夜明けのネーデルクス:それぞれの道Ⅰ
クロードの場合――
早朝から庭で狂ったように槍を振り回し続ける。朝から晩まで、毎日飽きることなく。途中きっちり三食取るが、やはりさして休むことなく槍を振り回す。何がそんなに楽しいのか、彼は常に笑っている。時折槍を止め、確かめるように振って、さらに笑顔。
「変質者か不審者のそれだね」
「茶化すんなら帰れよ、マリアンネ」
「今日はここでお茶するって決めたの。クロードがさ、汗水たらしている横で優雅にお茶をすする。そういう瞬間にマリアンネは幸せを覚えるの」
「捻くれてんな、行き遅れるぜ?」
「あんたにだきゃ言われたくないね。ふんだ」
話しながらもクロードは槍を振る手を止めない。
「オーバーワークって知ってる? エル・トゥーレで発表されたんだけど、我武者羅な特訓は筋肉を細くすることになって逆効果なんだってさ」
「知らねえ、馬鹿だから」
「だと思った」
優雅にお茶をすするのも飽きたのか、買ってきたお菓子をこれでもかと広げ、好き放題あれもこれもと暴食に走るスーパースタァ。彼女のファンが見たら千年の恋も冷めてしまうだろう。実際にこの手法で彼女は真摯の求愛をばっさばっさと斬り捨てていた。姉は天然で撃退し、妹である己は計算づくで――
(んー、どこまでいってもマリアンネはマリアンネなんだなあ)
しみじみと未だ色褪せぬ姉を思い出すマリアンネ。
それも厭いたのか芝生の上でゴロゴロと寝転がり始める。口煩い姉がいないととにかく自堕落極まるのだ、マリアンネという生物は。
「ねえねえ、棒切れ振って何が楽しいの?」
「あん? 喧嘩売ってんのか?」
「ちゃうちゃう。マジで疑問なわけよ、マリアンネちゃんとしたらさ」
「……何度振ってもさ。新しい発見があるんだ」
「全部同じに見えるけどね」
「ちげーよ。そう成った時が完成だ。俺のモノに出来たってわけ。でも、まだまだだ。頭の中に在る薄ぼんやりとした理想、そこに到達するために振ってんだけど、全然遠い。バラつくし、近づいているようで遠退いて、遠退いているようで、近くなってる。その繰り返しだ。どうだ、面白そうだろ?」
「全ッ然」
「だろーな」
退屈そうなマリアンネ。その内、勝手に昼寝しそうである。
それを見てクロードは苦笑する。
「マリアンネならお菓子を食べるね。甘いものはいいよ」
「……ったく。んじゃ、たまにゃあご相伴にあずかろうかね」
根負けしたクロードはマリアンネのそばで腰を下ろす。
「うむ、くるしゅうない」
「茶淹れてくれよ」
「自分で淹れろい!」
そう言いながら一応、彼女が二人分を用意する辺りそれなりに気を遣っているのだろう。本来の彼女であれば「飲みたいなら自分で用意せんかい!」と不動の姿勢を見せるところ。クロードは髪を掻き毟り苦笑する。
「ほい、マリアンネ特製ブレンドね」
「本当か?」
「んにゃ、その辺で買ったのそのまま淹れただけ」
「だろーな。くっく、本当にお前は変わらねえな」
「私は皆のマリアンネだからねえ」
「ハッ倒すぞ」
「やってみろ。ご近所さんに聞こえるくらい大声で喚いてやる」
「何て?」
「犯されるー! って」
「ごめんなさい」
