オリュンピア:天才と狂人の差

 あっさりと敵を下したパロミデス。仕上がり充分、気合上々。ゼノとの戦いを経てさらに磨きがかかった剣の破壊力は大会屈指であろう。

「よーし! アルカディア勢まず一勝!」

「いえーい!」

 レオニーとイーリスがハイタッチする。色々あるがとりあえず脇に置き、友達の応援に勤しむことにしたイーリスもまた成長していた。昔であればまたひきこもるところであったのだが――ニコラもそれを汲んで平静に務める。

「申し訳ございません。どーせ僕は負けましたよ」

「パロム様は気にしなくて良いのです。あんな年増のおばさんなんて好きに言わせておけば」

「……ケッ、恋人連れたぁませてんね今のガキは」

「あら、貴族の淑女が二十代にもなって恋人の一人もいないなんて、ねえ」

「ムキー!」

 地団太を踏むレオニーをイーリスとオティーリアが抑え込む。

「賑やかだね。俺たちも同席させてもらって良いかな。何処も混んでてさ」

 突如現れたアルフレッド。本戦からは仮面を脱いだはずだが、変装用なのだろうまたも仮面をつけての登場である。そして、まるでいつも通りと言わんばかりに彼女たちの近くで腰掛ける。

 席を確保していた他のアルカディア選手たちは少したじろいだ。

「どういう風の吹き回し?」

「祖国のみんなと応援したいと思うのはいけないかいニコラ?」

「へえ、祖国って認識はあったんだ」

「もちろん。俺は誰よりもアルカディアを愛しているよ」

「嘘っぽい。あと、その俺っての似合わないわよ」

「良く言われる」

 昔に戻ったかのようなやり取り。だからこそ、ニコラは彼我の距離感に気づいてしまう。彼の眼はとても優しく、昔のように朗らかに微笑んでいる。仮面の下からでもわかる。彼は、昔の自分を演じているのだ。彼女たちが警戒しないように。

「お連れさんはいないのかよ、アルフレッド、殿下で良いんだよな」

「殿下は要らないよ。連れと言うのはコルセアのこと? 彼女ならもうすぐ出番だから。まあ、ミラの次だから、勝ち上がるのは難しそうだけど」

「私は王の次でした」

「アテナに負けたらどうしよう」

「負けましょうか?」

「冗談だよ。全力じゃないと怒るからね」

「……承知しております」

 アルカディア勢は隣に座るアテナが身震いするのをしっかりと見ていた。アルフレッドが怒る場面など想像もつかないが、彼女はきっと過去に怒られた経験があり、それが元で反射的に震えたのだと見て取れる。

「そういえばさ、その子も可愛いよね」

「アテナも女の子だからね。仲良くしてあげてよ、レオニー」

 しっかりと名前を憶えてもらっていたことに満更でもないレオニー。すっかりアルフレッドのペースである。ただ一人、口を開かない少女を除いては――

「どの面を下げてそこに座る、アルフレッド」

「何か気に障ることを言ったかな、パロミデス」

 試合を終えて戻ってきたパロミデス。その視線はかなり険しいものであった。

「何故戻ってこなかった?」

「やるべきことがあったから」

「……何故戻ってきた?」

「やるべきことが終わったから。つまらない質問だねパロミデス。何を焦っているのかは知らないけど、準備した以上の力は出ないよ」

「何が言いたい?」

「……最善を尽くさない者に勝利は微笑まないってことさ」

「俺は強くなったぞ!」

「でも、俺には届かない」

「いつまで格上のつもりだ」

「……君は俺ばかり見ているね。俺がいなかった時はイーリスばかり見ていたんじゃないかい? 一途なのは美徳だけど、それじゃあ勝ち抜けないよ」

「貴様ッ!」

「兄上!」

 歯を食いしばり、今にも飛び掛かりそうな兄を止めるパロム。

「綺麗なモノに目を奪われるのは良い。俺も綺麗なモノは好きだからね。でも、それで大事なモノをこぼすなら、お前はその程度だ」

 アルフレッドの言葉、あまりにも冷たく、怜悧な一言にパロミデスの怒りすら押し潰される。殺意にも似た雰囲気を漂わせながら、アルフレッドの眼はパロミデスを一瞥もせず闘技場の中心を見つめていた。

