カルマの塔:白き巨星此処に墜つ

 北方の小さな屋敷に詰め込み過ぎなほどの人。

「ねえウィリアムぅ、マリアンネが私のお菓子取ったぁ」

「お前、いくつになったらその子供っぽさが取れるんだ?」

「って言ってるよマリアンネ!」

「んべーだ」

 ヴィクトーリアの手から脱兎のごとく逃げ出すマリアンネ。そのまますたこらさっさと屋敷を脱出する。二十になった誕生日にプレゼントしたローザリンデのカラフルな衣装をもらった時の大人びた雰囲気は消え失せていた。

 あれでは大きな子供である。

「お前に、いや、どっちも、だな」

 ウィリアムは額に手をやってうなだれる。

「父さん、そこでコソ泥を捕まえたぜ。菓子泥棒だ」

「クロードか。そのまま捕まえてやれ。どうにもお前は女難の気がある。誰に似たのかは知らんがさっさと決めるが吉、だ」

「父さんにだけは言われたくねえ。ですよねえルトガルドさん」

「その辺りに疎いのがあの人の良いところですから」

「いや、良くはねえですよ。俺の知る限りでもヴィクトーリアさんにルトガルドさん。エレオノーラ様にクラウディア様、シュルヴィアさんもだし、エルネスタさんにテレーザ様、他国だとリディアーヌ様、リュテスさん、俺の姉さんも」

「……結構初耳の方々もいらっしゃいますね」

「浮気者だよ! いけ、マリアンネ!」

「なんでそこにマリアンネがいないかなぁ!?」

「え、どこに怒ってんだお前?」

 喧々囂々な屋敷。

「父上ぇ、助けてぇ、ミラとイェレナに引っ張られて、し、ぬ」

「これあたしのだから」

「私の」

「はいはいお黙りなさいな。そこで意地を張らずさっと手を退いて見せるのが淑女というものですわよ。お分かりかしら?」

「「一理ある」」

 二人がぱっと手を離した隙にシャルロットがアルフレッドを奪取。そのまま逃げだす。策士に敗れ去った二人は目を見合わせ、修羅と化して追いかけていった。

「モテるなあ、息子」

「まったく、誰に似たのやら」

「ひどい自画自賛を見た。あの頃のアルを返して」

「まったくだ」

「おいおい二人とも辛らつだな」

 アル、カイル、ファヴェーラ、三人の気安い関係性。

「親子二代にわたって女難、か。君に似たのかな?」

「絶対に貴方です」

「え、目が笑ってないんだけど、やだなーもう」

 ヤンとアルレットも幸せそうな模様。

「おーい、アル、また難儀な書物が来たぞ。手を貸してくれ」

「はーいノルマンさん。よし、仕事だ。久方ぶりに腕を振るうと――」

 もういい。

 それらを睥睨する男が静かに茶番を終わらせた。

 ぱたりと、屋敷の書割が倒れ、残ったのは無駄に凝った人形のみ。

「下らぬ茶番だ」

「ぬしが真に望んだことじゃろうが」

「だから下らないと言っている。まさか貴様がまだ存在していようとはな。ゴキブリを超えた生命力だ。賞賛に値する」

 自分の望みを突き付けられたことにより、男の怒りは頂点を振り切っていた。そのほとんどは己で断ち切ったもの。己が切り捨てたものであるから。

「死出の道行きぐらいよい夢を見せてやろうと思うてな」

「俺にとっては悪夢よりおぞましい夢だ」

「何故繕う? もはや咎める者も、見つめる者すらおらぬというのに」

「亡霊よ。俺は俺が許すまで歩みを止める気はない。死んだとてそれは変わらぬ。それに見つめる者がおらぬなど、誰が言い切れる? 現に貴様は俺を観測し続けていた。ならば他にいないなど言い切れぬ」

「それこそ神のみぞ知る、じゃなあ」

「まさにそれだ。そいつが見ている可能性がある限り、人々が理想郷にたどり着くか、俺が俺を許すか、それまでは、俺は俺のままだ」

 名も無き男は嗤う。

 亡霊は静かにほほ笑む。哀しき想いと共に――

「いつか許される日が来るとよいのお」

「貴様もな。さらばだ、偉大なる人の導き手だったものよ。世界が忘れても、俺は忘れまいよ。貴女方の功績を。俺と同じ名も無き者たちのことを」

「いっしょにするでないわ、たわけが」

 男は美しき幻想を背に、歩き出す。

 まだ、結びにはたどり着いていないのだから。

 そして男は直視する、自らが見るべき夢を。


 黄金の夜明け。光差す世界を眺めながら男は一人佇んでいた。崩れ落ちる躯の塔、数多の手が自らの身体に絡みついてくる。それは問題ではない。終わりを迎えたなら王であろうが奴隷であろうがこの躯たちと同じ礎となる。

