第50話 コランと想い

 山を転がり落ちる様に降りていく私。

 その背後には月明りをも喰らうヤミが押し寄せていた。


 普段隠れてあまり見る事のできない森の獣たち。

 そんな彼らにもヤミが感じられるのか、食う食われるの関係を無視して、一斉に山を下っていた。


 その中でも怪我をしている個体、足の遅い種などがどんどんとヤミに飲み込まれて行く。


 彼らがどうなったのかは分らない。

 なんせヤミは黒以外の色を許さないのだから。

 飲み込まれていった者の姿を見る事すら叶わないのだ。


 あんなものが村まで押し寄せたらと思うとゾッとする。

 早く皆に知らせなければ。


 未だ制御できない身体能力をフルに使い、山を駆け降りる。

 木々は視界から風の様に流れて行った。


 障害物にかすろうものなら、体が千切れてしまうのではないか。

 そんな恐怖心が足を鈍らせようとする。

 しかしそれ以上に大切な人が傷つくのが怖いのだ。


 私はさらに加速する。

 自身の力で脚がげそうになるが、そんな事は全く気にならなかった。


 暫くすると突然視界が開ける。

 やっと森を抜けたのだ。


「…え?」


 夜風に棚引く草原の向こう。

 ぼやけた赤が私の目に焼き付いた。


 あの方向は間違いなく村のある場所だ。

 何故?まだ何も起きていないはずなのに…。


 そんな私の思考を嘲笑あざわらうかのように、夜風に揺れる赤色。

 モクモクと立ち昇る黒い煙が夜闇に溶けこんでいく。

 私の大切が溶けていく…。


「あ、あの…」


 いつの間にか、惚けた様に立ち尽くしていた私はその声に我に返った。


 驚いて振り返ってみれば彼が心配そうな顔で私を見上げている。

 その背中では泣き腫らしたような顔をしたリリーが安らかな寝息を立てていた。


 彼はこんな状況でも人を救っていたのか。

 …やはり私は彼が好きだ。


「村…。燃えてますね」


 彼は村を見つめながらなんとも言えない表情でそう呟く。

 きっと、立ち尽くしている私に対してどう声を掛ければよいのか分からなかったのだろう。


「…その薙刀があれば大丈夫ですよね…。この子を預かってもらえませんか?」

 少年が私に背を向け、リリーを担ぐよう、促してくる。


 私は慌てて手を伸ばし、彼女を受け取る。

 ボーっとしていた私が恥ずかしくなったからだ。


 少年は私に抱き抱えられたリリーを愛おしそうに見つめると、目線を村の方向に移した。


「僕、いきますね」


 彼は私の返事を待たず歩き始める。

 返事もろくに返さない私に呆れてしまったのだろうか。


 弁解しようと私は咄嗟に手を伸ばす。

 しかし彼との間に空いた距離では、とてもではないが届かなかった。


 私は勇気を振り絞って一歩を踏み出す。

 しかし、次の瞬間、彼は地面を蹴ると投石のように村に向かって飛んで行く。


 私では届かない。

 そう思った。


 …しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。

 私が一歩踏み出す間に彼はあれほど遠くに行ってしまうのだ。

 少しでも彼に近づきたいなら。皆を守りたいなら。

 こんな場所で一人感傷に浸っている時間はない。


 私はリリーを改めて背負うと、薙刀を口に咥えた。


 私はやはり彼が好きだ。

 届かない存在と分かっていても傍にいたい。


 薙刀の柄を強く噛み占めると、木の苦い味が口いっぱいに広がった。


 私は涙を呑むと、また一歩踏み出す。

 彼に追いつく為に、私の大好きを守るために。

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