カルマの塔:兄弟稽古
「――踏み込みが大きい。半歩、抑えて」
「はい!」
第一王子アルフレッドが第三王子バルドゥルに剣の稽古をつけていた。アルフレッドが夕餉の責任者になって数日、一度として事件も無く、血を見ることも無い食事の中、徐々に打ち解けていった結果がこの稽古であった。
バルドゥルからの提案を快くアルフレッドが引き受けた形。半ば公での約束故、他の王子や幾人かの野次馬が詰めかけることに成ったが、二人ともあまり気にせず剣を交える。
「手首の返しが早い。力がもったいないよ。もっと溜めて」
「はい!」
これは周知の事実であったが、第三王子バルドゥルはさすがは不動バルディアスのひ孫、その血統だけはあり、武の才能という点では他の二人よりも高い適性を示していた。
事実、この若さで実戦でも通用しかねない剣捌きは同世代では異質だろう。
「うん、筋が良い。あとは感覚、剣を遅らせる感じで、鉄のしなりを感じて。そう、そのタイミングで、此処に振るッ!」
「……あ」
鋭い剣閃。もはやこの威力、鋭さは子供の剣ではない。
「良いね。さあ、続けよう」
「は、はいッ!」
多くの見物人はさすがバルドゥル様、と思っている。実際に彼が高いレベルであることは疑いようはないし、それは事実だ。
しかし――
「すごいねえコルネリウス。バルドゥルすっごいかっこいい!」
「ああ、そうだねエマヌエル」
そう言いながらコルネリウスは違和感を感じ取っていた。彼もまたバルドゥルほどではないが武芸百般、剣弓槍を高いレベルで修めていた。総合力だけならバルドゥルをもしのぐ神童、だからこそわかるのだ。
(いつもよりも遥かに高いレベルで動けている。いや、動かされているのか)
稽古開始時よりもバルドゥルの動きがどんどん洗練され、高められているのがわかる。潜在的に出来ないことはしていない。出来る範囲で、引き出されている。
「おいパロム、お前の時と同じだぜ」
「……ですね。ならきっと、バルドゥル殿下は今、楽しくて仕方がないですよ。自分が加速度的に強くなっているのが実感としてわかるんです。アルフレッド殿下が、ここに打て、このタイミングで踏みこめ、動き全てに意図があって、無意識に最適化される」
「まあ伸びしろがあるって前提だろうけどな」
「それが無いほど極めている人なんてそうはいないですよ」
「んー、照れるぜ」
「ランベルトさんがそうだとは言ってないですよ」
「……心が痛むぜ」
(そうじゃないとも言ってないですけど)
オリュンピアにも参加した二人の戦士の会話を聞き取り、状況を把握するコルネリウス。つまり彼はバルドゥルの剣をああやって間断なく受けながら、捌きながら、最適な動きへと相手を誘導しているのだ。
ならば、彼と自分たちの差は凄まじい開きがある。
「……リウィウスとテイラーの血で、何故こんな傑物が生まれ出でる?」
ぼそりとつぶやかれた言葉。隣で目を輝かせているエマヌエルにも聞こえない音量であったが、この国で唯一王族の血を継ぐ王子としての矜持が垣間見えた。
バルドゥルもまた、自分が自分でないような不思議な感覚に陥っていた。出来過ぎ、間違いなく今までで一番動けている。まるで強烈な追い風の中で全力疾走しているような感覚。今、自分は風になっている。何処までもいける気がする。
もっと、もっと――
幼い少年の剣とは思えぬ剣に、感嘆の声を上げる観衆。
テレーザはその様子を見て戦慄を禁じ得なかった。一番息子の剣を見て、彼の実力を把握している母であり武人でもある彼女だからこそ、この異常事態に誰よりも驚愕し、それを引き出している第一王子の手腕に、畏怖の念を覚えていた。
若い二人の剣、そのやり取りに歓声が注がれる。
「もっと、もっとッ!」
バルドゥルは全力で先へと歩を進める。限界などない。そんな気分であった。
「でも、限界はあります。突然、やって来るんです」
パロムは微笑む。少し前の自分と同じ彼の姿を見て。
(あれ?)
