オリュンピア:超感覚の視る世界
凄まじい衝撃が会場全体に木霊する。腹の底から噴き上がってくる畏怖。舞台に立つ彼ら二人の引力に魅かれ、惹かれ、引かれていく。
「……恥ずかしいんだけど」
「王の戦です閣下。戦場に畏怖を与えてこその重装歩兵なれば」
「応援、要る?」
「要ります! 雰囲気作りは大事だと我らが新たな王もおっしゃっておりました」
「ハァ、わかったわかった。ま、そろそろ顔見せくらいしといて良いだろ。総員、足踏みと掛け声。終わるまで、続けろ」
「「「御意ッ!」」」
ずん。
「「「ハッ!」」」
ずん。腹の底に響く重低音が会場全体に響き渡る。低く、重い声が会場を威圧し、制圧していく。全体の空気感が、どんどん変質していった。彼らの故郷の雰囲気へと。王の作る、王の見せる世界を補強する役目こそ、彼ら臣下の務め。
「お、おい、あれって」
「黒き鋼、この威圧感、重みのある雰囲気、ほ、本物か?」
「……どっちだ、どっちの応援なんだ彼らは」
「馬鹿か! アレクシスの、彼の血筋に味方するわけがないだろう?」
「オストベルグ重装歩兵! 亡霊が、現れやがった!」
シンプルな掛け声と足踏み。総勢五十にも満たない人数であったが、それだけでも十分会場を塗り潰す圧があった。その圧の要因の一つとして、中心にいる男の存在があった。パロミデスとパロムはあの翡翠の、髪色を見て愕然とする。
「え、エルンスト陛下!?」
「ありえないだろ! 戦死したはずだ」
「確認はされてないだろ!」
「だとしてもこんな場所に現れるものかよ。未だにゲハイムの残党が悪さしてるってのに。まあ、騙りかもしれないけどよ」
「た、確かに。じゃあ、誰だ?」
「「「ハッ!」」」
ずん。疑念すらねじ伏せる威圧。
「……まるで、あの時のような、まやかしの戦場ですね」
「忘れてはならない。彼らは確かにこの世界にいた。弾き出された彼らを、俺は背負わねばならないんだ。弾き出した、張本人としてッ!」
それに呼応するように戦士二人の戦いも加速していく。
全力を出した彼らの動きを見て――
「……マジかよ」
ヴォルフら上の世代が乾いた笑みを浮かべるほどに、あの二人の戦いっぷりは太平の世に相応しくないものであった。重装歩兵の作る雰囲気を、さらにあおるように彼らの戦いは吹き荒れる。会場全体が戦場にでも成ったかのような空気感。
全ての攻撃が急所を、狙えぬのであれば指の一本でも削らんと殺意にまみれていた。殺してでも勝つ。その狂気が彼らにさらなる熱を与える。
勝つためならば――
「ハァ!」
アルフレッドは震脚で石畳を剥がし、浮かせたそれに発勁の籠った拳を叩き込む。まるで連弩でも撃ち込まれたかのような、散撃。オルフェは致命打のみ撃ち落とし、他は多少肉を削がれてでも意に返さず前進、逆に策が目くらましと成ったアルフレッドに対してそのまま一直線に突きを敢行する。
アルフレッドはそれを見て、構わず前進。
マントを突き抜けた槍は、肉を一部捩じり喰らいながらも、それた。
アルフレッドは力の乗った拳を叩き込まんとさらに前進。その途上でオルフェもまた前へ進み、威力の源である足を踏みつけ、力の流動を阻止する。だが、アルフレッドは構わずそのまま拳を力いっぱい叩き込んだ。それを頬で受けながらも、器用に槍を旋回し、柄で腹を叩きつけた。
両者、血の混じったつばを舞台に吐き、さらに攻め合う。
真っ当な手段もクソも無い。勝つためならば何でもする。その醜くも活力にあふれた姿こそ戦場の真実。死が隣り合わせだからこそ、輝く星もある。
「まだ、まだァ」
「フー、フー」
死力を尽くして戦う。絶句する観客を圧倒し、戦いはさらなるステージへと歩を進めようとしていた。全力の、先へ――
○
世界は嘘にまみれている。
オルフェ、生まれつき目が見えず、それゆえに愛されたことも無かった。親にいつ捨てられたのかもわからない。物心ついた時には庇護者は誰もいなかった。物乞いをして生きる糧を恵んでもらう日々。人の良心に付け込んで、豊かな者からほんの一欠けらを分け与えてもらう代わりに、感謝などと言う腹の足しにもならぬモノを送る。相手は、優越感と満足感を得て、去って行く。
その繰り返し。生き延びたのは運が良かった。
それとも目が見えぬという欠陥が、より彼らの優越感をあおったからだろうか。
道端に打ち捨てられたリュートを拾い、私は音楽を覚えた。音楽と言うモノは素晴らしく、正しく奏でると美しく響く、当たり前のような美しさが私を救ってくれた。音と戯れ、音を模索する日々。それを飯のタネに出来た頃には、私は対価として広く深く音を感知する超感覚を身に着けてしまった。
これが、私の第二の、地獄の始まりであった。
物乞いをする中で、私は人の心を学んだ。音楽を探求する中で、私は音の意味を得た。そうして得た答えは、人は醜いのだという結論。
