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暗澹の五百年はフラグメントラッシュの終焉とプロテインデザインの幕開けで始まった。
フラグメントとは十二神教会が伝えるところの神の遺産のこと、すなわち現在の新暦が始まる前に存在した文明のデータのことである。
教会の伝承では、新暦以前に存在していた旧神を地上に降臨した十二神が滅ぼした結果、旧文明は失われてしまったとされている。
旧神にとらわれていた人間たちはすがる知識も知恵もなく放り出され途方に暮れたが、十二神は自分たちが持っていた知識を授けることで人々を導いた。
数年間人々に生きる知恵を授け、導いたあと十二神は元の世界へと帰って行ったとされるが、そもそも彼らが存在した証拠はない。
十二神の塔と呼ばれる巨大な建造物が地球をはじめとした惑星衛星の各所に建っているのみである。
十二神の存在は明らかではなかったが、フラグメント自体は伝承ではなく事実として今も残っている。
フラグメントは、宇宙空間を解析していた端末が拾ったノイズより発見された。
そのノイズには周期的な乱れが観測され、解析したところ西暦二千年代前半に開発されていたデータの一部であることが発覚したのだ。
その際の情報は取るに足りないものだったが、その後も立て続けに発見され、有益なデータには非常に高価な値がつけられた。
このことから一攫千金を狙う者が後を絶たず、初めてフラグメントが発見された新暦十三年以降の七百年をフラグメントラッシュと呼ぶようになった。
プロテインデザインの技術を開発したアルデラート・ライザーもフラグメントの発見者の一人とされている。
彼が発見したデータは詳細こそわからないもののDNAに関する論文だと云われており、彼はそれをもとにプロテインデザイン技術を構築した。
プロテインデザインは採取した細胞からDNA地図を作成し、それを参考に個人個人に適応した臓器や医薬品を開発、治療を施すというものである。
旧文明の人類がどのような経緯でその処理をしたのかは定かではないが、当時の人間にはDNA操作が出来ないよう鍵がかけられていた。アルデラート・ライザーの主な功績の大半はその鍵を解除したことによるものだった。
その後地球ではOSVが蔓延し、人類は宇宙へと逃げた。けれどアルデラートたちが移住したコロニーにおいて今度はOSVの進化型が猛威を振るうことになった。
百を数える居住区の三分の二が閉鎖されるという異常事態の中、アルデラートは自らの息子を披見体としてプロテインデザイン実験を行い成功させた。
朔夜はデスク上に設置された半球型の投影式端末のホログラムスクリーンを見ながら
立体画面には美しいブロンドをした少壮の男が一人立っていて、こちらに向かってプロテインデザインの説明をしている。
披見体となった息子、ロートシルトは、のちにプロテインデザイン技術を取り入れた医局を開設し、現代にまで繋がるライザー財閥の基礎を築きあげた。
まるでライザーにへつらっているような内容の授業だ。
朔夜は真面目に受けている自分がなんだか馬鹿馬鹿しくなってきて、スクリーンを消した。
ほのかに黄みがかったワイドスクリーンは金粉のような残光を目に残し、消失する。ちらちらとまたたく光が端の方に見える視界にはがらんとした教室が見えた。
円形劇場型の教室の中央では、最近流行りの老化処置を施した教師がコロニーにおいていかにライザーが素晴らしい存在であったかを熱弁している。
しかし、起きてその話を聴いている者はほんの一握りしかいなかった。朝練で皆疲れているのだ。
歴史が一時限にあるこの日に限ったことではなく、朝練明け最初の授業は起きている者の方が少ない。ただその割合が歴史では特に高かった。
歴史を語る老教師の声はその滑舌の悪さから生徒たちの眠気を誘った。生徒たちは魔術のようなその声にやられ、一人、また一人と陥落していく。
朔夜は教室の一番後ろで
忌むべきことにライザーとその専売特許たるプロテインデザインの歴史は老教師の専門分野らしかった。しわがれた声の中にも艶が入り、輝きが増している。
老教師は口からほとばしるしわぶきを立ち枯れた枝のような節くれ立った手で押さえ、ライザーについて語り続けた。
二代目ロートシルトの医局開設から三代目アリックスが行ったデータ管理、そして一大企業へと発展させた七代目シュシュ・ライザーこと、スライン・セル・ミランのことまで、自宅学習で耳にタコが出来るほど聞いた歴史が、詳しさだけレベルアップしてくりかえされた。
今や教室内にいる人間の半数以上が遠い世界へ旅立っている。朔夜もいっそ眠ってしまいたいと思ったのだが、授業を真面目に聞かねばと思っているのか、それとも緊張しているのか、
机に
朔夜が双子の弟、
部屋のすみでこちらをじっと見ていたり、背後に立っていたり、どんなときでも朔夜は彼の姿を見るたびに表現しようがないほどの恐怖に襲われた。
灰色の髪と紫がかった茶色の目。北区に分類される街、ヤーンスに住んでいたにしては随分と寒々しい格好をした子供はいつも突然現れる。
朔夜は弟の幻影をぼんやりと思い返していたが、不意にライザーという名が耳を貫き、現実世界に引き戻された。
老教師のライザー談はいまだ続いている。朗々とした声が寝静まった教室内に響きわたり、壁に当たって砕け散った。