「失望させるなよパロミデス。力が無くて泣くのは、お前だけとは限らない」

 地味な一戦であった。取るに足らない勝負。しかし、どこにでも羊の皮を被った者はいるのだ。誰もが兎相手に全力を尽くすとは限らない。今の一戦もそう。

「……俺は、積み重ねてきた。貴様よりもだ!」

「だったら示せばいい。俺に勝って、ゼナ、ミラ、リオネル、フェンリスに勝って、頂点に立って証明しろ。実績も無く騒ぎ立てても無意味だろうに」

「何でそんな冷たいことばかり言うの!?」

 ずっと黙っていたイーリスが口を開く。

 それを見ても、アルフレッドの眼に揺らぎは――

「期待しているから。往くぞアテナ。まだ、彼らとは敵同士、敵でなくなったら会いにこよう」

「承知」

 ない。

「俺は必ずお前と戦う。そして、イーリスを泣かせたお前に勝つ!」

「……本当に、真っ直ぐだな君は。だからこそ残念だ――」

 アルフレッドは最後にもう一度、会場の方を見た。絡み合うはずのない視線。だが、確かに視られている。この距離で、この騒音の中で――

「俺と君が戦うことは、ない」

 哀しいが、断言できる。

 どんな想いを背負おうとも、勝者は常に一人なのだから。


     ○


「ゼナ・シド・カンペアドール強し! 槍のネーデルクスを一蹴したァ!」

 会場全体がゼナコールに沸く中、彼女は物足りなさを感じていた。それなりに技のある相手だからこそ、技術の粗が目に入り、身体能力では性差と言う言葉が空しくなるほどに差があった。これでは勝負にならない。

 せめてどちらかは上を行ってもらわねば――

「……おっ、ミラちゃん!」

「げぇ、うざいのきた」

「ねえねえ、勝負しようよぉ」

「あんた頭の栄養全部胸に行ったんじゃない? これから、私が、試合なの」

「そうなの!? じゃあ次戦えるんだ!」

「表も見えないの? 本気でエスタードって国の未来が心配になってきた。私とあんたは隣り合ってるけど山違い。やり合うとしたら八強での勝負じゃね?」

「……じゃあ、待つね」

「だからあんたは……ああ、そゆこと。余裕あるじゃん」

「ゼナが端っこだから、今までの人に勝てばいいんでしょ? だから、待ってる」

 ミラは腹が立つ思いであった。馬鹿だと思っていたら、やたら色気のある雰囲気を醸し出してくる。一国の将、たまに見せるこの顔は、ミラにとって未知数の相手。どこかその眼は、アルフレッドを思い出す。

 ミラが可愛がっていた頃ではなく、今のあいつに。

「じゃ、待ってな。すぐにぶっ倒してやる」

「えへへ。楽しみだなあ」

「私に負けるのが?」

「んーん、勝つのが」

 ゼナの返しを鼻で笑って、ミラは舞台へ向かう。相手が誰であろうと関係ない。邪魔者はすべて排除する。そして、大舞台でアルフレッドを倒して思い出させてやるのだ。誰が上で誰が下か、を。

 守るのは常にミラで、アルフレッドは守られる方なのだと。

 アルカディアのミラ。姓は後付けできたそうだが、母親が身分を持たなかったことで姓を持てなかったため、家族としての姓はない。そして家族としての姓でないなら必要ないとミラもカイルも持たなかった。