 だが、彼らの眼が良くなかった。彼らの視線が良くなかった。

 引き摺り込もうとする手よりも、己が在り様を眺める大量の視線が断罪するのだ。何故お前はやり切った顔をしている。

 まだ生きているのに、死んですら許されぬ罪を重ねたはずなのに、なぜ楽に成ろうと、楽に成れると思っているのだろうか。

 問いかける目、眼、瞳。

 其処に映るのは狂気に呑まれていた頃の己。彼らの貌はその狂気を前に怯え、憎み、絶望していたまま。そう、彼らもまた己の映し鏡で、此処に立つ己自身なのだ。死者は何も語らない。死者は憎まない。死者は呪わない。死者は愛せない。

 それでも彼らは其処に立つ。ならばそれは己が作り出した幻影で、己が罪を忘れ得ぬためのオブジェクトに過ぎない。重要なのは記憶であり自覚。

 誰よりもその罪を自覚し、嫌悪している己に刻む。

 忘れるな、これがお前の罪だ、と。

「……わかっているさ。ただの、夢だ」

 今にも崩れ落ちる世界で、一人男は天を仰ぐ。

「終わらせよう。安心するがいい。俺はお前たちと共にある。死んだ程度で許される気はない。終わりの無い贖罪の旅に向かうため、今、幕を引くッ!」

 最後の最後、気力を振り絞って手を振り払い天への牙を剥く。

「俺はまだ、此処にいるぞッ!」

 天に向かって咆哮する。天よ爆ぜよ、天よ裂けろと言わんばかりの声で――

 今一度男は舞台へ上がる。


     ○


 カイルは頂点からの眺めに少し寒々しい想いを抱いた。四方八方全天が望める景色、見渡す限りの地平全てを統べる責任を突き付けられているかのようで――

「良い景色だな、見ていて気持ちいいぞ」

 もう返事は無いのだと思いながら語り掛ける。あの光が差した瞬間、夜明けと共に旅立ったのだろう。先ほどから返事は無い。

 だから死に場所に際し、躯を横たわらせてやろうと背中から――

「本当にそう思うか? カイ・エル・エリク・グレヴィリウス」

「なっ!?」

 信じ難い光景であった。アルフレッドの一撃は間違いなく致命傷を与えており、あの階段での会話でさえ奇跡であったはずなのだ。それなのに、男は自らの手でカイルの背から降り、自らの足で頂点に立った。

 そこに満身創痍の色は見えない。死にかけている人間とは思えないほどの気力に充ち満ちていた。白の王、ウィリアム・フォン・アルカディアは自らの足で歩を進め、自らの足でカイルの前に立つ。

「見ろ、いずれ王と成る者よ。この高きから見える全てが我がものであり、我が道の礎だ。蠢く有象無象に意味は無く、彼奴等の意志に意義は無い。全ては王だ。我らの決断こそがこの景色を作る。これを善いと思うのであれば、貴様にも王の資格があるぞ」

 先ほどまでの名も無き男とはまるで違う威容。

「なあ、此処には俺とお前しかいない。もう無理をする必要なんてないんだぞ」

「カイル、先ほどまでの醜態は忘れよ。あれこそ夢、一時の幻でしかない」

 白の王、ウィリアムと言う仮面を被った男は歪んだ笑みを浮かべる。

「それに、誰が見ている見ていないなどに何の意味がある? 王は孤高にして唯一無二。有象無象の視線などに一喜一憂して何になる? 見つめるべきは己、気に病むべきは己が在り様、王が王を見ずして誰が見つめるというか。正しく、強く在れば人など勝手に付いてくる。奴らは考えない。頑張れない。常に寄生する先を探している。強き者に群がってくる」

「……そんなこと本当は思っていないだろう? どうしたんだいきなり」

「事実だ。王ならば人に知性を、理性を、善性を求めるな。奴らに過度な期待をするな。馬鹿にもわかるように道を示せ。この道を歩むのが最善だと指示せよ。歩みには痛みが付きまとう、が、それを彼らに示す必要はない。騙してでも歩かせろ」

「……何で今、そんなことを」

「普遍的な王道をもう一人の王に説いているだけだ」

 ウィリアムはカイルを見つめる。その眼には温かみなど欠片も無い。

「貴様が倒れたなら世界が揺らぐと心得よ。折角この俺が進めた時間を、貴様に巻き戻されてはたまったものではない。最低限、存命の間は火種すら起こすな。それが貴様の責務だ。カイ・エル・エリク・グレヴィリウス、弱き王よ」

 王と成る男への僅かばかりの餞別。

「大小あれど、お前もこの景色を背負うことになる。覚悟は良いな?」

「……ああ」

 また一つ、為すべきことを終えた。

 もはや、今の己には何一つ出来ることは無い。

「何故こうも世界は不完全なのか。ずっと考えていた」

 ゆえに後はどう終わるか、それだけが残る。ゆらゆらと天を仰ぎ、ウィリアムは嗤った。そう、自らが綴った脚本の最後を思い出したのだ。我ながら陳腐な結末に陳腐なセリフを並べたものだと思う。

