夜明けのネーデルクス:三貴士対三貴士
ラインベルカはピクリと反応する。
「始まった?」
「ええ。そのようです」
彼女の超感覚を利用しての合図。三方に張り巡らせた監視の目、彼らが接触と同時に鈴を凛と一つ鳴らす。集中した彼女はその音だけを漏らさずに拾う。
幾度か試した上で可能であると判明した四感を研ぎ澄まし、五感を超えた超感覚を手に入れた彼女にのみ許された不可視の合図。
(いや、もう一人、いるか)
アルフレッドはもう一人の超感覚を持つ男を思い浮かべながら立ち上がる。とうとう答えの出る日が来た。隣国が戦々恐々とする世界への火種はないのかもしれない。だが、結果として『いつか』そうなる可能性はいくらでもある。
世界のバランスは非常に不安定で、常に揺れているものだから。
「さあ行こうかチミたち」
ルドルフの言葉と共に立ち上がるは此度の演目、その黒子たち。
黒子と呼ぶには少しばかり我が強い者ばかりであるが。
「お留守番」
「怪我をしてくる予定だからよろしくね」
「むむ」
聞き捨てならないとばかりにアルフレッドを睨むイェレナ。
「ここから先は格上しかいないから、名医イェレナを計算に入れないとね。勝手だけど信頼してるんだ、頼むよ、相棒」
「むむむ。仕方なし」
レスターとの戦いと同じ、イェレナを計算に入れるということは肉を断つ覚悟をするということ。無傷で舞台に立てるとは彼も思っていない。
いや、無責任を貫く以上、身を削る覚悟は誰よりもしていた。
それが自由であることの代償だと彼はこの旅で知ったから。
チームルドルフが最後のミッションに出陣する。
目標は王、それを押さえるカリスの包囲を抜けて彼を逃がすが第一。適うならばカリスの身柄も拘束できれば最大戦果ではあるが――
○
ディオンと女シャウハウゼンの戦いは静かに切って落とされた。
満天の星空の下、誰もいない空き地で舞う二人の武人。槍が交錯するたびに火花が散る。ディオンの槍は蛇の肢体が如くしなり、とにかく受ける。受けて受けて受けて受けて受けて受け続ける。必然、神の槍は攻め続ける以外の手を失う。されど、その槍は苛烈にして精緻。相手を揺さぶり、虚を突き、威力と速度を持って攻め立てる自在の槍。上下左右、あらゆる方向から攻めて攻めて攻めて攻め潰す。
「その受け、いつまで続きますか?」
「いつまでも、さ」
神の槍を振るう女性は美しく微笑む。蛇の如し男の意地、可愛らしい強がりに、いじらしいちっぽけな矜持に、あまりにも不自由で不完全、醜さすら感じる槍を見て、彼女は憐れみと慈悲の心で槍を振るっていた。
攻めを捨てる以外に拮抗する術すらないのだ。事実、彼に攻める暇すらない。攻め気を見せる一欠けらの余裕すらなかった。
「勝てませんよ、このままでは」
「勝つさ。蛇の執念を甘く見ない方が、『ええ』よ」
かすかな悪寒。取るに足らぬ存在、今もって攻を捨てた醜き槍のまま。されど一瞬、男の眼が鋭さを増した気がした。獲物を刈り取る、捕食者の眼。
「ふふ、面白い殿方ですね」
「紳士だからね。淑女の扱いは得意なんだよ」
霧散する気配。やはり杞憂と神の槍が攻め立てる。戦いは格上が攻め立てて、格下が受け続ける構図が多い。僅かな勝機を手繰り寄せるために我慢を続け、相手の緩みを突く弱者の戦術。彼の狙いは其処なのだろうと彼女は理解する。
人はミスをする生き物。それは弱者が強者に勝つ最も可能性の高い方法ではある。そう、人間相手であればそれは最善手であった。
しかし、彼女はシャウハウゼン。神足らんとする者。
「私は間違えませんよ」
「人間なのに?」
「ノン。シャウハウゼンは人間にあらず」
「はは、神だとでも言う気かい?」
「ウィ。私が神です」
「まったく、僕の敵はどいつもこいつも傲慢やなァ。虎に龍、とうとう神ときた」
またも気配が変わる。いや、これは、この男の本性。
「ほんま、嫌になるわ」
醜き嫉妬心の塊。地を這う嫌われ者、異人を親に持ち、その親が消え、その主であったこれまた異人の男に師事するしかなかった。いつまで経っても仲間に入れてもらえない哀しき化け物。蛇としての生き方、蛇としての振る舞い、妥協を彼から学んだ。幼き頃、彼しか寄る辺が無かったから、言葉も自然と移った。
「実に醜い」
蛇は全てを求めてはいけない。
しかし――
「全ェン部勝つためや!」
唯一つを求める権利だけは手放さない。その純度を上げるために、捨てた。
受けて受けて受け続ける。
彼女は知らない。蛇の思考を、王道を避けて日陰にて培った邪道の神髄を。
