始まりの悲劇:完璧なる男
「ラロとは誰だ?」
誰もが思った。この男は誰なのか、と。片翼失えど相手は黄金時代の残り火、『双黒』その人なのだ。すでに彼は自らを三貴士と位置付けていなかったが、国はそれを許さずに柱として残していた。それほどの大人物を無名の若者が下す、これは事件である。
エル・シドならばわかる。彼はすでに片翼を奪ったのだから。チェならばわからなくもない。少し衰え始めたとはいえ彼もまた黄金時代の三貴士らと渡り合ってきた猛者なのだから。しかし、それ以外と言う話であれば、もはや候補が思いつかない。
カンペアドールもまた三貴士との死闘により多くの才人を失っていたから。
「隠していたか。エル・シドめ、味な真似を」
接点の無いオストベルグですら揺れる。ベルガーは苦い笑みを浮かべていた。
「あの男が死ぬ時代か。わからんもんじゃなァ」
ストラクレスもまた歴戦の勇士の死に目を瞑った。
世界が揺れる。
「サロモン! 聞いたか!」
「墜ちましたな、星が一つ」
「あのヤンに続きこれか。面白くなってきたではないか、世界も」
ネーデルクスが勝手に落ちた今、名実ともにガリアスの一人勝ち、超大国として君臨することと成る。経済の低迷、精神的支柱の喪失、かの国は今、絶望の淵に立つ。
「確信があったのだろう、エル・シドには」
「哀しそうで、嬉しそうね、ウェルキン」
「複雑だよ。それでも、新たな息吹と言うものは良いモノだ」
世界の中心に座す英雄王もまた風向きの移り変わりを感じる。
されど――
「さて、私たちまでその刃、届くかな?」
巨星は未だ健在。時代は揺れるも彼ら討たずして先は無し。
「この戦い方は」
ヤンは情報をかき集め、ラロと言う男の戦いを知る。それは自分がストラクレス相手にやろうとしていたことと近く、その男が自分と近しい視点を持つ証左でもあった。
「お前の指示で練兵させてる動きに似ているな」
ヘルベルトも唸るラロの戦術。内容も素晴らしいが、先んじられたのが問題であった。誰よりも先を行っていたはずの男が、あっさりと差され、成した方がきっちりと結果を残して見せた。これでもう――
「……もう冬だ。来年じゃ同じ仕掛けは通用しない。すぐに、プランを練り直すよ」
「ああ、俺の兵は精強だ。冬でも夏でも関係ない。プランを急がせろ、すぐに叩き込む。次節までには間に合わせて見せる」
「やってくれたよ。でも、感謝しなきゃいけないな」
「何で感謝するんだよっと?」
「これで、流れが変わるからさ」
ヤンは微笑む。その手に、力が入った。
○
時は遡り――
エルマス・デ・グランから大きくネーデルクス領に食い込んだ場所で、エスタード軍とネーデルクス軍は衝突していた。圧倒的進軍。攻めの速さ、苛烈さが尋常ではなかった。これ以上は許容できない。ネーデルクス本国はそう判断する。
「これ以上は踏み込み過ぎだぜ、ラロ!」
エル・シドはいない。チェもいない。上の世代がいないのであれば――
「ほら見ろ、とうとう出てきやがった!」
「いや、それを出すための進軍だろ? ディノは馬鹿なのか?」
「お前にだけは言われたくねえよ槍馬鹿!」
「……嗚呼、槍を持っているだけで絵になるなあ。俺もああ在りたいものだ」
「無視すんなや!」
伝説の世代ならば勝てる。そうネーデルクス本国は判断した。
ゆえに現れる。
「三貴士だァ!」
最後の黄金世代、片翼失えどその絶技、未だ衰えず。
重厚な雰囲気が戦場を制覇する。漆黒の旗がたなびく。
旗に刻まれし比翼。死してなおもう一人は此処にいる。彼と共に在る。
「全軍、前進ッ!」
たったの一言、命じるだけで跳ねあがるボルテージ。
