宿命の剣:選択の時、来たれり
「俺には、無理だ」
そう言った男は家から少し離れたところで畑を耕している。鍬を振るう手つきこそそれなりだが、畑を見れば彼が何の知見も無く、素人の土いじりでしかないことが見て取れた。ただ一人生き延びた老人の自己満足以外の何物でもない。
「いつまでそうしておるつもりだ?」
「死ぬまでだ、アーク殿」
「くだらぬな」
「偉大なる貴方には分かるまい。息子に出ていかれ、家族に先立たれ、友を守ることも出来ず、あげく、息子の仇を最後まで討てず仕舞い。まさにくだらぬ男だ。生きている価値が無かった。俺が全ての綻び、その始まりだったのだ」
「己惚れである。卿を気圧した者にとって『ウィリアム・リウィウス』である必要はなかった。卿がどのような選択をしようとも、別の者を喰らって成り上がってみせただろう。そのような考えは傲慢の極み、弁えよ」
アークの言葉はあまりにも冷たく、鋭かった。アルフレッドやイェレナを見る眼とは真逆。愚かなる老人を痛めつけてでも目的を果たさんとする鉄の意志。
「ならばあの剣でなくとも構うまい。英雄の時代が終わり、戦士の時代も崩れ去った。もはや剣に意味を見出す時代でもないだろう。リウィウスの役目は終わったのだ。いや、始めから意味などなかった。無意味な積み重ねだった」
「先祖代々の宿願すら無為と詰るか」
「今更剣に何ができる?」
「時代を変えることができる」
「……何を言っている? そんな時代はとうに――」
「あの子が、あの剣が、時代の頂点たる男を殺す」
ウォーレンは手を止めてアークを見つめる。ふざけている様子はない。嘘を言っている雰囲気でもない。もはや自分の真贋を見抜く眼に自信はないが、それでも男が戯言を言っている風には聞こえなかった。
「子供が、親を殺すと言うのか!?」
「でかい声を出すでない。あの子に聞かれてはそれこそ無為と化す。あの子の決断は自身によって為されねばならない。それは別の話よ」
「……ならば、白の王が、そう仕向けていると?」
「継承に迫られたならば、あの男は躊躇うまいよ。されど、無能に席を譲るほど甘やかす王でもないのだ。最後には立ちはだかるであろう。ウィリアム・リウィウスとして、卿が鍛えた剣を握り、超えるべき壁としてな」
「超えられなければ?」
「死、である。そのための代わりはすでに用意してあるのだろう。其処までの繋ぎもまた、それなりのモノを用意しておる」
ウォーレンは歯噛みする。戦いの時代は終わり、自らの剣を振るう男もまた剣を置いた。それで終わったと思っていたのだ。全ての因果は自らの無様と、覇王の栄光と共に断ち切られたと、そう思っていた。
「だが、あくまで代わりでしかない。最善手はあの子である。共に歩んだ我もまたそう思う。特別な子だ。あれほど賢しく、それでいて万人に好かれる王など五百年は出てこぬ。あ奴の治世はローレンシアにとって黄金の時代となる」
「剣で、ある必要などない! それほどの人物であれば、剣を握らずに指示を出していればいい。王なのだ、民だって無茶は言わぬ。剣はそれを握るべき人物、立場の者が握れば良い。王の器である必要などない」
アークは一呼吸を置く。そして静かに天を見上げた。
「本当にそう思うか? 民はそれほど聞き分けが良いと思うか? 我は思わぬよ。民は愚かである。物忘れが激しく、自らを顧みず際限なく求め続ける。風向き次第であちらこちらパタパタと揺れ、平気で昨日の恩人に唾を吐く」
男の眼には何一つ、温かみが浮かんでいなかった。おそらく、騎士王にとって民は愛を向ける相手ではなかったのだ。忠義厚き、信のおける騎士たちへは無限の愛を向けていた男が、剣を握らぬ民には一欠けらもそれを向けていない。
「力が要るのだ。有無を言わせぬ力が。民にとって分かりやすい力、それは賢さでも武力でもない。あ奴ら凡俗にどうしてそれが見抜けよう? 必要なのは、逸話である。伝説こそが衆愚を動かす。ゆえに、王をその手で断つ」
