面もそういうものの一部なのだろう。公的な場で着るような衣装を身にまとって立っている。

 双子の背後には何故か八大コングロマリットの一つ、レギオンのエンブレムを模したファサードがあった。



 こんなところに行ったことがあっただろうか。



 首をかしげる朔夜の前で懐かしい母の声があがった。



『朔夜、それじゃあ折角のお洋服が見えないわ。ちょっと横にずれてちょうだい』



『朔』



 望にうながされるように微笑まれ、おずおずと子供が顔を出す。可愛いなとシンが横で声をあげた。



「今のお前と全然違うな」



「いつまでもこんなのだったら、そのほうがやばい」



 シンはさもありなんというふうに頷いてみせ「でも、雰囲気は同じだ」と意味深なことを云った。



「――今のところ、なんか変じゃないか?」



 アルバムを装置にかけてからしばらく経ち、ようやく移り変わりの激しい映像に慣れてきたころ、シンがそんなことを云った。

 朔夜は出来るだけ周囲の情景が目に入らないようにうつむいていたのだが、そう云われては見ないわけにはいかない。嫌々ながら顔をあげ、全体を軽く一望する。

 しかしシンがいぶかしんだようなものを目にすることは叶わなかった。目を細めて隣を見る。



「そうか?」



「ああ、ここの辺りのほころび具合とか、そことか色々とおかしい」



 シンはやにわに立ちあがると、問題の場所を指摘するためにそこへ向かった。映像に溶け込むようにして走っていき、指をさす。アルバムの景色が初夏の山々であることから、シンの恰好は妙に周りと合っていた。思い出の中に現在の知り合いがいるというのも随分と不思議な具合だ。



『朔、銀竜草ぎんりょうそうが咲いてる。来てみなよ』



 林間の道なき道でしゃがみこみ、手招きをする子供。それにつられるようにして現れた同じ顔の子供はよたよたと覚束無い足取りでその方へ向かう。



『走っちゃだめよ。朔夜』



 心配そうな母の声。映像は自動になっているのか上下に激しく揺れながらも、前を行く子供の後ろ姿をぴったりととらえている。林冠から注ぐ斜光が酷くまぶしい。


 朔夜は時折、目をしばたたかせながら画面に見入った。

 笹薮を越え、同じ姿の弟の元へと向かうかつての自分の背中。



 知ってる。



 笹の葉で足を切られたときのむずがゆいような痛みを、他の植物に守られるようにして咲く、真っ白な銀竜草ぎんりょうそうを覚えている。



―――この植物はね、自分の力では光合成が出来ないんだ



 幼い自分には「光合成」という言葉が理解出来なかった。同い年にもかかわらず、それを知っている望をむっとしたように見たのを覚えている。彼はそういう自分の心の変化をちゃんととらえていて、馬鹿丁寧に「光合成」について説明してくれた。それすらも自分の自尊心を傷つけたのだけど。



―――でも自分の中にそういうことが出来る菌を一緒に住まわせているんだって。だから生きていけるんだってさ



 何故望がそんな話をしたのか分からなかった。

 発光するように明るい白の植物から目を離し、隣に座る弟を見る。望は寂しげに口元をゆがめ、いつもしているように意味もなく自分の名を呼んだ。



―――朔



「ここ」



 シンの声で朔夜は現実に引き戻された。

 

 シンは望のかたわらに立って、綻びを指摘している。その後ようやく辿り着いた双子の片割れを微笑ましいように見やり、こちらに戻ってきた。



「映像、崩してもいいか?」



「……ああ、でもやり方、わかるのか?」



「こういうのは勘でやるんだ」



 回線を貸してくれと云うシンに、朔夜は部屋の柱のコントロールパネルからコードを伸ばした。勘というわりに随分と現実的な手法を使うものだ、と思いながら作業を眺める。



「壊すなよ」



「昇天したらうちの系列会社の最新作をやる」



「うちって、あんた家出中……」



「細かいことはいいだろ」



「細かいか……?」



 シンは鼻歌交じりでチップを読み込んだ端末とコードをつないだ。大量に出した立体映像は神経索のような筋がいくつも走っているものだった。それに何の意味があるのか、朔夜にはさっぱり理解出来なかったが、見る人間が見れば違うらしい。シンは聞いたことのない言葉をいくつか口にした。そのたびに一部の筋が光り、映像が切り替わる。何度も拡大させては縮小し、新たな筋を書き加え、もともとあった筋を消去し、光を流す。何度かくりかえしているうちに納得いくものになったのか、シンは大きくうなずいて振り返った。



「一つだけだが多分これで戻せたと思う」



 言下に部屋は再び山林の映像に飲み込まれた。先程の銀竜草の映像が流れる。

 だが次の映像は漆黒だった。



「消去された上にこの映像で上書きされてたんだ。フラグメント解析のときと同じで消去されていてもその処理痕は残るからうまく辿れば元に戻せる。ただ割と入念に消されていたからな。同じように消されている情報を全部復元するとなると時間もかかるし、ここじゃ設備が心許ない。お前の家族はこういうことに強かったのか?」



