進化するネーデルクス:遠距離の才覚

 戦場が激変した。昨日までと異なるのはただ一人の参入者のみ。これだけの規模の戦場で人ひとりの価値など如何ほどのものであろうか。しかしその男は戦場を変えて見せた。昨日まで好き勝手暴れまわっていた怪物、ヴォルフを止めることによって。

「右翼、上がり過ぎだ。少し落ち着け」

 ウィリアムが右手を軽く振る。それだけの所作で右翼が落ち着きを取り戻し、かつ戦意が桁外れに上がる。ウィリアムの一挙手一投足が、ウィリアムがいるという安心感が兵に力を与えるのだ。

「北方衆、ヴォルフに向かえ。脇目も振らずにな」

 昨日までの絶対者であるヴォルフへの突撃命令。普通なら躊躇する。如何に精強な北方の兵とはいえヴォルフ相手ではすぐさま殺されてしまうだろう。もって一、二合程度。打ち合えて上出来という具合。

「御意!」

 だが、元敵国であるはずの彼らでさえウィリアムの命令を露とも疑わない。否、元敵国だからこそウィリアムに背くというのはありえないと身にしみていた。

「おいおい、いくら手薄ったって……俺に餌与えてどうするよ」

 ヴォルフがあえて作っている隙間、明らかな誘いである。わざわざ向かって殺すよりも攻めてきたほうを喰らうほうが効率的。だからこそ空けていた隙間。

「黒狼覚悟ッ!」

 抜けてきた二人の北方兵。ヴォルフは悠然と構える。そこそこ出来る相手だが、ヴォルフにとっては雑魚同然。一瞬で殺さんと殺意を練り上げる。

「ハッ、俺に覚悟させるレベルになってからでかい口を――」

 ヴォルフは眼を見開いた。二人の巨漢がハルベルトを振り上げた隙間。其処から覗く白騎士の姿。遠目でもわかる。彼が何をしようとしているのか――

 ヴォルフは咄嗟に剣の腹を顔の前に持ち出した。一瞬の後、軽い放物線を描いた豪速の矢が剣の腹にぶち当たった。放ったのは白騎士、そして、

「にゃろう、その手があったか!?」

 猛然と襲い来る北方の兵。弱兵ではない。ウィリアムの部隊には珍しい強兵の部類。豪腕が振るうハルベルトの重さは体勢の整わない状況で凌げるほど軽くはない。

 強兵二人がかり、そして白騎士の弓。二人の隙を見事に白騎士の矢が埋めていた。

「はは、そういや最初に会ったときも俺の部下を殺してくれちゃってたなァ、その弓で」

 ヴォルフは思い出す。あの国境線での山岳戦、敵の軍団長を討ち取った帰りにあった運命の邂逅。運命の幕開けは弓であった。二度目は王会議、どちらも狂気の中での出来事であったが、今回は冷静そのもの。

 ゆえにその強さはより桁外れと成る。

「くそが、隙がねえ!」

 二人と矢を捌き切っているヴォルフは化け物であるが、それでもこれ以上はなかなか難しい。そこで時間が稼がれている間に、じわじわと押され始めてくるヴォルフの兵たち。ヴォルフという怪物の推進力に乗って勢いづいていたが、其処が止まると何をしていいのか判断に惑う。その程度の惑いでも拮抗した現状、致命となる。

「ほんとうめえなおい!? 王会議の時も思ってたが、剣よか弓の方が才能あるだろ、こんにゃろうめ!」

 この状況を作り出しているのはウィリアムの弓に他ならない。ウィリアム自身弓は得意な方だと自負している。子供の頃から眼が良いのか投石など遠距離からの攻撃が得意であった。三人組では長距離戦担当として貧民街ちびっこ抗争の中、大いに活躍していたほどである。

 ウィリアムが弓を得意としながら、其処まで固執しないのは、まさに『得意ゆえ』であった。生まれ持った才覚に頼れば楽は出来るが成長は止まる。苦手であった剣を克服できたのは弓に逃げなかったから、ゆえにウィリアムは弓を重用しない。重用しないが――

「今度は下がり過ぎだ。右翼を上がらせろ。一気に押し込むぞ」

 その弓は天性の才を秘める。おそらく潜在的にはウィリアムの適性は弓。その証拠にそれほど修練を積まずとも、部下に指示を出しながらでも、脅威の精度と連射性を保ったままウィリアムの放った矢はヴォルフの出足を押さえていた。

