オリュンピア:本物対偽者

 リオネル対バルドヴィーノ。市井の評価ではリオネル優位であったが、試合内容は序盤から下馬評を覆す様相を呈していた。

「ぐっ!?」

「どうした? 『どっち』に受けている?」

 リオネルの身に影が迫る。来ると思った方に顔を向けるも、其処には影も形も無い。気配が、何重にも重なり、感性を狂わせ、そして――

「構えろ、死ぬぞ」

 想定外の方向から剣が伸びてくる。

 普通の者が見れば、むしろリオネルがおかしな動きをしているように見える。俯瞰して見ると、何故彼があんな血迷った動きをするのか分からない。だが、戦場の経験を積んだ者、ある一定のレベルを超えた者たちにとっては、彼、バルドヴィーノと言う男が全てを操作しているのが理解できた。

 その上で――経験を積んだ者ほど、彼を恐れる。

「……俺に、何をしやがった!?」

「何も、お前にはしていない。お前が、そうしているだけだ」

 ジェド・カンペアドールの秘蔵っ子、サンス・ロス。今までの派手な立ち回りは完全に消え、今まさに彼は真価を発揮していた。

 それを理解できる者は少ないが。


     ○


 初めから違和感はあった。

 今までのような派手な格好を捨て、無骨で地味な軽装で現れた時から、男のオーラのようなものが不自然なほど薄く、闘志の欠片も感じ取れなかった。試合開始直前になっても、鳴りを潜める男の気迫。

 ようやく気付いた頃には相手の術中に絡めとられていた。

「ふざ、けろ!」

「傍から見れば、ふざけているのはお前だ」

 バルドヴィーノの戦い方は、表向きこそ地味で派手さの無い堅実な戦いに見えるだろう。先ほどのド派手な戦いを一時間見せられた観客にとって、あまりに淡白なつまらない戦い方。面白みのない無味無臭。

 されど、対面する者にとっては別。

「またッ!?」

 リオネルが剣を振ったところには、何もない。彼の視線は逆を向いていたが、身体の重心はこちらへかかっていたし、殺気は剣を振った方向、左側から向けられているように感じた。視線はフェイント、本命は左からの打ち込みと判断するも、見事に逆を突かれる。

「芸の無い。学習しないのか、獣よ」

 空かされたことに、ほんの少しでも気づくのが遅れていたら、このような無茶な体勢での回避すら間に合わなかっただろう。先ほどから、ずっとこの展開が続いている。全身を用いたフェイントと雰囲気のコントロールを用いた殺気でのフェイント。二つ合わせてリオネルの判断を惑わせる。

 正解が、遠い。

 考えれば考えるほどに、遠退く正着。

「く、そ」

 とにかく考える間が欲しいと無理やり距離を取ろうとするも――

「猿知恵だな。お前の方が足が速くとも、この限定された空間で逃げ切れるわけがない。若いのは直線的に追いたがるが、逃げたい方向さえ掴んでいれば、削れる無駄、削げば、こうなる」

 とことん理詰め。直線での速度はリオネルが勝るはずなのに、進行方向を見抜かれてショートカットされてしまい、結果として距離が空けられない。

 休む暇がない。

 だから、見よう見まねでバルドヴィーノのフェイントを模倣するリオネル。相手に逆を突かせて、自分は何とか追撃を逃れようと――

「自分で行きたい方向を教えてどうする? 武が浅い。思慮が足りない。経験が、修練が、何もかもが足りていない! これで超大国の秘密兵器とは笑わせる。ガリアスの程度が知れると言うモノ!」

 リオネルの表情が、一瞬曇った。それも一瞬のことであったが、それを見てバルドヴィーノも少しだけ眉を動かす。

 とは言え、その苛烈かつ精密な攻めが絶えることはないが。


     ○


「あれほどとはな」

 リオネルを鍛え上げたガリアスの武人たちも嘆息してしまうほど、その武は精緻で機能性を極めた先に美しさすら備わっていた。とにかく、徹底的に相手を思う通りに動かす。抗うことでさえ利用されるのだからたまったものではないだろう。

