ファイナルウォー:緒戦開幕
カイルは年若い少年が率いる十人隊へ配属されていた。少年の名はオットー・ミューレン。孤児ではないためにテイラー姓ではないが、彼もまたあの学校を卒業したテイラーズチルドレンである。ただし今回が初陣で、本人も自信がない様子。
他のメンバーも実戦経験はない。多少使えそうなのは剣闘士上がりの奴隷だが、最近ようやくメインを張り始めたばかりの若手で、口は達者だが中身が伴っていない。
「皆さん、僕たちはこの山岳地帯にてオルデンガルドへの道を死守する任務を帯びています。ここを抜かれたらオルデンガルドまで見えてくる。それは国家の敗北だと肝に銘じてください。僕たちは死んでもここを守らねばなりません」
「何でオルデンガルドが落ちたらやばいんだ? アルカスがあるじゃん」
剣闘士上がりの青年は疑問を呈した。他の面々も首を傾げている。
「オルデンガルド以降、戦いに有利な地形が存在せず、アルカスまで遮るものはほとんどありません。そして肝心のアルカスですが……戦う構造になっていないのです。見栄え上、戦えそうにも見えますが、すぐにぼろが出るでしょう。それは敵味方共に共通の認識です」
わかったようなわかっていないような、微妙な表情で彼らは頷く。これ以上突っ込んでもどうせわからない。なら黙って言うことに従おうという感じ。どうにも無気力なのが否めないのは彼らが奴隷だからだろう。奴隷にとって国家が変わってもやることは変わらない。立場も変わらない。だからやる気も出ない。
向上心のある者でも負けが濃厚な戦では心の乗らない。彼らは馬鹿だが意外と機微には鋭い。そうでなければ生き残れないのだ、底辺は。
この戦は負けそう、始まる前からそういう空気が漂っていることに彼らは気づいていた。
「この渓谷を守るんだな?」
カイルの問いにぱあっと曇った顔がはれるオットー。能動的な質問が来てうれしいのだろう。他の連中がすでに興味なさげな雰囲気だったので尚更である。
「はい。少数なら山越えも選択肢に入りますが、大規模な移動となればこういった地形を利用するしかない。オルデンガルドまでこういった自然の要害はいくつもあります。ここはその内の一つ、メインではありませんが、だからと言って気の抜けない場所です」
「なるほどなあ。若いのに色々考えているんだな」
「僕が考えているわけじゃありませんよ。いつかそういう立場に立ちたいとは思っていますが。今の僕じゃあらゆる意味で力不足ですが」
「ならこんなところで死ぬわけにはいかんな。一緒に頑張ろう」
「はいっ!」
カイルとオットーが会話をしているところに、剣闘士上がりの青年が首を突っ込む。
「おっさんガタイ半端ねえけど、何かやってたのかよ?」
オットーもヒルダから何も聞いていないのか「確かに凄い身体だ」と頷いていた。
「……昔、少しだけ剣闘士だった。今はしがない鍛冶師の手伝いだが」
「へー、おっさんも剣闘士だったのか。でも今鍛冶師の手伝いしてるなんてたいして稼げなくて身分買うので精一杯だったってとこだろ? 身体はでかいのにちっちゃいねえ。俺ァビッグになる予定だからよ。いずれは剣闘王って呼ばれる男だぜ」
カイルはいつの間にか遠い過去となった自分の称号を思い浮かべる。同業者でも自分のことがわからない人がいる。相当自分は実戦から離れていた、そのことを突き付けられた思いであった。
「生き残ったら君の試合も見に行こう。賭けさせてもらうよ」
「おう、儲けてくれよおっさん」
戦争が始まる。ここは決して主戦場ではない。だが、敵が見逃してくれるほど不必要な場所でもなかった。初陣の隊長、奴隷ばかりの十人隊。彼らに期待を寄せる者は皆無だろう。この渓谷を守る十人隊の中で最低の評価であってもおかしくはない。
そんな彼らがこの戦争で大きな功を成すなど、今はまだ誰も予想していなかった。
○
カイルは持ち場から離れ山に登った。切り立った断崖の上、眺めの良い場所を見つけて「よっこいせ」と座り込む。自分の持ち場が戦場になるのはまだ先、ならば見学して戦場の空気とやらを味わっておこうとカイルは考えた。
オットーに許可を取ると「あ、いいですよ」と軽く返事が返ってきたので、お言葉に甘えてパンを片手に戦場見物としゃれこんでいた。
「ほー、こりゃ凄いな。ここからでも人の群れがくっきり見える」
晴れ渡る空の下でさえかすんで見えない距離。数人ではそれなりに目の良いカイルとてそれを人と判別することは出来ないだろう。人の群れ、夥しいほどの群体が向かい合っている。あれが主戦場、メインのルートを攻め、守る、戦場であった。
「……ふむ」
明らかにまとう雰囲気が異質。そう言った人間は遠目でも目立つものだが――
「強い」
カイルは無精ひげを撫でつけながら目を細めた。その眼に浮かぶのは警戒の色。群雄割拠の戦場において、明らかに飛び抜けている黒の狼と紅の騎士。味方側で待機している白い剣もかなりのものだが、少なくとも戦場での影響力は彼らが一枚も二枚も上手であった。
「こんな場所をお前は生き延びてきたんだな。改めてお前は凄い奴だよ」
カイルの知る戦場は遥か幼少の頃、祖国を蹂躙された記憶が最初で最後。その時見たあの怪物と同等クラス、少し落ちるのも含めて味方に一人、敵に三人。調子次第ではその四人を打ち破れそうなものは枚挙にいとまがない。
ただ、便宜上四人と並べたが、やはりあの男は図抜けていた。
