王会議:小さな光

「久しぶりだね。相変わらず酷い顔だ」

「……何の用だ?」

 あの日を否定するために生きてきた。社会を、世界を破壊するための人生だった。それがただ一人すら取りこぼし、その選択のために破壊者たる己が地位も風前の灯火。全てが自分の思い通りに成るとは思っていない。でも、ほんの僅かくらいは、そう思っていた。

「狂気の果てに何一つ救えず、呆然と立ち尽くす。何も出来ないところは、何も変わらない。実に僕らしいと思ってね」

 正しく、真っ直ぐに己が育っていたら、そんな『もし』が目の前にいた。苦笑いを浮かべながら、青年アルはウィリアムを見つめている。

「何とでも言え。お前のせいで全部ご破算だ。俺が築き上げてきたもの、地位、信頼、ありとあらゆるものが、ガリアスに楯突いたことで消し飛ぶ。もう俺には何も残っていない」

「そうかな? 僕には、一番大事なモノが残ったと思うけど」

「ハッ、クロードのことか? お前馬鹿か? ガキ一人、何の価値がある? 俺が価値を付けてやるんだよ。その俺に価値が無くなったら、ただのガキだ」

「違う違う。彼と彼女の在り方、だ。君も見ただろう? あれは無償の愛だ。その身一つで愛する者を守って見せた。その姿は、僕らにとって一番大事なモノだと思うけど」

「ほざけ。あの女は孤独に耐えられなかっただけだ。疑似的な家族を作って自分を誤魔化し、それを本当だと勘違いして死んだ。愚かな、女だ」

「双方がそれを本当だと思うなら、それは真実だと思うけどね。どれだけ客観的に間違っていようとも、そこには本物が宿る。狂気を気取るのはやめなよ、君はとうに気づいているはずだ。だって君は……たくさん見てきたじゃないか。その眼で」

 黒き髪のアル。白き髪のウィリアム。二人の中で浮かぶビジョン。自らの意志で躊躇いなく命を差し出した向日葵の匂いがする女性。愛する者を求めて遥か遠くの異国にまでやってきて、それを貫き散った気高き愛の殉教者。

 愚かで、道理にそぐわず、理屈に合わない。

「それだけじゃあない。僕らは見ようとしなかった。もしかすると、悪意の刃で断ち切った者、狂気の牙で喰らった者、その中にも、同じようなものがあったかもしれない。なかったかもしれない。それはわからないんだ。だってそうだろう? 僕らは見ていないから」

「理屈に合わない。論理的じゃない。人は、関係性とは、利害でのみ成り立つ。それが知的生命体を気取る人間様だ。獣より幾分か複雑化しただけ、同じ獣だから、俺は――」

「獣にも理屈を超えたものはあると思うけど。そもそも、僕らの始まりがそうだっただろう? 姉さんを奪われたことが始まりだ。でも、理屈を語るなら、ヴラドだけ、いや、ヘルガも入れておこう。この二人だけで充分だったはず。でも、僕らはそれ以上を求めた」

「……それは」

「姉さんの重さに釣り合うモノを探した。それを破壊して初めて復讐は果たされると思った。でも、未だにそれは無い。見つかる気配すら、ない。理屈じゃないよね」

 二人は一つの身体で、その眼で、多くを見てきた。当初抱いた漠然とした世界と言う敵。社会を構成する頂点たちを遮二無二目指した。それが復讐なのだと無理やり方程式にねじ込み、狂気の赴くままに邁進し続けた。

「誰の心にも、理屈を超えたモノがあるのかもしれない。僕らを除いても、貴族である彼女が、異国に生まれ価値観も違う彼女が、そして僕らと同じ底辺に生まれた彼女が、証明した。もう、生まれは言い訳に成らない。甘えは許されない。向き合う時が来た」

 ウィリアムの貌が歪む。いつからだろうか、ただ狂気に身を委ね、這い上がることを苦痛と感じるようになったのは。誰かを踏みしめて、頂に昇ることを重いと感じるようになったのは。それでも遮二無二、考えないようにして駆け抜けた。

 だって、考えてしまったら、直視してしまったら、壊れてしまうから。

「僕らが積んだ業は高く、果てしない。そこに『光』があったと仮定すれば、なお罪深い。重いよね、きついよね、苦しいよね。でも、此処までにしよう」

 耐えられる気がしない。

「眼を背けるな。僕たちは考えなきゃいけない。そうすべき時が来た。何のために力を付けた? 人から奪った? 世界を破壊するために、僕らはその道を選んだ。僕はそれ自体間違いだとは思わない。君だってそうだろう? この世界は実に、正しくないし美しくない。こんな世界を作った神はクソ野郎だ。そこに変わりはない」

