オリュンピア:たった一つの航海
最初の印象はアテナと同じようにひ弱で胡散臭い商人もどき。
カモのふりをさせた商船、そこに乗り込んでいた用心棒と共に戦う男。コルセアの部下を船ごと奪い、その足でリューリクやコルセアのいる隠れ家まで現れた青年。海賊相手に取引などあまりにも馬鹿げておった。
わしは隠れ家に招き、隙を見て襲ったが――
「手荒な真似をしてごめんね。君はとても綺麗だ。俺は君を傷つけたくない。素直に案内してくれると嬉しいんだけど、どうかな?」
わしにふざけたことをのたまいながら、取り押さえておる手は一切の緩みも無い。逆に人質の一人として加えられたのは無様じゃった。船長である自らが、女だてらに荒くれモノを率いていた実績が音を立てて崩れ去る。
それも束の間じゃったが――
「なんじゃ小僧、ド派手じゃな」
「まずは力を示せ。そうでもしなければ、賢者リューリク殿はともかくとして、皆さんが我々を認めては頂けないでしょう? 取引は、フェアな状態から行いたいので、認めてもらうのが先決かな、と」
「何が目的じゃ?」
「では単刀直入に、海が欲しい」
「……海は誰のものでもないじゃろうがよ」
「でも、アルカディアのモノではない。そして、私のモノでも、ない。貴方たちは海賊である前に、海に生きる民だ。海を知っている。他の誰よりも、海で生きる術を、海を渡る術を、海を超える術を、知っている」
「じゃから?」
「貴方たちが欲しい」
嘘偽りなく、その軟そうな男はヴァイクを、世界中から忌み嫌われている海賊集団を欲しておった。わしはあれほどリューリク、じじいが楽しそうに話す姿を見たことがなかった。化かしあい、言葉の端々で切り結んでいる緊張感。リューリク相手にこれだけモノを言える人間は、先代も含めておらんかった。
多くの会話の果てに――
「ええじゃろう。ほんなら船、一隻くれてやる。それでわしらを納得させる何かを掴めたなら、わしらは晴れて家族じゃ。どうじゃろう?」
何かという不確かな要求か。無学なわしでも無茶だと分かる。
「わかりました。その代わり、この隠れ家を見て回ってもいいですか」
それをあっさり受ける方も馬鹿じゃが。
「頭ぁ、隠れ家にある宝を奪おうってんじゃ――」
「阿呆は黙っとれ。ええぞ、存分に使え」
リューリクの試練、あの男はそれを受けた。この隠れ家にあるモノをリューリクはすべて知っておる。宝の地図など存在しない。地図にあるものは、もうすでに取り尽しておる。ここにあるもので何か価値を生み出せ、自分たちにない視点を与えて見せろ。海王と呼ばれた男が出した試練はそういうものじゃった。
「ちなみにじじい、誰の船を与えるんじゃ?」
半ば分かった上での問い。
「お前も阿呆か? テメエの部下のケツ、テメエが拭かねえで何が長じゃ。そいつが宝の一つを見つけるまで、お前も帰ってこんでええ」
「……ボケたがじじい」
せめてもの反抗じゃったが――
「ええじゃろ。同盟を結ぶにしても、血ぃ繋がっとって損はない。わしのガキは皆出来損ないのくせに血の気は多いで生きとるのはお前だけじゃ。なら、どう転んでもお前は、その男と共に在る。同盟っちゅうんは、そういうもんじゃ」
わかり切った回答の上、さらに想像を超えてきおった。血族同盟、頭領の血族であり女である以上いつかはと覚悟しておったが、まさかこんなへなちょこ相手とは思わなんだ。
「……ちっ。いつか殺してやる」
胡散臭い男は笑顔をわしに向ける。それに舌打ちで返したのはあれも覚えておったな。未だにそれでからかわれとる。その後、海図を山ほど漁り、向かう先が決まった。たった三日で彼は多くの海図から新たな視点を見出しよった。
向かう先を聞いて、わしは顔を歪めたのを覚えとる。
「真央海の先、暗黒大陸目指してえいえいおー!」
「阿呆が。どんなとこかもしらんで。身包み剥がされ、ぶち殺されてしまいじゃ」