怒り、妬み、性欲、強欲、人の織り成す社会はこれらの音に満ちている。避けても避けても、それらはどこにでもついて回り、超感覚がそれらの機微を拾ってしまう。ただの人であれば気づかぬ小さな兆しも、音と成れば私には理解できてしまう。舌打ち、陰口は言うに及ばず、心臓の鼓動でさえ、暗い感情を私に伝えてしまうのだ。
一度人里から離れてみたが、獣とて人と大して変わらなかった。むしろ本能に忠実な分、それらの特徴は顕著に表れてしまっていた。
離れても付きまとうモノ。いっそ――
私はあえて人と積極的に付き合う選択肢を取った。そうしていれば、少なくともその間、人は仮面を被ってくれる。零れることもあるが、それは仕方がない。人と付き合い、会話し、建前に耳を向ける。
その間は、この地獄のような世界も少しはマシになった。
人里では音楽を、離れたなら別の仕事を――私にとっては普通の道であったが、普通の彼らにとっては険しい道の案内も、請われたので生業として始めた。
その頃には私も諦めがついたのか、それほど人の感情に左右されなくなり、生きやすくなっていた。
槍を覚えたのはいつ頃だったろうか。まだ超感覚に絶対の自信を得る前は使っていた杖の延長線として始めた記憶がある。
自己防衛のために覚えただけであったが、おそらく超感覚のおかげであろう覚えが早く、荒事を苦にした記憶はほとんどない。
そうやって日々に折り合いをつけて生きていたある日――
『オルフェ! また来たぞ、奴らだ、ドーン・エンドだ!』
その日から、私の三度目の地獄が始まった。
そこで出会った二人は、とても純粋で、それゆえに危ういのではないか、と思っていた。実際に、彼との出会いは最悪に近い形であったし、事実彼は太平の世の歪みともいえるドーン・エンドの台頭、それに乗じた者たちの暗い感情に当てられていた。私にはそれが危険な兆候に感じられた。
それでも彼らは救うために殺し、救うために治す。虐殺、略奪、時代に取り残された者たちすら、愚かと言いながらも救い続ける。救っても救ってもきりがない弱き者たちを、自らの危険を顧みず救い続ける。私の見ていた中でさえこぼした命があった。私の見ていないところで彼らは、どれほどこぼしてきたのだろう。
それでも――揺らがない。
だが、そうであっても、人間は動物で、死に瀕した、極限状態であれば、必ず仮面は剥がれてしまう。ドーン・エンドとの邂逅で、私はそれが見れると思っていた。揺らぎ、崩れ、生まれる不和。それが見たいと思っていた。安堵したかったのだ。諦めていた自分が正しかったのだと。それと同時に見たくなった。
極限状態でも、揺らがぬ美しさを。
結果は――
『次ッ!』
壮絶な救済劇。
愚かなる戦士たちのために彼が道を作ってあげていた。いったいどれほどの救いが、業が其処に在ったのだろうか。零れる血の音で、軋む骨の、千切れる肉の、音が私の耳朶を打つ。
鷹の一撃と共に相打った。死が其処に在った。
一人では、致死であろうことが明確な傷。されどそれはもう一人の存在によって致命ではなくなった。イェレナ・キール。とても美しい音を持つ少女であった。自分にとって初恋があったとすれば、きっと彼女の音を聞いた時であろう。だが、その淡い気持ちも、あの光景を見れば露と消えてしまう。
あの瞬間だけ、彼は仮面をしていなかった。彼女を見て、微笑んだ笑みに、何の装いも無かったのだ。生殺与奪の全てを預けられる関係。もちろん彼女の腕が確かなことは彼が一番よく知っている。しかし、あれほどの傷なのだ。迷いがあっていい。疑念があっていい。汚い音が混じっても、誰も文句は言わないだろう。
そんな音は一音も無かった。すべてを預けている間、彼は真に救われていたし、それで死んでも受け入れていただろう。信頼、そんなものは超えている。私にはそれがこの世で初めて見た、打算無き愛であった。
極限の中にあってなお、揺らがぬモノ。
美しい音であった。豊かで、余裕のある時ならばこの音もわかる。そういう装った美しい音は幾度も見てきた。それが危機によって崩壊するさまも――
しかし、今彼らは未曽有の、一歩間違えれば死に直面しているのだ。なのに、そこには生殺与奪の全てを捧げながらも微笑む少年と、絶対に助けてみせると初めての施術に奮闘する少女がいた。そこに、暗い感情は見出せない。
愛があった。命を預ける。場合によっては殺されても良い。彼女になら――そう思える関係を、愛と呼んで何が悪い。この美しい音に感動して、何が悪い。何処にもなかったのだ。今まで生きてきて、極限の中でなお美しく輝く『景色』は。
人は――醜いとは限らないのかもしれない。
