裏・巨星対新星:もう一つの太陽、墜ちる

 確かに近い。そしてより激しい。それなのに、何故己の心は揺さぶられないのだろうか、とサンス・ロスは思う。本物とは何か、偽物とは何か、未だ答えを己は持たない。

「放してください、サンス兄様!」

「……ジェド様の命だ」

「御父上もまだ、あそこにおられるのに!」

「そして、エル・シドの命でもある。お前は生きろ。お前が次のエル・シドだ。エスタードにとっての導き手たれ。初めから決まっていた。お前があの島に来た時、俺たちはジェド様からこう聞かされていたからな。後継者を鍛えよ、と」

「……そんなはず、だって、私は出来損ないのカンペアドールで」

「その悔しさがお前を飛翔させた。まったく、羨ましい。俺に教えてくれ。どうしてお前は、お前たちはこんなにも熱いのに、俺は冷たいままなんだ? 何故父の死を前に、ジェド様の死を前に、俺は、心ひとつ揺らがない?」

 エルビラは自らを抱え逃げるサンスを見て、少し、悲しげな顔をした。

 彼が自覚していないだけで、彼の眦には涙がたまっていたし、今にも決壊しそうなそれは、きっと、彼にとっての始まりなのだ。

 彼らは戦場から去る。己が主を置いて――未来のために。


     ○


 ジェドは孫のような自分たちの未来を見て微笑んでいた。もしかすると二人は道を違えるかもしれない。サンスに愛国心は無く、理想は大連山ロンガルディア峰の如く高い。何しろこの光景でさえ彼は心を動かさなかったのだ。

 普通ならば圧倒されるこの大炎を前にして――

「さて、『俺』もやるかよ」

 ジェドは哂う。偽物の太陽、太陽の成りそこない、自分を形容する言葉は数あれど、本物と誇れるものはついぞ手に入らなかった。知識はエルビラとサンスに、武は身体スペックを除けばサンスがとうに超えている。もう譲れるものは無い。

 この命すらも譲った。だから最後くらいは、何も考えずに。

「お供します、ジェド様」

「ああ、共に死のう。今日は、死ぬには良い日ぞ」

「御意ッ!」

 ジェドの顔が歪む。揺らめくは陽炎。

 天に座すはもう一つの太陽。

「……まだ残していたか。面白いッ!」

 アポロニアの炎が立ち上る。天をも喰らってやるとばかりに火勢を強める。

「凄まじいな。それゆえに、道を違えるのだが」

 ジェドは一瞬、憐れむような眼を向け、首を振り、獰猛な一匹の獣と化した。

(シドよ。全てを背負わせ、済まなかった。お前はどんな貌で死んだ? 俺はどんな貌で死ぬ? 嗚呼、本当に、戦場で死ねるとは思わなかった。安楽椅子に腰かけ、終わるとばかり思っていた。くく、本当に、本当に俺は度し難い!)

 嬉々として、誰よりも真っ先に敵陣へと突っ込み、女王と刃を交えるジェド。

「姫様!」

「来るなベイリン! 来たら殺すぞ。これは、私の獲物だァ!」

「吠えるな娘。刃でのみ語るが良い。俺の名はジェド・カンペアドール。ただのじじいと思わば、火傷するぞォ!」

「ハハ、良いぞジェド! 我が名はアポロニア・オブ・アークランド。我が覇道の前にひれ伏せ! 我が道の糧と成れ! 我が英道が貴様を塗り潰す!」

「女が、でかい口を叩くな! 女には『女の道』があろうに!」

「……それは勝ってからほざけ」

 やはり揺らがない。自分では駄目なのだ。勝者の言葉にこそ重みがある。戦場であれば特に。同じ言葉も、勝者と敗者ではまるで響きが違う。己が声は届かない。あの時と同じく、響かない。それを口惜しく思うも、先達としての義務は果たした。

 あとは、貪るだけ。最後の戦を、存分に。

(本当に度し難い。俺は、戦士と言うモノは、本当に、何処まで往っても――)

 生涯最大の、乾坤一擲を絞り出し、そして――

「実に愉快な戦であったぞ! ジェド・カンペアドール!」

 新たなる天輪が昇る。残すは――英雄王の首。


     ○


 王都エルリードへジェドの敗北が伝われど、その反応は冷ややかなものであった。彼の全盛期を知る者は皆、かなり高齢と成っており、若い者たちにとっては彼はエル・シドに負けて幽閉されていた敗者でしかなかった。ゆえに、悲しむモノなどほとんどいない。

 そもそも今、エル・シドを失ったこの国にそんな余裕などなかった。

「冷ややかなものですね」

「そんなものだろう。逆に俺から見ればここの連中が死に絶えたところで、何とも思わん」

「エル・シド様とジェド様が残したものでしょうに」

「残したのはお前だ。別にこの国である必要はない。少なくとも、ジェド様はエスタードに仕えろなど一言も言っていなかった。どの国でも構わん、お前が活きる道こそ、正しい」

 エルビラは哀しいほどに兄と慕った男と噛み合わぬことを理解した。

「これからのエスタードを担う奴に、なんつーこと吹き込んでんだよテメエ」

 今の会話を聞きつけ、憤怒するディノがサンスに近づいてきた。

「勝手な物言いだな。担う価値があるかどうかは担う者が決めると良い。担われる者が決めることではない。お前たちにその価値があるか、俺は疑問に思っている」

「テメエ、殺されてえみたいだな」

「やってみろ」

「二人ともやめてください!」

「「お前はその口調をやめろ」」

 期せずして発言が重なった二人は、ばつが悪くなりそっぽを向いた。

「……担うと決めたなら好きにしろ。しばらくは付き合ってやる。だが、一つだけ襟を正せ。トップにはトップの振る舞いがある。天に輝く星は一つで良い。わかっているな? 間違った二つ目をのさばらせない威圧も、時には必要なのだと」