 姓がないのも自分らしさ。

「奴隷出身か?」

「この場に不釣り合いであろうが」

「アルカディアは何を考えている?」

 色んな声が聞こえるもすべてシャットアウト。それらは全て、力で黙らせればいい。いつものことである。世の中、力で押し通せばまかり通るもの。

「――マーシア、カレヴァ・エクロース、前へ」

 ミラの前に現れたのはひょろ長い痩身の男であった。鎌使い、草を刈るために使っていたのか無骨な造りであるが、妙な匂いが零れていた。

「あんた、くっさいよ」

「あ、ああ、神よ、お許しください。此度は贄を捧げることが出来ないのです。ええ、最も、許し難き、あの男を送るために。そう、そう、そう!」

 身体をくねくねさせ、生理的嫌悪感を催す動きを重ねる男。

「……キモ」

 さっさと終わらせようとミラは剣を構える。

「……始め!」

 一足飛びに距離を詰め、即座に勝負を決める一撃を放つ。

「くひ」

 勝利を確信したミラであったが――


     ○


「カレヴァ・エクロース。マーシア出身、騎士の家系で、それなりに優秀であったと。ただ、家族は謎の死を遂げ、彼もまた行方不明です」

「だろうね。まったく、変質者の執念は恐ろしいな」

「あー、あれかぁ。ネーデルクスであんたが倒した怪人。百の貌を持つ男ってのは通称だったか」

 黒星は得心がいった様子。アルフレッドは珍しく笑顔に曇りがあった。

「彼だけの技術で人の貌を保存し、それを用いて悪事をなす怪物。あの技術は欲しいが、彼に道理を説くのは不可能だろう。振り切ってしまったからね」

 アルフレッドすら匙を投げた。世界から見れば小悪党だが、その目立たなさを含めて危険度はかなり高い。国家すら認識していない化け物。足取りを掴めたのはたまたまで、自分たちだけでは捕捉すら出来なかった。

「人面収集家フェランテ。どうやら狙いは、お前さんのようだぜ王サマ」

「みたいだね」

 アルフレッドは苦笑する。自分はよくよく変人に縁がある。それが悪人善人問わずと言うのが悩みの種であるが。

「まあでも、問題ないよ」

 アルフレッドは大きく息を吸って――


     ○


 ミラはカレヴァと名乗る男と交錯した後、距離を取って顎をさする。刃引きしてあるはずの鎌、触れた場所が薄くめくるような傷になっている。

「くひ、今のをかわすのかァ」

「……ちっ、気持ち悪いに加えて無駄に腕も立つ、最悪過ぎて笑えてきたっての」

 常人には何が起こったのか分からなかっただろうが、実力者たちはカレヴァと言う男の実力とそれを直前で回避したミラの実力を正確に見抜いていた。この攻防に関して言えば互角。機転を利かせたミラか、邪悪な手の内を隠すカレヴァか――

「お、おやっさんキレ過ぎだって!」

「あの野郎、殺してやる!」

 客席で一人の大男が暴走しかけているが――それは横に置いておく。

「フェランテ!」

 よく通る声で、空間を満たすような声量での発言。舞台にいる二人の耳にも届く。双方とも良く知る人物。片や幼馴染、片や自らの使命を邪魔した憎き敵。

「ア、あああ、アレク、シスゥ!」

「……あんた、あいつと知り合いなの?」

「知り合いィィィイイ? ふざ、ふざけるな! あいつは、俺の芸術を破壊した。折角、完成しそうだったんだ。神にささげる人生最大最高の傑作が。それを、あいつめ、ゆる、ゆるせん。いつか必ず、顔を剥いで、漬けて、俺の、貌にしてやる」

「……ふーん。別にさ、あの恩知らずでクソ生意気なアル君がどうなろうと知ったこっちゃないんだけど。まあ乗り掛かった舟だし? 仕方ないから――」

 ミラは先ほどまで浮かべていた嫌悪感たっぷりの表情を捨てる。変わりに浮かべるは集中。ムラっ気の多い彼女であったが、どうやら実力を出す準備が整ったようであった。

「潰してあげる」

「ッ!?」

 カレヴァの皮を被るフェランテは驚愕する。ギリギリ、目視できるギリギリの世界で少女が動き出したのだ。咄嗟に反撃するも、あっさりとミラにかわされる。ただ、それはあくまで計算の内。様々な方法で皮を剥いできた彼の経験値は、戦場で殺しを重ねた戦士と同等のモノを得ていた。ゆえに、練達の戦士が如く、誘いの一撃からの必殺という得意パターンを彼は持っていた。

