始まりの悲劇:悪の華

 ラロの一件でアルカディアの上層部も揺れた。同世代と思しき無名のラロが成したなら、自国の英雄になるであろうヤンも成せるのではないかと。英雄が欲しい、ずっとそう願ってきたアルカディアだからこそ、欲が出る。

 諦めていた欲が、ラロの一手で穿り返されてしまった。

「……王がお認めに成った」

「御尽力感謝いたします。バルディアス大将閣下」

「ん、気にするな。一冬でよくぞこれだけの準備を成した。あとは、結果だけである」

「承知しております」

「だが、これっきりではないと言うことも覚えておけ」

「は?」

「巨星に負けた経験も価値はある。一度の敗北で全てが終わるわけではない。であれば我らなどとうに死に絶えておるわ。ゆえ、潔く死ぬなどと言う馬鹿な真似は、するでない」

「……承知しました。負ける気はありませんが」

「うむ」

 ヤンとバルディアス、不思議な関係であった。本来第一軍に行くはずだった名家のヤンを引き抜き、第一軍に比べれば劣るとされる第二軍へと配属させた。普通ならば悪印象があってもおかしくない。だが、ヤンは理解していた。期待されているからこそ、小さな戦でも場数をこなした方が良いと、バルディアスの親心があったのだ。

 加えてバルディアスはヤンのモチベーションの低さも理解していた。ある程度自由に差配できる環境と、早々に責任を押し付け、無理やり働かせることも第一軍では難しかっただろう。第二軍ゆえ、バルディアスゆえに通せた特別扱い。

「では、失礼いたします」

 ヤンの背中を見て、その背に揺らめく炎を見て、バルディアスは確かにこの時、アルカディアの明日を見た。必ず、成る。そう信じて――


     ○


 秘密の部屋にて、二人は一枚の絵を囲んでいた。

「ヤン、この絵」

「上手いもんだろ。我ながら力作だ」

「私とアルと、貴方が並んで、まるで本物みたいに」

「芸術家の先生に言わせると写実過ぎると絵の意味がないって言うんだけど、僕は別に芸術家に成りたいわけじゃないからね。本物そっくりで何が悪いって話さ」

 三人並んだ絵。三人とも笑っている。幸せそうに、この上なく、満ち足りた世界があった。これを本物にするためにヤンは戦うのだ。このための一歩こそ――

「いつか上で、堂々と三人暮らそう。必ずそうする。僕はね、今まで出来なかったことがないんだ。天才だから。これくらい簡単さ」

 ヤンはアルレットを後ろから抱く。アルレットもまた後ろに身体を預ける。

「無理はしないで」

「心配しなくて大丈夫。僕を信じて」

「ええ、でも、貴方ばかり――」

「言っただろ、今度は僕の番だって。あの時の答え、戻ってからもう一度聞くよ。結構ポイントも稼いだから、良いセン行けると思うんだけど、こればっかりは自信がないや」

「もう、馬鹿ね。そっちこそ安心して良いから」

 唐突に唇が重なる。ヤンの眼が、あの時と同じくらいぱっちりと見開かれた。

「……必ず勝つよ」

「無理は、しなくて良いから。私はもう、充分幸せだから」

「駄目さ。全然足りない。アル君の分も、正しく清算しなきゃいけないんだ。僕がやる。そのために僕はゼークトに生まれたんだ。そのために僕は、天才として生まれたんだ。ようやくわかった、僕の生きる意味が。君のおかげで、ようやく」

 ヤンは誓う。絶対に勝つのだと。勝ち続けてきた男が、初めて勝つことを欲した。心の底から渇望する。本当に欲しいモノのために、何としてでも勝利を我が手に。

「待っていてくれ」

「ええ、必ず」

 二人は温もりを確かめ合う。

 其処に、確かにそれはあったのだと証明するために。


     ○


 英雄の旅立ち、ヤンたち若手は雄々しく旅立った。

 まずはストラクレスを引きずり出さねばならない。そのためにラロのように勝ち続け、出さざるを得なくする必要がある。そうするまでの段取りは確認済み、勝利への道筋は何度も確認した。全軍、幾度もさらっている。

