第4話「スタンド超えて打球は…」
—浪商高校、学生寮前の見通しの悪い一本道—
誠也は日課にしている夜のランニングから帰る道の途中、血だらけの女子高生が道に倒れているのを見つけた。
「大丈夫ですか!?」
近くに駆け寄ると彼女は意識がある様子だった。彼女は誠也に近づくなと手で合図したが、誠也には伝わらなかった。彼は彼女を抱き上げ、持っていたタオルで血を拭った。
(車にはねられたのだろうか。とにかく警察と救急車を呼ばないと……)
誠也はスマホで電話をかけようとすると、彼女は
「救急車も警察も呼ばなくていい。私には構わないで……」と言って意識を失った。
誠也はどうしたものかと思案した。
(この人は何か事情があって警察のお世話にはなりたくないとか…きごう家出しているとかかな?)
そのうち月明かりで彼女の顔が照らし出される。その顔は誠也の姉のアキに似ていた。
ともかく、夜遅くに血だらけで倒れている女子高生を放っておくわけにはいかず、彼女を学生寮まで連れて行くことにした。
(寮母さんに話せば事情をわかってくれるだろう)
彼は女子高生を担いだが、近くに落ちていたバットケースに気づかなかった。
—学生寮、誠也の部屋—
寮母さんは外出しており、応接室も空いていないので誠也の部屋のベッドに彼女を寝かせた。
誠也はベッドで寝ている彼女を見下ろした。
(この状況だと俺が女子高生を襲おうとしているように見えるな……)
誠也は首を振り、邪念を追い払った。彼はタンスから綺麗なタオルを取り出し、彼女の頭の血を拭い、傷口を消毒して包帯を巻いた。
処置を終えた彼は彼女をその場に残してバットを持って大窓から庭に出た。
日課の素振りはまだ終えていなかったからだ。
—学生寮、誠也の部屋の前の庭—
誠也の部屋は一階にあり、目の前は洗濯物が夜風に揺れていた。
彼は金属バットを一心に振りながら、明日の公式試合のイメージトレーニングを始めた。
暗闇の中に明日の対戦相手の投手がいる。
右手から投げられるカットボールの軌道をイメージし、ミートポイントで力強くバットを振った。
「助けてくれてありがとう」
いきなり声がしたので誠也はドキリとした。対戦相手の投手は暗闇の中へ姿を消した。
声の主は誠也が助けた女子高生だった。彼女は部屋の大窓のレールに腰掛けていた。
部屋の明かりが逆光になり顔が正確に見えない。
「いえ、自分は当然のことをしただけなので。明日には病院でちゃんと見てもらった方がいいですよ」
「ありがとう……ただ、病院には行かない。明日は何か大切な仕事が……」
「仕事?」
(高校の制服を着ているのに、アルバイトのことだろうか?)
誠也は彼女の言葉から記憶を失っているんじゃないかと思った。
事実、その通りで彼女は自分のことから明日の仕事のことまで忘れているのだ。
「記憶が無いんじゃないですか?、今からでも病院に行った方が……」
誠也が言うと彼女は首を振る。
「それよりも、もっと力抜いて、手首を柔らかく使ったほうがいいスイングになるよ」
彼女は誠也にアドバイスをした。
「それと、スタンスをもう一足分広く取って腰を少し下げるとスイングがもっと安定する」
「はあ…」
誠也はいきなり技術的なアドバイスをされたのでまごついた。
言われた通りにスイングをすると、よりしなやかないいスイングになった。的を射たアドバイスに誠也は驚きを隠せない。
「高校野球やってる弟がいるんだ」
彼女はそう言って微笑んだ。その笑い顔が姉のアキの笑い方にそっくりだった。
誠也はあまり姉のことを好いていなかったが、高校入学と同時に親元を離れるとやはり家族が恋しくなっていた。彼は姉に似ている彼女を見て、どこか安心していた。
「明日に試合があるんですけど、よかったら見に来てくださいよ」
「わかった」
彼女はそばに置いてあった予備のバットを手に取り、グリップを握ったり、軽く振ってみたりした。
彼女はその感覚から何かを思い出しかけているが、あと一歩のところででてこない。
彼女が誠也の視線に気づいた。
誠也は思いのほか彼女がバットを扱いなれているので驚いた。
「ホームランはこうやって打つの」
彼女は立ち上がってスイングした。バットは夜風を切り裂き、心地よい音を響かせた。
—市民球場—