「いつものネーデルクスじゃねえな」
「ラロ?」
「……いや、俺にはいつも通りに見えるがね。いつもと違うのは俺たちの方だ。英雄の熱に、英雄の生み出す圧力に、怯んで力を出し切れない」
「いや、だから結局同じ事だろ。いつもと違うんだし」
「違わないさ。要するに、熱を冷ましてやれば良い。それでいつも通りだろう?」
ラロは指をはじく。その合図と共に背後の投石器が動き出した。
「玩具にも使い道はあるものだ」
降り注ぐこぶし大の石。狙いなど適当である。とにかく敵の塊目掛けて多量の飛礫が飛ぶ。それは雹のように降り注ぎ、肉を、骨を砕いて敵兵を死に至らしめた。
「こんなもんで三貴士が止まるかよ」
ディノの言う通り、何事も無かったかのように土煙の中から飛び出してくる『双黒』、そして彼を信奉する精鋭たち。ラロは微笑む。
「弓隊構え。前線、双斜陣用意!」
前線が整然と動き出す。ラロの軍は最前線に精鋭を集めていた。分厚い盾を己が五体が如く扱うことが出来、ラロの意図通りに動くまさに手足。
中央が尖った歪な陣が完成する。
「弓隊、狙いは『双黒』の奥だ! 撃てッ!」
強い矢が『双黒』を超えて、その先へと降り注いだ。当然、『双黒』の足は止まらない。喰らってやるとばかりに猛スピードで接近してくる。
「ディノ、テオ、左右へ散れ。やるべきことは打ち合わせ通りに」
「「承知」」
全ての段取りが整った。英雄の熱、未だ冷めず。
「美しいな、俺もそう在りたかった。戦士として、これほど焦がれぬ姿が在ろうか」
最も強く、硬き中央。其処が爆ぜる。当然の如く、『双黒』は無人の野を往くが如く突貫してきた。美しく、強く、理不尽。だからこそ彼らは英雄で――
「そして哀しい。時代は次のステージに往こうとしているのだから」
だからこそ自分には勝てない。
○
続々と分厚い中央を裂いて飛び込んで来る精鋭たち。
ラロは腕を組み陣の奥からそれを眺めていた。未だ冷めず、未だ衰えず、突き進む姿に焦りを覚える本陣。焦っていないのはこの男だけ。
「分かっていても気圧されるものか。やはり特別なのだな、英雄とは」
ラロ・シド・カンペアドールだけが余裕を崩さず其処にいた。
「ふむ、これで全員か。前線、陣を立て直せ!」
ラロの声が戦場に奔る。一瞬、英雄の熱を切り裂き、その声は最前線に届いた。打ち合わせ通り、彼らもまた精鋭なればこの状況からでも、立て直すことは出来る。
「……小細工を」
遅れてきたネーデルクスの兵が前線と衝突する。だが、今度はそれが砕けることなく、縦の隙間から伸びる槍で多くが絶命していく。彼らの死体が積み重なり、自然とネーデルクスは正面ではなく斜めに展開していく。盾の道に沿って――伸びる槍に殺されながら。
「閣下ッ!」
「安心しろ。これだけいれば、充分届く!」
「承知ッ!」
分断されたことを察しながら、逆に『双黒』は足を速めた。それは間違いなく正解であろう。こんな場所で回頭すればそれこそ全てが台無しと成る。勝つには前、それしか選択肢は無かった。分厚いエスタード兵が彼らを遮る檻と化す。
「勢いが落ちた普通の兵は突破出来ん。出来る者だけが、今、攻めている」
投石も、弓も、狙いは常に精鋭たちの後背、普通の兵であった。
熱量の差、技量の差、力の差、ラロはそれを如実に炙り出す。
「ラロ様!」
「さすがの突破力。軍としての機能で言えば貴方たちが黄金時代最強だった」
ラロの眼に映るのは分厚いエスタード兵を突破した『双黒』の姿。それに続く精鋭たち。
「ディノ、テオ、やれ」