 それでも、目の前の自分はそうしようと提案してくる。自ら重荷を背負って、困難な道を往こうと。それが贖罪なのだと、唯一己が救われる道であることを、理解しているから。

「だから破壊する。僕らの大好きな論理的結論だ。其処までは良い。これからは、その先も考えようよ。世界をぶっ壊した先に、何を創る? そこまでの犠牲に見合う何を生む? 一緒に考えよう。一生をかけて、やろう。だって、僕らは彼女たちに救われただろう?」

「……ああ、わかっているよ。とっくに、わかっていたさ」

 彼女たちが見せた可能性。命を賭して証明した解。理屈だけで世界は回っていないと、その証明は二人に希望を与えてくれたのだ。自分の中の幻影だけではない、もしかしたら本当の姉も自分を愛してくれていたのではないかと。何か理由があって、目的があって、そのために自分から離れて一人虎穴に飛び込んだのではないかと、そう願う余地が出来た。

 人は醜く打算的で、建前で愛を囀り裏で陰口を囁く。全ては自分のため。愛すらそのためのもの。そう思って生きてきた。そうであると仮定して修羅と化した。だが、そこに一片でも可能性があるのならば、人は美しく、理屈を超えた側面を持っているのだとしたら、其処には『光』が宿る。とても小さな、吹けば飛ぶような、小さな『光』。

 だが、これが道しるべである。

「果てしないな」

「途方もないね」

「それでも」

「それしかないのなら」

「「やるだけだ」」

 かすかに輝く一つの灯火。手を伸ばせども、それは遥か彼方。これだけ積んでもまるで届かない。自分が何人、何十人、何百、何千、万、億、それでも遠い。だが、其処しかないのだ。自分たちが、奪ってきた者の中に『それ』があったのだとしたら――

 そこを目指すしかない。どんな手段を使っても、今よりももっと苛烈な手段を、悪逆に手を染めてでも、ただひたすらに手を伸ばし続ける。諦めはしない。それは今までの全てを否定することだから。

「俺の道を遮るな」

 ゆえに男は今一度その塔の頂点に立つ。躯を積み上げし業の塔。

「征くか」

 男は天に手を伸ばす。かすかに輝く一つ星。それは彼女たちの証明によって生まれた、道しるべである。遥か彼方に手を伸ばし、男は思考する。どうすればあそこに手が届くのか、どうしたらあそこまで人を導けるのか。それを、考える。考え続ける。

 ウィリアム・リウィウスと言う存在が滅びるその日まで――


     ○


 その瞬間、一瞬ではあるが世界が塗り替わった。

「…………」

 驚愕に眼を剥くエル・シド・カンペアドール。ほんの一瞬、瞬く間ではあるが、それは間違いなく在った。自分が、かき消されてしまう感覚。半世紀世界に君臨し続けた怪物、三つがまとめて吹き飛ばされた。その新しさに、エル・シドは震える。

「そうか、貴様が、次のエル、か」

 複雑な表情であったが、どこか、少しほっとした表情をかの烈日は浮かべていた。その心中を推し量ることは余人の手に余るが――

 ウェルキンゲトリクスは静かに微笑む。自らにとって決して歓迎すべきではない時代のうねり、新たなる風。だが、もう一人の、ただ一人の守護者ではなく英雄、ストライダーである己はそれの到来を歓迎していた。

「英雄の時代が終わり、人の時代が、来る」

 なれば己が天命、決して長くはないと英雄王は悟る。

 ストラクレスは震えるエィヴィングとそれを抱くエルンストの前に立っていた。どんな流れであろうと己がせき止め、破壊する。黒金の守護者、最強の大将軍、己が全てを賭してこの流れを阻止し、守り切って次に繋げることこそ己が使命。

