夜明けのネーデルクス:魔人捕獲作戦Ⅱ
両者の知覚外から放たれたそれは魔人の腿を射抜いた。
「「なっ!?」」
イヴァンは驚愕し、距離を取りながらも辺りをきょろきょろを見回す。まったく予期していなかった状況に、頭の処理が追い付いていない。
逆に射られた当人は一瞬で、その男が佇む方を見る。可愛らしい少年の貌を歪め、憎たらし気に睨む様は激しい執着が見受けられた。
「おまえ、おまえおまえおまえおまえおまえェ!」
フェランテはイヴァンを一瞥もせず、射られた足を気にすることなく全力疾走で駆け出す。視線はただ一点、屋根の上に立つアルフレッドのみ。
「……あらら、俺でも良かったのか。知ってたら手間が省けたのに」
怪物は足を射られたとは思えぬ動きで屋根の上目掛けて跳び、駆ける。
アルフレッドは無言で弓を射るも、全てかわされて魔人もまた屋根の上に立つ。
「おまえの貌は芸術にしてあげない。俺の、邪魔をする悪魔。殺して、剥いで、八つ裂きにしてやる。ギハ、たのしみ、たのしみ」
「嫌われたなあ。俺は結構君のこと好きだけどね。滑稽でさ」
「コロス!」
フェランテが真っ直ぐに突っ込んでくる。それを見てアルフレッドは子供っぽい笑みを浮かべる。黒い外套、その袖口からするりと取り出すは暗器、針。暗殺者などは千本と呼ぶ立派な暗殺用の武器である。
アルカスから出る際に襲われた経験から一度は実戦で使ってみたいと胸に秘めていたのだ。正直この怪物にこういった小細工はあまり意味がないのは理解しているし、そもそも急所以外刺さったところで矢ですら表情一つ変えない相手にはやはり無意味。それでもアルフレッドはここぞとばかりに使う。
理由は一つ。
「シッ!」
使ってみたかったから。指に挟んだ計六本の針が宙を駆ける。
「ン!」
半分は鎌で蹴散らされ、半分は普通にかわされた。効果、なし。
「……さて、気を取り直してっと」
針でのけん制は何の意味もなく、進路は一切変わらずに真っ直ぐ。
凄まじい速さだが、あまりに愚直。
(君が真っ直ぐなんてありえない――)
接敵、怪物はそこから急速に進行方向を曲げ、滑るように回り込んでくる。
(――よね)
迫りくる鎌をアルフレッドは腕で受ける。
「腕切れたァ!」
「残念。容易くあげられるほど安くないんだ、俺の腕は」
「ッ!?」
黒き外套の下には鉄の煌きがあった。鎌を防いだのはイェレナ特製の鉄の籠手、彼女基準なので想定したよりも厚く、その分重く造られていたが、それもまた彼女の愛だとにっこりしたのは別の話。
「今回も拳(こっち)で行くよ」
「また素手ェ。俺を、舐めるなッ!」
「舐めてないさ」
無手の利点は短いリーチから生み出される回転率、それによって生まれる速さこそ対魔人用の解答であった。槍よりも剣、剣よりも拳、時としてリーチの短さが武器となることもある。もちろん肉で受けるわけにはいかないので、今回は装備品を変えてみた。重くて回転率が落ちるのは結構な誤算であったが――
(うん、受けは間に合うし、この重さも、悪くない)
重さは力。発勁を会得したことでそれを理解した。力の流れ、起こりは自身のウェイトから発するモノ。それを向上させることは起こりの時点で数段、上げられる意味を持つ。反動を用いれば割合はさらに向上する。
結果――
「ギィ!?」
轟、とアルフレッドの拳が空振りする。怪物が戦慄するほどの破壊力を秘めた拳。この体躯の何処にそんな力が秘められているのか、怪物をして混乱してしまうほどであった。異質なる武、アルフレッドにとって大きなアドバンテージ。
「さあ、今度は逃がさないよ」
アルフレッドはフェランテの腕を掴む。
「死ぬのはおまえェ!」
力ずくで拘束を剥がそうとするフェランテをあえて泳がし、その力すら利用して行動を操る。当人に操られている自覚はない。アルフレッドを振り回しているとさえ思っているだろう。だが、その実は当然真逆。
「そろそろ幕を下ろそう、怪人の哀しいお話に」
力の制御、相手の力すら利用し、流れるようにアルフレッドはフェランテを屋根に叩きつける。何が起きたのか、どうしてこうなったのか、魔人には理解できない。発勁という視点から枝分かれした力への理解は、すでにローレンシアの積み重ねを大きく超えたところにあったのだ。
今はまだ彼の中だけに在る、彼だけの物理学。
「これで閉幕だ」
アルフレッドは屋根の上に魔人を抑えつける過程で、彼の腕を彼自身の首に回し己の腕で首を締めさせる。もう一方の腕は足で押さえつけ盤石の体勢。
「おやすみ、フェランテ」
首を絞めれば意識が飛ぶ。絞殺という処刑方法はどこの国でも取られている。マーシアでは何故意識が飛ぶのか、どれだけの時間絞めていれば人体は機能を停止するのか、その段階も含めて死刑囚を用いた実験が行われていた。
人体造詣という著書にも記載されているその筋では有名な実験。当然、アルフレッドの頭の中にも入っていた。殺さずに意識を飛ばし、生け捕りとするにはこれが最適。初めからこうする組み立てであったのだ。
この視点がある出会いを経て、ローレンシアにとある武道体系を産むのだが、それもまた先の話である。
「ウガァ!」
「何ッ!?」
今はただ、人体への驚きが勝ってしまったから。