「……救国の英雄を殺すことが伝説と成り得るか?」
アークは凄絶な笑みを浮かべる。
「言ったであろうが。あ奴らは物忘れが激しい、と。少し痛みを与えればすぐに忘れ、上書きされる。英雄が魔王に変換される時間などさしたるものではない」
あの英雄が成した偉業を人々は容易く忘れるとこの男は言い切る。
「白の王は歴史に忌み名として刻まれると?」
「王殺しを継承方法とするならば、必ずやそうする。それが最善手だからのう。僅かな血で最初の一歩が安定するのだ。安いものである」
あまつさえ魔王と呼ばれるようになる、と。
「それを成す器はあつらえた。すでに道筋は立っておる。本当の仕上げは継承の時であるが、うむ、練習台は何とか間に合った。多くの旅を経て器は満たされつつある。あとは、剣だけなのだ。逆に問う? 今の話を聞いて、のお、ウォーレン・リウィウスよ。他の剣でもいいのか? 誰かの剣が断ち切って、それで――」
ゾクリ、アークの肌が悪寒にざわつく。
地面に向けていて貌は見えないが、それは間違いなく『復讐者』の貌をしていた。アークには見えるのだ、愛憎入り混じった貌が。
復讐を捨てる。それは容易いことではない。諦めても、長き時を経ても、それでも拭えぬ想いがこの世界にはある。しっかりと蓋をしても時折零れてしまうこともある。何よりも『道』が見えてしまえば――
『……ウィリアム』
彼の呟いた名は、果たしてどちらに向けられたものなのだろうか。
○
「……うまいな」
「俺が獲ったウサギを――」
「――私が調理しました」
「そ、そうか」
胸を張ってドヤ顔をするアルフレッドとイェレナ。ウォーレンはたじろぎながらも苦笑する。この家に自分以外がいること自体、いったい何年ぶりであろうか。孤独を辛いと思ったことは無かったが、どうにも沁みる、と老人は思う。
「その腕でよく狩りが出来たのお」
「よくぞ聞いてくれました。秘密はこれです、針!」
「投げるのか?」
ウォーレンが問う。
「ええ、投げます。刺さります。良い所に刺さると死にます」
「ナイフで良くない?」
アークが首をかしげる。
「え? 良くないですよ? だって針の方が格好いいじゃないですか」
アルフレッド、真顔の抗議。
「ナイフ投げの方が格好いいと思うぞ」
ウォーレン、実直に反応。
「へえ、随分変わっていますね。たぶん世代の違いじゃないですか?」
「そうかのお?」
「そうですよ」
「「そっかぁ」」
無理やり納得させられているが、たぶん違う。
「独特な風味だ。あまり食べたことがない刺激がする」
「各国で学んだ薬草学の集大成。英知を盛り込んだ栄養満点、健康にすこぶる良くて怪我の治りも早まる、はずのシチュー、です」
「うんまいよイェレナ。君は天才だ。毎日でも食べられるね、ぼかぁ」
「なら、毎日作る」
アーク、ウォーレン、老人組はあまりの青臭さに赤面を通り越して無に達していた。かつてこんな時代があっただろうか、と己に問いかける気力も湧かない。そもそも遠過ぎる過去、顧みれど抜けばかりが目立つ。
「そうだ。俺に剣を教えてくださいよ、ウォーレンさん」
「何故、俺に?」
「だって、集落の人が言ってましたよ。ウォーレンさんが現存する中では一番剣が上手いって。本来、レイじゃない自分よりもよっぽど良いって」
「……おしゃべりだな。まったく」
「どうです?」
「断る。俺は剣を捨てた身だ。握る気も打つ気もない」
「えー」
むう、と頬を膨らませる所作にかすれ果てた記憶の断片を見る。
何と言うこともない、日常の欠片。
「じゃあせめて見せて頂ければ」
「くどい」
「ケチー」
ふわりと踏み込んでくる距離感も、どこか息子を彷彿とさせる。
それが無性に、痛かった。
○
早朝、ウォーレンは一人ある場所へ足を向けていた。