 そう言ってサンス・ロスはこの場を去って行った。残ったのはエルビラとディノ。

「あいつの言う通りだ。お前の台頭に疑問を持つ者は多い。とりあえず、ネーデルクス相手の外交、その舵取りが大半になるだろう。そこで価値を示せ、エル・シドとは違う強さを知らしめろ。ゆっくりでいい。だが、揺らぐな。しばらくはまあ、俺も支えてやる」

 ディノもまたこの場を去る。

 残されたエルビラは、少し、寒いと感じた。あれほど焦がれていたエルリードの王宮、ある意味で王よりも強かった男の後釜。己に担えるか否か、それを問う相手もいないのだ。それが頂点と言うモノ。揺らぎを見せる相手は、もういない。

「私に担えるでしょうか、ジェド様」

 本音を語れる相手は、いない者、つまりは死者のみ。

「何故、私だったのですか?」

 どれだけ考えても出ない答え。それを知る者は二人とも、もういない。


     ○


 俺を睨みつけてきた豪胆な娘を送る。育てろ。と短い手紙がジェドの下に届いた。次の便で送られてくるのは弱視の女児。およそ弟、シドが気に止める相手ではない。だからこそ興味が湧いたのだ。さて、どんな人材か、と。

「……これはまた、目つきだけで人が殺せそうな」

 腹心であるロス家の頭領が慄くのも無理はない。

 送られてきた女児は、この世の全てを敵として認識していた。その辺の石ころでさえ、歪んだ彼女の視界にとっては危険を孕んだ敵と化す。三白眼でジェドらを睨む彼女に、ジェドは腹を抱えて笑ったのを覚えている。

「何がおかしい!」

「いや、すまんなエルビラよ。わしの名はジェド・カンペアドール。今日からお前を育て上げる男の名だ。必ず一人前にしてみせよう。我が名に賭けて」

「一人前の娼婦にでもするつもりか!」

「その目つきで娼婦はあるまいに。耳年増な子よのお」

「じゃあ何だ!」

 そう問う少女にジェドは、以前知己の海賊から「来るべき視力の低下に備えてこれを送る」と要らぬモノを送り付けられたことを思い出し用意していたモノを手渡した。

「何だ、これ?」

「眼鏡じゃ。高価なものでな、この島では替えも無い。ゆえ、大事に扱うと良い」

 良く見えていないのか、そもそも知らぬのか、戸惑うエルビラから眼鏡を取り、ジェドが彼女の顔につけてやる。すると、彼女の顔から見る見ると、険が取れて――

「何、これ?」

「これが世界じゃ。お前が住んでいた本当の世界。ほれ、雲を見てみよ。海を、大地を、と言ってもここは小さな島だが、まあ、何でも見ると良い」

 エルビラは涙を流した。世界はこんなにも美しく、明朗で、圧倒的なのだと、初めて知ったから。全てが薄ぼんやりして、誰にも理解されず、カンペアドールの血、面汚しだと唾棄された少女は、堪え切れなかった。この光景に、これを与えてくれたものに。

「おおよしよし。泣くでない。そう言えばさっきの質問に答えておらなんだな。お前はエルビラに成るのだ。名に意味は無い、意味は後からついてくる。ストライダーも、エルも、レイも、全てが成したことの結果。お前はお前に成る。とりあえずはわしの全てをお前にやろう。ゆっくり、されど着実に学ぶが良い」

 エルビラは人生で初めて、自分に優しくしてくれた人を見る。眼鏡をかけているのに、くっきりと見えないのは何故だろう、と幼き少女は考える。

「この島が、わしらが、お前の家族よ。小さなエルビラ」

 わしゃわしゃと撫でられた手は大きく、その時は果てしない大きさと遠さに生まれて初めての安堵を得た。未だ少女であった者はその大きさを超えられた気がしない。

「サンス、お前が兄さんじゃぞ」

「……えー」

 隅っこで様子を窺っていた少年は心底嫌そうな顔でエルビラを見ていた。

「嫌そうな顔をする出ない。教えるのも学びに繋がる。良き復習の機会じゃ。二つ違いとは言え同世代、互いに磨き合うと良い」

「……あの小っちゃい子が?」

「おい、俺は確かにお前より小さいが、それは男女の差だ。すぐに逆転する」

「顔も真ん丸だし」

「まずは礼儀だな。お前ちょっとこっちにこい。ストラチェスは出来るか?」

「出来ない」

「……女を力で捻り潰しても意味が無いから……まずは戦えるようにしてやる。負けて、そして敬え。序列は大事だ。何事においてもな」

 会ったばかりなのに兄妹のような姿を見て、ジェドは微笑んだ。かつての己にも、シドにも、同じ景色があった。あの頃はまだ自分の方が大きくて、弟を引き摺りながら冒険と称して色々暴れ回っていた。いつだって喧嘩っ早いのは自分で――

「シド、お前はあの少女に何を見た? それは『俺』と同じモノか?」

 ジェドは蒼空に問う。答え合わせはきっとしないだろう。二人ともそこまで素直ではないし、弟は当然見えるだろうとこちらに寄越してきたのだ。兄としての威厳がある。ゆえに二人の答えが重なったかは、エルビラと言う答えが教えてくれる。

 自分たちが死んだあと、ずっと先の話であろうが――

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