「あんなの反則だよ。ジェド・カンペアドールの秘蔵っ子ってことは、あの時代勢いに乗ったアークランドと渡り合っていたわけで、その後エスタードとネーデルクスの大決戦を経た経験値ってだけで反則じみてるってのに……その上基礎スペックも高いときた」

 まさに年季の差。あれでは勝負にならない。

「リオネルの強みが活かせるスペック差であれば救いもあったが」

「私並のスピード、あれじゃあ『見て』からかわすのは不可能に近い」

「それでも、突破口があるとすればそこしかないさ」

 アダン、リュテス、ロランは嘆息するしかない。本来出てくるのが間違っている相手とはいえ、そういう邪道にも対応できる手は与えてきたはず。問題はそれすら利用して捌かれていること。

 戦場を操る者として教えてきた彼ら全員が敗北を突き付けられていた。

「……あのリオネルさんがああも動かされるものかぁ。今の僕には到底無理だなあ。グスタフはどう思う?」

「ちまちま考えずに殴り殺すよっと」

「……ある意味正解かも。蛮族を笑えないよ、グスタフ」

 八強から観戦に現れた翡翠の髪を持つ少年は従者であるグスタフと共に戦いを見つめていた。自分たちの代表である男が翻弄される姿は実に興味深い。

 これが戦争なら通用するのはリディアーヌくらいのもの。ガリアスの強みをああやって空かされ、消されるまま終局まで辿り着くことが容易に想像できる。

「強みを生かせ、リオネル。全てにおいて上を行く相手だ。限界の一つや二つ、超えねばお話にならん。最低限の武は備わっている。昔とは、違う」

 ランスロは真っ直ぐにリオネルを見つめる。自らがガリアスにて王の剣を与えられた意味、ようやく見つけた男のスケールが、この程度では何のために鞍替えしたのかわからない。

 かの革新王がランスロに、王の剣に望んだことは、ただ一つ。

 ガリアスにとって本当の意味で剣に成り得る存在へ継承すること。

 己が経験を。蓄積を。

 数多くの騎士、巨星との死闘を、生き延びた術を、継承する。

 そしてそれらは全て、すでに注ぎ込んである。あとは芽吹くのを待つだけ。


     ○


 クロードは複雑な表情をしていた。心情としてはお世話になったマルサスに大きな怪我を負わせ、多くの将を討ち取った彼を許すことは難しい。しかし、憎むと同時に尊敬の念も浮かんでいるのだ。あれほど人を読み、人を動かし、的確に相手を削っていく武。あれを積み上げるまで、どれほどの努力が其処に在ったのだろう。

 そしてあれほどの人物が、黒子に徹し続けていた事実。野心がないのか、それとも主たるジェドの器がそうしたのか、どちらにせよ、彼は陽のあたる場所に出ようとはしなかった。それが名を捨て、身分を買い、表舞台に出てきたのだ。

「つええのはわかってる。俺らは痛いほど、経験した」

 千にも満たない遊撃部隊。あえてそれだけを指揮する彼が、どれほど戦況に影響を与えていたのか。歴史が語らずとも、参戦した者の中には残っている。


     ○


「二代目は、あの御方と幾度となく指し合ったと聞き及んでおりますが」

「通算では数え切れぬ程負けました。最後に、ストラチェスでは勝たせてもらいましたが、模擬戦ではついぞ勝ちを拾わせてもらっておりません。現場の将としては図抜けた才覚の持ち主です。ただ、仕える相手にも相応の力を求めますが」

「エスタードにはその力がなかった、と」

「私には、でしょうね」

 エルビラはサンス・ロスと袂を分かった日のことを思い出す。アルカディアの商人が持ってきた話。のるかそるかの議論を終え、中途半端に乗ると決めたあの日。彼はエスタードを去った。頂点に立つ者に仕えたい。それが彼の野心。その道がいつ芽生えたのかは定かではないが、今の彼はそれだけを望んでいる。

 そしてエスタードはリスクを負わぬ代わりに、頂点への道を諦めた。

 彼が去ったのは道理。エスタードにとっては痛手だが、間違った選択ではなかっただろう。彼は強かった。総合力で言えば主のジェドを超え、限りなく巨星に近いレベルにいたはず。しかし、彼は巨星ではない。巨星には成れない。