「接近すりゃどうにかなるが、接近できなきゃどうしようもねえ」

 逆にヴォルフは人並みに弓をたしなむ程度で、適性ゆえ努力も剣に注力してきた。それゆえに剣ではそこそこウィリアムより先んじている。しかし弓では勝負にならない。とうとうヴォルフはこの戦場で緒戦の裏取り以降初めての後退を余儀無くされたのだ。

(……やはり気持ち良いものではないな。弓を使えば使うほど、剣で勝てないのを認めている感じがするじゃないか。まあ、いつまでも押さえ込めるわけじゃないだろう。この間に布石でも打っておくか)

 などと考えながらヴォルフを封殺できるウィリアムのかくし芸。弓のみに注力していたならば今頃は、ローレンシア全土に名を轟かせるガリアス最強の弓使い、『王の左足』やガルニアの至宝『弓騎士』にも匹敵する、もしくは超える弓使いになっていたかもしれない。

 まあ、ウィリアムの性質上そちらを究める道はなかっただろうが――


     ○


 四六時中一緒にいたはずのカールでさえ、ウィリアムがこれほど弓に精通しているとは知らなかった。上手いとは思っていたが、本気のウィリアムはそういう次元じゃない。

「すごいや。僕も頑張らなきゃ」

 カールは感嘆の念を浮かべながら、ウィリアムを完全に模倣する。今回必要なのは自分の持ち味すら殺し、ウィリアムに成り切ること。自分を滅し、ウィリアム・リウィウスに成って物事をはじき出す。

 戦場に違和感がない。ウィリアムという頭を欠いて、それでも昨日までと同様に機能しているのはカールが完全に模倣しているが故である。カールの指示出しの速度、その内容は受け取った部下が驚くほどにウィリアムと酷似していた。

 カールはぶれずに自分の使命を果たす。


 カールから見える位置、他の者も全員ではないがウィリアムの芸当を見ていた。

「あの男、いったいどこまでッ!」

 ギルベルトの位置からは遠いが、それでも『あれ』を見逃すほど離れてはいない。見える位置であれば眼を奪われてしまいそうなほど、それは美しかった。ギルベルトの持つ剣の才能と同様のモノ、天性の資質。

「何故隠す? 余裕のつもりか!」

 ギルベルトの隊を指揮しているユリアンらも困惑している。彼らも見たことがないのだろう。ウィリアムが本気で弓を扱うところを。

「外したところは見たことなかったですけど……」

 ユリアンも歯切れが悪い。ウィリアムの万能さは今までいくらでも見てきた。しかし今回のこれは今までとは少しばかり異質で、いつものように自然と湧き出てきた何かが、この状況にはなかった。その何かこそウィリアムを形作る重要なファクターなのだが、それを言葉に出来るほどユリアンらとウィリアムの付き合いは長くなく深くもなかった。

 ギルベルトは困惑の中戦う。


「くそ、ふざけんなよ! 何であんな……邪魔すんな女ァ!」

 ニーカとヒルダは目の端でウィリアムを捉えながらも衝突の手を緩めない。技量は互角、力はヒルダ、速さはニーカに軍配が上がる。手札の多さで初見はニーカが圧していたが、長く打ち合う間に学ばれて一進一退となっていた。

「ふん、やるじゃないの! そのまま釘付けにしときなさい。後は、私たちがぶっ殺す!」

 これを好機と見て一気に攻め立てろと命令を下すヒルダ。ニーカたちも応戦するが勢いに欠ける。結局、頭の出来不出来で勝敗が入れ替わる程度の差。ヒルダはしっかりとそれを感じ取り好機をものにする。

 ニーカたちを粉砕しこの戦場で初めてヒルダは勝利を掴んだ。迷い無しに一気呵成で攻め立てた嗅覚はさすがの一言。ガードナーの良血統をしっかりと受け継いでいた。


 戦場が揺らいだ。そして一気に傾いた。ヴォルフという絶対の柱が揺らいだ今、ネーデルクス側の心中は穏やかではない。対するアルカディア側はウィリアムが戦場に出たことで大きく躍進した。この結果を見てウィリアムは、

「やはりまだ英雄の時代、脱するはなかなかに難しい」

 少々不服げに笑った。ウィリアムの理想は英雄無き戦場。完全にシステム化された、凡人のための戦場こそ彼の理想であったのだ。未だ理想は道半ば、やるべきことは多すぎる。

 胸元からこぼれる紅の煌き、血が満たされるほどに輝きを増す。

 ヴォルフはこの戦場で初めての敗走、意図していない敗北に笑みをこぼす自分に気づいた。部下に見られたら叱責を受けそうな理由で浮かんだ笑み。咄嗟にヴォルフは笑みを消す。だが、胸中で渦巻くこのわくわく感は――

