神の子と叛逆者:盤石のブラウスタット
アルカディアの奴隷制度緩和に世界中が驚きの目を向けていた。戦場での奴隷解禁、戦争の規模が一ケタ上がりかねない制度変更に、他国は追従せざるを得ない。ガリアスなどはよしきたとばかりに情報が出回って数日中に、同様の法案をリディアーヌがまとめて通したほどである。エスタードも揺れたが新しいエル・シドが音頭を取り混乱を最小限に抑えながら法を改正する。一度堕ちた国は失うものがない分身軽なのだ。
やはり、一番この件で動きが鈍かったのはネーデルクスであった。歴史と伝統、元超大国の誇りが変更を拒絶する。元超大国の巨大さ故、強過ぎる力を持った大貴族が跋扈する王宮では、軍事的なもの以外ハースブルクでも容易く動かすことは出来ない。
「いきなりだもんね。ネーデルクスで同じ法案を通そうと思ったら三年はかかるよ。もちろんそれだって最速さ。そういうの毛嫌いする大貴族はうじゃうじゃいるわけで、通せない可能性だってある。彼らに現場の道理は通じないからね」
ルドルフは若き三貴士を始めラインベルカやジャクリーヌなど軍部の重鎮を集めていた。
「我らだけ出遅れるということですか」
三貴士の一人『赤』を率いるマルサスの言葉にルドルフは首を振った。
「出遅れるのは当たり前。問題は出遅れたことで何が起きるか、何をするために今この時に法を変えたのか、って話さ」
「まあ十中八九、アルカディアの狙いはネーデルクス攻略でしょ。奴隷で量を捻出して無理くり攻める。ガリアスと形上、不可侵条約を結んだわけで、後顧の憂いもないし。攻めてこない理由がない。ここしかないって感じ?」
同じく三貴士の一人フェンケの言葉は軽く聞こえるが、今のネーデルクスにとっては致命的である。アークランドとの小競り合いで損耗を重ね、半属国と化したはずのエスタードにはうまく立ち回られてむしろこちらが割を食っている状況。文官の腰の重さと怠惰さ、保身に関してのみ発揮される賢しさは四半世紀前から変わるところなし。
軍部の変革は済んでも王宮の、政治の変革は遥か先の事。王でさえ御し切れぬ王侯貴族の怪物どもにはハースブルク家当主であるルドルフも手を焼いていた。
「あらぁ、フェンケちゃん肌艶が良いわね。秘訣を教えてくれないかしら?」
そんな苦悩も露知らず、ジャクリーヌはつやつやしているフェンケに美の秘訣を問うた。
「ぬっふっふっふ。やっぱり男ですよ男。質はある程度あれば後は量とレパートリーでしょう。嗚呼、人生至福の謹慎期間よ。右手にイケメン、左手にショタ。観賞用のマッチョに渋い大人なオ・ト・コ。ルドルフ様もう一回謹慎させてください!」
ほくほく顔のフェンケを見る目は多種多様であった。マルサスとアメリア、ルドルフは死んだ目をして見つめているし、ジャクリーヌは真面目に「なるほど」と頷いている。ラインベルカはそちらではなく女性で同じことをしていた癖に、男版だと白い目を向けている己が主に死んだ目を向けていた。
「真面目な話をしています。先代もフェンケもふざけるようでしたら退出してください」
当代の三貴士であり『白』を率いるアメリアは二人に厳しく言い含める。後輩に諭されしょぼんとするジャクリーヌとは対照的にフェンケはつまらなそうな目で彼女を見ていた。
「処女くせーなあ。だから婚期も逃すんだよ」
「……表に出ろ。殺してやる」
激昂するアメリアと挑発的な笑みを浮かべるフェンケ。もともと対照的な二人であり犬猿の仲であったが、最近は特にひどいもので衝突ばかりが続いていた。同世代のマルサスは申し訳なさそうに頭を下げるばかりである。
「……アメリアで婚期を逃しているのであれば、私はいったい」
流れ矢で撃沈するラインベルカ。ジャクリーヌも撃沈しているがそもそもこの時代のおかまに婚期もくそもない。
「ま、攻めてくるなら受けて立つしかないけど……勝てると思う人ー」
喧騒がはたと消える。若く勢いのあるマルサスでさえ手を上げない状況が全てを物語っていた。正面からぶつかればガリアスすら粉砕したアルカディア軍、もとい白騎士を前にネーデルクスは歯が立たないだろう。自慢の兵力すら奴隷によって上回られるのだ。
「ってかあの申し出受けるしかないんじゃないですか」
「うん。僕もそう思う。先んじてフランデレンを奪還して大橋を崩す。こうでもしなきゃ今のアルカディアの勢いは止められないよ。反対意見、あるかな?」
誰も言葉を発しない。正道を好むマルサスやジャクリーヌも沈黙を貫いている。このローレンシアにおいてオストベルグの凋落を知らぬ者はいないだろう。かの列強エスタードが負けて長年のライバルであったネーデルクスにどういう態度を取ってきたのか、見てない者はいないだろう。まあ、それで取り込まれた阿呆もいて今があるのだが――
この時代の敗者に救いはない。行きつくところまで行くのが乱世。
ガリアスには底力があった。全軍を結集してウルテリオルで迎え撃てば、奇襲と速攻で勝利を重ねてきたアルカディア軍を跳ね返す力は持ち合わせていたのだ。力がなければ和平交渉すらできない。オストベルグを滅ぼした男がネーデルクスにお目こぼしをくれるわけがない。すでに力の差はある。だから、綺麗ごとばかり言っていられないのだ。
「ゲハイムに協力を要請しよう。交渉は僕がやる。皆は、戦の準備をしてくれ」
「御意」
ネーデルクスは邪道を選び取る。アルカディアが奴隷の戦争解禁という、ネーデルクス攻めの一手を指したがために、彼らは窮鼠となってしまったのだ。