誠也は野球推薦で浪商高校に入学し、一年生ながらバッティングを高く評価され、公式試合のメンバーに登録されていた。
スタメンで使われたことはないが、代打で出場しヒットを2本と1打点を記録している。
監督は誠也を代打の切り札として使うつもりらしく、誠也もそのことを理解していた。
今日の試合は甲子園の大阪大会予選の準決勝だった。ここまで残ると相手も流石に甲子園に出場経験のある強豪校しか残っていない。
対戦相手は何度も甲子園に出場したことのある大阪桐蔭という強豪校だ。
誠也は三塁側ベンチから彼女の姿を探すと、白いキャップを被っていた彼女が一塁側のスタンドに一人で座っているのが見えた。彼女の髪が後ろで丁寧に括られているのが見えるぐらいに誠也の視力は良かった。
誠也は手を振るが相手には伝わらなかった。
まあ、あんなに遠くにいるのだから気づかなくてもおかしくはないか。
主審が試合開始を合図した。
初回から互いに点が入らない試合だった。
相手エースはカットボールをメインに大きく曲がるドロップカーブとチェンジアップを操る右腕で、ストレートも申し分なく速く、なかなかヒットが出なかった。
誠也の高校のエースも負けず、ピンチこそ作ってしまうが決め球のフォークボールがうまくハマり、気づけば無失点で切り抜けている。
試合は進み、7回表、代打で誠也を使うと監督に言われたので彼は準備をして、ベンチを出た。
ウェイティングサークルで彼女のことを考えていた。そこで打席のことを考え出すと打てなくなるという誠也の中でのジンクスがあるのでなるべく他の事を考えるようにしている。
(彼女は一体何者なのだろうか? ただの家出少女なら気にすることはないが、彼女の雰囲気からなんとなく裏があるような気がしてならない)
しかし、考えた始めたところで無駄だった。答えが出るはずもなく、誠也の思考がループする。
ウグイス嬢は誠也の名前を告げた。その声で誠也は思考を切り替え、打席に集中しはじめる。
相手エースを見据え右打席に立った。
初球、アウトコースのカットボールを見逃してボール。
相手投手は7回も投げているので思ったより曲がってはいない。
(次のボールで勝負をかけよう)
スコアラーがアウトコースの変化球を中心に投球を組み立てていると聞いたことを誠也は思い出し、次はタイミングを外すためのドロップカーブがアウトコースに来るとヤマを張った。
相手エースはサインに首を縦に振り投球モーションに入る。
視界がスローモーションになり一気に狭まくなり、ボールが手から離れるところだけが見える。
(ドロップカーブだ)
誠也はアウトコースに曲がって行くボールをめがけてスイングした。
ボールはやや曲がりが甘かった。
バットはボールの下半分を捉え、一塁側への大きなファールフライになった。
誠也は打球を見上げると昼過ぎの太陽のせいでボールが追えなかったが、感覚でファールとわかる。
誠也は仕切り直そうと一息吐こうとした瞬間、観客がどよめいた。それにつられて一塁側を見ると、スタンドで白いキャップを被った彼女が頭を抱えうずくまっていた。
彼女は誠也の打ったファールフライを太陽の光で見失い、ボールが頭に当たったのだ。
誠也は打席の中で動揺した。
(えっ、まさか、自分の打球が人に当たって……それも自分が助けて、試合に呼んだ女の子が……)
そのあとの誠也は自分が打席で何をしたか覚えていなかった。
ベンチに戻ると監督が、気にすることはない。女の子は医務室に連れていかれたと誠也に声をかけた。
§
彼女は打球が頭に当たった瞬間、激痛とともに記憶が蘇った。
今日の試合についての仕事といつもの木製バットも紛失している。忘れていたことは彼女にとって不覚だった。
しかし、そんなことは彼女にとって問題ではない。
医務室へ案内されているところをこっそり抜けて一塁側ベンチに向かった。
—とある公園—
山下はそわそわしながらベンチに座り、しきりに腕時計を確認していた。
単にせっかちな性格で、プロ野球選手だった頃も、大阪桐蔭高校野球部の監督になった現在も変わってはいない。
彼は不意に背後に気配を感じ、振り向くと女子高生が立っていた。
「岡崎……ともこ……。君のお父さんのお葬式以来だね」
山下は彼女の立ち姿に彼女の父親の面影を見た。
「依頼はなに?」
「実はね、野球の試合に出てほしいんだ」