「彼もまた私と同じ、非凡と平凡の狭間に立つ者ですよ」

 武に見捨てられたエルビラが、半ば遺棄と言う形であの孤島に送られたことで繋がった縁。ジェドがいなければ今のエル・シドは生まれなかっただろうし、今のエスタードも無かった。

 烈日とは異なる方向性があったから、自分は今の立場にある。

 だが、それでも言わねばならない。

「天を望むには、足りません。私でも、彼でも、私如きが指揮を取らねばならない、エスタードでも……足りないのです」

 今の世では、まだ必要なのだ。

 太陽が。その輝きの前では――


     ○


 リオネルは、不思議と落ち着き始めていた。おそらく、このまま付け焼刃の工夫を重ねても劣勢が深まるだけで、何も好転しない。勝てないと思った時は素直に退くか、勝てると思う部分で戦う。それでも駄目なら、限界を超える。

「……む?」

 バルドヴィーノの剣が、かわし切れなかったリオネルの腰を打たんとする。鞘で強引に受けながら、リオネルはバルドヴィーノを『見る』。次の動きが、確定した瞬間、リオネルも動き出す。当然、遅れ、かわそうとしても上手くいかない。

 傷が増えていく。状況は好転しない。

「反応が――」

 それでも、リオネルは『見て』から動くことを徹底した。まだ足りぬと言うなら足掻く。何とかしのいで、次に繋がったならそれでいい。

「――少しずつ、亀の歩みだが」

 次こそは、次の次こそは――信じよ、己が才覚を。

 信じよ、積んできた研鑽を。

「――早く」

 リオネル・ジラルデは『見る』。そして動く。それは己の原点で、多くの支援を受けて積み上げた己には不要としていたモノ。だが、下手に技術を取り込んだがゆえに相手に玩ばれるくらいなら――昔の自分を拾ってでも勝つ。

 どちらにせよ、今のままでは間に合わないのだから。


     ○


 勝ち続けなければ生き残れなかった。盗み、暴行、生きるためなら何でもやった。いつだって口の中には泥の味、血の味。見知った者の半分も成人にはなっていない。あそこは、そんな生易しい環境ではなかった。

 強きモノが弱きモノから奪う場所。

 弱き子供は、いつも奪われる側。

 たまたま生き延びた。たまたま体格が良く、剣闘士として生活を糧を得ることが出来た。勝たねば遺棄される世界。

 皆死に物狂いで一勝を、明日を掴もうとする者ばかり。レベルの低い剣闘を見る者の心理は、いつだってプロにはないスリルと、血を望む。

 需要と供給の一致。権利など、欠片も与えられることなく、ボロ雑巾のように打ち捨てられていった子供たち。ここでも勝ち続けた。生きるために。

 勝って勝って、勝ち続けた先に今がある。たった一度の負けで多くの取り巻きが去った。たまたま百将たちの目に留まったから、全てを失うことはなかったが、次の敗北ではどうなるのかわからない。また、あそこに堕ちるのは、嫌だ。

 あそこに戻るくらいならいっそ――


 最初は、ほぼ直撃に近い形での当たり方であった。あれでは長く続かない、誰もがそう思うほどだった。だが、少しずつ、亀のような歩みだが、間違いなくその反応速度は上がってきており、気づけば紙一重でかわし続け始める。

「……怪物!」

 そう言うバルドヴィーノの目にはかすかな光が宿っていた。『本物』と会いに来た。自分が『本物』ではなかったことを確認するために表舞台へ、『本物』が集う場所へ足を向けたのだ。この未練のせいで、多くの若者の芽を摘んだことは、彼も申し訳ないと思っている。若き夢を砕いた。彼らの希望を砕いた。