向かった先は暗黒大陸。並みの船乗りであればたじろぐ行程じゃったが、あいにくわしの船は精鋭揃い。烈海や他の商船の航路を避けて、目撃もされずにたどり着くなど容易いこと。
問題は――その後なのじゃが。
○
文化が違う。言葉も通じん。価値観も違う。これだけ何から何まで違えば普通付き合おうなんぞ思わんもんじゃが、この男はちごうた。いきなり上陸するなり部下も連れずに一人、人里に忍び込んだと思えば、一週間もせん内に戻ってきよった。
「なんじゃ、尻尾撒いて逃げてきたんか」
「んーん。ある程度言葉も覚えたし、この辺の風習も教えてもらったから、ちょっと河岸を変えようかな、と。動くにはもう少し情報が欲しいなあって」
「……わしをからかっとるんか?」
「……え、俺なんか変なこと言った?」
「一週間かそこらで言葉なんぞ覚えられるわけがないやろーが」
「そんなことないさ。どんな言葉にも規則性があるし、それを導き出すだけの情報を集めれば良いだけ。あとは度胸だね。ちゃんと聞いて、恥ずかしがらずに使えば何とかなるよ」
そんな馬鹿な話があるかいと思うとったが、次の街では普通に現地人と話しながらさらに語彙力を高め、その次では適当に用意した積荷を交渉しこの地の貨幣に替えよった。
その夜には集めた情報を用いて――
「方針を固めました。俺たちはアスワン・ナセル、大国エスケンデレイヤの頂点に立つ男を討ち取り、国をまるっと頂いちゃいましょう」
「……暑さで頭がやられたかよ」
いつも方針には口を挟まない黒星という男でさえ、一笑に付す発言。当然わしらも「何言うとるんじゃこの馬鹿は」と思っておったし、阿呆らしくて却下する気も起きんかった。
「確かにこの辺りは暑いですね。でも、頭はしゃっきりしているつもりです」
「ならやはり阿呆じゃったか」
「んもう、わかったよ。人望ないなあ。順を追って説明するね」
難しいことはわからんが、かみ砕いて要点を上げると――
「まず、この地方一帯、どれだけ広いのか想像も出来ぬほど広大な土地を治めるエスケンデレイヤという国が俺たちのいる場所ね。ここは強さこそ最も高い価値を持つ国だ。代々女王の番いとして国最強の男が選ばれる。血筋も何も関係なし、ただ強きモノが上に立つ。シンプルで面白い国家だ。その上でこれだけの文明ってのはなお興味深い」
エスケンデレイヤと言う国がある。強いもんが偉い。
「ならこの国の作法にのっとって、一番強い男である現国守、アスワン・ナセルを倒せば、俺が国守っていうこの国ナンバーツーに成れるって寸法なんだけど」
強いもんを倒して一番に成って偉くなる。なるほど、道理じゃ。
「おお、ええぞ。わかりやすくてええじゃ。まあ、出来るとは思えんがな」
で、信じるほどわしは子供でも馬鹿でもなかった。今なら、信じるじゃろうが。
「でかい国なんだろ? 建前はそうかもしれんが、んな簡単な話にゃならんよ」
「物は試しさ。俺たちの常識がこの国に当てはまるかどうかはわからない。とりあえず行動ってのはお金を稼ぐ一番の秘訣だよ」
この時点でこの男は知っておったのじゃろう。十年ほど前に前国守を御前試合にて討ち取り、国守と成ったアスワン・ナセルの非道を。そうでなければ此処まで大掛かりなことをしでかす必要などなかったのかもしれん。
じゃが、そう言えば――
「アスワン・ナセルはより純粋な強者の国を求めた。貿易も、耕作も、文化的な行動も、全てが不純物だと考えているらしい。強者は奪うべし。強者の国は他国から奪えばいいって論理。ずっと、無為に戦争を続けているそうだよ。国策でね。どちらにせよ、風向きを変えるなら、誰かが彼を殺さなきゃいけない。いくら異文化でも、後退する国と手を結ぶ気は、ないからね」
結局のところ、誰かがやらねばならぬことをあれがやっただけ。
何のかんのと言ってもお人好しが理屈捏ねとるだけじゃと気づいたんは大分後になってからじゃった。
『貴様に、我らの何がわかる!?』
『わからないから、話したいんだ。話の分かる世界に、変えたいんだ』