「やべーな。面白すぎるぜ白騎士ィ。とりあえず、ぶち抜く算段を立てますかなっと」

 消えない。消せない。それがヴォルフの道である。挑戦者としての生き様、どれだけ高くとも喰らって見せるという鉄の意志。

 金のロケットが舞う。その中に秘めたる想いこそ狼の原動力。

 未だ二人の英雄、底を見せず。さらに戦場は飛躍を見せる。


     ○


 一日、二日、三日とウィリアムはヴォルフを寄せ付けなかった。ヴォルフが機能していないネーデルクス軍はがくんと戦力を落とし、アルカディア軍が優勢となっていく。一時は山岳地帯や大橋周辺まで攻め込んできた軍勢も、すでに大きく後退、ほぼ全ての軍がブラウスタット周辺に集う形となった。

 つまり、戦場が縮小したのである。

 この状態は本来ネーデルクス側の望んだものである。しかしヴォルフが機能不全を起こしているため、望んだ状況であるにもかかわらず活路を見出せないでいた。結局双方共に頭次第で形勢が変わるような戦場である。

 ネーデルクス側は祈るしかない。ヴォルフが、狼が騎士を喰らうことを――

 期待とは裏腹に、今日もまたヴォルフの牙はウィリアムに届かなかった。

 されど狼は笑み。じわり、じわりと間合いを詰めて、綻びを見せない白騎士の周りを徘徊する。一瞬でも隙を見せたら、狼はそれを見逃さないだろう。傍目にはウィリアムの遠距離戦がヴォルフを圧倒しているように見えるが、実際は薄氷のままであった。


     ○


 アルカディア首都アルカスには轟々と雨が降り注いでいた。水害が起きるほどの雨量ではないが、さりとてなめてかかれるほど甘い降雨量ではない。出来るだけ人は外に出ず、家の中でまったりと過ごしているだろう。こんな天気で働いているのはよっぽどの働き者か、奴隷くらいのものである。

 奴隷たちは雨風の中、石を運んでいた。それを眺める二つの視線。

「何も雨降りの中でりんごを食べる必要もないだろう」

「今度ご飯を食べようと誘ったのはそっち。今日は暇だから誘いに乗った」

 まるでカイルが悪いと言わんばかりのファヴェーラ。豪雨といって差し支えの無い状況で、奴隷の労働を眺めながらりんごを食べるという非常にシュールな絵がそこにあった。

「しかし懐かしいな。昔良く俺たちも運んだなぁ、石。結構重いんだ、あれ」

「暇な時は眺めてた。カイルはおっきい石、アルはちっちゃい石、大変そうだった」

「今みたいにりんご食べながら見てたのか?」

「愚問。りんご置き場で拾ったりんごを美味しく食べてた」

「にゃろう……」

 カイルたちの目の前で繰り広げられる悲劇、それは彼らが通ってきた道である。今日のような天気でも必死に運んだ。今よりもはるかに小さい身体で、サボればあのように鞭が飛んでくる。そんな地獄を生きてきた。

「……あそこにいる何人が冬を越えられると思う?」

 本当の地獄は今の季節ではない。奴隷たちにとって最悪の季節は冬であった。冬を越えるか越えられないか、それは今の時期にどれだけ稼いだかによる。しかし無理をすればあの場の何人かのように、夏すら越せないやせ細った、生気の無い状態になってしまう。

「興味無し」

 ファヴェーラは思考することをしなかった。考えても仕方が無い。死ぬ奴は死ぬ、生きる奴は生きる。それだけのこと。ファヴェーラにとって彼らは外側なのだ。

「さいですか。……そういや石で思い出したけど、あいつやたら石投げるの得意だったな」

「そっちは興味有り。投げるだけじゃなくて、アルは距離感を掴むのが上手かった。縦も横も、しっかり見えているから当てられる」

「俺だって見えているぞ」

「そういうことを言っているんじゃない。カイルはやっぱり馬鹿。カイルの見えているとアルの見えているは全然違う。其処が感性の差」

「馬鹿ってのは酷いな。それじゃあ、あいつは天才ってことか?」

「うん。飛び道具で一番重要な、一番鍛え辛い才能を持っているから。あとは人並みの技術だけ。それだけで大概の飛び道具は余人を上回る」

 ファヴェーラは投げナイフや千本、果ては東方のチャクラムに至るまで、多くの飛び道具を習得している。習熟度はその辺りの専門家にも負けないほどであった。しかし、それでもアルが本気を出せば、すぐに抜かれるとファヴェーラは思っている。