左右から猛然と軍を率いてやってくるディノとテオ。『双黒』を挟む形でぶつかった。猛者二人、片方はチェに追従する膂力を持つディノ、片方はネーデルクスの槍を見て学びそれらを吸収し続ける異端児テオ、その二人に挟まれたなら――
「これでも詰まんか。これで巨星ではないのだから、恐ろしいモノだ」
普通なら詰み。だが、『双黒』は普通ではない。
「それでも、他は貴方ほど特別ではないだろう?」
それでも後続をディノとテオ、彼らの側近たちが挟んで足を止めた。死闘が繰り広げられている。足を緩めず突き進むはただ一人、『双黒』のみ。
「馬を狙え」
ラロが手を上げると、本陣に残った兵が全て剣や槍を手放し、隠し持っていた弓を構えた。それを見て顔を歪める『双黒』。この期に及んでまだ、この軍の長は自分の間合いで戦おうとしないのだ。あまりに熱が薄い、欠けている、資質に。
「撃て」
本陣への道は坂になっており、馬の足も自然と落ちる。
「耐えよ、戦友よ」
矢が、突き立つ。それでも英雄『双黒』の馬は足を止めずに突き進む。彼の熱は、種族を超えて愛馬にも伝わっていたのだ。祖国のために、翼を失いながら戦い続ける英雄を運ぶが我が命、その眼は、最後の一線まで折れずに――
「つくづく、英雄」
「よくぞ此処までッ!」
英雄『双黒』が飛ぶ。馬が崩れ落ちると同時に、まるで龍が如く跳んだ。
「龍でなくとも、俺とて三貴士だ!」
「美しい」
着地した男の目の前には、ラロの弓隊があった。即座にその首を掻っ切り、彼らが武器を拾う前に漆黒の槍が猛スピードで全てを仕留めてみせた。
「まさに英雄」
「三貴士を、舐めるな、小僧ッ!」
眼前には三貴士一人。この局面になって初めてラロは表情を変えた。
獰猛な、獣じみた笑みを浮かべる。
「まったく、俺もまだまだだ」
半身で盾を構え、剣で突く姿勢。『双黒』は立ち姿で理解した。
「これでは兵法家の意味がない。総大将(俺)が剣を握るようでは、未完甚だしい」
「沈めッ! 若き星よッ!」
鉄の盾すら貫く珠玉の突き。地上戦における破壊力、その一点で彼に勝る三貴士は居なかった。恵まれた体格を持ち、類まれなる資質を持った最後の一人。翼は心の中にある。ユーサーを下らぬ確執で失い、神の子誕生の翌年、荒れ狂うエル・シドにキュクレインを、そして自らの片翼も失った。それでも何とかここまで支えてきた。
先人たちの残したネーデルクスを守るために。何よりも――
『ネーデルクスを、頼みます、■■■■、さん』
彼の愛に応えずして何が三貴士か。
想いを、誇りを乗せてその槍は奔る。
「ぬっ!」
だが、その熱が受け止められることは無かった。槍の穂先、其処に合わせるように美しい所作で、寸分の狂いなく盾が斜めに差し込まれる。結果、槍の軌道はそれ、必殺が砕かれる。完全に見切らねば為せぬ芸当。盾の隙間から覗く眼光、その冷たさと熱が同居した色に、『双黒』は自然と笑みがこぼれた。
(なるほど、この男もまた――)
英雄に成るべき男。自分と志向性が違うだけ。おそらくシャウハウゼンやキュクレインと同様の資質を持つのだろう。灼熱と零度、行き着く先は、蒼き光。
ただ、この男にはその欲がない。技を極めんとするシャウハウゼンやティグレのような強欲がない。なれば、彼らには届くまい。キュクレインとは別の意味で彼は心の資質だけが欠けていた。武人としての、最後の一線、彼は超えない。超える気がない。
「もったいないなッ! 気構え一つで、貴様は成れる人間だと言うのに!」
怪物じみた膂力と精密さが同居する黒き槍がラロを襲う。
「成って何の意味がある? ただ一人、天に座して何を成す!? エル・シド様が、ジェド様が、心より求めた最強の頂。其処に至って何とする!?」
