プレリュード:アルフレッド対パロミデス

 王宮からは居を移したものの、父に会うためたびたび王宮へ足を延ばしていたアルフレッド。その日も父に稽古をつけてもらおうと王宮へ訪れていた。

 何度もミラに負け、その度に修練を重ねて、それでもなお負ける。その日々が楽しかった。強くなっている実感があった。しかもミラと仲良くなり、その父親とも交流を持つようになって、より高い壁を見出すことが出来た。

 敗北がアルフレッドを高めた。高め続けていた。

 今日は久方ぶりに父と会える。忙しい合間を縫って稽古に付き合ってもらえるのだ。重ねてきた敗北、その度に学習し、強くなった。その成果を見せる。

 意気揚々とアルフレッドは父の下へ向かう。今日は褒めてもらえるだろうか、そんな夢想を浮かべながら――


「あの日のアルフレッドは神がかっていた」

 ウィリアムは執務室に一人座っていた。周囲には誰もいないように見える。声は物陰からしているが、そこに人の気配はない。

「貴様から父の仮面を剥ぎ取り、実戦の白騎士を引き出してしまった。未だ、その時の傷は癒えていないようだな。互いに」

 ウィリアムは「ふん」と鼻を鳴らす。

「実の父に殺されかけた息子と実の息子を殺しかけた父、か」

 白龍は今でも鮮明にその日を思い出せた。父も子もじゃれ合いのつもりであった。偉大なる父に本気を出したところで軽く捌かれてしまうと息子は確信しており、父もまたまだまだ力の差は大きいと錯覚していた。

 その剣は白龍の知る中でも異質のモノであった。父譲りの理合い、そこに父を上回る才能とそれに見合った剣をも取り込んだ絶技。白龍はそれを見て戦慄したものである。一目で理解してしまった。彼はあの二人を模倣し、そこから自身の剣を見出そうとしているのだと。ただ純粋に良いものを取り込む、その度量と無邪気さが恐ろしい。

 白騎士と剣闘王、その二つを同時に表現する才能。心技体、どれも途上。伸びしろはまだまだ残っている。それでこれなのだ。果ては何処までか、白龍には想像も出来なかった。

 父は圧倒的に強い、息子はまだまだ未熟。双方の掛け違いが、父の仮面を打ち破り白騎士の本気を引き出してしまった。久方ぶりの零度、濃縮された殺意がアルフレッドの心を砕いた。倒れ伏すアルフレッドの首から血が滴る。薄皮一枚とはいえ首を断った、断たれた。その事実が二人に大きな傷を残したのだ。

「あれで良かった。期せず証明できただろ? 俺は『王』である。たぶん、死ぬまでそれは変わらない。ただの父には戻れない。そしてあれも、ただの息子には、戻れん」

「ゆえの特別扱い、か。今日、だいぶ周囲がざわついていたが、全てを見ている俺からすると先ほどの件など優しいものだ。貴様はあの子を特別扱いし過ぎている」

「特別扱いをして何が悪い? あれは特別だ。それだけのことであろう? それに、俺に残る父はあれが特別で無くなることを望んでいる。王の器として不足であることを、俺はきっと心の底から望んでいるのだろう。同時に、確信もある」

 ウィリアムは悲しげな笑みを浮かべる。

「俺の望みは……叶わない」

 明日、全てが動き出す。すべての算段は整っている。パロミデスの力量、アルフレッドの状態、結果は見えている。其処からの動きもすべてシミュレート済み。

 賽はとうの昔に投げられていたのだ。


     ○


 王の前で戦う。ただそれだけのことがこれほど心をかき乱すことになるとは思っていなかった。アルフレッドは自らの状態が最悪であることを客観的に理解していた。その原因も、わかっている。尊敬し、信頼していた父に殺されかけたこと――

(あれは事故だ。父上も呆然としていたじゃないか。なのに何故、僕はこうなってしまう)

 剣の稽古。そういう事故はあり得る。気にし過ぎ、それだけのこと。客観的にはそう思えるのに、何故か心が言うことを聞いてくれない。

 揺らぐ心は身体にまで影響を及ぼし、たったの一夜でアルフレッドの身体を弱らせた。生気が失われ、顔色も青白く、四肢の動きまで鈍い。

 何故こうなってしまうのか、自分でも説明できない。死にかけたことがトラウマなのかと問われると、そうでもない気がする。実際に、出会い頭に遭遇したかの騎士、彼に殺されかけた時も今のような状態にはならなかった。

「僕は、なんで――」

 ただ一人、アルフレッドは舞台に立つ。気づけば武芸大会、目の前には敵であるパロミデスが見える。見えるが、見えていない。

 視線は、直接合わさずとも父に向けられていた。

 この気持ちがわからない。この震えの原因がわからない。何故、あの日々がフラッシュバックするのか。その意味が、わからない。

「酷い姿だ。これが俺の憧れた、超えるべき壁の姿か?」

 パロミデスが何かを言っている。でも、それがアルフレッドの耳朶を打つことはない。聞こえているが耳には入っていないのだ。声は届いてもその意味を解するための思考が働かない。何故、こうなってしまうのか。何故、父は今更放っておいた己を表舞台に立たせたのか。考えれば考えるほどに、頭が鈍重になっていく。

「あくまで上の空、か。良いだろう、俺は俺の甲斐性で……振り向かせて見せる!」

 パロミデスが剣を抜いた。それに応じてアルフレッドも剣を抜く。頭にもやがかかったまま、身体は重い。およそ戦える状態ではない。

「往くぞッ!」

 その瞬間、観客が沸いた。アルフレッドもまた驚きに眼を見開いた。

 勢い溢れる突貫。その威力を前に――

 黒き羊、筋骨隆々の体躯は異様な重量感を醸し出していた。気高き大角は全てを穿つ。突貫してくるパロミデスの重厚感こそオストベルグが誇る漆黒の重装騎士。

「ッ!?」

 アルフレッドは間一髪でその突貫をいなした。シンプルかつ直線的な動き、後手に回ってなお対応出来た。対応したつもりであった。

(これは、重いッ!?)