フェランテは咆哮と共に力ずくで拘束を剥がした。信じ難い膂力である。体勢も、位置も、何もかもがアルフレッド有利であったはずなのに、それを無理やり解くとなれば式を組みなおす必要が発生する。
そのコンマを魔人は見逃さなかった。
「シネ」
蹴り飛ばされるアルフレッド。その身体は屋根から飛び出て――
「アルフレッド様!」
イヴァンが駆け寄ろうとするも距離がある。間に合わない。
「墜ちたところ、コロス」
フェランテは舌なめずりしながらアルフレッドの落下を見つめる。不十分な体勢で空中に押し出され落下してしまった。覚悟を決めて飛び降りるのとはわけが違う。射角と射程を得るために高い建物を選んだのも災いした。
だが、この場でとうの本人、アルフレッドだけが冷静であった。落ちてしまったものは仕方がない。ここからどうするか、それだけに思考を集中する。刹那の間にも弾き出される無数の解答。取捨選択をし、最善を模索すること刹那。
「さあ、実験だ」
アルフレッドは凄絶な笑みを浮かべて地面に叩きつけられた。
「ぐ、ぅ!」
接地面を限りなく円状にし、そこから高速で接地面を組み替えていく。落下の衝撃を分散し地面に流すためである。
人間は球体ではない。それにどれだけ早く姿勢を組み替えたところで完全に流し切ることなど物理的に不可能。それでも、近づけることは出来るのだ。
試行錯誤の末、最善へと近づけ多くの予想を覆すことは、適う。
「……お、おまえェは、なんだァ!?」
「黄金騎士、アレクシスさ」
格好良く立ち上がるアルフレッドであったが、実は結構強がっていた。せめて足から落ちていたらなぁと愚痴りたくなる気持ちを抑え、すっと立つ。
痛みも弱みも見せない。鉄壁の笑顔。
「今度こそ決着をつけようじゃないか。哀れなる芸術家」
ピクリとフェランテは反応する。彼が言葉を投げかける前までは逃走という選択肢が彼の頭にあったのだ。それが――
「人の皮を剥いで己にまとわせても、君は永遠に君の目指す者には成れない。どこまでいっても君は怪物でしかないんだ。君は偽者だ、フェランテ!」
その思考が霧散する。
「お、おおおお、おれの、俺の芸術を、俺の、おれのおれのおれのおれのォ!」
激情が迸る。今までの情報と会話、あらゆる点を結びつけた結果、祈りのようにはなった挑発は実を結んだ。あそこで逃げを打たれてはどうしようもなかった。アルフレッドは密かに微笑む。これで、今度こそ、終わらせる、と。
「来いよ、化け物。本物を、シャウハウゼンを見せてやる」
「おまえが神の名を口にするなァ!」
マーシアが産んだ哀れなる化け物。シャウハウゼンを産むために造られた人工の怪物。彼の執着は結局のところ其処に行き着くのだ。永遠に手に入らぬシャウハウゼンを求めて貌を剥ぎ取り続ける怪人。
「ぶち殺すッ!」
屋根の上から駆け下り、その勢いすら利用して突貫してくる異形の怪物。
哀しい物語があった。
「先ほどよりも、さらに速く。危険ですアルフレッド様!」
「完璧に力も速さも要らない、ってのはとある顔の濃い人の言葉でね」
「え? 何を言って――」
イヴァンはアルフレッドの構えを見て息を呑んだ。自分の、カウンターに似た構え。それを彼は無手でやろうとしている。半身で、自分よりも上体は起きている。左手はだらんと下げて、右腕は軽く曲げ、発射する準備をしていた。
「力も速さも、相手がくれる」
限界を超えた速力。それに動じることなくアルフレッドは迎え撃つ。
「死ねェ!」
理外の速度から放たれる鎌。凄まじい破壊力を帯びたそれを見てなお、揺らぐことなくアルフレッドは対処する。左手のイェレナ製鉄甲をすっと伸ばし、相手の攻撃を滑らせるようにして、受け流す。
「――ッ!?」
全ては刹那。
右手はすでに発射されていた。すり抜けた時には決着がついていたのだ。
あまりにも速過ぎる攻防。フェランテの速さが期せずしてアルフレッドの技、そのレベルを引き上げたのだ。今までにない感覚である。
自分の中の、一つの理想像にピタリとハマったかのような感覚。
「うん、完璧だ」
崩れ落ちるフェランテ。意識は完全に消し飛んでいる。鉄甲で攻撃を受け流し、勢いがついたまま体勢を崩しかけたところに、アルフレッドの拳が通過した。その導線にはフェランテの顎があり、置くように撃ち抜かれた速くもなく、強くもない拳は怪人の脳を著しく揺らし、意識を完全に刈り取ったのだ。
アルフレッドの眼に、何かが零れる。
それはほんのりと蒼みがかって――
「カウンターはタイミングだ。ちなみにこれは前、ある人に三本目を取られた時の攻防、その裏返しだね。いやあ、爽快爽快」
気配は一瞬で霧散したが、それでも結果としてフェランテを生きて捕獲できた。イヴァンは初めから捨てていた選択肢である。
「任務完了。さ、リーダーに報告してこようか」
黒子とするにはあまりにも器が大き過ぎる、イヴァンはそう思った。
鼻歌交じりに縄でフェランテを拘束する男の底が見えない。幾度見ても驚きが更新され、確信がより強固なものへと変わっていく。
自分の道は彼と共に在る。そんな確信が――
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