己が身を捧げてまで守り抜いた国から『蛇蝎』と蔑まれた男の本性を。自分も義母も彼から学んだのだ。蛇とは何かを。
あの怪物を七年間封じ込められたのは誰のおかげか。黒騎士の奮闘もあるだろう。蒼の盾の堅守あっての七年であった。だが、本当の利害が一致しないアウェイに身を置きながら怪物を封じ込めることだけに死力を尽くした男がいたことを誰が知ろうか。
雇い主である国家の要請をひらひらとかわし、ネーデルクスとアルカディアの国境線に歪なる均衡を、安定を与え生かさず殺さず、両国をコントロールし続けた裏の英雄。穴掘りカールに殺されて戦史に唯一行敗れ去った事だけが載った蛇の王。
全ては唯一つを守るため。あの怪物を北方から引きずり出さぬため、引きずり出す前に全てに決着をつけるための土台を築かんとした唯一の男。
『求めるんやない。欲するんやない。蛇に幸せは似合わんわ』
『それは幸せなん?』
『せやね、僕は最初にもらっとるから、ええんや。自分もいつか見つかるとええな。ほんまに大切なもん。蛇は、そこからが勝負やから』
蛇蝎と呼ばれた男が何が為に命を懸けたか、黒子として死んだかは分からない。それでも分かったことがある。蛇は求めない。欲さない。幸せは、似合わない。
だからこそ、美しいのだと。
「僕が求めるんは、これやから」
この棒切れ一つ。本当に割に合わないと思う。体無く、才無く、それでもこれだけは手放せなかった。義母が教えてくれたネーデルクスと繋がる方法。面倒くさそうに教えてくれた義母との繋がり。唯一つの、彼女が生きた証だから。
蛇蝎から教わった蛇の生き方、義母から学んだ蛇の槍。
二人とも頑としてそうしろともするなとも言わなかった。父とも呼ばせてくれなかったし母とも呼ばせてくれなかった。どう思っていたのか、それを知る術はない。ただ彼らは知っていたのだ蛇は幸せにはなれない、と。
その上で同類の匂いを嗅ぎ取っていたのかもしれない。だから押し付けずにただ教えた。選択肢として道を授けてくれた。
今、ディオンの胸には感謝だけがあった。
「……いつ、まで!?」
「だから言っとるやろうが、いつまでもやッ!」
唯一つでもこの手にある幸せを噛み締めて、蛇は躍動する。
その槍は敵対者に不自由を強いる槍。蛇と戦う者は蒼空を舞うものであっても地に降りねば戦えない。それが蛇の道、戦いたいならば降りてこい。
その眼はギラギラと輝く。空を羨みながら、焦がれながら、自ら翼を引き千切り、その鬱屈した心を槍に乗せて、彼の牙はただただ待つ。
(この男、やり辛い!)
獲物の襲来を、待ち続ける。
○
シルヴィと大柄なシャウハウゼンは開戦と同時に凄まじい攻防を繰り広げていた。スピードとパワーを高い次元で両立させた槍同士。ここにも誰もいないが、見る者が見れば大枚をはたいてでも観戦したい珠玉の攻防である。
(虎ノ型、か。難度はそれなりに高く、神には及ばぬともそれなりの殺傷力は持つ。だが、やはり不完全。右がお好み、ならば左に僅かな揺らぎが生まれる。攻撃に寄る、ということは受けに欠けが生じる。やはり、完全にあらず!)
ふた昔前、ネーデルクスで大流行した型。シャウハウゼンである彼らもまたその強み、弱みを十二分に理解していた。名人ティグレの系譜、間違いだらけであると彼は思う。妥協にまみれていると断じる。
攻めへの偏重、前傾姿勢を取り過ぎている。あれだけ沈めば後退は無いと言っているようなもの。前にしか進みませんと宣言しているようなもの。
槍としてあまりにも不純也。
(ふん、其処だ!)
神の槍、その体感速度に付いてきている時点で充分彼女も強者の部類。だが、結局その欠け、妥協のせいで沈むことになる。
攻め気を起こさせて、退きながら彼女の『左』を払う。
対応は、出来ない――はずだった。
「虎は柔軟な生き物なのです」
あの低い姿勢から、重心を一気に後ろへ倒し無理やり減速。払いの外側に止まる。そこまでは神にとっても想定の範囲内。素晴らしい柔軟性と俊敏性だと褒め称えるゆとりすらあった。だが、その先は彼にとっても驚くべき光景。
シルヴィは咄嗟に槍を持ち替え、スタンスを変えて払いを受けたのだ。払いの外縁ゆえ内側よりも多少、時間はあるとはいえ、瞬きするほどの、それほど刹那のタイミングで躊躇いなく利き腕を変えてみせた。
まるで神の槍の如く。
「虎ァ!」
お株を奪われた必要状況下での曲芸。
彼女が利き腕を変えるなどという情報はない。基本的に彼女はスタンスも持ち手も不動で己が俊敏性にてそれらを補ってきた。
ゆえにこの変化は、彼女を知る者ほど驚きに満ちている。
(この短期間で、進化したとでも言うのか!?)