「分かれば宜しい」
二人は同時に吹き出す。あまりにも状況に即していない会話。ネーデルダム全体がひりついている状況で、二人の間だけはとても穏やかで、どこか懐かしい空気が流れていた。
「髪伸びてんね。切ったげようか? 巧いよーマリアンネちゃんは」
「イーリスの師匠だもんな」
「何人かいる内の一人だけどね。イーリスもまあまあ巧くなったね。マリアンネ流殺法の免許皆伝をあげてもいいよ」
「髪切るのに殺法はやめろよ。つーかいいんだよこれは。伸ばしてんだから」
「んだこの野郎。色気づいてんな、おいこら」
「ちげえって。目指してる髪型があるんだよ」
「……何? 北方時代のにいちゃんの真似? 絶対似合わないからやめた方がいいよ。あのサラサラな髪質あってのロン毛。クロードの剛毛じゃもさもさになるだけだよん。ちゅーかあれだってルトガルドさんの手入れあっての髪型だからね」
「それもちげえ。俺だってあの人の髪型が似合わねえことくらいわかってんよ。俺が目指してるのは天を貫く漢の髪型さ」
「……軽く再現してみてよ」
「いいぜ。こうやってこうして、んで、こう! どうだ!?」
「ぶっひゃっひゃっひゃひゃ! お前私を殺す気かよ。ダサすぎて意識がぶっ飛びかけたわ。え、本当にそれ目指してんの? 正気? 頭大丈夫? お医者さん行っとく?」
「行かねえよ! クソ、女には分からねえ世界があるんだっての」
「いやー、でも、ぶっ飛んでていいんじゃない? くく、滅茶苦茶ダサいけどさ」
「どっちだよ」
「ダサいのがクロードでしょ」
クロードはハッとしてマリアンネを見る。ニヤニヤと寝転ぶマリアンネを見てクロードは肩の力を抜いた。色々ある。でも、それは脇に置くと決めたのだ。
その上で自分らしく。そのために三人分かれて修行を積んでいる。
「だな。んじゃ、泥臭くやるとしますか」
バリボリとお菓子を喰らい、紅茶を一気飲みするクロード。
「おー、がんばれー。マリアンネちゃんは寝ます」
「せめて屋敷に入って寝ろよ。それこそご近所さんに見られたら勘違いされんだろーが」
「むにゃ? 迷惑かにゃ?」
挑発的なマリアンネの顔を見て、頬を紅潮させるクロード。
(クッソ、この野郎。本当に、無駄に、顔が良いんだよなあ)
「にしし。シルちゃんベアちゃんが見てたら憤死しそうだねえ」
「何でそいつら二人が出てくるんだよ?」
「……こいつ、駄目だ。ほれ、さっさと棒切れ振ってなさいな。あと、さっきから小難しくしようとし過ぎじゃない? 大事なのは早く振ることなんでしょ? どうでもいいとこまで小難しくしても意味ないじゃん」
「ぐぬ、良いこと言いやがる。あー、今みたいになんか気づいたことあったら教えてくれよ、俺らの同期で一番頭が切れるんだからさ」
「金」
「……この、野郎」
「へーへー、気が向いたらね。つーか眠いし」
「だから寝るなら屋敷で寝ろよ」
「ぐがぁ」
「淑女がいびきかいてんじゃねえ!」
クロードの叫びの何のその、大の字になって芝生の上で眠るスーパースタァ。もはや何も言うまいとクロードも修練に勤しむ。
シンプルなところはシンプルに。難しい所は逃げずに難しく。
(ダサいの上等! やってやるぜ!)