 先代によって与えられ、歴代脈々と繋がれてきた大将軍の運命。

 三大巨星は各々の覚悟を胸に秘め、到来を予感する。


 一瞬、加熱する戦場が停止した。氷漬けにされたかのように、停止する戦士たち。

「……何だ、この、えもいわれぬ感覚は」

「集中しろダルタニアンッ! 来る、ぞ……来ない、のか?」

 二対一ながら凄まじい激闘を繰り広げていたネーデルクス最強とガリアス最大武力の二人。だが、それすら謎の雰囲気によって一瞬、集中が途切れてしまった。

「ぎ、ィ」

 それは死神とて同じこと。むしろ、死神の方が明らかに途切れている。視線は全天を覆った雰囲気、その発生源に向けられていた。溢れ出んばかりの敵意と、かすかな怖れ。

「……僕が、引っ張られた?」

 一番呆然としていたのが、此処までの展開をかき回していた男、神の子ルドルフであった。何かが起きた、何かが生まれた。その結果、自分が持っていかれそうになった。絶対と確信していた天運が、とても小さく感じられるほど、それは大きく、遠くに思えた。

 気が遠くなるほどの距離。ルドルフは歯噛みする。

 世界に、お前じゃないと言われた気がしたから。


 アポロニアは発生源の中心、限りなく近い場所にいた。自分が何故此処に来たのか、彼女は理解する。これは己の敵として申し分ない敵、まさに好敵手の出現であると歓迎しているが、いつもの笑みではない。目の奥が笑えていない。

 彼女は理解してしまった。彼女自身が知らぬ底の底で。それを知るのは遥か先の事。


 発生源の一番近くにいたのがヴォルフであった。どこかに向けて走り去るヴァレリーを追おうとした瞬間、圧倒されてしまった。自分が見ている距離を無理やり拡張されてしまう感覚。そして、拡張されたからこそ分かる。

 今、一瞬彼がいた場所は、もうすでに己では届かぬところにあった。

 否定すべき景色。拭い難き悪寒。

 されど狼はそれを否定しなかった。このウルテリオルには今、世界中から怪物どもが集まっている。その中において異彩を、突き抜けたモノを見せたのだ。一瞬であるがかの革新王や三大巨星ですら塗り潰して見せたのだ。

「……偶然って思うにゃ、ちと派手すぎるぜ」

 その差を真面目に計ろうとせず、痛い目にあったばかりの狼は刻み込んだ。自分が認めた好敵手は、いずれ今の領域に至る。ならば自分はどうすべきか、同じようにその背を追うべきか、別の場所を目指すべきか、狼は考える。


 ガロ・ロマネスには王会議が中断されたこともあり、多くの王侯貴族が集まっていた。彼らの中で、どれだけの人間がこの機微を察することが出来ただろうか。この変化を感じ取ることが出来た者はどれだけいたのだろうか。

 カールは思う。これの何と冷たきことか。この雰囲気がどれほど他と隔絶したモノか。見えてしまったからこそ、無視できない。彼は自分に多くを与えてくれた。それで終わりじゃ友達ではない。自分も何か、何か与えなければ――対等な関係とは言えない。

 だから彼は覚悟を引き締める。

 エアハルトもまた感じ取った一人であった。まだ、一瞬の出来事。決して追いつかれたわけではない。だが、生まれのアドバンテージはすでに埋められつつある。アルカディアだから、自分の領域だから、抑えつけられているだけ。

 すでに他国の評価は――そう考えると出てしまう。どうしても、仮面の隙間から、第二王子というペルソナの隙間から、零れ落ちてしまうのだ。

 フェリクスは横目でそれを覗き見る。誰が、どうやって、彼には感じ取れていない。だが、出来が良過ぎる腹違いの弟が、あんな表情をしているのだ。それはとても愉快なことで、それを愉快と思う己の滑稽さに、男は嗤う。

 エレオノーラもまた、感じ取れたわけではない。それでも胸騒ぎがした。何かが遠くへ行ってしまったような、そんな薄っすらとした感覚。それが何で、誰が、そこまでは彼女には分からなかった。彼女だけでは分からなかった。