「ハッ、うるせーよおっさん。俺からすりゃ、テメエの方が怪物だ!」

 だが、結局は己に喰われるか、彼に砕かれるかの差でしかない。

 此処に居たのだ、『本物』が。

「怪物、か。すぐにわかる、若き獅子よ。偽物と本物の違いが。今はまだ、経験の差があるから近い存在に感じるが、私とお前では、天地の差がある」

 ならば、いつまでもしがみついている意味はないだろう。

「あとは自覚だ。あの御方は、自覚された上でその責から逃げた。お前がどう選択するのか、少し、楽しみだ。ウィリアムの子、アルフレッド。ヴォルフの子、フェンリス。エル・シドの血統、ゼノ、ゼナ。割って入れよ、雑種の王。お前もまた、『本物』だ」

 バルドヴィーノは剣を引いた。積み上げてきたモノの崩壊であれば、すでに三度経験している。アポロニアと直接対峙した時に無意識で勝てぬと悟った。非公式にヴォルフと遭遇し、何一つ通用せず打ち崩された。そして、アルフレッドと出会い、『本物』が才能だけで作られるモノではないと、知った。

 これが四度目、純粋なる才能との出会い。まだ、彼らのような覚悟も自覚も無いが、それでもなおこの輝きであれば、剣を引く理由にも成ろう。

「私の負けだ」

「おい待て! まだ決着はついてねえだろうが!」

「この場に立つだけで生き恥をさらしている。これ以上我儘を通すわけにもいかんのだ。お前たちが本物で、私が偽者だと私の中で決着がついた以上、此処までだ」

 観客が突然の終わりに唖然となる中、バルドヴィーノは静かに舞台を降りる。

「それに、これ以上戦って、寝た獅子を起こすわけにもいくまい? お前は敵だ。我が主にとって、最も危険な、な」

 不敵な笑みをリオネルに向け、バルドヴィーノは去って行く。

 その歩みに一切の迷い無し。ブーイングが降り注ごうとも、彼の中で何かが揺れることすらないのだろう。

「何だってんだ、あの野郎」

 リオネルにとっては不本意な決着。ようやく、攻略の糸口を掴んだだけ。結局、あの状況では以前の、アルフレッド戦での状況とさして変わりはない。見てからかわすが成立しても勝つと言い切れる相手とは思えなかった。あの男と同じように。

 まだ、底が知れない。


     ○


「申し訳ございませんアルフレッド様」

「いいよ。君が納得できたなら、身分詐称の意味もあったと言うモノさ」

 サンス・ロスの希望で大会出場のための用意をしたのが他ならぬアルフレッド、もといその手足として働くイヴァンであった。彼の希望と『思惑』が合致し、バルドヴィーノという仮面は生まれたのだ。わざわざサンス・ロスという名を焼いてでも彼は間近で見たいと言った。偽物と本物の違いを。

「リオネルと言う小僧、おそらく、次で化けます」

「どっちが来ても?」

「……御冗談を。どちらが来るかなど、勝負せずともわかること」

「どうだろうね、彼に甘さが残っていれば、勝負はわからないと思うけど。彼も素材は超一流だよ。そこに一流の調理が施されているわけで」

「本物と偽物の違いは、背負うに足る器か否か。どれほど大きな器であれ、背負えぬのであれば意味はない。小さければ背負えず、弱ければやはり耐えられない。重いのでしょうな、私もまた、逃げ続けていたのでその重さを知りませぬが」

「それは俺も同じだよ。まだ、背負った気でいるだけ。本当に背負ってから、背負い切って初めて『本物』。そういう意味では、死んで初めて君の言う『本物』は完成するのかもしれないね。まだまだ途上、君も、俺も、誰もが。結論は、早いよ」

「まだ私に期待されるのですか?」

「当たり前だろう? 君にも少しは背負ってもらう腹積もりなんだから」

「それは恐ろしい」

 バルドヴィーノは苦笑する。兄を失いながらもエスタードの全てを背負ったエル・シド・カンペアドールとはまた異なった道を彼は往く。

 人を目利きし、荷を預けることに躊躇いがない。きっと、ここから先の時代はただ一人が背負えるほど軽くはないのだろう。ただ一人が、巨星と言う存在が三人、ガイウスを入れて四人だけで担った時代は終わり、多くが背負わねばならぬ時代が来る。それを適切に振り分ける責は、やはり王に在るのだろうが。

 その時代をどう生きるか、偽物だと結論付けた己もまた、生きる以上考えねばならないだろう。

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