多くの剣が突き立つ場所。凄まじい数である。そして一つ一つが素晴らしい剣であることが見て取れる。年代はまちまちであるが、どれもリウィウスの業物ばかり。武器商人が見れば垂涎モノの光景が其処にあった。
そこでウォーレンは立ち尽くす。あの日、祈りは無意味だと悟り国を出た。結局戻ってきて、祈る気にもなれず、ただ、立ち尽くすのみ。
何のために生き、何のために死ぬ。
幾度も己に問うた。未だ、答えは出てこない。
「すごいや、まるで剣のお墓だ」
「アルフレッド、くんか」
「あはは、すいません。気になっちゃいましてつい」
「あとをつけたわけ、か。手慣れたものだな」
「そんなに手慣れてませんよぉ」
ウォーレンの隣にアルフレッドが立つ。
「剣の墓、というのは近いな。確かにここは墓だ。先祖代々、リウィウスの者は此処に眠る。その際、当主、または次の当主が剣を打つ。繋いだ者への労いと、繋がった証明としてここに突き立てるのだ。己が証を」
「……初めて聞きました。俺もリウィウスだったのに」
「……外に出たリウィウスもいる。彼らの多くはこうした伝統に反発した者たちばかりだ。伝わっていないのも仕方がないかもしれない」
「ウィリアム・リウィウスの息子でも?」
「よくある名前だ」
「そうですか」
よく見れば風化し、形を保っていない剣もあった。とてつもない歴史の積み重ね、それこそ魔術時代のモノも残っているのだろう。無論、その真なる力はとうの昔に失われてしまったのであろうが。
「昨日、夢を見ました。ずんぐりした変わった形の人々と赤毛の人、それに随分とおしゃべりな人が、その割りに口が動いてなかった気がするけど、仲良く剣を打っていたんです。それがどうにも楽しそうで」
「……そうか。嗚呼、それは『いつか』の夢だ。祖父、名工と呼ばれた者たちは皆それを見るそうだ。『いつか』と『いつか』を繋げるために」
「……貴方は?」
「俺は、見たことはない。名工ではなかったからな」
アルフレッドは苦笑する。この人はどうにも嘘をつくのが下手なようである。その実直さと不器用さは好ましいな、と少年は思う。
「この中に、ウィリアム・リウィウスさんの墓はありますか?」
「……いや、ない。生きているか死んでいるかわからないから」
「じゃあ、この剣の持ち主は、どうです?」
「……ない」
「この剣は貴方が打ったモノですよね?」
「……そうだ」
「どんな人が使っていましたか?」
「とても、美しい子だった。真面目で、強く、若くしてレイを継いだ。明るい気性で俺の家人は皆彼女を愛していた。いや、今思えば、妻は苦手としていたかもしれんな。それでも皆の前では見せずに、嗚呼、いい関係だったと思う」
「その人とウォーレンさんの関係は?」
「……いつまで問いを続ける気だ?」
「気の済むまで」
アルフレッドは静かに涙を流す。ウォーレンは察する。この少年は答えに辿り着いているのだと。ならば気の済むまで、とは彼の事ではない。
「息子の、婚約者だ」
ウォーレンの事を言っていたのだ。
「その人は今?」
「行方知れずだ。行方知れずの息子を追って、な」
「そうですか。では、その息子さんの名は?」
「ウィリアム・リウィウス、だ」
「俺の父と同じ名前です。その人はどんな特徴がありましたか?」
「……優しい子だった。自己主張が苦手で、運動も得意ではなかった。剣を教えて欲しいとせがまれたが教えなかった。俺の失敗を繰り返させぬために剣鍛冶を教えようとしたのだが、嫌われてしまってな。少し、君に似た顔だったか。もう少し抜けていたがね。あとは…………俺と同じ紅い髪だ」
「俺の父は白い髪です。俺は母の色を受け継ぎましたが」
「ならば、別人なのだろう」
「ええ、別人だと思います。別人が、この剣を持っていた。何故だと思いますか? どうして俺はこの剣を、父はこれに似た剣を、持っているんでしょうか?」
「それは――」