諦めが揺らいだ。望みが、生まれてしまった。彼らの音を聞きながら、離れていても良い。他人でも良い。寄り添っている、その愛を聞きながら生きていたい。
私は探した。彼らと別れた後、もしかしたらと言う一縷の望みを持って。諦観を失った私にとって、世界はやはり地獄で、望めば望むほど遠ざかって行った。
地獄を渡り歩いた。修羅に落ちかけながらも、生き抜いてこれたのは、あの出会いがあったから。
人は美しい生き物なのだと、その可能性を見せてくれたから。
でも、やはり代わりはいなかった。極限の中でも揺らがぬ関係など、そうは無い。逆に汚い部分をこれでもかとばかりに『見て』きた。そして、理解する。
彼らが特別だったのだと。
「――私は貴方を愛しています」
「突然、だねッ!」
愛を囁きながら、急所狙いの強烈な一撃をお見舞いしてくるオルフェ。それをギリギリで受け流しながら、次の一手を模索する。刹那の思索、選択肢は百を超える。応対しながらも最善を探すための思考はしっかりと割き続けていた。
そうでなければこれだけの速度の中、彼の超感覚には追いつけないから。
『体格もほぼ同じ。身体能力も総合的に見ればほぼ互角』
『限界に達すれば互角なのは必然ですね。まったくもって素晴らしいの一言。五体の限界点、この域に到達している戦士が、果たして世界に何人いるのでしょうか』
客席で目を細めるディムヤートとロゼッタ。エスケンデレイヤという大国にあっても彼らほど自らの身体をコントロール出来ている戦士はそういない。
彼らは特別であった。戦闘とは離れた部分での特別が、彼らの成長を速め、この若さで極限まで極めることが出来たのだ。だからこその互角。互角であり続けることの凄まじさは、極めんとする者にしか伝わらないだろう。
揺らがず限界を出し続ける。そもそも限界まで、十割の世界に達している者がほとんどいないのだ。練達の戦士であっても、届かぬ領域。そこで安定して戦っているという非凡なる精神力。あまりにも、特別な光景であった。
「しかし、世界は愛せなかった! 貴方と違って私はこの世界が、貴方の救ってきた多くが、救われるほどの価値があったとは思えない! いわんや此処から先、貴方が往かんとする道、貴方を犠牲にして愚かで、醜く、浅ましい生き物を救うことに、私は理を見出せない! 貴方は、貴方たち二人こそが、救われるべきだッ!」
オルフェの叫びは全ての虚飾を捨て去った飾り無き言葉。
「俺は、君が思うほど特別な人間じゃないよ」
「それは、私が決めること! 約束です。私が勝てば、貴方は道を諦める、と。あの時そう言った。その言葉に、偽りはありませんね?」
「……そうだね。止められたなら、俺はそこまでの人間だったと諦めるよ」
その約定があったから、オルフェは予選での足止めを買って出たのだ。諦めさせる、その言質を引き出すために。勝てば、手に入る。二人の幸せが。それを聞きながら生きる、自らの幸せが。
その美しい『景色』を有象無象如きのせいで失ってたまるか。
「よろしい。では、私は修羅と成りましょう。貴方に嫌われてでも、私は私のために、貴方たちには幸せに生きてもらう。世界が滅びようと知ったことか! くそったれの有象無象、汚い生き物になど興味はない! 私には貴方たちだけでイイ!」
「君は、狂っているね」
「違いますよ。世界が、狂っているのです」
美しくない世界が間違っている。その思いは、おそらく二人とも同じ。ただ、それに対する対処法が違っただけ。片方は世界を変えて美しくしたいと願い。もう片方は美しいモノを世界から隔絶し、美しい者だけを残すと決めた。
「ウ、ガ、ガァァァァァアアアアアアアアアアアアギィィィガァァアッ!」
突然の咆哮。観客たちは無論のこと、掛け声をかけていた重装歩兵たちの足も止まる。この光景を、彼らは知っていた。狂気による限界突破。足りぬ身体を、限界を超えて行使する禁断の領域。
「……オルフェ。何故、お前がそうなる? 何がお前を突き動かす?」
エィヴィング、クレスは彼の変貌に苦渋の表情を浮かべていた。その行きつく先を、彼らは知っているのだ。分不相応な力は、必ず代償が発生する。
「……何だ、あの化け物は」
白濁した眼の奥、狂気を湛えた怪物が、今姿を現した。
彼は、オルフェは世界の映し鏡。優しく純粋で、繊細だからこそ、この世界の暗部が許せなかった。彼は神が与えたギフトのせいで逃げる場所すらなく、その彼が揺り籠を求めて狂気に奔るのを、いったい誰が否定できようか。
「個の極致。未来を切り捨ててでも、手にしたいモノがあるというのか」
龍造寺・国綱はぽつりとつぶやいた。
「……来るぞッ!」
その動きに、反応できたのは会場でヴォルフだけ。
狂気の怪物が、動き出す。
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