第41話 次なる時代へ、息吹を②
フィリップは苦しさの味を久々に思い出していた。額から汗がだらり垂れる。胸の鼓動が早くなって止められなくなる。そんな、しばらく経験していなかった焦りが、フィリップの思考をじわじわと侵していく。
『どうして世界がリセットされないんだッ……!』
フィリップは怒りのあまり、思わず膝をこぶしで叩く。何回GENを破壊しただろう。何回ライルの事を殺しただろう。それでもなお現実は遥か過去に回帰することはなく、僅か前の光景を繰り返し続けている。仕舞にはダメ押しするように、ライルはフィリップへこう宣言さえした。
『諦めるんだ。お前はもう過去には逃げられない』
『うるさいんだよ!!』
そうしてZENは槍を構え、GENへ突進する。フィリップもいい加減分かっている。このループからもう抜け出せなくなっていることに。だとしてもフィリップはこのループから抜け出すため、哀れにもがき続けるしかなかった。
『確実にアリスの魔法力は減っているハズだ……長くはもたないはずなのさ……!』
フィリップは確証の無い希望さえ口にするようになった。自分の精神を安定させるために、藁でもすがるように、思いついたことを喋ってみる。しかしその想いも儚く散ることになる。ZENの攻撃はGENに容易く受け止められ、いなされて、そしてライルはこう告げた。
『残念ながらもたないのはボクの方さ……』
『……どういう……ことだ?』
フィリップも馬鹿じゃない。問い掛けることなど無駄だと勘づいていた。とは言え、問い掛けずにはいられなかった。更なる深い絶望に突き落とされることになったとしても、その先に希望があると信じずにはいられなかった。だけれども、ライルはこの話の果てに何があるのかを、受け入れなければならない現実を淡々と告げるのであった。
『アリスは過去の魔法量にリセットされ、一方でボクは魔法力を消費し続ける……ボクの魔法力はいずれ無くなって、この世界は終わるんだ』
『バカな……!』
フィリップの声は震えていた。
『そんなこと、お前にとって何の得もないだろうが……! この世界をリセットさせ、同じ世界を繰り返す。それが俺たちにとって一番の理想じゃないか! 何だったらお前にも記憶を保持させてやってもいい! お前が死んでこの終わらない世界を終わらせるなんて、何もメリットがないじゃないか!!』
フィリップは必死になってありったけの言葉を吐き出す。何が何でもこの世界を終わらせるわけにはいかない。その為だったら何でもするつもりでいた。何としてでも最悪の事態は避けなければならない。しかし、ライルはこんな事を口にした。
『メリットとかどうでもいい……』
『え?』
『人としてお前がどうあるべきかを……ボクは伝えたいんだ……』
ライルが口にしていることは、フィリップには到底理解できない事だった。
『……何をお前は言っているんだ……そんな俺がどうあるべきかなんてクソどうでもいいんだよ……!』
フィリップには訳が分からなかった。誰がどうあるべきか。そんなことのためにどうしてこの世界はなくならなければならないのだろうか。野暮な道徳観念を今更になって彼から教わる、嫌な事に嫌な事を上塗りされるだけの糞みたいなことは、何としてでも止めなければならないと強く思った。
しかし、なす術がない。この世界の崩壊を止められない。
「……いやだ」
思わずフィリップの口から弱音が漏れた。このまま世界が戻らなかったらどうなるか、そんなことは想像もしたくなかった。自分が知らない世界へ放り出されることの想像がつかなかった。
このままライルを殺していれば世界が巻き戻らない。フィリップはたった一人でこの世界を生きていくことになる。安息が約束された世界はもうない。
一方でライルはこんなことを口にする。
『別にボクはお前の事を否定しない。人を憎むことなど人として当たり前だから……!』
『分かったようなことを口にするな!』
フィリップは
そして、再び世界はGENとZENが対峙する光景へ戻り続ける。だが、目の前にGENがいて、またライルがいる。もうフィリップの精神は限界に近かった。
『頼むから巻き戻ってくれよ……頼むからっ……!』