○
誰よりも速く、誰よりも先んじて『黒狼王』ヴォルフ・ガンク・ストライダーは突貫していた。彼の背中を見て跳ね上がる戦意、それをそのまま牙としてアルカディアの陣を中央から一気に食い潰していく。
「このまま一気に……はならんか」
だが、その勢いをアルカディアはあえて受け、そのまま陣の中央――前衛を前進させ後衛を後退させ、生み出した空間に誘いこもうとする。ヴォルフは瞬時にその危険を嗅ぎ取り急速旋回、味方を振り落とす勢いで方向を変えた。
敵の群れのど真ん中で――
「さすがに学習してんな」
「貴様はアルカディアが一番警戒している男だ」
「対策などいくらでも講じているぞッ!」
「ハッ! 生意気な坊主どもめ!」
それすら読み取りさらなる策を放つのはテイラーズチルドレンと呼ばれる若き俊英たち。皆、ウィリアムやカールなどに戦のやり方を学び、イグナーツに生き残り方を、ヒルダからは骨の髄まで戦闘技能を叩き込まれていた。
一人一人は小粒だが、その数は年々増え続けている。
黒狼との戦い方はとにかく戦いを避けること。先手先手を打ち、遠間から敵を削る。それが無理でもここに留めれば全体としての影響力を封じることが出来る。
テイラーズチルドレン以外にも彼らに影響を受けた者や教えを乞うた者、学校で学ばずともそれなりの知識を持ち合わせているものは多い。アルカディアの軍勢は年々強くなっている。まるで武王亡き後のガリアスを見ているかのようだ、と識者は語る。
黒狼の軍勢が意外にも封殺されている横で、エスタード軍を中心とした本隊が着実に歩を進めていた。個人の戦術理解度ではアルカディアが勝れども、個人の武力、その平均値の高さにおいてエスタード軍を超える群れはローレンシアに存在しない。それほどに彼らは個人個人が強さに誇りを持っていた。
すべては自分たちを半世紀導いた怪物に憧れ、そこを目指したがゆえ――
「緒戦は様子見が多い。だからこそ、ここで一気に蹂躙し尽くすのが『烈日』流だ。見とけよゼノ。これが俺たちエスタードの……戦だッ!」
現在、自他ともに認めるエスタード最強の男、ディノ・シド・カンペアドール。その男が愛用の大石斧を担いで最前線に躍り出た。
「喰らえやッ!」
戦慄するほどの破壊力。単純なパワーだけなら巨星にも匹敵するディノの一撃は、まるで埃でも払うかのように人の骨と肉を撒き散らした。
「一気に決めるぞッ!」
ディノの号令に勢いを増すエスタード軍。だが――
「「憤ッ!」」
その勢いは二人の将が率いる軍団によってかき消された。
「邪魔すんじゃねえよグレゴーォル」
「人の家に勝手に上がりこんできた盗人を前にして邪魔をせんものがいるか?」
「おい私を無視するなゴリラども」
「貴女も充分ゴリラだよシュルヴィア嬢」
「うるさい死ねくそナルシスト」
「美烈ッ! クラビレノ・アラニスだ脳みそ筋肉女め」
怪物同士に挟まれた一般の兵たちは呼吸すら忘れて失神しそうになる。それほどに彼らの圧というのが常軌を逸していたのだ。巨体と巨体、怪物同士が睨み合う戦場。
「んじゃまとりあえず」
「やるとするか」
その衝突音は遥か遠くの山巓まで響き渡る。
本格的な戦闘を開始したエスタードを尻目に、アークランドは活発な動きを見せていなかった。用心深く、敵戦力を見定めているのはアポロニアの腹心であるメドラウトであった。彼とヴォーティガンがしっかりと分析し、その上で戦うのが今のアークランドである。
「まだ剣聖は見えず、か」
「黒狼も手を抜いている。天獅子が陣でお留守番だからな」
「グレゴールとシュルヴィアは思っていたよりも強いね」
「想定を超えるほどではないがな」
奥には彼らが女王、『戦女神』アポロニア・オブ・アークランドが控える彼らに隙は無い。緒戦はどこも無理をするつもりはないようだ。それなのに全力で突出しこちらだけ消耗するなど馬鹿げた話である。
共闘ゆえ何処もまずは手探り。今のアルカディアがどれほどか、そして自分たち以外の味方がどれだけ使えるか、見定めねば戦いにならないだろう。
長期戦になる。この場の全員がそう思っていた。
○
一日、カイルは戦場と言うものを改めて感じ取っていた。おそるべき怪物が跳梁跋扈する中で、どこも小手調べという印象。だというのに今日だけで何人死んだのか、想像も出来ないほど赤黒く染まる大地にカイルはため息をつく。
「誰もが理由をもってこの場に来ている。理由のために死んだ者たちもいる。やはり、俺は此処を好きになれんよ、アル」
カイルは改めて戦場を知り、なお嫌いになった。何故彼らは戦うのか。何故見世物では満足できず、己が手で血を流し、流されねばならぬのか。
カイルは痛感していた。
「まあ、アルのようにここしかない、って連中もいるんだろうな。上を目指すために人を踏みつけて手を伸ばす、か。あいつを見ていた俺が断言してやる。その先に、幸福はないぞ。わかった頃にはもう遅いのだろうが」
そういう自分も今その場に立っている。否、カイルもまた勝負事の世界で生きてきた。ならば結局同じなのだ。相手を蹴落とし、踏みつけ、上がる。わかっているがゆえにカイルは哀し気に微笑んだ。
どこまで行ってもこの世は地獄。それを改めて痛感したから。
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