 漆黒の映像に何度かノイズがはしり、その向こうから階下のリビングとおぼしき見覚えのある風景が現れる。



「無理に思い出さなくてもいいぞ」



「ああ……」



 思い出すも何も、あまりにも昔のこと過ぎて覚えていなかった。

 両親がそんな高度な技を使えたという記憶はないし、望は幼すぎる。ネカーやミカについては情報不足もいいところなのでなんとも云えない。


 朔夜はのろのろと自分の寝台の方へ歩いていき、腰をおろした。

 床は暖かくて気持ちがいいが、硬すぎるので腰が痛くなる。シンにクッションを放ると、彼は片手でそれを受け、腕の中に抱え込んだ。生成(きな)り色のそれに顎を乗せて、画面をじっと見つめる。



「これさっきの人だろ?」



 画面の脇で忙しなく駆け回る少女を指差し、シンは云った。


 亜麻色の垂髪すいはつが動きに合わせて上下に揺れる。彼女はこれを撮影しているらしいネカーに文句を云いながら料理を運んでいた。画面は様々に動く人の姿を自動で追いかけているらしく随分と見辛い。ミカを追いかけまわしながら撮っているせいか、よく縦にぶれた。



『邪魔! ヒロ』



 ミカは片手に小皿を持ちながら、ハエでも追い払うような手つきで画面を遠ざけた。

 少女がヘルパーマシンと運ぶ食器類は、今と全く様子の変わらないダイニングのテーブルの上に置かれた。調度品の類は同じであるはずなのに、どういうわけか映像の中の空間の方が明るく温かみに溢れているように見える。



『ミカちゃん、ヒロくん有難う。ここはもういいわ。二階に行ってあの子達を呼んできてくれる?』



 髪を束ねるバレッタをぱちんと外して、今は亡き母親がキッチンから顔を出した。ゆるくカールしたとび色の髪がふわりと広がる。朔夜は姿見の前で熱心に髪を梳(と)かしていた後ろ姿を思い出して、何やら物寂しい気分になった。



「これは一昨日来た、ネカーさんって人だよな」



 撮影を放棄し、階段を上っていく少年を見ながらシンは云った。


 カメラは自動撮影モードに移行したのか、ネカーが今朔夜たちがいる子供部屋に入る様子もきちんと記録されている。



『今から主役登場でーす』



 その声でカメラは置かれたのではなく、ネカーからミカに持ち手が変わったのだということが分かった。手動ではなく全自動に変更したためか、先程とは異なり全くぶれがない。



「これはどっちだ?」



「望」



 ネカーとともにばたばたと音を立てて降りてきた子供の名をぼんやりと挙げる。



「――じゃあこの人は?」



 シンが指差したその少年を朔夜は知らなかった。黙って頭を振り、ミカが撮影する映像を注視する。



「朔夜もわりと綺麗な顔立ちだけど、こっちは完璧って感じだな」



 溜息交じりで評された少年の面差しに朔夜も納得した。


 咳をする自分の隣で気遣わしげに眉根を寄せる少年は、確かに見たこともないくらいに綺麗な顔立ちをしている。

 小さな朔夜は階段を一段下りるごとにコンコンと咳をした。誕生日会らしい明るい雰囲気だったリビングが一気に冷めていくのが映像越しにもわかる。

 ミカはカメラを構えていることに良心の呵責でも覚えたのか、電源を切ったらしい。

 彼女の大丈夫という声とともに映像は突然そこで終わった。数秒の沈黙ののち、新たなシーンが展開された。


 目の前の光景は変わったが、朔夜の頭の中には尚も先程の映像が流れていた。こめかみがずきずきと痛む。知っているはずなのに知らない、そのなんともいえないもどかしさが胸中を支配していた。



