進撃のアルカディア:両軍相まみえる

 アルカディアは怖いくらい調子よく駒を進めた。今までの負けが嘘のような連勝の数々。副官としてウィリアムの補佐を務めるケヴィンはこの異様を受け入れ始めている皆に違和感を抱く。それを当たり前のように提供する怪物に対しても、怖れを抱きつつあった。

「何故、これほど容易く敵を倒せるのでしょうか。今まではよくて一進一退、最近では負け続きだったのに……やはりウィリアム様が将となったから?」

 ケヴィンの様子を見てウィリアムは苦笑した。怖れを抱いているのがありありと伝わってくる。バランスの良い有能な男であるが、まだまだ未成熟な面もあった。

「それは違うな。今勝てているのはそういうオカルトじゃない。強い将が率いた軍は強い、その事実は否定しないが、それで常勝無敗になれるなら、世界はオストベルグとエスタード、聖ローレンスしか残っていないはずだ。もっと別の要因がある」

「それは何でしょうか? 自分にはわかりかねます」

「考えれば難しいことじゃない。大事なのは情報と速さだ。特に前者の要因は大きい。情報を握るということはそれだけで大きなアドバンテージとなる。目視できるまで準備すら出来ず、裸のまま矢を浴びる羽目になる。これは極端な例だが、それに近い戦場はいくつもあっただろう? あれはあっちの不手際じゃない。俺たちがそうさせたのだ」

「そのような策をいったいどこで」

「それは内緒。蛇の道は蛇、だ。気になるなら教えてやってもいいぞ」

「……遠慮しておきます」

 ウィリアムの目が「戻れなくなるけどな」と言外で語っていたため、ケヴィンは大きく首を振った。踏み込めば戻れなくなる領域、大人になれば嫌でもその境界線は見えてくる。その先は危険だと社会経験と本能が訴えかけてくるのだ。ウィリアムが使った手は間違いなくその領域が絡んでおり、そのようなものに触れる覚悟などケヴィンにはなかった。

「あとは速さだ。占領に力を割かず、即座に次へ向かう。前へ、前へ。ここまで来たら情報を抑えることなどできない。しかし、伝わったとしても迎え撃つ準備をさせなければやはり勝てる。何もその盤面だけで勝る必要などないのだ。その外で勝利できる形を作れば、兵士の質で劣り、戦術で上回られようと常勝。その証明をしているだけだよ、俺は」

 視野の広さ、思考の範囲が常人とは違い過ぎる。多くの兵法家が目指すより良い戦術はすでに飽和状態。さらなる模索に各々が奔走する中、ウィリアムは戦場の枠を超えたところで戦い始めている。七年前は完成しなかった常勝が、少しずつ形を整えていった。

「まあ、最上の形は戦わずして勝つこと。この状態を作り出すことが当面の目標だ」

「……その先は?」

「その状態を千年続ける地盤を作ること、かな」

 冗談めかして放った言葉。しかし、ケヴィンにはそれが冗談だとは思えなかった。時折、怖いほど遠くを見ているその眼が、千年先を見通していたとしても違和感はない。

(というよりも言ってることが一将軍の考えじゃない。やっぱり、狙っているんだ)

 ケヴィンはそれを聞かなかったことにした。そこも踏み込めば泥沼、商売ならむしろ喜んで足を突っ込み、戦から離れて同期と楽しく生きていく自信はある。そういう勉強も受けてきたし、最後まで進路に悩んでいた経験もある。しかし、政はダメ、近寄る気にもなれなかった。あれこそ魔窟、百鬼の蠢くるつぼこそ政治の世界。

「さあ、見えてきたな。マァルブルクだ」

「さすがに準備はしていますね」

「外面は、な。細部まで行き届いてはいない。所詮突貫作業だ。それにマァルブルクと名を変えてからあの都市が戦場になったことはない。その前も、表向きはそう作られているが、そこは首都、戦術的強さだけを求めるわけにもいくまい。隙はあるさ」