 手に残る鈍い痺れ。カイルや上位者たちの刃を受けた時に感じるそれを、同世代から味わおうとは――この剣はアルフレッドの想定を大きく超えていた。

「どうした! 受けてばかりがお前の剣か?」

 愚直な剣、それがパロミデスの剣であった。何処までも真っ直ぐ、ゆえに読みやすい。何でも器用にこなすアルフレッドとは最悪の相性。負ける気はなかった。この状態でさえ、捌けると侮っていた。

 折れず曲がらず、鉄の芯をまとう大角。だが、それを振るう男は愚かではなかった。きっと彼はエル・トゥーレで多くの経験を積んだのだろう。真っ直ぐの中にも選択肢が増えていた。アルフレッドほどの手札はない。それを捌く器用さも持ち合わせていない。だが、ほんの数手増えただけで、力強き大角を止める術が大きく削がれていた。

(まさか、こんなに、パロミデス!)

 強くなった。賢くなった。剣が大人になった。自分を知り、世界を知り、辿り着いた己が剣。さらにオスヴァルトにより高められた力強さとしなやかさ。

 捌く手に力が入る。出来る限り上手く受け、それでも残る残滓。

 汗が噴き出ていた。背中から、額から、手に汗握る。

「ようやく俺を見たな!」

 歓喜に燃えるパロミデス。さらに力強さを増す剣にアルフレッドは己が失態を犯していることに気づいた。手に力が入らない。受け過ぎたのだ、相手の剣を。同世代と侮ったツケ、自分の状態など言い訳にもならない。

(集中しろッ! 勝ち筋はある。今だけは、全部頭の中から吐き出せ!)

 負ける寸前。敗色濃厚。ここに来てようやくアルフレッドの心が落ち着きを見せた。

 炎が舞う。蒼い炎が――

「アルフレッドォォォ!」

 パロミデスの咆哮。それと共にとてつもない破壊力を秘めた剣が来る。受けはない。いなし、かわす道もない。そもそも後退は負けを先延ばしするだけ。まだ握力がほんの少しでも残っている内に、起死回生の一手で仕留める。

(相手の勢いすら利用して、カウンターで仕留める)

 一瞬で一手を弾き出し、それを間断なく実行に移す。この瞬間だけ思考がクリアになった。敗北を意識した瞬間、まるでそれを受け入れぬとばかりに迷いが晴れたのだ。一瞬、本当にただの一瞬だが、『自分』が戻ってきた。

 相手の最高威力、衝突の瞬間に身体を強引に入れ替える。突進の威力を回転に変換し、ぐるりと身体を入れ替えた。パロミデスは背を取られたことに気づく。油断はなかった。ただ、アルフレッドの機転が、大きな隙を作り出してしまっただけ。

 一騎打ちで背を取られることの意味、パロミデスは苦笑して振り向いた。きっと己が喉元には剣が添えられている。まだ届かなかった。悔しいが、それでこそ――

「さすがアルフレッド。俺の負――」

 振り向いた先、アルフレッドは顔を歪めて立っていた。剣を振った体勢、剣さえ握っていれば丁度、それはパロミデスの喉元に向けられているはずだった。しかし、現実は、無手のアルフレッドが其処にいるだけ。

 剣は、舞台の隅に転がっている。

「……僕の負けだ。パロミデス」

 握力が残っていなかったのか、汗で滑ったのか、それはアルフレッド本人でさえわからない。自分は剣を握りしめ、勝利したつもりであった。

 だが、現実はこうである。

「本当に君は、強くなったよ」

 腕をだらんと落とし、背を向け力なく歩き出すアルフレッド。それを呆然と見送るパロミデス。観客からは「パロミデス」の大歓声が降り注ぐ。

 一瞬だけ、アルフレッドは気にかかっていた人物に視線を向けた。

(やっぱり、そういうこと、だよね)

 アルフレッドは哀し気に微笑んだ。其処には想像通りの『眼』があったから。


     ○


 その男の周囲、ひと言かけることすらはばかられる雰囲気に包まれていた。三王妃ですら今の男に声をかけようとは思わない。王子たちも同じ。

 男がまとい持つ雰囲気はあまりにも冷たかった。その視線は零度、何者をも寄せ付けず、全てを拒絶する絶対零度のまなざし。怒りか、呆れか、推し量ることすら出来ない。だが、ひとつだけはっきりしている。

 その男、アルカディア王ウィリアム・フォン・アルカディアは、氷のような零度の視線を息子に向けていたのだ。パロミデスに敗北を喫した愚息に、向けられている。

 それを見てクラウディアは妖艶に笑う。何かが、動き出した音がした。

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