夜明けのネーデルクス:愛ゆえに

 その日、カリス侯爵が運営する病院に一通の封書が届けられた。

 あて先はシャウハウゼン。普通ならただの悪戯、読む価値も無いと開かずに捨てる者がほとんどであろう。意図が理解できる者以外は。

「……フェランテは頂戴した、か。敵さんもやるねえ」

「ふざけている場合か。これでは計画が、ママの長年の夢が――」

「ノン。最も重要な駒は私たちが押さえています。計画の大筋に支障はありません。魔人を有効活用できないのは残念ですが」

「知られていることが問題なのだ!」

「まあ、どうしようもないことを話し合っても仕方ないさ。やるべきことは変わらない。王誘拐の犯人は別に仕立て上げればいい。魔人殺しの救世主、なんていいスタートを切りたかったのは望み過ぎだったってだけ」

「随分と暢気だな」

「三貴士が狼狽えてどうする?」

 ゾクリとこの場全員の肌があわ立つ。普段飄々としているが、この男はこの場にて最も強いのだ。完璧に極めたとされた元シャウハウゼンを下した三人。されど、その内容は一人だけ大きく異なっていた。

 四番目の男が無意識のうちに、最も新しい傷に触れる。最も新しく、最も深く、他の二人とは異なりあっさりとつけられた『それ』を撫でた。

「そろそろママも戻って来る頃合いだろう。どんと構えようよ」

「ウィ。その通りですね」

「……ふん」

 最も強き男は何となく、時間が動き始めた気がした。

 とある男の矜持が、無理やり止めていた時。

 期せず――


     ○


「――実に、本当に、実り多き最高会議でした。皆さま、お疲れ様です」

 若き大公の一言によって歴代でも最長クラスの最高会議が閉幕した。その場でうな垂れる者や眠り始める者までいる始末。不眠不休ではなくとも対アルカディア用の議題、しかもヴァイクまで絡むとなれば隙など絶対に作れない。

 思考をフル回転させ続け、思索に思索を重ねた時間であった。

 最初の議題、王権から閉じた海に関する諸々、全て合わせると半月以上、彼らは王宮に閉じ込められていたことになる。

「では、私は診察があるので帰らせて頂こう」

 カリスはすっと立ち上がり会場を後にする。この場で最高齢の男が最も元気というのもなかなか趣深い話ではある。

「タフな御仁だ」

「老いてなお精強、『白仙』の部下だけはある」

 あまり人を褒めることのないマールテンの賛辞に、若き大公も苦笑いを浮かべた。政治屋特有のコンプレックス、ほとんどの者が現場を知らないことに勝手な後ろ暗さを浮かべている中、彼だけはそれがない。

 経験者ゆえ当然の話ではあるが。

「現場から政治屋への転身。それをああも完璧にこなされ、それでいて現場にも顔を出し続ける鉄の男。彼には私事などないのでしょうね」

「大公閣下にはあるような口ぶりだな」

「ゼロには出来ません。公爵とてなかなかお盛んと聞いておりますが?」

「あれは妻の趣味だ! 断じて私の趣味ではない! ないのだ」

「……す、すいません。まさかそれほど気にされているとは」

 マールテンの屋敷に備え付けられた諸々の機材。高貴なる貴族の趣味、ではあるのだが使い手は妻の方である。そもそもティルザを筆頭に強い女性に憧れを抱いていた紅顔の美少年(若き頃のマールテン)は当然の如く武家から嫁を取った。リュークらと同じく同期であったジャンの妹である。

 これが全ての過ちであったのだ。ジャンの変貌と共に何故か妹もまた変貌し、生来の気性の荒さと強さと愛が謎の化学反応を起こしてしまった。その結果、マールテンの手首等に謎の痕が浮かんでいる、などとけしからん噂が王宮を飛び回ることになる。貴族的には高貴なる趣味に寛容であるので問題ないが――

(……私はノーマルなのだ)

 強き男に成りたかったマールテンにとっては触れて欲しくない話であった。

「ご、ごほん。皆、よろよろと戻られましたな」

「……ふん、何か話しておきたいことでもあるのか? わざとらしく腰を落ち着けよって。私も眠いし帰りたいのだがな」

「カリス殿ですね、今回の一件の黒幕は」

 若き大公は笑みを崩さずに問う。

「そうだとして貴殿に何が出来る?」

「何も出来ませんし何もしません。私は陛下でもカリス殿でも、貴方であっても特に問題ないと思っております。上手く踊れる者であれば」

「くっく、随分と辛らつだな」

「私がウィリアム・リウィウスを個人的に崇拝していることはご存じでしょう」

「王宮では誰もが知っておる話だ」

「ええ、かつて一度、まだ白騎士であった頃にお話する機会がありました。この国が神の子を失い大掃除されている真っ最中です。私も王の血を引く以上、それなりの覚悟がありました。公爵も同じでしょう?」

「立場上、当然だ。未だに理解出来ぬよ、私が生かされていること自体が」

「どうせ死ぬならと思い切って単身彼の下へ赴き、知りたいこと全てを投げかけました。そこそこ不躾な質問もあったかと思います」

「初耳だな」

「あの御方も私も口が堅いんですよ、意外とね。口外しないことは暗黙の了解でした。羊飼いの視点を羊が得る必要はない。震えましたよ、彼が見据える未来の遠さに。広く、何よりも深く、彼は『先』を見据えている。勝てない、勝つとしたら三代後、彼の介入がない世代にまで辿り着かねばならない、そう思わされました」

「……ほう」

「この先、波はあれどアルカディアが勝ち続けます。意地を張って敵対していてはすぐさま周回遅れにされてしまう。よき隣人であることが唯一の活路だとその時私は確信したのです。悔しく、歯がゆい話ですが」