 でも、『あの人』の興味がまた、かすかに動いたのが見えたから、それが誰のモノで、この胸騒ぎがどういう類のものなのか、彼女は理解した。

 ここでもまた、仮面にひびが刻まれた。小さく、かすかなものであったが。


 ガイウスは嗤う。隣に立つ亡霊を意に返さず、嗤う。

「余が真に求めるモノは、いつも遠い。聖女は諦めた。巨星共に余、自らが勝つ道も諦めた。此度もまた、諦めよと申すか? それを許容できるほど、余は寛容ではないぞ」

『世界はいつだって理不尽さ。それでもガイウス、君は諦めが悪いから、抗うのだろうね。ずっとそうしてきたように。ならば、死にゆくその日までそうすべきだ」

「応ともよ。余は、まだ諦めん。手はある。主導権は余が握っておる。最後の一つ、余が手に入れても罰は当たるまいよ。もはや、ただ一つで良いのだ。明日が、欲しい」

 今、感じた『明日』。それを頂点たる男は欲した。

 もはやそれ以外は何も望まない。

 ゆえに革新王は鬼と化す。


     ○


 ウィリアムは零れ落ちた温もりを手放し、立ち上がった。

 やるべきことはただ一つ。活路は薄く、あまりにも薄弱としたものであったが、それでも今の自分が明日を迎えるために必要なことをする。

「クロード、お前が彼女を守れ。家族の下へ帰してやれ」

「ひぐ、でも、俺、俺のせいで、ミーシャが」

「彼女の愛を無駄にするな。お前は報いねばならない。彼女のおかげでお前は明日を生きることが出来る。その重さ、今のお前ならわかるはずだ」

 ウィリアムは歩き出す。

「お前ひとりでは抱えられない。その無力を噛み締めろ。その後、何をすべきか考えるんだ。お前ならわかるはずだ。やるべきことが」

 その眼は冷たく何の色も映っていない。その表情は何一つ悟らせない。

「悪いが、お前の復讐、俺が喰らうぞ。お前は、真っ当に生きろ。それが彼女の望みだ」

 零度の眼が、やるべきことだけを見据える。


     ○


 ヴァレリーは自らの書斎に至り、其処に火をつけた。狂気ゆえ、ではない。彼は彼女の視線に気圧され、狂気すら失ってしまったのだ。残ったのはわずかばかりの生存への欲求。己の保身のみ。ゆえに処分する。この屋敷ごと。わずかな痕跡も残さない。

 最も重要な書類はすでに燃え、この書斎自体もすぐに燃え盛ることと成ろう。

 そして自分は――この隠し通路から逃げればいい。

 それですべてが終わる。


     ○


 ヴォルフは遺体を運び出そうと悪戦苦闘するクロードの姿を発見した。己の無力に泣きはらしながらも、何としてでも彼女を家に帰す。その意志が、幾度となく限界を超えさせ、それでもなお、ほんのわずかな距離しか進めていない。

「よう坊主。手伝ってやろうか?」

 昔の自分なら絶対に拒絶した他人の手。色々失った今でも、きっと同じ状況に成ったら躊躇してしまう。この手を取るには認めなければならないから。自分では大事なモノを守れない、と。それはとても勇気がいる決断である。

「……たしゅけで、ぐださい」

 鼻水を垂らしながら、クロードは頭を垂れた。その勇気に、ヴォルフは頭を撫でてやる。きっとこの少年は強く成る。自分たちと同じように喪失を経て、自分と違い勇気をもって矜持を捨てられる器の大きさがある。

「しゃあねえな。貸しだぜ、クロード」

 ヴォルフは二人をひょいと抱え歩き出した。

 ウィリアムが向かった場所とは真逆の方向へ。


     ○


 隠し通路に入った瞬間、別の誰かがこの書斎に立ち入った音がした。この建物の構造を知らない、書斎の場所を知らない『敵』であれば早過ぎる。であれば『蛇』か、ともヴァレリーは考える。どちらにせよ、今動くわけにはいかない。

 どちらであっても薄い扉、裏は本棚で隠してあるが、物音を立てれば気づく可能性がある。ならば、動かずに『敵』が去るのを待つだけでいい。一見して何の違和感もない部屋、其処はすでに炎に撒かれている。普通であれば時間をかけて探し、この通路に行き着く可能性もあるだろう。されど、今は火急の状況。こんな短時間で、此処に何かあると察し、隠し扉を、この通路を見つけることなど――

「貴族らしい小細工だ」

 冷たい言葉が、ヴァレリーを突き刺した。本棚が動いた音と同時に、扉が開き手が伸びてくる。「ひっ」と驚きを表す前に力づくで書斎に引き摺り戻された。目の前にいるのはウィリアム・リウィウス。その眼には何の感情も映っていない。

 ただ冷たさだけが其処にあった。

「な、何故?」

「本棚と言うのはすぐに埃がたまる。それなりの頻度で掃除をしていてもな。動く部分だけ浮き出るんだよ、少し目を凝らせばな」

 ヴァレリーは信じ難い思いで目の前の男を見ていた。『蛇』ならずとも隠し通路を探す上で、そう言った部分に眼を向けることは基本中の基本である。だが、それは時間がある時の話。今は、すでに書斎自体炎に撒かれており、冷静に探すことなど不可能なのだ。