ウィリアムは後に後悔する。この一手がなくとも自分とカールが協力すれば、ギルベルトがいれば、正々堂々力押しでも勝てたかもしれない。ネーデルクスもまた謎の一団に声をかけるよりも総力でぶつかることを望んだだろう。
歴史に『もしも』は存在しない。しかしこの戦は、双方に『もしも』を考えさせるものとなる。始まりはさざ波、終わりはいずれか――
○
ブラウスタット周辺の領主にしてアルカディアが誇る大将の一人であるカール・フォン・テイラーは、この一手でネーデルクスが動き出すことを読んでいた。というよりも多少目端が利くものならば、奴隷緩和が対ネーデルクス用だとすぐに察するだろう。
問題はこの堅牢なブラウスタットをどう突破するのか。その対応を考えねばならない。
「どうする気だテイラー。こちらの守備を割いて近郊の拠点の防備を増すか?」
腹心でありアルカディアでも有数の武人、剣の大家オスヴァルトの血を引く現代の『剣聖』、ギルベルト・フォン・オスヴァルトが問うた。カールは首を振る。
「いや、動く気はないんだ。ブラウスタットが落ちなければいくらでも取り返せる拠点は渡してもいい。ここさえ守り切ればどうとでもなる。ブラウスタットを手薄にするのはありえないし、しない。問題は、準備が万全なブラウスタットをネーデルクスがどう攻める気なのか、ってとこさ」
「総力戦になるかもしれんな」
「落とす気ならそうなるだろうね。他の工夫で落とせるならもうやっているだろうし。総力戦かあ。うん、それならたぶん大丈夫。今のブラウスタットなら」
七年前のカールでは考えられないほど自信に満ちた言葉。たぶん、は余計だがカールという男にしては上出来だろう。十分な実績と実力、さらなる投資を経て完成した最強の要塞都市ならば守り切れる。
「俺もいる」
「ほんと、頼りにしてるんだから。いよ、二代目剣聖!」
「……茶化すな。ところで、イーリスには会っているか?」
「最近会えていないなあ。って君も知っているだろ」
「こっちに呼んでやれ。ヒルダもだ。子供の時分に親が構ってくれると、それだけで嬉しいものだからな。なに、もしもの時は俺がいの一番に守ってやるさ」
「……ま、安定したら考えるよ。それよりも聞いたかい? ウィリアムの爵位と領土の件、結構もめてるみたいだね」
「……あの男のことなどどうでもいいだろう。それよりも家族のことをだな」
「オストベルグの全領土を勝ち取ったでしょ。前に話したと思うけど王命にはラコニア以南の領土と伯爵の地位を与える。なんて書かれたんだよ」
「ちょっと待て。初耳だぞ」
「あの時飲んでたからなあ。あはは」
「あははじゃない。本当にまずくないか、それ」
「まずいよ。伯爵の地位はともかく、オストベルグ全領土を一貴族が管理するなんてありえない。だからもめてるし、色々立て込んでてこっちの陳情にも無反応なのさ」
王族や文官たちの考えとしてはラコニア近郊を平定させ、対ガリアスの壁となってくれたならばそれでいいという考えであった。そういう意味での約定だったものが、今はあまりにも巨大に膨れ上がり過ぎている。道理が通せぬほど、対象が大き過ぎるのだ。
「まあ、それなりで落ち着くと思うよ。ウィリアムとしてもそこまで広い領土を管理しろって言われても困るだろうし。ウィリアムに近しい貴族が優先的に領土を与えられるとか、それくらいじゃない?」
「なるほどな。お前の中で結論が出ていたわけか。……で、家族について話をそらせたつもりか?」
ぎくりとするカール。父や兄と同様、仕事人である今のカールにとって家族がいない状況はちょっぴり都合が良かったのだ。ヒルダも学校で剣を教えるのに生きがいを感じているし、丁度いいと思っていたが、娘を引き合いに出されると弱いところがある。
「あ、そうだ。一応ネーデルクス対策に斥候は多めに出しておこう。いち早く相手の動きを掴みたいしね。早速みんなに指示を出してこなくちゃ!」
逃げたカールを見てギルベルトはため息をついた。
「大将に子を構う余裕なし、か」
己が父のことを想うギルベルト。大将という地位が縛る限り、彼らは私事にかまけている暇はないのだ。それを誇りに思う反面、ほんの少しで良いから子供にも構ってほしい。そう思うのはそうして欲しかった自分がいるからか――
「まあ良いさ。時間はいくらでもある。俺が作ってやればいい」
とりあえずは目の前のネーデルクス。どう動くかを掴まねば話にならない。
ふざけているようでカールもしっかりと警戒している。伊達や酔狂でこの国境線を勝ち続けてきたわけではないのだ。今度も勝てる。しかも、次こちらが攻める時にはあの男も参戦してくるだろう。ギルベルトは少し微笑んだ。
嫌いな男だがその手腕は認めざるを得ない。カールとウィリアム、二人の大将が組むとどういう戦になるのか、少し、わくわくしている自分がいた。
そう、彼らはしっかりと警戒していたのだ。堅牢な要塞を打ち崩すであろう飛び道具に、兵力に、外側への警戒を強めていた。だから見逃す。その堅牢さにかまけて、彼らは視野を広げるべきであった。自分たちを信じ、外側からブラウスタットは落とせない。ならばどうする、と思考するべきだった。
ありえないことなどない。今度は彼らがガリアスと同じ轍を踏む。
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