「今のアルカディアを見てもそう思うか?」

「ええ。何一つ確信に揺らぎはありません」

「……そうか。ゆえに頭は何でもいい、か」

「何でもいい訳ではないですよ。国家のために道化に成れぬ人物であれば、私はその人物を引き摺り下ろします。しかし、嗚呼、白騎士と青貴子のおかげで我々には国士だけが残された。まあ、稀に売国奴が混じってきますが」

「ふん、誰のことを言っているのやら」

 自分の事かと思い鼻を鳴らすマールテン。若き大公は苦笑する。

「その様子では公爵も掴んでいましたか。陛下の秘書官、襲撃時に殺された男ですが我々と陛下を繋ぐ役割を果たしていました。しかし、欲をかいたのでしょうね、それともあの女狐に引きずり込まれたか、ガリアスにも情報を流していたのです」

 さすがマールテン殿、と称賛の視線を送る若き大公。しかし、マールテン、この件に関しては何一つ知らなかった。そもそもクンラート王の腹心が親アルカディア派と繋がっていること自体初耳である。

「トリプルスパイ、いや、もしかするとエスタードにも……いずれ高跳びでもするつもりだったのでしょうが、その前にカリス殿の鉄槌が下った、と言ったところでしょうか。『白仙』仕込みの槍捌き、文官では如何ともしがたい」

「ふむ」

 困った時の頷きである。

 マールテン、疲労も相まって頭が真っ白であった。

「もはや懸念材料はない。ならば各々の信念はあるでしょうし、お好きにどうぞ、と言ったところです。私はその後、『先』で彼らの手綱を引ければそれでいい」

 隣国の王に懸想する若造、としか見ていなかった大公の暴露を聞き、改めて政治の世界は怖いなあとしみじみ思うマールテンであった。

「公爵はどうされますか?」

「時間はくれてやった。あとは勝った方につく!」

「ふふ。では、高貴なる貴族として高みの見物と洒落込みましょうか」

「男と二人で見物する趣味は持ち合わせておらぬ。貴様、ホモか?」

 マールテンなりのちゃちなお返し。しかし、若き大公はにっこりと微笑み、

「いいえ、私はバイセクシャルですよ」

 壮絶なカミングアウト。

 マールテン、即座に脱兎の如し逃げ足を見せる。

 動けるぽっちゃり系であった。

「あらら、振られてしまいましたか」

 若き大公は微笑みながら机の上に広げられた一部がローレンシアの『世界地図』を眺める。ネーデルクス高位の貴族が有する特権中の特権。神話の残滓を彼らは知る。知ったがゆえに間違えた。今度は知るがゆえに間違えまい。

「東方、暗黒大陸、新天地。海を征した者が次の時代を征する。あの御方は其処まで読んでいる。其処までは追従しよう。私たちが考えるべきはその『先』、如何にして彼らを抜き去るか、です。私も愛国者なのでね」

 この国は愛で満ちている。成り立ちがそうなのだ。彼らは其処まで知らない。知ることが出来ない。献身、犠牲、彼女の愛を知ることだけを彼らは奪われたから。

 本人の手によって。


     ○


 アルフレッドは久方ぶりの夢にどっしりと構えていた。

『何じゃつまらん。無駄に賢しくなりよって』

「ここまでのは全部過去、ですか。何故、俺にこれを見せるんです?」

『わしではない。この地の記憶がそうさせるのじゃ。しいて言うならば、羊飼いだけは知っておくべきだと怨霊が見せる夢。鼻で哂っておればよい』

「ならばそうします」

 黒き女性から視線を外し、アルフレッドは地上を見る。

 今にも迫りくる崩壊の波動。緑が枯れ、土が色褪せ、全てが灰へ、陽光によっておぞましき銀世界と化した滅びが近づいてくる。

 対するは唯一人。天族と人族のハーフ、万年生きた美しき女性。子は成さず、全ての人を我が子と愛した。幾度も生まれ、死別し、その度に喜び、悲しみ、それでも彼女は人を愛し続けた。

 そうやって繋がっていく連環を美しいと心の底から思った。

 ゆえに彼女は唯一人、滅びに立ち向かう。

 賢王、異能の魔女、彼らをもってしても犠牲無しでは食い止められなかった。彼女は唯一人、されどこれよりさらに万年生きる命と、此処まで生きてきた万年全てを賭してこの地を守り抜いた。

 人々から忘れ去られようとも、愛する者たちの中から消えようとも、彼女は構わないとはにかむ。忘却と言う最もおぞましき死に方を前に、千の、万の『子』を持つ万人の母は何一つ悔いはないと唯一人進撃した。

 深き愛がこの地に刻まれたことを世界は知らない。

 魔術式ヘルマの想いを人は知り得ない。

『何じゃ、泣いておるのか?』

「……泣いてませんよ」

 滅びゆく中、ふとアルフレッドのいる場所を見て彼女は微笑んだ。慈しむように。彼女にとっては自分もまた『子』なのだ。

 そう思うと涙が止まらなくなってしまう。


     ○


「アル、泣いてるの?」

「……泣いてるよ、イェレナ」

「どこか痛む?」

「胸が痛むんだ」

「病気かもしれない。もっと症状を教えて」

「君の膝枕で治るよ」

「ふざけてる?」

「まさか、本気さ」

 しぶしぶ膝を貸すイェレナ。幼き頃甘えん坊将軍として北方で名を馳せたアルフレッド渾身の泣き落としである。そんなことせずとも言えば貸してくれるが。

「マールテンさん、帰ってきた。少しやせてた」

「そっか、じゃあ、いよいよ、だね」

 ネーデルクスの明日を占う時が来た。

 全ては愛ゆえに。

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