 勝ち続けてきた彼らの士気は高い。マァルブルクは堅牢なれど、ブラウスタットのように実戦でもまれた強さではないのだ。首都ゆえの広さは戦いでは決して優位に働かない。平時、このような後方に二万も三万も兵を詰めているわけもなし。

「諸君、今日も勝利といこう。世界に刻め、アルカディアは、俺たちは強い、と!」

 士気は段飛ばしに上がっていく。先頭を行く男の背中を見て彼らは震えるのだ。勝利が彼に光を与えた。力が彼に引力を与えた。彼もまたただの人、理屈ではわかっている。しかし、本能の部分が彼を大きく見せていた。あまりにも強大で、あまりにも美しい、勝利の英雄、それと共に歩む己に彼らは酔いしれるのだ。

 勝利の英雄が征く。常勝の群れを連れて――

 三日、たったの三日で人口十万、常設の軍五千の都市が落ちた。敗残兵や周辺の都市からかき集めた兵は一万程度。合わせたところで一万五千。四万五千の群れを止めるにはその都市は大き過ぎたのだ。またもアルカディアは勝利の美酒に酔う。

 ウィリアムは次の日、初めてまともに軍を休ませた。翌日も同じ、何かを待つかのようにじっとマァルブルクにて伏せる。

 そして三日目――

 アルカディアの浮かれ気分は完全に掻き消えた。彼らは蛇の尾を踏んだつもりであった。噛みつかれたとしても死ぬことはない。いざ進め、と。しかし、それは蛇の尾ではなかった。ガリアスという巨竜、その尾を踏んでしまっていたのだ。

 初めに現れたのは五千程度の騎馬隊。青銅の旗に多少の慄きはあれど、所詮は少数。守備側の自分たちが劣ることはない、そう思った。

 そこから一時間後、砂煙とともに現れたのは黒き旗とアクィタニアの国旗。総勢にして三万の軍勢がマァルブルクの前に陣取る。合わせて三万五千、少し雲行きが怪しくなってきた。

 さらに二時間後、今度は翡翠の旗と美しい剣の刺繍が入った旗がたなびく。二万五千の軍勢。それと同時に一万の歩兵が青銅の旗に集う。七万の軍勢を前にアルカディアは絶句する。守備側に有利とはいえそれだけの軍勢が対面する戦場などそうあることではない。しかも王の左右が三人、王の剣にアクィタニアも参戦となればその圧は桁外れに跳ね上がる。しかし、それは序章でしかなかった。

「な、なんなんだよこいつら」

 誰も彼もが青ざめるほど、そこから一時間の変容は凄かった。

 各地の百将や属国の軍、百、二百、五百、千、と小さな群れがどんどんと集まってくるのだ。ちりも積もれば山となる。さらに三万を増し十万の軍勢が完成する。ガリアスの本気度、その熱の高さに彼らはようやく気付いた。自分たちのやってしまったことに。

 仕上げはガリアスの王旗、そこに付随する血の如し紅の旗。総勢五万のガリアス本国を守護する本隊が合流した。王都やその周辺を守る最高の兵士たち。隅々まで練兵が行き届き、つま先までキラキラに仕上げた至高の兵団。それを指揮するは軍事に政治、果ては商業まで司る超大国の頭脳、リディアーヌ・ド・ウルテリオル。

 十五万の軍勢がここに姿を現した。その壮大さはローレンシアでも類を見ないほどのもので、それだけの軍勢を用意しただけで戦史に残ることは明白である。アルカディアは知った。自分たちはここで打ち滅ぼされ、敗軍として戦史に名を連ねることを。

