第5話「ぶつけろ熱意、無限の可能性…」(前編)
—パナソニック本社—
「第四巡選択希望選手。読売。岡崎大志。外野手。パナソニック」
大志の名が呼ばれた時、彼の周りにいた同僚たちは歓声を上げた。彼らはおめでとう、よかったな、と声をかけて彼に握手を求めた。
大志はそれに応えながら、どこか現実感がないような感覚だった。
それはそうだ。
子どもの頃の憧れであった巨人から指名されたのだ。
大志は全身が粟立っていて「ありがとう、ありがとう」と同僚に返事しながら、涙を流していた。
—自宅—
それから家に帰ると同棲している彼女が料理を作って大志を待っていた。
彼女もまた1つの夢を叶えた男を想い、不思議な感情に浸っていた。それは恐らく味わう人間が限られている感情だ。
彼女は家に帰ってきた彼を見ていきなり飛びついた。
「おめでとう。本当におめでとう……」
大志が野球を始めたのは小学5年生の時、体が大きいからという理由で地元の友達にクラブチームに誘われた。彼は持ち前の運動神経で、すぐにエースで四番に抜擢されチームの柱となった。その時に野球の楽しさを見出し、中学、高校と野球を続けた。高校3年では甲子園にも出場したが、全国の壁は厚く一回戦で敗退した。その頃の大志は地元では有力な野球選手として地方紙に掲載されたりもしたが、全国レベルでは全くの無名だった。
大志はプロ野球選手として活躍したいと考えていたが、まだまだ実力が足りないと自覚し、大学、社会人と野球を続けることを決心した。
大学野球、社会人野球を経た大志は、考えてプレーすることを覚えて大きく成長し、複数の球団スカウトから声をかけられる存在になった。
そして今、彼はプロの舞台の片道切符を手にしたのだった。
「でも、巨人に行くってことはこれからは東京に住むの?」
彼女は大志に尋ねた。
「多分そうなるな」
大志はそっけなくそう言った。その次の一言を言おうとして緊張したせいだ。
だが、大志も男だ。
大事な試合で幾つもホームランを打ってきた。
「結婚しよう」
—とあるホテル。入団会見—
大志の目の前にはスーツを着た沢山の人間と中継用カメラがあったが、スポーツ記者たちが浴びせる沢山のカメラのフラッシュライトのせいでよく見えなかった。
大志はスーツの上からユニフォームを着て、椅子に座っていた。
(憧れの巨人のユニフォームだ。間違いない)
大志はユニフォームの胸のロゴを何度も見た。球団から与えられた背番号は13番だった。
「理想とする選手は?「巨人というチームはどのような印象か?「今後の目標は?
大志に沢山の質問が矢のように飛んできた。
彼は大学と社会人時代に質疑応答の練習をしてきたのでそれらの質問に的確に答えた。
大志はそこでプロの世界に入ったと実感した。これからテレビで大きくとりあげられたり、ヒーローインタビューでお立ち台に立ったり、街中で声をかけられるような、そんな大きな存在になれるかもしれないと大志は夢見た。
だが、大志のインタビューがテレビで使われることはなかった。テレビで取り上げられたのはドラフト1位の選手だけで、大志のものはスポーツ紙の隅に小さく載っていただけだった。
まあ、ドラフト4位なんて期待されていないのだろう。そう思いながらも絶対にプロの舞台で成功すると密かに胸に誓っていた。
§
結局のところ、即戦力として期待されていた大志はシーズンではそれなりの活躍を見せた。打率こそ見栄えの悪いもののホームランは33本打っていて、来シーズンに更なる成長を期待される注目選手になっていた。
そのシーズンオフに彼は子どもを授かった。性別は女の子だと医者に説明された。そのことを彼は妻と喜び合った。大志は子どもができたことにより、父親としての自覚を持つようになった。バッド1本で自分の家族を養っていくにはさらに練習が必要だと考えて、以前より激しい練習に打ち込むようになった。
「名前はどうしようか?」
「うーん。どうしようかな? 女の子だから君が決めればいいよ」
「なら、ともこ。ともこはどう?」
「ともこ……いいんじゃないか?」
それ以降から大志はレギュラーとして使われるようになった。毎シーズン、打率は低いがコンスタントにホームランを40本打てる力強い選手となり、チームの柱になりつつあった。時々怪我をして数ヶ月ほどチームから離れることもあったが、監督やコーチから信頼され、同僚からも頼られる不動のレギュラーとして活躍した。打撃タイトルとは無縁だったがニュース番組のスポーツコーナーでは大志の発言をよく取り上げられ、世間にも知られた存在になった。
「お父さんみたいにホームランを打つの」
言葉をおぼえ始めたともこは、時々テレビに映る父の姿を見て喜んだ。
ちょうど日本シリーズで活躍した大志の姿がピックアップされていた。
—日本シリーズでは岡崎選手の決勝打で巨人を日本一に導きました…
ともこは父から買い与えられたおもちゃのバットを振り回し、紙を丸めてつくったボールを打っていた。
「ともこ、ホームランはこうやって打つんだ」
大志はおもちゃのバットで、ともこが投げた紙ボールを何個もごみ箱に放り込んだ。それを見てともこは喜んだ。
そんな親子の姿をみて大志の妻は微笑んだ。