バルドゥルは目の前に高い壁を幻視した。先ほどまでの追い風は感じない。その分厚さと高さにめまいがしてしまう。
それどころか自らは後退を始め――
「筋が良いから引っ張り過ぎたね。とりあえず、よく出来ました、です」
その瞬間、アルフレッドの剣がバルドゥルの剣を掻い潜り、首筋に優しく添えられた。当たり前のように、極々あっさりと仕舞いと成った稽古。
当然だが力の差はある。オリュンピアで彼を見た者ならば驚きはないが、そうでない者にとってはやはり衝撃。
「あ、ありがとうございます」
興奮状態で気づかなかったが、すでに体力は底をつき、立っているのもやっとの状態であった。倒れそうになったところを優しく支えてあげるアルフレッド。バルドゥルはほんの少し嬉しそうに相好を崩した。立場上、表に出すことは出来なかったが、昔から優しい兄であるアルフレッドと一緒にいる時間が好きだったのだ。
「本当に筋が良い。義母上の指導のたまものだね」
「まだまだです。もう、足が動かなくて」
「体力なんてすぐにつくさ。今は基礎固め、正しい動作を身体に沁み込ませるくらいで良いよ。無理に鍛えても成長を阻害するだけさ」
「そうでしょうか?」
「焦らなくていい。ゆっくり鍛えよう。俺に出来ることならいつでも手伝うよ」
「ま、また稽古してくれますか!?」
「もちろん。半分だけでも血は繋がっているんだ。兄弟に遠慮はいらないさ」
アルフレッドは笑顔でバルドゥルの頭を撫でてやる。くしゃっと王宮では見せたことのない笑顔を咲かせるバルドゥル。テレーザはため息をついたが、あえて口を挟むことはしなかった。ここで嗜めることよりも、怪物である第一王子との関係を継続することの方が得策である。
武人としての高みを目指すのであれば、あれを模倣するのが最も効率的。
そう彼女は理解していた。
「何だよ、杖なんてついてるから調子が悪いのかと思ってたぜ」
「紳士に杖はつきものだからね。格好つけだよ。まあ山登りには必須だし、船の上でも支えになるから便利が良いってのも本音だけどさ」
観衆の中から、近づいてくるのは同期であるランベルトであった。にこにこしながら近づいてきているが、どうにもその雰囲気は穏やかではない。
「お披露目ついでに俺にも稽古つけてくれよ」
「えー、疲れているんだけど」
「一合で良いから。お願い僕らのアルフレッド様様」
「……仕方がないなあ」
ごね始めたランベルトに付き合うのも馬鹿らしくなったのか、アルフレッドはその挑戦を了承した。
軽く稽古をつけてあげるだけのつもりが、このレベルになってしまえば――
「レイの名に懸けて、一撃必殺で終わらせよう」
遊びでは済まない。
「上等だぜ。今の俺とてっぺんの距離、測らせてもらう」
ランベルトが半身と成って構える。下半身は雲のように軽やかに、それでいて重心はどっしりと下の方へ。隙の無い構え、相変わらず一対一には強い。
対するアルフレッドは居合いの構えを取った。ルシタニア流の居合い。神速、目にも止まらぬ剣が信条の剣技。欠点を知っていても、それは間違いなく脅威なのだ。見えない剣、速く強い剣は、対策を取ってなお厄介極まる。
二人が構えを取った瞬間、場の雰囲気が一気に引き締まった。さながら戦場のような雰囲気、ランベルトの顔にはいつもの茶らけた表情はなく、アルフレッドの顔にはいつも通りの笑顔が張り付いているが雰囲気は明らかに異なる。
突き対居合い。共に速さが持ち味。
(ハッ、さすがに虹までは出してくれねえか。まあ、この金色だって上等さ。目が潰れちまいそうだぜ。よーし、あの時の感覚を思い出せ。それに、あの時のあいつと飛翔する鷹を、乗せろ。全部、乗せて、突く! 今、俺に出来る最高を)
虹の怪物が見せた理想の突き。そして盲目の槍使いが見せた理想を超えた飛翔する突き。自身が狼に見せた突きに、それらを重ねて、さらなる高みへ――
「往くぜ」
「来い」
それは刹那の攻防であった。さらなる進化を遂げた最速の突き。それに応じた神速の居合い。二つは交差し、そして瞬きをする間もなく、決着と相成った。
「……まだ遠いな」
「……強くなっているよ」
突きは頬をかすめ、剣はランベルトの肘に添えられている。実戦であれば突きは外れ、居合いは腕を両断していた形。
寸止めできているのはまだ余裕があるのか。そもそも体捌きで突きがかわされてしまった以上、居合いの速度はそれほど重要ではないが――
「くっそー行くぜパロム。負けだ負け」
「負けたんだから今度一杯奢ってね」
「……後出しで条件付けるのはずりいよ。まあ良いけどさ」
さっさと尻尾を巻いて退散するランベルトであったが、その攻防を見ていた者たちは声すら上げられなかった。オリュンピアを見に行けた者は限られており、見ていた者でさえ感覚がマヒしていたのだ。輝ける怪物たち、あの舞台に、本戦に出ただけで国の中ではトップクラス。一回戦負けとはいえ狼を唸らせた男と優勝者の衝突は、軽い小競り合いでさえ衝撃を与えるものであった。
「……パロムのように、恥をかくのも覚悟の上で出るべきだった。戦士であれば。あの場を知る者と知らぬ者の差、想像以上に大きい」
ランベルトやアルフレッドと同期である巨漢の戦士バルタザールは大きな後悔に包まれていた。それほど離れていないと思っていたランベルトでさえ遥か彼方、しかもまだまだ進化の途上だと彼の背中は語っている。
武人であれば誰もが何かを感じ入るであろう光景。
「……怪物」
改めて年齢制限付きとは言え世界最強を決める大会、その優勝者の重みを知った。参加者の厚みを知った。間接的に彼らは世界の大きさを知る。
○
「また速く成ってましたね、突き」
パロムが敗北者であるランベルトに声をかけた。
「まーな。そりゃあまだ半年しか経ってねえんだ。追いついたと思うほど腑抜けてねえよ」
「でもかなり近づいていたように感じましたが」
「そりゃあ近づいてるだろ」
「自信家ですね」
「そうじゃねえよ。俺が近づいたんじゃねえ。あいつが近づいて来たんだ」
「……まさか。僕には万全に見えましたが」
「稽古中も含めてな、一番重傷だった膝はほとんど動かしてねえよ。色々と補って万全に見せているだけだ。誰にも言うなよパロム。たぶん、隠し通さなきゃいけないやつだからな」
「治らない可能性がある、と」
「半年も経っているんだ。ただの怪我なら、快方の兆し位見えても良いだろ」
二人はそれきり押し黙った。優勝の代償、あの虹は奇跡を生んだが、その奇跡は天才から多くを奪ったのだ。そして彼はそれを理解して、それでも奇跡を望んだ。何がために、ランベルトたちはまだ知らない。想像することは出来るが。
世代最強と成った神童は、人知れず羽根を失っていた。自らの意志で、それを捨てていたのだ。その決意を、覚悟の重みを、欠片でも理解するならば、彼らは自らがやるべきことをきっちりと果たすだろう。
せめて、その覚悟に報いるためにも。
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