逆スタンスで構えるシルヴィを見て戦慄を覚えるシャウハウゼン。彼は三人の内、唯一利き腕を矯正した経験を持つ。幼き自分でも左が馴染むまで相当の時間と根気を要した。その作業をこの短期間で、彼女は成し遂げたのだ。
先ほどまでの敬意が上書きされるほどの衝撃。
俊敏であることも柔軟さを威力に換えるセンスも、天性のものである。だが、両利きはセンスが必要なのも当然だが、それを込みでも一朝一夕で成るわけではない。槍を置き、イメージトレーニングだけに勤しむ。自らの習慣を破壊し、自らの槍を、今までの全てを破壊して、新たに構築する過程を経て初めて成った。
その覚悟に男は震える。この女は、虎なのだ、と。
さらなる飛翔のために容易く『今』を捨てられるのだと彼は理解する。
「面白い!」
「ええ、同感です!」
神対虎。かつての師弟の再現。ティグレが見出したとある貴族の私生児、名も与えられていなかった少年に名を授け、自らの技を叩き込み、その果てで弟子は筆頭であり続けた名人を抜き去った。ネーデルクスに神が生まれた日である。
これもまた歴史の連なりの一つ。
此度勝つは虎か、神か。
○
「さて、やろうか」
「おうよ」
先手は、同着。
中空で拮抗する槍。体感時間に変化は感じない。同じ時間軸にいるとクロードは確信した。対するシャウハウゼンもまた健気にも到達してきたのだと理解する。
龍が飛ぶ。
「それに何の意味があるんだい?」
純粋なる疑問。神の槍を修めた男にとって地を失うことなど槍を鈍らせる悪因でしかない。かつてティグレが、シャウハウゼンが、キュクレインが言っていた「馬にすら乗りたくない」との言葉が示すように、彼らはそれほど地にこだわった。
それを自ら棄てる愚行。必要に迫られているでもないのに。
「口で言っても、分かんねェだろーがァ!」
上空からの威力はさすがのもの。だが、地に墜ちてしまえば――
(この前は落ちてくる途中を狙ったが、今回は墜ちたところを狙わせてもらうよ)
その衝撃は自分に返ってくる。そしてそれは隙を産む。
その隙を神は見逃さない。
「これで少しは、分かれッ!」
地の底から伸びる龍の牙。神は冷汗を一筋、流す。
「この前は俺もちーっと了見が狭くなってた。悪かったな、今日の俺が本当の龍だ。天を舞い、地に降りたってなお他を寄せ付けねえ。それが俺だ」
落ちた衝撃すら利用して、下から突き上げるような槍。その破壊力は全撃必殺を冠するにふさわしい破壊力であった。
「うん。少し、理解した。もう少し体感してから、判断するとしようか」
「おう。好きなだけ味わっていけ」
龍が舞い神が裁く。頭上での攻防と、墜ちてからの地上での攻防。繰り返される龍と神の戯れ。ゲテモノと彼らのママ、カリスは龍ノ型をそう称した。男は背中に嫌な汗をかきながらそれを否定する。
少なくともこの男の龍は見てくれだけではない。
「ハハ、楽しいものだね。自分と違う槍の、近しい実力の相手と戦うのは」
「同感だぜ」
「あとはもうちょっとまともな格好だったらなぁ」
「ハァ!? 超格好いいだろうが!」
「……それ本気で言ってるの? 俺、油断させようとしているのかと思ってた」
「テメエ、上等だゴラァ!」
「野蛮だなあ」
気の抜けた会話。されど気の抜けぬ攻防が続く。派手な技に目が行きがちであるが、彼らの神髄は派手さの中に潜む細やかな小技である。シャウハウゼンである男は龍を見て驚いていた。何だ、自分たち以外にもいるじゃないか、と。
神は細部に宿る。
「アゲてくぜェ」
「うん。じゃあ、俺も上がるよ」
神は確かに見た。彼の中にも確かに神が息づいていることを。
龍の吐息に、爪牙に、蒼き煌きが宿る。
同時に神もまた蒼空を宿す。
「ふっ、もう少年とは呼べぬか」
それを遠くから眺める獅子と騎士王。
「まだまだ底を見せておらぬな」
「彼ら自身分からぬでしょう。噛み合う相手が見つかったのですから。彼ら自身の想定を超えて上がり続けるのみ。どちらの山巓が上に立つのか、見物です」
「しかも――」
「同時に三つ。本当にこの国は、俺を楽しませてくれる」
天獅子は羨まし気に彼らを眺めていた。あの村が、あの男が残したモノを見るためだけに戻ってきた。もはや手出しする気はない。男との約定もある。ただ騎士王と共に観戦するのみ。それでも眼は爛々と輝きを見せていた。
自らの孤独を癒す新たなる挑戦者の成長を目の当たりにして。
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