されどこの男、鉄壁。盾と剣でその猛攻をすべて捌き切る。
「ジェド様ならば成れた。俺の目指す先、群れの王に! だが、あの人もまた貴方たちと同じ英雄を求めた。俺もそうだ。心のどこかで、俺も求めている。熱を、捨て切れない。未完、未完未完未完未完ッ!」
ラロは歯噛みする。それを求める心を抑えつけて――
「次の時代にエスタードを適応させねばならない。それが上に立つ者の使命だ。俺の欲で、エスタードを遅れさせるわけにはいかんのだ! だから!」
ラロは華麗に『双黒』の槍をそらし、そのまま身を翻す。『双黒』相手に背を向けたのだ。信じ難い暴挙である。信じられない蛮行である。
此処まで一切の狂いなく、針の穴を通してきた男が――
「俺は熱を捨てる。完璧と成る。愛するエスタードのために」
それはつまり――
「今日もまた一歩、俺は近づいた」
彼の中で勝負が決したと言うこと。『双黒』の槍はラロの背に――
「天に」
届かなかった。その五体、死線を超えたディノとテオが破壊する。
「ゆる、せ、■■■」
背後から、左右挟むように二人の石斧と槍が交錯した。『双黒』はそれに気づいていたのかもしれない。だが、ラロの鉄壁とディノとテオ、二人の才能を前にして、勝ち切れると判断できなかった。何よりも、彼ら二人が来たということは、分断された精鋭たちもまた先人たちの下へ逝ってしまったと言うことで、それはつまり――
軍としての完璧な敗北を意味するのだから。
「満足かよ、完璧野郎」
本当の意味で三貴士であった男の死、最後の黄金時代が崩壊していく様を見て、ネーデルクスの戦意はいともたやすく消え失せた。誰もが戦うことを忘れ、ただ涙を流す。もう、あの栄光の時代は還ってこないのだと、頭ではなく心が理解した。
彼らはもう戦えない。支えが、無くなってしまったから。
「いいや、まだまだ、だ。剣を抜いた時点で未熟を露呈したも同然。分かっているのにそれを求めたジェド様を笑えんよ」
「……相変わらず理解出来ないなあ」
「テオには分からんさ。お前たちはそれで良い」
微笑むラロ。そして指をはじく。
「速やかにエルマス・デ・グランまで撤収。欲しいモノは得た、これ以上は必要ない」
このまま押す気など彼には無かった。そもそもが喰い込み過ぎなのだ。質に頼れなくなったネーデルクスは恥も外聞も捨て、量に頼む戦い方と成るだろう。斜陽とは言え国力には未だ大きな開きがある。勝ちが過ぎればサンバルトを通過してガリアスが咎めに来る可能性もあるだろう。かの国は同盟関係、国名の違いなどあってないようなもの。
本気のネーデルクスと大義を得たガリアス、パワーバランスを崩すところまで行けば、損をするのはエスタード。その愚は冒さない。必要な分は手に入れたのだ。
「ん?」
ラロは野に咲く花を見て、笑みを深めた。
それを摘み、東へとかざす。
「俺は借りっぱなしは性に合わない。動きが無かったと言うことは、動けなかったのだろう。俺にはエル・シド様がいるが、そちらには無理を通せる人物はおるまい。これはお返しだ、顔も知らぬ友よ。時代の揺れ、君ならば見逃すまいよ」
そしてきざったらしく花を放り投げ、今度こそ身を翻した。
「アデュー。いつか戦場でまみえよう。その時、世界は知る。真の戦場を。熱ではなく、英知が支配する、人たるがゆえに生み出せる、珠玉の芸術を。実に楽しみだ」
完璧の戦。世界は知る。
時代が変わろうとしていることを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます