オリュンピア:颯爽登場
この世界は物語で満ちている。悲劇、喜劇、不条理な物語もあれば、美しく合理的な物語もある。誰もがその中では苦労をしているし、誰もがその中では主人公であり、物語同士で干渉しあい、世界は出来ているのだ。
誰もが主役で、誰もが脇役。
ここは、シュバルツバルト。黒き森の中枢にして、知識の杜。遥か太古の昔より存在する領域であり、かつて存在した天蓋王宮ウラノスはこの地の機能を模して造られた魔術である。ここには過去、全てが記録されており閲覧することが出来る。
かつての父がウラノスで得た知識を僕はこの地で得た。
流体演算装置。起動するとスフィアと呼ばれる領域が展開し、検索をかけるとあらゆる情報を映し出してくれる。ただし、
「シュバルツバルト。シン・プロメテウスで検索」
『該当なし』
「やっぱり駄目か」
情報には制限がかかっており、夢で見た神の情報は一切開示されない。彼らを滅ぼした未曽有の危機についても秘匿されたままである。
「魔術式ニュクス、人柱、亡霊」
『該当データ零件』
「亡霊を入れた途端、これか」
僕はこれまでシュバルツバルトで多くを調べてきた。秘匿されている情報は『該当なし』、存在しない情報は『該当データ零件』と判別できるよう設計されていた。これに関しては管理者である男がため息をついて「開発者のユーモアだよ。気づいた時には弄れる人間は誰もいなくなってから」と語っていた。
シュバルツバルトの構造を知り、必要な情報はあらかた収集し終えた。本当なら全て知りたいところだけど、それをやると一生あっても時間は足りないし、もう少しで時間切れである以上、本当に必要な情報だけを得た。
この地が失われることはないが、出れば二度と立ち入ることは出来ないだろう。守り手を欠いたこの地は次のフェーズに移行する、と管理者は語った。次があるとは考えない。別の人間が辿り着く可能性も考慮から外す。
ここ百年でこの地に招かれたのはシド・カンペアドールとアルフレッド・『レイ』・アルカディアのみ。もはや強さで到達できる場所ではなくなり、本当に必要となるまでは姿をくらますのだと言う。
『やあ、精が出るね。身体の調子はどうだい?』
「寝起きは重いですね。残念ながら、どれだけ休もうともこれ以上『抜ける』ことはなさそうです。無理をし過ぎました、色々と」
『そりゃあそうさ。君の旅は知られていない方が激しかった。海賊編は派手な大立ち回り、暗黒大陸編は死闘の連続、最後は世界を変えた。そして我がシュバルツバルトで君はレイに相応しく魔を断って見せたわけだ。常人なら一つとして渡れた橋はない。それを三度渡ってみせた。大したものだよ。どんな英雄も同じことは出来なかっただろう。君よりも強くとも演者には不可能だ。ライターでなければね』
「褒め過ぎですよ、シュバルツバルト」
『全部知っている僕だからこそ褒め称えてあげるのさ。いや、全部は知らないか。シンを知っている理由を僕は観測出来ていないからね』
「内緒です。あれをシュバルツバルトが認識できなかった。その情報がこの地で俺が得るべき最後の情報ですから。今の世界には無意味でも、何故かな、いつか、それが意味を成す気がくると思いました。神の眼をも逃れる現象を」
『最後、か。末恐ろしいね。この短期間で膨大な情報を飲み込んだわけだ』
「必要な情報だけですよ。それも貴方たちが与えて良いと判断している情報だけ。俺たちはまだまだ神の掌の上です。それが、不愉快でね」
『極上の笑みで喧嘩売らないでよ。僕は所詮管理者、神じゃない』
「俺たちからすれば同じですよ。まだ、ね」
此処での情報収集も限界。そろそろ最後の奇跡を成しに征く時。
「そろそろお暇致します」
『そうか。気を付けてね。君はすでに分不相応な奇跡を二度起こしている。三度目に君の器が耐え得るかは分からないし、崩壊すればすべてが水泡だ。今の時点で充分資格は得ている。もう無理をする必要はないと思うけど?』
「最善を最短で駆け抜けると決めています」
『薄氷でも?』
「勝てる目算があるのなら。あとは逆算するのみ。今まで通りに」
『大した道化だよ。君はまるで白鳥だね』
「其処に関しては珍しく親子で似ているところですね。要は格好つけの血筋です。まあ、俺は父ほど優しくないので代わりがいるならばいつでも引っ込みますよ。俺以上の適役がいないから、仕方なく羊飼いの役割をこなすに過ぎません」
『誰だってそうさ。頂点は冷たくて、寂しいモノだから』
「そうですね。難儀な世界です。でも、何事にもそうしなきゃいけない理由ってのがある。ついぞ俺はそれを知ることが出来なかったけれど、それでもそういう『いつか』があるのなら、やはり乗り越えていかなきゃいけないんです」
『そのための人柱こそが王』
「ええ。俺はそれに成る。そしてまた次も、そのまた次も、そう在るように世界を調律する。それが本当の頂点の役割だから。いつか世界が複雑化して、王という名が消えたとしても、柱が無ければ人は獣に堕ちるだけ」
僕は父ほど純粋に人を信じることは出来ない。美しい人はいる。だが、美しくない人の方が多いのが現状。必要なのは美しい人を活かす道。
彼らに力を与える仕組みを作れるのは自分だけ。
父にはもう時間が無いから。
「もう、夢を見ることはない」
あの日、二つの何かが相殺した日に、アレクシスの足跡を見る夢は終わった。彼はかの地で失い、力を得て聖地にて栄光を掴み、三人の夢の先にて果てた。
夢は尊い。理想は気高い。それを掲げられぬ王は王にあらず。されど、それに飲まれる王もまた王にあらず。王とは理想を掲げながら現実を直視し選択できる者のことを指す。胸を張って、さもそれが正しかったと民に思わせる。
のちの世で断罪されようとも。
「やるべきことをやるだけです。俺のやり方で」
二人ぼっちでも多くの悲劇と喜劇を見た。彼女は夢のために一早く聖地に向かった。今頃きっと、果てしなく辛い道を歩んでいるはず。多くの死に触れ、たまに生を生み、また死に触れる仕事。救いが無い。それでも彼女はその道を選んだ。
僕はそのことを誇りに思う。そんな姿が美しいと思う。彼女はとても美しい。頭の先から指の先まで、いつだって真っ直ぐなのだ。純粋で、曇りがない。
だから、僕は彼女が好きなのだと思う。
ゆえに、僕と彼女が手を繋いで歩む道はない。
「調子はほどほど、天気は最高。うん、旅立つには絶好じゃないか」
傷は癒えた。頃合いも良いだろう。
やるべきことが待っている。遥か太古より聖地とされていた場所で、俺は最後の奇跡を為さねばならない。奇跡を為さねば人は己の背中に夢を見ないだろう。容易く、涼やかに、笑みを浮かべながら、偉業を成してこその王。
真の頂点。
『アルフレッド君、君の道行きに光があらんことを』
「ありがとうシュバルツバルト。君のおかげで、俺はまた歩むことが出来る」
『魔族の雛型、いくら今の世界に調整されているとはいえ、よくぞその身体で倒したものだよ。あらゆる道具を用いて戦い、最後は一瞬の奇跡にて打破してみせた。一瞬であっても満身創痍。放っておけば死んでそうだったね。あれ、もしかすると見捨てた方が君にとっては良かったのかな?』
「ほっとしたかもしれませんが、でも、死んだ後に後悔しそうなので」
『だね。この杜にも死後の世界の記録はない。意識が連なるのか、断絶するのか、何もわからない。だから安心したまえ。存分にやりつくせばいい。先は、誰にもわからないのだから。さあ、王の旅立ちだ』
「いつか会いましょう。彼岸の、彼方にて」
『ああ、悲願の彼方で会おう』
さあ、旅立ちだ。これから先、ずっと独りぼっちの戦い。誰かと肩を並べてはならない。それは頂点ではないのだから。王は一人、船頭多くして船山に登るを避けるためにも、決定する者は一人であるべき。正しく導くための生涯。
もう二度と僕は私欲を満たすことはないだろう。それは、思い出の中で良い。
北方での日々、この旅だってそうだ。充分幸せは享受した。
あとは世界に返そう。
「さーて、まずは一つ、奇跡を成そうか」
一人の青年が黒き森から旅立った。多くの出会い、多くの別れ、幾度も繰り返し、少年は青年へと成長し、始まりの奇跡を成しに、エル・トゥーレに向かう。
王への道を切り開くために――アルフレッド・レイ・アルカディアが旅立つ。
○
ローレンシアの要、集合都市エル・トゥーレ。加盟国が共同で運営するその国家は、様々な思惑が絡み合いながらも中立中庸を保ち続けている。
全員参加型ゆえの決定の遅延は今後の課題であるが、大掛かりゆえに各国が優秀な人材を送り込んだことで、特に大きな問題もなく、現状は共和制集合体として成功例であると言える。
そのエル・トゥーレで、世界最大の催し物が開催されようとしていた。
各国、三十代未満の若き才を集めた祭典、オリュンピア。
「なんつーか、すげえ熱気だなおい」
「普段のエル・トゥーレではない。外縁部にまで人が押し寄せている様は、異様としか言えん」
「かたっ苦しいんだって。だから私に負けてばっかなのよ」
「……この前、勝ったぞ」
「十回に一回くらいでしょーが。私だって油断くらいあんのよ!」
世界の両翼、アルカディア王国からは――若き俊英であるパロミデス、ランベルトを筆頭に多くの参加者が馬車で行列を作っていた。その中でひときわ巨大な馬車には仲良し同世代がひとかたまりになっていた。
「選手の皆はピリピリしてますね」
「仕方ないでしょー。国の威信を背負って戦うんだから。頑張ってもらわなくちゃ。私たちも応援頑張ろう!」
「ニコラは算盤弾いて何やってるの?」
「オリュンピアの経済効果を算出中。暇だから」
「……あんた本気で興味ないのね」
「剣なんて振り回して、馬鹿みたい」
親が大貴族かつ浪費家のレオニーが用意した豪奢かつ巨大な馬車。まさに今のアルカディアの勢いを表している。ニコラに言わせると「下品」だそうだが、彼女はそれも分かった上で「お家のカラーですの」とあっけらかんとした返答。意外と仲が良い二人である。
「しっかし、たまーに空を眺めている小汚いやつって何なんだ?」
「……ランベルトさん、さすがにそれは」
パロミデスの弟であるパロムも今回の選手の一人。
「信徒の生き残りだ。聖ローレンスが滅びた日に死ねなかった、生ける亡霊」
馬車の中の空気がよどむ。
「って、ってかさ、さっきから馬車動いてないよね。前、何かあったのかなー」
レオニー決死の切り込みに「ほんとだね」と親友オティーリアが乗っかる。
「私全然興味なし。つーか腹減ったんだけど」
「この子は……ほんとにもー」
レオニーの気遣いもどこ吹く風。ミラは小窓からエル・トゥーレの景色を眺めていた。彼女たちの目には映らぬ景色が、こんな新興の地にも存在している。人が生きている以上、光があれば闇もある。仕方がないけれど、これが現実なのだ。
「……騒ぎになっているな」
「おう、剣を抜いたぜ。そんな雰囲気だ」
「雑魚じゃん」
パロムは戦慄する。この三人はやはり抜けているのだ。折角の機会、自らの腕を試してみたいと思い参加したが、この三人には勝てる気がしない。ギュンターの剣とオスヴァルトの剣を融合させた重なる剣、パロミデス。家からは半分放逐された身になってでもクロードと言う新たな風を取り込み、成長著しいランベルト。
そして最後の一人は――
「……え」
一陣の風が吹く。
外を眺めていたミラだけが見ていた。澄み渡る空の下、まるで閃光のように人垣を疾走する影を。背格好はまるで違うけれど、走る姿は、いつか見たあの日の――
「どうしたの?」
ニコラが、覗き見るような眼でミラを見つめる。
「何、でもない。見間違い」
そんな奇跡があるはずない。わかっているのに、ミラは此処に来た。イーリスも、ニコラも同じ理由。剣での語らいに興味はないけれど、もしそこに彼が現れるのであれば、行かない理由などないのだ。
もう、ずっと昔に別たれた幼馴染の影がつかめると信じて。
○
「四方からやってくると、まあこうなるわな」
どの集団よりも速くやってきたヴァルホール王国代表団。先頭に立つのは第一王子であり優勝候補として噂されているフェンリス・ガンク・ストライダー。その隣には陸軍を統括するスコール・グレイプニールがやる気なさそうにただでさえ細い眼を細めていた。たぶん立ちながら寝ている。逆方向には海軍を取りまとめる将帥、ハティ・マグヌスがきっちりと直立不動を貫いており、何とも見た目が相反して醜い両翼であった。