『弱者の戯言など、この国で耳を貸す者はおらん!』
『なら、耳を貸してもらおう。俺は、強いよ』
『ッ!?』
前国守の息子にして、エスケンデレイヤでも指折りの戦士であり戦士長を務めるディムヤートを倒し、仲間に加えよった。元々、御前試合を計画しておった男を倒して、そのまま計画を乗っ取る形。
意外とやることが狡いと言うか、何と言うか――
『国守アスワン・ナセル。半数の戦士長から推薦を得た。俺が、貴方を倒します』
『ディムヤァァト。随分頼りない助っ人を連れてきたものだなァ。この俺に勝てぬと理解したまではお利口だァが、よりにもよってそれが代役とは俺は哀しいぞォ』
わしは、じじい以上に怖い存在をこの時初めて知った。巨大な体躯を包む鋼の筋肉。力に満ち溢れ、全身から強さが溢れておる。じじいは内面の怖さじゃったが、こいつはただの強さだけでこの圧力。大時化の海がそこにおった。海に生きる者にとって、最悪の天災。過ぎ去ることを、祈ることしか出来ぬ絶望感。
それに匹敵する怪物。
『早まりましたねディムヤート。貴方ならいずれ、届いたかもしれないのに』
『ロゼッタ戦士長。彼は、俺より強い。だから、俺は、我々は、彼を推す!』
エスケンデレイヤの各地に散っている戦士長が一堂に会して行われる儀式、御前試合。
『ディムヤァトォ、そんなもの欲しげな眼で俺様の女を見るなァ。くっく、女を取り戻すために一縷の望みを賭けて決起する。嗚呼、泣ける話じゃないかディムヤァトくぅん。戦士としての誇りを捨て、他人に頼るいじらしさ、嫌いではないぞォ』
『まあまあ国守様。落ち着いてください。ディムヤートも落ち着こう。女王陛下もご覧になられている。母君に、恥ずかしい姿を見せるな』
『え、ええ。わかっております』
『御前試合のルールは理解しておるか、異邦人ン』
『もちろん。何でもありの殺し合い。生き延びた方が、次の国守、ですね』
『結構ゥ。是非、盛り上げようではないかァ。昨今、俺の威光を無下にする者が少なくない。ここらで一つ誰がこの国で最も強いか、示しておくのも一興であるか』
『もちろんです国守様。残り少ない国守の椅子しっかり味わっておいてください』
『ハッハ、強気だなァ。今ので、死に方が少し酷くなったぞゥ。可哀そうだが』
この時、わしは必死で逃げようと目配せしておった。こんな怪物に勝てるはずがない。わしとて多少は武芸に精通しておる。じゃからこそ、絶対に勝てんと本能が、理性が、経験が告げておったのじゃ。事実、わしの知る中で、今でも最強の敵と言えばあの男になるじゃろう。
あれに比べれば同世代の狼や獅子など可愛いモノ。
それでもあの男は、微笑みながら殺し合いをする。
何一つ通じておらんかった。工夫の欠片も無いただ一振りで完璧に受けたはずの身体が吹き飛ばされ、それほどの力差がありながら俊敏さすら旦那を上回っておった。誰も勝てん。勝てるはずがない。
『弱いなァ。脆弱が過ぎるぞォ。貧弱、惰弱、絶望的なまでに貧しい身体に、健気に工夫を積み込んでなお、この程度。実に涙ぐましいなァ』
力はもとより技すら通じず、手も足も出ない大人と子供ほどの差。
勝つ見込みなどなかった。
誰もが敗北を覚悟しておった。わしも、そうじゃった。
そして――
『――ありえん。俺はアスワン・ナセルだぞ?』
奇跡が起きた。
『因果応報だ。強いだけで全てがまかり通ると思った獣よ。お前の存在自体が、人間への、積み重ねた歴史への、冒涜と知れ』
美しい、炎。いくつもの色が混じり合い、重なり、新たな色を産む。
わしは、あの光景を形容する言葉を持たぬ。この時ばかりは、学があれば良かったと、後悔したほどじゃ。絶対、あやつには言わんが。
『俺はアスワン・ナセルだァ!』
『俺は、王だ』
上段から縦に一筋。真っ二つに裂かれた暴虐の徒は、絶叫と共に死に絶えた。
『さあ、君たちは自由だ!』
彼らの国の言葉で放った勝利宣言。集まった者たちの叫びは、胸が空いたじゃ。わしも叫んどった気もするが、覚えておらんと言って通しておる。