ふと朔夜は、シンがこの授業をどういう気分で聴いているのかが知りたくなった。椅子からほんの少しだけ体を浮かせ、最前列に陣取っているはずの金色の頭を捜す。
容姿だけに飽き足らず、肌や爪、静脈や臓器の色まで変えることが当たり前の世の中のせいか、教室には様々な色合いの頭があった。だがシンの金髪はデザインした人間の腕が卓越しているせいなのかはわからないがかなり見事な色合いで、首を巡らすまでもなくすぐに目に飛びこんできた。
シンはいつも一緒にいる友人と隣り合った席に着いて熱心に話を聴いている。横顔がちらりと目に入り、朔夜はなんとなくむかむかした気分を味わった。
何故、あんな奴のことを捜したんだろうと今更ながらに思う。
シン個人への興味ではなく、反応を見てみたかっただけ、と云い訳まがいのことを考えたりしてみたけれど駄目だった。
苛立ちが治まらない。理不尽な怒りだとは朔夜自身承知してはいたものの、それでどうにか感情が抑えられるほど落ち着いた性格ではなかった。
むしゃくしゃした気分のまま、額を机に当てるように突っ伏す。
まんじりともしないまま授業が終わり、眠っていた生徒たちも現実世界に帰ってきた。
朔夜はにわかに騒がしくなった教室でべたべたになった目尻を拭った。
眠れもしないくせに欠伸だけは出るものだから、すっかり酷い顔になっている。
手の甲で目尻をごしごしと擦りながら、朔夜は端末の時計を何気なくのぞいた。
その間に側のドアから名前も顔も覚えていないクラスメイトたちがわらわらと出て行く。
いやに爽快な顔の彼らが話題にしているのは、昨夜のテレビ放送や今朝の筋トレ、今の授業で自分がどれだけ早く寝てしまったかについての話。そして次の射撃演習について話だった。
射撃演習。
すっかり忘れていたその忌まわしい名を耳にした瞬間、朔夜の中から一気に血の気が引いた。立ちかけていた体が急に重くなり、再び椅子に腰掛ける。
射撃演習――それは軍において必須の演習科目である。基礎訓練、飛行訓練、スペースシャトルシステム訓練、ロボットアーム操作、機械組立訓練、船外活動訓練、緊急時対策訓練、その他諸々の演習のうちの一つで、一科目でも落とすと、例え最終試験に合格したとしても進級出来ない。
的はホログラムとはいえ、実際にレーザー銃を使って射撃を行うこの演習は生徒たちに人気が高かった。体感ゲームとはまた違った興奮があるらしく、ニ回も三回もやりたいという生徒が続出する。
しかしそんな彼らとは違い、朔夜はこの授業に出席したいと思わなかった。わざわざ着替えなくてはならないというのが億劫だというのもあったが、それ以上に先週クラス最低スコアを弾き出しているので出たくなかったのだ。
自分の成績を見て、笑い出したり同情の視線を向けたりするクラスメイトたちの顔を思い出して、朔夜は叫びたい衝動に駆られた。
今すぐ何らかの緊急事態が起こって授業が潰れてくれればいいのに。
朔夜はひそかにそんなことを思ったが実現するはずもない。
ナーサリーがある場所は宇宙に浮かぶ軍事衛星の中で、緊急事態といえば衛星連合が何の宣戦布告もなしに襲ってくることしか考えられないからだ。
つい五年前には衛星連合の艦隊がアステロイドベルトぎりぎりまでやってきたことがあったらしいが、もちろん朔夜は覚えていない。それ以降現在にいたるまでの状況を見るに絵空事とも云い難い雰囲気だが、射撃演習の時間を狙ってやってくるとも思えない。確率は低すぎた。
はあと深く溜息を吐き、朔夜は端末の電源を消した。
頭の中では依然として欠席する理由を見つけ出そうとしているらしく、実現不可能な考えが巡っている。それらを脳内から排除しようと頭を振っているところへその声は飛び込んできた。
「さーくっ」
何も考えていないような能天気な声音。その憎たらしい声は朔夜の心臓を貫き、サボりの理由で膨れあがった脳内を覚醒させた。
つのる嫌悪感を悟られないように心を抑え、顔をあげる。別の人間であることを密かに期待したのに、そこにいたのはやはりシンだった。
反射的に表情が強張る。
シンはそんな些細な変化気付きもしないというように微笑むと、朔夜の使用する机に手をかけた。
自分が占拠している間は不特定多数の人間が使うものであっても体の一部のように感じる。
朔夜はシンの行為にむかつきを覚えながら、側に置かれた手をじっと見つめた。
少女のように華奢な手だ。石膏の手のようにすっと伸びた指は静脈が透けて見えるほど白くて、冷たい印象すら与える。
朔夜は人形のような、という形容の意味がようやく分かったような気がした。
「無重力空間での移動があまり上手くいかないんだ。朔はあの授業の成績トップだし、コツがあるようなら教えてほしい。今日の授業が終わったらあととか、駄目か?」
上から降ってくる声に朔夜は嫌悪を明らかにした。
どこの誰が好き好んで嫌いな相手に勉学を教えるだろうか。それにそんなに切羽詰るほど分からない箇所なら大勢いる友達に訊けばいいのに。
朔夜はシンの隣に立つ眼鏡の少年を一瞥した。自分を見ておどおどしたような態度を取るその少年に苛立ちは加速する。朔夜は軽く舌打ちをすると席を立った。
「――悪いけど……」
吐き捨てるように告げて朔夜は側の扉からさっさと出ていった。
引き違いの自動扉が軽い音を立てて閉じる。
シンの気配が扉の向こうへ消え去ったとたん、体がふっと軽くなるのを感じ、朔夜は再び嘆息した。
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