「やあやあ我が友ウィリアム! 七年ぶりにあえて嬉しく思うよ!」

 前に進み出たリディアーヌがその容姿に反した大声で呼びかける。

「この軍勢を見て語らおうと思わんかね!? 降服の話などは如何かな?」

 提示された白旗。集まった者たちのほとんどはウィリアムがそれを飲むと思っていた。これだけの軍勢を相手に、情報が不足しているとはいえアルカディア一国、捻出したとしても五万がいいところ。十五万を相手にしては圧殺されるだけである。

「リディ! 私も君と語らいたいよ。久しぶりに君たちと戦術について議論したい。思い出話に花を咲かせるのも一興。嗚呼、なんと甘美な時間であろうか!」

 外壁の上に立つウィリアムもまた負けぬほどの声量で語りかけた。顔は穏やかな笑みが張り付いている。それを見てリュテスとエウリュディケの顔が歪んだ。理由は違えど、その笑みの意味は理解できたのだ。

「しかしそれは――」

 ウィリアムはおもむろに弓を構えた。咄嗟にダルタニアンがリディアーヌとの射線上に割って入る。されど狙いはそこになく――

「我らが勝ってからゆっくりとしようではないか!」

 ガリアスの王旗に矢が突き立つ。今度は十五万が絶句した。飛距離にして推定六百メートル超、打ち下ろしとはいえその距離を正確に射れる腕は並ではない。エウリュディケの瞳に炎が宿った。憎悪や嫌悪ではなく、純粋な武人としての炎が。

「まずは戦にて語らおう。そして君達の降服が決まったら、上等の葡萄酒をもってそちらへ赴こうじゃないか。さあ、ガリアス諸君、私が白騎士だ! あえて言おう。君たちは挑戦者であると。戦場における頂点はこの世に三つ、私はその内の一つだ。そして君たちの中にそれはいない。超大国などと粋がったところで、君たちは黒金風情に勝てなかった時代の敗者だ! 私に感謝すると良い。私が戻ったおかげで、君たちは先王の汚名をそそぐことが出来るのだから! 時代の敗者、巨星に勝てなかったガイウスの、なァ!」

 その発言は超大国を大いに刺激した。先ほどの御旗に矢を射ったパフォーマンスで笑っていた者たちの顔にも笑みは完全に消え去った。相変わらずだと苦笑していたリディアーヌでさえ笑みの欠片もなかったのだ。

 すべてが憤怒に染まる。皆が愛した、皆が誇りとした王を侮辱されたのだ。しかも近しい者ほど知っている。ガイウスはウィリアムを誰よりも評価し、行き過ぎた寵愛を送っていたことを。だからこそ許せない。たとえそれが挑発であっても、そこを汚すことだけは許し難い暴挙であったのだ。

「君は尾のみならず、逆鱗にまで触れようと言うのか」

「これで遠慮なく叩き潰せるね。リュテスのところは特に彼の信者が多かった。戦場で手を抜く愚か者はいないと思うが、それでもやり辛さはこれで減る」

 ダルタニアンの言葉にリディアーヌはハッとしてマァルブルクの外壁に目をやる。すでにウィリアムの姿はなく、弓隊が見えるだけとなっていた。結局、この無意味な挑発の真意を問うことはできない。出来ないしする意味もない。

「私たちは勝つだけだ。そうだろう、王の左腕?」

「もちろんさ、王の頭脳。なんなりとお申しつけください。我ら手足は頭の思うが儘に動きましょう」

「ありがとう。と言っても攻城戦、やることなど決まっている。包囲して締め上げるのだ。補給など一切させぬ。休む暇も与えぬ。無限の攻めで押しつぶす」

「御意。全軍に通達! マァルブルクを包囲、ゆっくりと絞め殺せ!」

 とうとう開戦となった。最大戦力で迎え撃つ超大国。圧倒的戦力差にアルカディアに勝ちの目はあるのだろうか。この戦場の覇者がこれからの世界をリードすることとなる。勝つのはどちらか、世界が注視する戦いの火蓋が切って落とされた。

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