 アルが、ウィリアムが持つ才能というのはそういう類のものなのだ。

「戦場なら弓、か。なるほどな……そりゃ大変だ」

 カイルは遠く西方の地で戦っているであろう友を思う。

「何故大変? その才能は楽になる。とてもお得だと思う」

 カイルはりんごをかじる。その欠けた表面を見て苦笑した。

「あいつはこのりんごと同じだった。欠けばかりで、穴だらけ、ろくな身も無い」

「……悪口?」

 ファヴェーラはむっとしていた。無表情だがそれぐらいわかる。

「違う。いや、違わないか。あいつは俺以上に学が無くて、字は読めない書けない。言葉も適当。腕っ節はやせっぽっちの外見同様にしょぼくて、剣なんて振れもしなかった」

 ファヴェーラはカイルの雰囲気を察知して押し黙る。これはただの悪口ではない。

「そんなあいつが今や、読み書き完璧、他国の言語にも通じて、剣も達者な英雄だ。隙が無い。隙を潰した。苦手を克服したんだ。数多の苦手をな」

 カイルは曇天を仰ぐ。雨の勢いは増すばかりであった。カイルは笑う。この雨が全てを洗い流してくれる。そんな幻想があればいいのに、と哂った。

「あいつの勤勉さには恐れ入る。徹底的なまでに苦手を潰し切った、今のあいつは完璧超人さ。だけどな、あいつが、完璧のはずの男が、いくつか触れるのを避けている、極力避けようと徹しているものがある。それは何だと思う?」

 この話の流れである。如何にファヴェーラでもわかる。何よりも身内のことなのだ。思考は働かせるし、そもそも思い当たる節はあった。今まで気づかなかったことを恥じるほど、それは明確な形でそこにあったのだ。

「元々持っていた才能。天性のもの」

 カイルは哂った。ファヴェーラも、自嘲したくなる。

「その通りだ。弓や投げナイフ、投石、あいつは容易にこなすだろう。必要となれば使う。だが極めることはない。それは元々持っていたものだから。あいつ自身が積み上げたものじゃなく、天から与えられた。そう、与えられたものだから」

 ゆえにアルはそれを積極的に極めようとしない。他の事に傾けていた労力をほんの僅かでも費やせば一気に飛躍するだろう。しかしそれを彼は許さない。最も憎むべき運命から与えられた力、行使するのは運命に敗したも同じ。

「根源は己の否定だ。あの頃の、失った弱い己への否定。他者への優しさもそうだ。あいつの強みだったそれは、冷たく変質してしまった。弓という武器を捨て剣を持ち、優しさという盾を否定し、冷たさという刃を手に入れた。それが今のあいつだ」

 アルを捨て去った過程で、ウィリアムはアルの持っていた才能も極力排した。それも無自覚に、本来得手であるはずの弓ではなく剣を選び取った。尋常ならざる努力を経て、今のウィリアムがある。だが、それは歪なものであったのだ。本来の自分を否定して、まるで新たなる自分を構築するかのように。

「未だに欠けはある。だが、それは本来あいつの強みになるはずだったものだ。元々あった才能こそ、今のあいつの欠点となる。もし、それを頼る事態になっていたら、かなり危険な状況だろう。ある程度こなすだろうが、心は拒絶したまま」

 雨が強くなる。カイルの不安は深まるばかりであった。

「取り返しのつかない状況になる。いや、とっくの昔にそうなっているのか」

 カイルは天を睨みつけていた。カイルにとっても憎むべき最大の敵、友の最愛を奪い、友の運命を捻じ曲げた天の|運命(さだめ)、どれほど憎んでも、憎み足りぬ。

 雨は、激しさを増す。


     ○


 五日、ヴォルフの果敢な攻めもウィリアムには届かない。戦場はアルカディア優位。これ以上差が開けば敗北は必至となる。ねばるネーデルクス軍も、頭であるヴォルフが抑えられている状況にしては奮闘していた。後のない状況、充分に加速した戦場。

 その中で何処よりも早まった戦場、加速の極みにあった戦場で――

 ヴォルフは笑った。

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