「へえ、面白そうなのがいるじゃねえか」
フェンリスの眼には多くの踏み台が映っていた。自らを彩る凡人から半歩踏み出た者たち。天才は我一人、それ以外は凡夫であると持論を展開している彼であったが、目の前に広がる豪奢な景色には多少思うところがあった。
「ゼナちゃん到ー着!」
ゼノとキケが止めようと必死に食い下がっていたが、結局突出するゼナを止めることが出来ず、単身会場に乗り込んできた若きカンペアドール。その眼光は、狼の血統に注がれていた。
獲物を視る眼、フェンリスは不愉快げに頬をぴくりとさせる。
「おっ、眼がすっごい細い人がいる!」
「遠目でも、噂されてんのはわかるもんだなあ」
エスタードとヴァルホールが睨み合う中――
「三下どもが、一等国気取りか?」
次に現れたのは超大国、ガリアス。その先頭には狼の血を刺激する男がいた。黒みがかった銀の髪をオールバックにまとめ、きっちりとした身なりの中に詰め込まれた圧倒的戦力、視ずともわかる。
ただそこに存在するだけで、彼は暴力なのだから。
「俺たちがガリアスだ。頭がたけえよ虫けらァ!」
リオネル・ジラルデ。超大国ガリアスから、唯一参加を許された代表選手。本物一人で充分、後ろで高笑いするリディアーヌの言葉である。
「……他にも、眠たそうなのがもう一人」
リュートの調律に余念がない盲目の男は一顧だにもしない。
「ちらほらいるなぁ、強そうなの」
「貴方が勝てる相手なら問題ありません」
「ひでえなハティ。一応俺も代表だよ」
「賑やかし役でしょう」
「ただの随伴が生意気を」
「お目付け役と言ってもらいたいですね」
他にも会場にはいつ到着したのかもわからない、どこの所属かも不明の戦士たちが集っていた。柱の陰に浮かぶ黒衣の男も尋常ならざる闘志を発しながら待つ。
そう、彼らは、待っていたのだ。
「全員、狙いはうちの大将じゃねえな、こりゃ」
「なるほど。草の根活動ですね。負けてますよ、フェンリス殿下」
たった一人の敵を。
彼らは待っていた。教えられた敗北という文字を倍にして返すため――
「……はっは、全員ぶっ殺す」
狼の子は苛立ちを隠そうともせず、未だ現れぬ男も含めて全員蹂躙することを誓った。
○
「――我らが栄光あるネーデルクス代表団の道を汚した罪、万死に値する!」
ネーデルクスの代表団を先導する一人の騎士が剣を抜いた。その剣の先には、小さな少年と少女、浅黒いを通り越して、その肌の色はローレンシアのものではない。それもまた彼らの加虐心に火をつけたのだろう。
弱きモノを、虐げる者を見つけた時、人は昂る。
この醜さもまた人。
「妹は体調が悪くて、倒れただけなんだ! 邪魔する気なんて」
「この晴れの日に、貴様ら小汚いガキが存在するだけで問題だと、何故わからん!」
「そ、そんな。騎士様、せめて、妹は、痛いのは俺だけに」
「安心せよ、痛みなど、一瞬だ!」
強さを振るいたくなるのも人。
振り下ろされた理不尽なる断罪。救いなどない。少年はこうして理不尽に殺されてきた同じ立場の者たちを見てきたのだ。観衆の喝采を見よ、自分たちは同じ人ですらないのだ。奴隷以下の存在、身分を持たぬ見えざる者。救いなど、信じるにはあまりに多くを奪われ過ぎた。同じ立場の者たちは、一様に目を伏せる。
「失敬。素振りは人のいない場所でやるべきだ騎士殿。危うく少女に当たるところだった」
それでも――
「やあ少年。ところでこの子は妹かな? 体調が悪いようだ。こんな見た目だが、多少医術の心得はある。少し診てみよう」
明けない夜はないのだと、少年はいつかの時に思い出す。
「俺で良ければ力に成ろう」
ボロボロの、継ぎ足しだらけのマントをはためかせ、ずんぐりむっくりとしたフォルムの男が現れた。目深に被ったフードの下に浮かぶ笑みだけが、少年にとっての救い。味方なのだとその笑みは語る。
背面で、マント越しに騎士の一撃を阻んでいることなど感じさせない柔らかで穏やかな雰囲気。それが少年を包み込んだ。
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