「ハン、ウケる」

 だが、その必殺パターンはミラのありえない動きで潰された。速いのはわかった。それを理解した上での必殺。それを、常軌を逸した柔軟な動きでかわし、そこからさらに加速するなどフェランテにとって想像の埒外。

 幾度攻撃を重ねても、打ち合うことなく、受けることもせず、ただ速さと柔軟性でかわし続ける。人間の動きと言うよりもネコの動き。

「ば、馬鹿な」

 男が限界を超えてなお――

 ミラは横薙ぎの一撃をスウェーでかわし、上体を後ろに倒した体勢から、くるりと倒立して立ち戻る。

「凡人のリアクションありがと」

 フェランテとてそれなりの修羅場は超えてきた。当時のアルフレッドが仕留めきれなかったほどの手練れであり、狂人であると同時に知恵者でもある。その彼が勝てないと悟った。少なくとも表舞台では、ミラに勝てる要素がないと判断した。

「心折れてんじゃん、変態。仕方ないから、動かないであげる。力比べで勝負つけよっか」

「……なな、な、なめられたもの、だな。後悔、するなよ」

 フェランテは心の中で、必ずこの女の貌も剥いでやると心に決めていた。

「細い腕だから、弱いと思っているだろう?」

 力比べなら負けない。相手は女、素早い相手でも男である自分の力ならば――

「女だから、弱いと思ったでしょ?」

 力ならば――

「残念でした。ミラ様は完全無欠なのでーす」

 鍔迫り合い、押された状態から、あっさりと押し返して、そのまま力で押し潰していく。長い背丈が曲がり、背骨ごとぐにゃりと縮んで、それでもミラは圧すのをやめない。

「どうでも良いけどさ。あいつ、私の獲物だから。取ったら、殺す」

 そのまま押し切り、屈辱の青天。得物を手放し、転がるように倒れ込んだ。

 そこにミラの剣が眼前に向けられていた。

 これは、警告であると。

「勝負あり!」

 アルカディアの秘密兵器がベールを脱いだ瞬間。会場はダークホースの登場に揺れていた。アルカディアのミラ、実力者であればあるほど、この一戦で名前を覚えた者は多いだろう。フェランテは強い。そして技も豊富で機転も利くタイプ。

 それがパワーとスピードだけで完封されたのだから、凄まじいの一言。

「失せな変態」

 威風堂々と退場していくミラの背中をフェランテはよどんだ瞳で見つめていた。


     ○


「黒星、仕留められるかい?」

「別に良いけど、珍しいな。お前さんが真っ当な暗殺を頼むなんて」

「暗殺に真っ当もクソも無いと思うけど。とにかく、よろしく頼むよ」

「はいよ」

 アルフレッドの協力者、黒星が動き出す。


     ○


 その黒星が見たモノは――

「う、わぁ」

 怒髪天を衝く巨人が膨大な殺気を一点に集中。フェランテの首を捻り潰しかけた状態で罵詈雑言をぶちまけているというおぞましい光景であった。

 フェランテは正気を失いながら失禁。ついでに口から泡を吹いている。

「――うちの娘に近づいてみろ。この首捻り潰して全身引き裂いてやる!」

 巨躯の男に投げ捨てられたフェランテであったものは、魂が抜けたかのように身体中の穴と言う穴から汁が垂れ、生気を失っていた。

「憤ッ!」

 どすどすと歩き去る男を見て、黒星もまた「世の中何処に罠があるかわからんもんだなあ」と静かにその場を去った。その後、フェランテと言う男が何か事件を起こしたという記録は残っていない。

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