恥ずかしいじゃろうが。
その時のわしは知らなかったんじゃ。この、奇跡の対価が、どれほどのものなのかを。知っておったら、やはり戦わぬ道を選ばせようと躍起になったじゃろう。
「少し、休むよ」
鉄壁の笑顔が曇っていた重さを、わしは知らなかった。
○
『私が来た!』
『姫様、お待ちください!』
『うむ、戦士が戦っておるぞ。おお、あの白デブが……負けておるな、盛大に』
『ディムヤート、捕まえてください!』
『ぐ、人混みで』
『……か、肝心な時に貴方は』
群衆に紛れた少女を必死に探す二人組。そんなことは気にも留めず――
『ん、貴様には私を背に乗せる栄誉をやろう。よきにはからえ』
器用に背中をよじ登り、見ず知らずの男の肩に腰を落ち着ける少女。
「……お、おやっさん。その子、誰っすか?」
「知らん」
『おお、絶景かな。うむ、おぬし強いな。私にはわかるぞ。だが、お前たちの言葉はわからん。威光で感じよ、私の偉大さをな。そして噛み締めるがいい。私を肩に乗せる溢れんばかりの栄誉を。我、民想い』
「……まあ、こうしていれば保護者がじきに現れるだろ。目立つし」
「で、ですね」
フードを目深に被った巨躯の男が少女を肩に乗せて見学するというシュールな光景がそこにはあった。
○
疲労の極致。恐ろしいのは自分以上に動いている敵が、疲弊の色一つ見せず動き続けていること。本当に己の弱さが嫌になる。海に出ねば陸に揚がった魚と同じ、何の役にも立たない存在。幾度も窮地を経験した。その度に、助けられてきた。
(わしは、弱いな)
何か出来ることはないか、ずっと考えて、でも馬鹿だから何も浮かばなかった。
「わしはッ」
無尽蔵の体力、超人的な機動力、体格差があるにもかかわらず押し負ける単純な力の差。初めから勝てる要素などなかった。そして自分には、アテナのように何かを与えることも出来ない。陸では、何も出来ないまま、また負ける。
打ち上げられた魚と同じよう無様に――
「わしはァ」
足掻くだけ。振るう剣に力はなく支える足腰はもはや土台として用をなさない。
「わ、しは、諦めん」
それでも、足掻く。
「わしは、隣に、立つ、んじゃ」
ミラは、眼以外の全てが死に体の少女を見た。最初の印象よりもずっと一途で、ずっと純粋で、単純に好いた人間の役に立ちたいと願う少女。ただ、力が足りず、自らのテリトリー外では足掻き方すら分からない。
一見、無様に映るだろう。
(……ったく、せめて見た目通りのゴリラ女だったら)
いくらでも苛められたのに――あまりにも真っ直ぐで、こうしているのも居た堪れない。血族同盟などただの切っ掛け、本当に、何故あの男の周りには無駄に可愛らしい女の子が集まるのであろうか。
あんなにも、弱くて、か細く、繊細な男を。
ミラは、そのか弱い男をちらりと見る。こんなに離れて、時間が経ってもアイコンタクトと言うモノは成立するもので、それもまた余計に腹立たしかった。
(何が勘弁してくれよ、だ。まあいっか一応合格。根性あるし。よくわかんないけどヴァイクの御姫様なんでしょ? 着飾れば、まあそこそこかな? 美人だけど、全体的にでかいしごついんだよねえ。ま、そんなの私の知ったこっちゃないか)
コルセアの視界からミラが消えた。背後に回り込んだミラが手刀で一閃。疲労の極致から背中を押す形でコルセアの意識を完全にトバした。
「はい、終わり」
あっさりと勝負を決め「さっさとやれよ!」「かわいそうだろ!」という残酷な罵声を背中に受けながら、自分よりもごつい少女を背にミラは退場していく。
「こちらで運ぶが?」
「いらない。これの飼い主に用があるし」
主審であるアンゼルムの提案を遮ってミラは気を失ったコルセアを運ぶ。この荷物引き渡しの段階でガツンと言ってやるのだ。この色ボケ野郎、と。
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