―――そんなんだからサーヴァインからメールが来ないんだぜ



 ネカーが帰り際に放った言葉が、今更ながら脳裏に蘇る。脳内で鐘が鳴り響くように、ぐわんぐわんと反響するその台詞に朔夜は頭を抱えた。



「サーヴァイン・ルパスク……」



 不意に頭に浮かんだ名前をポツリと口にする。

 シンが不審な眼差しを送ったのが分かった。頭の中が白く霞んでいく。

 朔夜は放心状態で自分の脳裏に展開される映像に見入った。



「サヴァ……」



 血のように赤い花冠につもる純白の雪。柔らかな日差しを浴びてきらきらと光る、白んだ空間の中に少年はいた。

 乱反射する光線が邪魔をして顔立ちはよくわからない。締めつけるような胸の痛みを覚え、朔夜は顔をひそめた。



―――メール、出すから



 花びらのような雪片が思い出したように二人の上に落ちてくる。たっぷりと水を含んだ牡丹雪。それはアルバムの中に記憶された映像であるかのように酷く鮮明だった。



―――絶対出すから



「朔夜?」



 頭を抱え込んだまま、茫然とする朔夜を覗き込むようにシンは顔を突き出した。

 明るい画面に照らされ、琥珀色の髪が金糸のように透き徹る。

 さらさらと揺れるその髪を見ながら、朔夜は汗ばんだ額を拭った。



「悪い、消して」



「大丈夫か?」



 朔夜はかぶりを振った。シンの問いに対してではない。自分の意識を確実なものとして認識するためだ。

 朔夜は軽いパニック状態に陥っている頭を押さえて、張りつめた声で云った。



「記憶がないんだ……」



「? だが……」



 窓から吹き込む風が急に冷たくなったような気がした。総毛立った身を抱き込み、憑かれたように言葉を継ぐ。



「全てっていうわけじゃない。所々欠けた部分があって……」



 言葉にすると感覚が現実味を帯びてきて、突然怖くなった。自分が真実だと思っていた記憶が曖昧だということが、これほど不安をそそるものだとは思わなかった。


 信じられないくらい重い何かが心の内にしみをつけ、そこを中心に内部をどす黒く染めていく。いっそ暴れてしまいたいくらいの不安感に包まれた体をつかんだ。



「平気か? 苦しいんだったら無理して喋らなくてもいい」



 シンは諌めるように声をかけたが、朔夜は黙ってそれをはねつけた。ここで口に出さなくては一生云えない気がしたからだ。


 意思の疎通というのを目的として他人と話すことなどかなりの間なかったことなので、適切な言葉がすぐには浮かんでこない。


 それでも絞り出すようにつぶやくと、ほんの少しだけ楽になった気がした。息を吐いてゆっくりと続ける。



「アルバムの映像と記憶が違う。矛盾があるんだ。おれは望とはそんなに仲がいい兄弟じゃないと思ってた。嫌ってるんだと思ってたんだ……なのに、あの映像……」



 一言口にするたびに酷い嘔吐感が咽喉のど元まで込みあげてくる。朔夜は口元に手を当て、どうにかそれに耐えた。心配そうに眉をひそめるシンの顔がすぐ近くにある。



「ふとしたことで仲が悪くなる兄弟だっている。お前がその発端を覚えてないだけなんじゃないのか?」



 シンの言葉に朔夜はゆっくりと頷いた。


 確かにその可能性はある。というよりそうであると信じたい。


 しかし朔夜はそれが誤りであることを心のどこかで知っていた。



 望を嫌っているのだと思っていた。その感覚こそが間違いなのだとアルバムを見て気がついてしまった。

 ふとした瞬間現れる望との思い出は優しさに溢れるものばかりだった。けれどその記憶は思い出したあとに形成されたものなのだ。



 仲が悪いと信じていたあの思い出は一体何だったのだろう。また新たなアルバムが出てきて、そこにこれまでとは異なるものが記録されていたら、それが真実のような実感をともなって自分の記憶の中に居座るのだろうか。



 朔夜は片側だけ立てた膝に額を乗せ、溜息をついた。


 自分のことでも考えるのは酷く疲れる。一つのことに頭がいっぱいになって、色々な場所に飛び火していくからだ。数学のようにあらかじめ公式が用意されているわけではないから近道もないし、決められた答えもない。もやもやした気分だけが心に沈殿し、蓄積していく。



「映像の方が正しいってことは分かるんだ。でも……それまで自分の中にあった記憶は……アルバムを見るまでの記憶はなんだったんだって思う。おれは考えたりするの、得意じゃないから……上手くは云えないけど」



 シンは朔夜のすぐ近くにしゃがんで、話を静かに聴いていた。

 心はざわついていて、いまだに不安感は拭えなかったが、浮かんでいるような不安定感はなくなり、少し気分が楽になった。



「平気か?」



 囁くように静かなシンの声。

 不安定に揺れ動いていた感情がそれに反応してゆるやかになったのを感じて、朔夜は何とも云えない気分になった。

 むずがゆいような気分を隠すように眉相まみあいに皺を寄せて顔を覆う。



「……悪い、少し気が動転しているんだ」



「うん」



 さらっとした声とともに指先に手が触れる。

 ひやりとしたそれに朔夜は一瞬自分の体が凍りつくのを感じた。慌てて身じろぎしてその腕から逃れようとする。けれども上手くいかず、逆にそのまま抱きしめられてしまった。


 花のような匂いがふわりと鼻をかすめる。自分が使っているのと同じ洗髪剤のはずなのにやたらといい香りに感じられる。どぎまぎしながらそれでも押しのけようとしていると、頭の後ろから声が聞こえた。



「ゆっくり考えればいい」



 その声は体に染み渡るようにして溶け込んだ。


 音がパキンパキンと弾けて脳の奥できらきら光を放つ。万華鏡のように鮮彩に変化し、温度が色へと変わっていく。滑らかな香りが柔らかく体を包み込む。



 前にもこんな感覚を味わったことがある。



 朔夜は先程まで抗っていたことも忘れて、うっとりとしたように目を閉じた。

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