山下は依頼内容を話し始めた。
—今度の公式戦、準決勝の相手は浪商高校で、最近になって力をつけ始めた強い高校なんだ。なかなか戦力が整っていてうちと互角の試合になると思う。その試合に負けたりしたらOBたちに何を言われるかわからないし、下手をすればクビになるかもしれない。だから負けそうになった時に君の力を貸してほしいんだ—
彼女は腕を組み話を聞いていた。
「……ふん、あんた、現役の時もプレッシャーに弱くてピンチの時は全然だめだったもんね。よく失点してた」
山下は諦めたように笑う。
「金は君のゆうちょ銀行に振り込んである。君は女の子だからベンチ登録が出来ない。だけどうちのメンバーの岡崎泰が登録されている。背番号はもちろん13番だ。ピンチになった時にそいつとこっそり入れ替わってほしい」
「……わかった」
「噂だと君は巨人ファンの依頼は引き受けないと聞いたけど、僕の依頼は引き受けてくれるんだね」
「勘違いしないで。あんたは元巨人の選手だし断るつもりだったけど、あんたが父さんの知り合いだから引き受けるだけ」
「……君は岡崎さんに似て、優しいんだね」
山下の言葉にともこはふんと鼻を鳴らした。
「父さんが言ってた。山下はいいボールを投げてたって」
彼女はそう言って立ち去った。
—市民球場—
一塁側ベンチに通じる通路で入れ替わる相手の岡崎泰が待っていた。
「あんたが岡崎? 女かよ」
泰は彼女を見て悪態をついた。
彼女はその様子を見ても無表情だった。
「女に何ができるんだ?」
「あんたが使い物になってたら、私もここに来なくてよかったのに」
「ああ? どういう意味だよ?」
泰は自分の野球に自信とプライドを持ち推薦で高校に入学した。
しかし、彼にとって強豪校の壁は予想以上に厚く、泰より上手い人間はザラにいた。
それでもプライドの高さゆえ努力を続けて高校3年になってやっとベンチに入ることが出来たのに、それなのに監督から次の試合の出場機会と引き換えにこんなことを頼まれたことは彼の野球人生において侮辱以外の何でもない。
「あんたは野球が下手って意味。そんなことよりはやくユニフォームをくれないと試合に負けるよ?」
泰はどうにか怒りを堪えて彼女にユニフォームを渡した。
§
誠也はグローブを持ってライトを守ってこいと、監督に背中を押された。
誠也は守備についている時もしきりに一塁側スタンドを気にしていた。
彼女がどうなったか気になり心配していたからだ。
(もし大怪我をさせていたら?)
それは高校一年生の誠也に限らず、誰にでも荷が重いものだった。
誠也の後ろの打者がホームランで一点を取り、裏の相手の攻撃だった。
金属の快音が響き、誠也は顔を上げると目の前に大きなフライが上がっていた。
彼女の事を考えすぎて手が震え、足も震えていたがなんとかフライをとった。
1アウト。あと2つ。
緊張でゲロを吐きそうだ。
試合中に緊張したことのない誠也にとっては、さっきの一件で大きく動揺し自分が自分でなくなり、早く試合が終わってほしいと思っていた。
(試合が終われば彼女の容態もわかるし、謝ることができる)
知らない間にフォアボールで出塁したランナーが1塁上にいる。彼が帰れば同点、ホームランを打たれたらサヨナラだ。
ウグイス嬢が代打を告げる。
「坂本くんに変わりまして、代打岡崎くん」
誠也はライトの守備位置から代打をみた。
背番号13番が左打席に入った。
誠也はとてつもない違和感に襲われた。
さっき、相手ベンチの13番を何気なく見たときは髪の毛が短く背が高かった気がするが、この13番は髪の毛が長く背が低い気がする。
「あっ!!」
誠也は驚いて声を上げたが、その声は声援でかき消された。
ヘルメットから見えた顔は昨日に誠也が助けて、さっき誠也のファールフライに当たった女子高生だ。
岡崎ともこだった。
彼女はピッチャーの初球を一振りすると、誠也の頭を大きく超えてスタンドへ入った。
誠也は打球を追うことができなかった。振り返りもせず、ただ立ち尽くしていた。
ゆっくりと一塁ベースへ走ってくる彼女を見た。
彼女は誠也に向かって口をうごかしていた。
—ホームランはこうやって打つの—
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