 刷り込んだ道筋、勝ちに行くのだ。

 アルカディアの武人なら誰もが欲した巨星の首を取るために。


「ねえ、ヤン。人物画、描かないって、言ってたよね。興味ないからって」

 散らかったヤンの部屋に一人の美しき乙女が立っていた。誰もがその美を褒め称え、アルカディアにおいて他にはいないと数々の貴公子から愛を捧げられた絶世の美女。それでも、求めていた、たった一つの望みが叶わないと知った。

 彼女は一度として使ったことが無かった『彼の部屋』の鍵をここで使った。ヤンが絶対にいないタイミングで、彼が絶対に忘れているこの鍵を使って。これが約束だったはずなのだ。たった一人しか持たない、絆の鍵。

 今思えば、ただの好き、嫉妬の裏返しでしかなかったいじわる。それに耐えきれなくて幼馴染の家の庭で泣いていた。幼馴染のヤンだけはいじわるしなかったから。だからそこにしただけ。でも彼は、くれたのだ。自室の鍵を。

『一応友達だから、逃げ場として使っても良いよ』

 いつものヤンが、いつもとちょっとだけ違うことをしてくれた。

『じゃあなぐさめてよ』

『いやだよめんどうくさい』

 その一歩が、嬉しかった。それだけで良かった。千の言葉よりも、あの時代にもらったこれが嬉しかったのだ。何よりも、誰よりも、彼が好きな自信がある。

「うそつき。どんなに頼んでも、私は描いてくれなかったのに」

 ヤンが変わった。何か確信があったわけではない。でも、囁いたのだ。女の勘が、あれは女だと。だから、大事な大事なこれを使って入った。本棚をすべてかき出して、机の下を、棚と言う棚を引っ繰り返し、とうとう見つけた。

 たった一枚の絵。横顔で、黒髪によって全貌は見えない。これならば見つかっても構わない、ヤンはそう判断したのだろう。大事に大事に、されど出してすぐに見えるような場所に隠されていた。乙女はそれを引き裂きたい衝動に駆られる。

 引き裂いて、ズタズタにして、それで――

「ねえ、ヘルガさん。この女、心当たり、ある?」

 乙女の背後に佇む握魔が微笑む。

「ええ、分かり辛いですが、覚えがあります。伯爵もきっと、見抜かれるでしょう。嗚呼、とてもお上手、あの女の眼が、本当に写したかのように描かれている」

「そう、私の方がずっと美人なのに……ヤンったら」

 乙女は嗤う。彼女の人生で初めての感情。顔が歪む、貌が感情に染まる。

「この人、地位は?」

「奴隷です」

「まあ、本当に、ヤンったら……彼、優しいから、そう言うのに良く付け込まれるの」

「……如何致しますか?」

「言わなきゃわからない?」

「いいえ、いいえ、貴女のお望みのままに、麗しの乙女」

 正攻法で勝てぬから、あれ以来回り道をしながら穴を探した。気配を消して、近づき過ぎず、暗殺者時代に培った全てを投じて、情報収集に努めた。それを婚約者である乙女にもたらしたのだ。最初は信じなかった。しかし、幾度もそれをもたらし、少しずつ懸念を積もらせる内に、それは花開いた。

 悪意の華、美しく、それは誰にでも咲き得るもの。

「ねえ、その絵、用向きが終わったらお返しして頂いて宜しいかしら?」

「構いませんが、何に使われるおつもりで?」

 乙女は嗤う。もはやそこに――

「ズタズタに引き裂かなきゃ、ヤンがしっかり忘れられるように、ね」

 在りし日の彼女はいない。

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