 しかし、やはり魔王の締めはかくあるべし。

 世界を呪いながら散ってこその魔王であろう。

「神が全知全能だというのなら、世界に悲しみなど必要ない。血も、涙も、流す必要など何処にもない。それがどうだ? 世界はこんなにも不完全で、満たされるためには何もかもが足りていない。どんな意図があるにしろ、嗚呼、俺はこの世界を創った奴が許せない」

 戦争がある。飢饉があり、飢餓がある。天災が人の営みを破壊し、負の連鎖がますます広がっていく。そもそもそれらが無くとも人の欲は底無しであり、どれだけ満たされようとも、もっともっとと争い続ける生き物。

 世界が不完全ならば人も不完全。

 これではあまりにも救いの無い世界ではないか。

「俺は罪を犯した。命を喰い、名を喰らい、途方もない罪を重ねて此処に立つ。だが、俺は何一つ後悔していない。俺以外の誰に、新たなる時代を示すことが出来た? 俺以外の誰に戦の時代を終わらせることが出来た? 俺こそが王だ。俺の示した道こそ人が歩むべき道だ。幾千、幾万、幾億の屍を超えて神に届く可能性を人に与えた俺こそがッ!」

 だからこそ許せない。己と同じくらいに世界が、世界を創ったものが許せない。

 どす黒い血を吐き出すも、ウィリアムは天に向かって吠え続ける。

「神よ! すでに見捨てたか、今も見降ろし悦に浸っているか、俺はそれを知ることすら出来ない。だが、首を洗って待っていろ。俺の示した道の先に必ず人は貴様の喉元に辿り着く。首根っこを引っ掴んで貴様に見せつけてやる。神の想定すら超えた楽園を。真なるアルカディアを。不完全だからこそ試行錯誤の先に必ず――」

 世界が揺らぐ。塔が崩落を始めた。王もまた躯の一つと成り、人が造りしカルマの塔の一部と化す。

 それらが幾千、幾万、幾億、積み重なり、天を目指すのだ。

「それが俺の復讐だ。世界を導き、世界を破壊し、世界を創る。俺の生涯はただの一歩、俺の死など小石一つに過ぎん。だが、積んだぞ! 間違いなく俺は積んだ! 僅かであっても一歩、先へ進めた。ゆえに後悔など微塵も無い! 俺は俺の復讐を完遂した!」

 人が幸せを求める限り、その手は天に伸びる。

「運命すら超えて、人の手は、必ず、届く。あの日見た――」

 今までの道のりがフラッシュバックする。ほとんどが地獄のような光景ばかりだが、時折混ざる温かな色合いの光景に苦笑いを禁じ得ない。

(ふ、これは蛇足だな)

 最後の最後で仮面が剥がれかけたが――躯に呑まれる間際ゆえ勘弁してほしいと誰とも知れぬ相手に謝った。

 そして、わずかに何かをにじませながら最後に――

(お前たちの道行きに、光あれ)

 エゴをこぼし、一切合財飲み込まれた。


 カイルは天を仰ぎ崩れ落ちた親友の屍を抱いていた。

 凄絶な最後であった。

 奪われた少年は奪った者を憎み、世界を呪った。運命の中でもがき、あらゆる手段を使って這い上がり、最後は世界に呪詛を吐き散った。

 後悔は無いと言い切った男の貌には、最後の最後で後悔の色がにじんでいた。

「馬鹿野郎。お前は、大馬鹿野郎だ」

 すべて出し尽くした男の躯は綿毛のように軽くなっていた。直前まで生きていたとは思えぬほど、その躯に生気は無い。

 もう二度と立ち上がることは無いだろう。彼は演じ切ったのだ。

 自らが定めた役割を。

「本当に、お前は――」

 言葉なく、カイルは滂沱の涙を流す。

 もう二度と語ることの無い親友を抱きしめながら。

「なあ、アル」

 本当は、言葉ほど世界を憎んでいないのだろう。彼は光を見つけることが出来た。時すでに遅過ぎたが、それを知ることが出来たから、彼は此処まで戦えた。積み上げた罪に向き合い、それを清算すべく戦い続けることが出来た。

 その過程でさらに多くの罪を重ねても、未来でより多くが救われる道を模索した。それが正しかったのか、今を生きる人間には分からない。いつか人が楽園に辿り着いて、振り返った時にようやく彼の与えた痛みが、可能性が、罪を雪ぐに足るかがわかるのだ。

 それは途方もない未来の話。今はただ、願うのみ。

「いつか、自分を許せる時が来たら、三人でりんごでも食おう。あの場所で」

 彼が彼自身を許せる時が来ることを。

 ただ、願う。

 天に瞬く白き巨星、ウィリアム・フォン・アルカディア、此処に墜つ。

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