マリアンネは片目をぱちりと開き、クロード・リウィウスの槍を見る。かつてベアトリクスやラファエルに転がされて泣きながら剣を振っていた少年はもういない。荒々と雄々しくそれでいて緻密さを得た槍はかすかに蒼みを帯び始めていた。
龍の牙、静かに新たなるステージへと飛翔する。
○
シルヴィの場合――
道場で静かに座禅を組む。唯一人、誰もいない場所で。
ここ数日一度として槍を握っていない。頭の中で母の見せてくれた槍とクロードが再現した槍、二つを幾度となく反芻する。飲まず食わずただ瞑想を続けるだけ。
いつものシルヴィであれば実戦、実戦と槍を振り回す。楽しいから、戦うことが好きだから、そうする。
だが、本気の虎はそうしない。
「…………」
静寂の中、白き虎は静かに牙を研ぐ。
三貴士の中で最も強いのはクロードかもしれない。粘り強く嫌らしいのはディオンだろう。そして彼女は、三人の中で最も天才であった。
天才の感性が完成へと導いていく。
白き虎が王として再び君臨する。
○
ディオンはニコニコと大道芸を見ていた。昔、義母と共に見たまんまのチープな蛇使い。笛の音でにょろにょろと這い出てきて、引っ込んでの繰り返し。何も面白くない。今見ても苦笑しか湧いてこない。
「あら、ディオン様、御機嫌よう」
「ガブリエーレさん。ご無沙汰しております」
「宜しいので? このような場所でのんびりとされて」
「あはは、手厳しい。今頃クロードは猛特訓、シルヴィは読めないけど、まあ、彼女なら問題ないでしょう。問題は僕、一番の凡人が如何にして取り繕うか、です」
「それで大道芸を御覧になっていますの?」
「原点に立ち返ろうかと」
「原点?」
「母、義理ですが、彼女が連れてきてくれたんです。今見ても本当につまらないんですけど、何故か義母のツボに入ったみたいで、ゲラゲラ笑いながら芸人から蛇を買い取ってしばらく家で飼いました。あくる日の夕食で蛇のフルコースになっていましたが」
「……蛇を、食べ、いや、え、と、何の話ですの?」
「義母は自分を蛇みたいな女だっていつも自嘲していました。性根がねじ曲がっていて、素直じゃなくて、暗がりばかりを往きたがる。自分のようにはなるな、ってのが口癖でした。でも結局、僕も蛇だった。それが少し、嬉しいんです」
ガブリエーレは静かに黙す。彼女も社交の場で多くの人を見てきた。しかし、これほど分からない人には会ったことがない。クロードやシルヴィは天才の部類。王道を行く天才である。だが、この男は分からないのだ。
本人の言う通りの凡人であるわけがない。しかし、彼ら二人と同じ天才であるという気もしないのだ。ならば彼は、どういう存在なのだろうか。
「蛇には翼がない。地を這うしか出来ない。羨ましそうに空を眺めるだけ。でもね、蛇と戦うには地に墜ちてくるしかないんです。そしてそこをバクッなんてね」
悪戯っぽく微笑むディオン。しかし、眼の奥は笑っていない。
「あの蛇を買われますの?」
「ええ。原点回帰ですから。僕は蛇で、僕の槍も蛇。蛇を観察して、自分のイメージを固める。蛇は飛べない。飛ぶ必要がない。僕は僕の道を往きます」
ディオンの意図が掴めない。それでも何故だろうか、何故か器用なようで不器用な生き方が大好きな姉に被った。彼は天才たちと同じ舞台では勝てないと理解している。だから舞台をずらすのだ。ヴィクトーリアに勝てぬからそれとは別の価値で勝負した女性もまた同じことをした。
その悲哀が見える。その覚悟が見える。
ある意味で彼らのような人種が一番強いのだと彼女は知っていた。
「すいません。今はちょっと、女性をエスコートできる精神状態ではありませんね。気持ち悪かったでしょう? 申し訳ございません」
「いいえ、嫌いではありませんわよ、不器用な殿方も」
「……そうですか」
姉妹揃って人を見る目に長けているのだろうか。思ったよりも深く、自分という人間を見られたことに恥ずかしさと、何となく笑みがこぼれてしまう不思議な気持ちが同居する。彼女に好かれているクロードを憎たらしいと久方ぶりに思った。
そのコンプレックスもまたこの男の原動力。
「いつかエスコートさせてください。楽しませて見せますよ」
「ふふ、楽しみにしてますわね」
潔く、余韻がない。頭が良くて、立ち回りも美しい。好かれる自信はないが、好かれたいとは思う。掴みどころの無さが、少し蛇に、義母に似ていたから。
性格はこれっぽっちも似ていないが。
「さてと、蛇の観察と解剖、最後に美味しくいただくとしますか」
蛇のような笑みを浮かべ、男は大道芸人に近寄っていく。あの時と同じように驚かれながらも大枚叩いて蛇を買い、笑えるほど何の肥やしにもならなかった観察をする。何の意味もない。人は蛇には成れない。槍は蛇ではない。
だが、そんな無意味な道程を経て――
「蛇、くーださいな」
鬼才、ディオン・ラングレーは大蛇と化す。
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