……そんな日本シリーズを制した巨人軍ですが、ドラフト会議で思わぬアクシデントが起こりました。今年の夏の甲子園を沸かせた逸材の山下哲郎投手は巨人入りを志望し、今年のドラフト会議では、巨人の単独指名が濃厚と思われていましたが、日ハムが翻意し山下選手を強行指名しました。巨人と日ハムとの抽選の結果、交渉権を獲得したのは日ハムで、巨人には残念な結果となりました—
「巨人のドラフトは上手くいかなかったみたい」
妻がテレビを眺めながら声をかけた。
「まあ俺には関係ないよ。な? ともこ」
大志はともこの頭を撫でながらテレビを見た。
……大阪桐蔭高校の山下哲郎投手は記者会見で日ハムへの入団を拒否し、アメリカへ1年間の野球留学の意向を示しましたー
たくさんのフラッシュライトを浴びている山下哲郎が映っていた。テレビ越しからでも山下のどうすればいいかという戸惑いの心情が伝わってくる。
「野球留学? 大学に進学すればいいのにどうしてだろうね?」
妻が首を傾げた。
「大学に進学すると次のドラフトにかかるのは4年後になるからだろうね。社会人でも2年待たなくちゃいけない。山下は早くプロに行きたいから1年だけ野球留学して来年のドラフトに賭けたんじゃないかな?」
大志は妻に説明した。
ただ、大志には今回の山下の行為が今ひとつ理解できなかった。
社会人時代にやっと芽が出て、ドラフト会議でどのチームでもいいから指名して欲しかった大志にとって、高校時代から逸材と持て囃され、巨人に行けないから野球留学で次のドラフトで巨人の指名を待つなんてありえないと考えていた。それと同時に、同じチームになるかもしれない山下がどんな奴だろうかと興味も持った。
投手だからポジション争いすることもないし対戦することもないが、大学、社会人を通して辛酸を舐めてきた大志は高卒の投手相手に負けたくないと思っていた。
だが、その年の大志は精彩を欠き、ホームラン数が伸び悩んだ。途中でスタメンを外れることもあったのだが、阪神戦だけは相性が良く、対戦成績は、打率が4割を超えて、20本のホームランの内、9本は阪神から放ったものだった。
大志は内心ほっとしていた。阪神戦でも打てていなければ二軍に落とされていただろう。それに年棒もがっつり下げられるということもなさそうだ。まあ、少しは下がるだろうけど。大志はそう思っていた。
そのシーズンは巨人が日本シリーズに進むことはなく、秋季キャンプが終わりかける11月後半に、ある事件が起きた。
—自宅—
「ただいま」
キャンプ先から久しぶりに我が家に戻ってきた大志が風呂に入ろうとした時、妻が大志を呼んだ。
妻はTVのニュースを指差していた。
—昨年のドラフトの目玉であった山下哲郎投手は、本日、野球留学を切り上げ、巨人軍と入団契約を交わしました。これはNPBの規約の盲点をついたものでして……
プロ野球評論家がフリップを出しながら説明していた。
……昨年山下投手の交渉権は日ハムが獲得したのですが、それを拒否して野球留学を選択し、来年の指名を待つことにしました。この交渉権が今回の事件の肝でして、今のNPB規約では、チームがドラフト指名で獲得した交渉権は次年度ドラフトが開催される3日前に効力を失うということになっているんですね。さらに、ドラフトの指名対象者は、在学中の学生および社会人野球リーグの参加者となっているわけです。山下投手の場合、高校を卒業して野球をしにアメリカへ行ってるだけですから、ドラフトの指名対象にならないと巨人が解釈し、独断で山下投手と入団交渉を行ないました……
「山下投手は巨人に入団することが決まったのか?」
大志が妻に尋ねると、彼女は首を傾げる。
「まだ、わからないみたい」と再びTVに指を向ける。
……巨人の入団交渉について、他の11球団が抗議し、NPBのコミッショナーを含めて、これから話し合いの場が設置されるようです。しかし、酷いことですよね—
確かに、有力な選手を囲い込んで入団させることができるなら、ドラフト会議の意味がなくなってしまう。
「これであなたの仕事に影響が出ないのならいいけど」
妻は大志の心配をしていたが、
「大丈夫さ。こういうのは現場じゃなくて、経営者側の問題だ。俺は目の前の試合に勝つためにバットを振るだけだよ」
大志は妻に言った。
「ならいいんだけど」
………。
それから、3日後にドラフト会議が行われた。結局、NPB関係者の話し合いの結果、巨人と山下投手の契約は無効となった。巨人は、山下投手の契約を無効と決定したNPBに反対しドラフト会議に参加しなかった。11球団で行われたドラフト会議で山下投手は再び指名され、今度は阪神が交渉権を獲得した。これから、山下投手が阪神に入団するかどうかが注目された。
それから、1週間、1ヶ月と月日が経ち、世間から山下投手のことは次第に忘れ去られるようになった。しかし、チームの中では山下投手の話題で持ちきりだった。山下がトレードで巨人にくるかもしれない。なんて噂が流れていた。流石に大志も気になったので、その噂話を球団職員に訊ねた。彼は山下がトレードでうちにくる可能性はあると話した。その球団職員は下っ端だが、その彼が知っているぐらいだから、チームの上層部は本気で山下とトレードの可能性を模索しているのだ。
たが、仮に山下がトレードで来たとして、巨人は誰をトレードに出すのだろう?
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