そんな闇雲に叫んだところで無駄だとは分かっている。しかし、喚き散らさなければやっていられなかった。ただそんなフィリップに対してもライルは懲りずに言葉を掛けて来る。
『お前が分かるまで死んでやるから……!』
『ならひたすら殺すまでだッ! お前が苦しみ、もがき、アリスの魔法を使う気さえ失せる時が来るまでッ!』
『させないさ。ちょっぴり苦しいけど……まだ終わらせるわけにはいかないからな……!』
ちくしょう。なんて呟きたくなる程に、真っ直ぐにZENを見つめるGENのそのかがやく瞳が、とても眩しい。自分の腐りきった思想が浮き彫りになって嫌になる。これはどうしようもないんだって叫びたいし、けれども叫べばまた自分の弱さが分かってしまう。
自分が間違っていることくらい自分が一番分かっている。分かっていながらどうしようもできなくなって、凝り固まった自分が嫌になる。
でも、それでも変わろうとする自分を待ってくれている人がいる。そいつを憎み、妬み、殺そうとしている自分は、一体何なのだろうか。分からない。
『ボクもお前も決断できないままでいる。また、何度もやり直せばいいと思っている。けれど、いつか誰かが踏み出さなくちゃいけないんだ!』
『そんなこと……とうの昔に分かってるって言うんだよ!!』
そうだ、とうの昔に分かっていたんだ。何度も何度も潰しても這い上がって来るライルを見て、フィリップは昔のことを思い出していた。今でも忘れない、父の言葉。それはこのコロニーにやって来て、セリアを紹介された時のことだった。
―—当時、俺はソレに対して特に関心を持たなかった。
「フィリップ。あそこにもう一人いるだろう」
心にあるのは怒りと憎しみだけだった。だから、自分に与えられたソレはどうでもいいものだとばかり考えていた。
「彼はな、私の若いころに似せて作っている。そう、お前の友達として準備した子だ。名前は――」
ただ、今となってはそれが俺の糧となり、俺を変えうる存在になりうるとは、思いもしなかった。
「――アズマ・ライルと言う」
彼は初め、俺をただじっと見つめていた。
友達は与えられるものだとは思っていなかった。それに家畜の友達だなんて、到底一緒に馴れ合えるとは思えなかった。けれども父はこう続けた。
「お前が困ったときに、助けてくれるだろう」
確かに父はそう言っていた。そんなことは分かっていた。友達として振る舞ってくれるなら、まぁそうあるべきだろうと思っていた。ただどちらにせよ、こいつとはマトモには付き合うまいと心に決めていた。
だけれども、今となって、そんな人が居てくれればと切に思ってしまう自分が、たまらなく情けない。
きっと、家畜だとか、与えられたものだからとか、そんな風に思わなければこんなことにならなかったのかもしれない。はたまた、家畜として割り切ったから変に感情移入しなくて済んだのだろうか。今となってはもう分からない。
どちらにせよ、俺の人生を滅茶苦茶にした父と、それにまつわる生き物全てを許せる訳がなかった。
『お前ごときに……!』
憎くて、憎くて、憎くて仕方がなかった。
父から与えられた虚構の世界。その世界でもなお、俺が与えられるはずだった生き物たちはその中で関係を築き始めて、俺はそれを箱庭の世界の外で眺める事しか出来なかった。そして、ライルにセリアがなびき始めてから俺は完全におかしくなった。虚構の世界でなお俺から全てを奪い去り、惨めな思いをさせると言うのだろうか。
『お前は……お前らは俺の為に作られた存在だっていうのに……!』
ZENは
『いくらお前が魔法を受け付けなくたって、ボクはお前のために魔法を行使し続ける! いくらでも、何度でもッ!』
『うるさいッ! なら俺はお前を殺し続ける!!』
『それでもッ!』
ライルは引き下がる気などなかった。フィリップの抱く深い痛みを理解して、放っておくことなどできないと思っていた。
頭の痛みは時間とともに増す。身体も焼けるように熱い。全身は刺す様な痛みが走っている。けれどもライルは操縦桿を握り締めて離さない。
だってそうだろう。この想いだけは伝えなければならない。それまで死ぬわけにはいかない。だから、叫ぶんだ。
『ボクは戦い続ける……魔法力が枯渇するまでッ……!』
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