「空気の流れ、押し殺した息遣い、心音、いくらでも要素はある」

 嘘か真か、ウィリアムは初めて無表情を歪ませて、笑みを形作る。

「ま、待て。参った、降参だ。私が悪かった。ここらで手を打とう。この戦いは私から仕掛けたものであり、一騎打ちも私から、そして負けたのも私、どうだ? これで貴殿が罪に問われることも無くなる。私は全てを失うが、何、何事も命あっての物種だ、な」

「魅力的な提案だ。だが、お前がそうすると俺はどうやって確信を持てばいい? 書面で、血判を押したところで、後で引っ繰り返されたなら無意味。ここはお前たちの、ガリアスの巣だ。生半可じゃ、飲まれるだけ、だろ?」

 ヴァレリーの笑みが揺らぐ。まさにウィリアムの指摘通り、彼はこの場を『嘘』で乗り切って全てを覆すつもりだった。自分の名声が落ちることは確定であっても、出来るだけその傷を浅くし、出来得る限りウィリアムに擦り付けるつもりであった。

 その浅ましさもまたウィリアムは見抜いている。

 ウィリアムは本棚をきっちりと元の状態に戻し、ヴァレリーを叩きつけた。そしてその背を足蹴に、隠し通路を背にした本棚に押し付ける。

「何の真似だ!? いったい何を考えている?」

「無罪放免なんて不可能は求めていない。少しでも罪を軽減した上で、俺の口から、俺にとって都合が良い話を語る。その際に、口は二つも要らないだろう?」

「……わ、私を殺す気か? そんなことをすれば貴様など――」

「何を言っているんだ? お前は此処で死ぬ。自らの手で、浅ましく、な。失った手でここを動かすのは難儀しただろう? そう、一騎打ちの末お前は此処に辿り着き、狂気によって部屋に火をかけ、そして隠し通路を前に炎に撒かれて死ぬ。実に惜しかった。あと一歩で生き延びることが出来たのに。部下はあんなにも無残な姿と化したのに、お前は一人浅ましく逃げようとして死ぬ。それがシナリオだ」

「た、助けてくれ。何でもする。誓う、誓って私は――」

「だから、お前が生きていたら駄目なんだって言っているだろう? 分からず屋だなあヴァレリー卿。お前は死ぬ。それが大前提だ。むしろそこからが俺にとって大事なことなんだよ。炎の中心は、すでに燃え尽きた机の上、か? であれば最初に燃やしたのは封書か何かか、それがあったと知っているだけで少し、違う。ブラフにも使えるな」

 すでにウィリアムの眼にはヴァレリーのことが映っていなかった。目の前にいるのに、あの娘を奪った相手なのに、この男は興味の一欠けらすら自分に抱いていない。ヴァレリーと言う男が自らの手で死んだ、その事実を創るためだけにこの男は此処に来た。

「やめ、あつ、たすけで、たのむ、なんでも、ずる、がらァ!」

 火が、本棚を、書物を伝い、男の頬を焼く。火が、どんどん男に近づいてくる。

「……もう遅い。交渉事は、互いに手札があって初めて成立する。悪いがお前に手札がないように、俺にも手札がないんだ。活路は薄く、それでも、やらなきゃいけない。俺を、俺と言う存在を、全力で釣り上げて、ガリアスをぶっ叩く。それしかねえんだよ」

 ウィリアムは嗤う。あまりにも薄い活路。それでもやるしかない。

「嗚呼、でも、もし、もし、だ。何か手札があるなら、早めに切った方が良いぞ」

「あつ、ある! ある! あるんだ! あるから、たのむッ!」

「オーケー。交渉成立だ。手短にやろう。まずは、お前のご主人様の情報を、寄越せ」

「あ、ああ、ああ」

 彼は短い時間の間に多くを話した。武器になるモノ、成らないモノ、たくさんを。

 ヴァレリーと言う男は騎士を志し、夢破れ権力の走狗と堕し、最後には命を懇願する真の敗者と化した。全てを搾り取った後、ウィリアムは笑顔を張り付けたまま、炎に撒かれし本棚へと男を蹴り込み、踏みつけ、押さえつけ、彼の生涯を終わらせた。

 哀れで無残な、無様なる物語を張り付けた上で――

 最初に言ったように口は一つで充分なのだから。

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