アルフレッドは真っ直ぐに並ぶ剣を、断罪のそれを見つめていた。
「俺の父が貴方の息子から剣を奪った。追いかけてきた婚約者の女性からも、奪った。剣だけでなく、存在まで。ねえ、ウォーレンさん。初めから気づいていたんでしょう? 貴方の仇、その息子が俺だって。何故、何もしないんですか?」
涙が絶えず流れ落ちる。
「俺には、その資格がない」
「俺はそう思いません。そして、万全な状態であれば何とかして見せますけど、今の俺なら容易く殺せるはずです。尚更、そうしない理由が分からない」
「俺は、俺が許せんのだ! あの時、何故俺はウィリアムの言葉を聞こうとしなかった!? 何故、押し付けた!? 俺たちが痛み無くして理解出来なかったことを、くく、痛みをもってしてもついぞ、俺には理解出来なかったことを、知らぬ彼らに理解せよなど、どうしてそんな傲慢なことを考えられたのだ、俺は!?」
「…………」
「あの子を奪った貴様の父が憎い。憎くて憎くて仕方がない。だがな、それ以上に俺は俺が憎いのだ。愚かで、何も守れず、最後には伝統までも捨て、空っぽのまま死んでいく俺が。そんな俺が、どうしてあの男を斬れる!?」
「……父に会った、のですか?」
「ああ、会ったとも! 殺しに行った。そして、知った。あの男は、憎たらしい話だが、一丁前に罪悪感を抱いている。それも、全員分だ。俺には、『それ』が見えた。夥しい躯の下に、息子がいた。ブリジットがいた。覇王の礎だ。憎い、悔しい、だが、奴は世界のために生きると言ったのだ! 贖罪こそが己が道だと、言った。だから、死ぬ気はない、とも。あの場で勝てるとは思わなかったが、勝ったところで何が残る? それこそ、あの子たちの死が何の意味も無かったことになる」
「咎人の言葉ですよ?」
「それを自覚している分、其処らの連中よりもよほどマシだ。奪った自覚すら無いまま、奪い続けている者たちが世界にはゴマンといる」
「だから、殺さなかった、と」
「殺せなかった、だ。どう転んでも俺の刃は届かなかった」
アルフレッドは静かに涙をぬぐった。父が己に剣を預けた意味が、ようやく理解できたのだ。初めからそのつもりであったのだろう。だから後生大事に保管していたのだ。自分の正体に繋がる証拠であったとしても。
最期にはそれが自分を断つべきだと思っていたから。
「俺にリウィウスの剣を教えてください。貴方の剣を、ください」
因果は正しく収束すべき。
「あの人が自分の王道を違えた時、俺が父を討ちます」
静かなる宣言。その眼にもう、涙はない。
「それが俺の役目です。貴方は、どうされますか?」
最後の問い。この少年はアークと違って強いようとはしないだろう。正真正銘、これが最後の分岐点なのだ。選択するか、しないか。
ウォーレンは己が生涯を振り返る。
そして、苦笑した。
「一つ、訂正する。教える剣は、リウィウスではない。レイだ。魔を断つ剣、古より伝わる最速最強の剣技。人間対人間では、くく、どうにも戦績は振るわないがな。時代遅れの技で良ければ教えよう。そして――」
本当の意味で自分はいつも選ばなかった。そうして後悔ばかりが降り積もっていったのだ。いつか伝わると思い込み息子と話し合うことをしなかった。伝わっているとタカをくくり家族に愛を伝えなかったのもそう。
親友にもそれを伝えるべきだった。かつて、自分はブレンダを愛していた。今は自分の妻が、家族が、何者よりも大事なのだと。
自らの意志で選んでいれば、きっと世界はもう少しマシだった。
「ウォーレン・リウィウスの全身全霊を持ってその剣を生まれ変わらせて見せる。俺にとってのエクセリオンを、生涯最高の作品を、俺はッ!」
剣の墓が朝日を浴びて光り輝く。彼らが言う。
戦え、と。
リウィウスの戦いは鍛冶場にある。
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