巨星対新星:逆転劇

 それはアルカディアにとっては奇跡の光景で、オストベルグにとっては悪夢の光景であった。総勢五千を超える増援。どこから絞り出してきたのか、何故これほどの余力を持ちながら、この局面まで五千という札を切らなかったのか、わからないことだらけである。

 それでも、現実としてそれらはいた。アルカディア側から見て左方向の林から突如湧いて出てきた五千の兵。その先頭に立つ男を見て――

「し、白騎士だァァァァァアアア!」

 アルカディア側はもちろんのこと、オストベルグ側からも叫び声が溢れた。片方は歓喜、もう片方は悲鳴となって戦場に木霊する。

 キモンは呆然とその登場を見ていた。崩れ落ちる磐石。

 ギルベルトたちも驚愕のまなざしを送っていた。五千という大軍を引き連れての登場。北方における全戦力を引っ張ってきた形である。しかしそれはありえない。北方を留守にする以上、守りの兵を残さねばならないのだ。

「どうなっている? 奴は、何をした?」

 素直に喜べぬ状況。それほどに不可解な五千という大軍。

 しかし、戦況は大きく変じた。一瞬にして塗り替えられた。がむしゃらに足掻いた時間の先、勝利がやってきたのだ。

「総員、戦闘開始」

 しめやかに下される宣告。勝敗を決する鐘が鳴る。


     ○


 ストラクレスは前方にいる決死の盾兵、そして背後で変じた戦況をはかりにかける。もはやこの状況、バルディアスを討ったところで変わらない。むしろそうして此処で立ち往生し、自身まで討ち取られては逆にオストベルグが詰む。

「……決め切れなかったわしの不甲斐なさよ」

 もしあの場でカールの踏ん張りがなければ、返す刀で増援ごと喰らいきれた。継戦中であればこそ、この増援に意味が生まれたのだ。逆転の一手としての。

「じゃが、まだ負けてはおらんぞ」

 ストラクレスは混戦にまぎれて姿を消した。


     ○


 アルカディア軍から向かって左方向、オストベルグ軍から見ると右後方より北方の軍勢は突撃を開始した。突然の増援にあたふたしているところに後背を突かれ、一気に瓦解していくオストベルグ軍。その勢いは、後背をついただけでは説明がつかないほど速かった。

「ふはっ! 腕が鳴るな! 北方を出て初めての戦だ、ぬかるなよ!」

「応!」

 屈強な北方勢はシュルヴィアを筆頭に膂力で圧倒していく。ハルベルトを巧みに操り敵を蹂躙していくさまは、見ていて痛快である。

「ウィリアム様の名に恥じない戦をするぞ」

「御意!」

 対してアンゼルムの率いる練度の高いアルカディア兵は、北方で培った技と彼らに対抗するために身につけた力で進撃する。

 そして彼らの先頭に立つ男は――

「腕が疼くな。あの時の痺れ……ようやく会えますね、サー・キモン」

 他を隔絶した強さを見せていた。

 白騎士、ウィリアム・リウィウス。桁外れに強いだけでなく、堂々と戦場を駆けるさまは覇者のそれ。北方の雄は、アルカディアのものたちでさえ気付かぬうちに肥大化していた。北方という目の届き辛い環境で、数多の経験を積んできたのだ。

「アンゼルム、シュルヴィア、包囲の手助け、ついでに退路を確保しておけ。俺は旧知の相手に挨拶してこよう」

「喜んでマイ・ロード」

「……了解だ」

 そのまま横に広がっていく二人。敵を砕きながら味方の包囲陣、途切れ途切れになりかけていたものを繋ぎ合わせていく。その巧みな動きに、練度の高さが匂い立つ。

 手勢は減らしたものの、ウィリアムの勢いはとどまる所を知らない。あっという間に敵軍をぶち抜いていき、

 そして――

「……見事な用兵術だ。あの時の獣とは思えぬよ」

「覚えていてくださり光栄です。約束通り、貴方の首をいただきに参りました」

 そして邂逅する。ラコニアでの因縁。ウィリアムとキモンが再会した。

 キモンはひと目見て勘付く。遅かったと。ウィリアムはひと目見て理解する。超えたと。

「私より強いか。……確かめてみよう!」

 膨れ上がる黒羊。場の雰囲気が一変する。重圧の中、ウィリアムは微笑む。

「強い。想像通りの強さだ」

 ウィリアムの言葉を意に返さず、全速でキモンは敵に向かう。

「覚悟しろ! ウィリアム・リウィウス!」

 交錯する。

「……あまりに想像と変わらなかったので、びっくりしましたよ」

 キモンの剣が、宙を舞っていた。キモンは自身の首に刻まれた薄い傷口を撫でる。

「貴方はあれから何一つ変わっていない。そこに驚いていたのです。これで第二位、国で二番目に強い男だというのだから……オストベルグは層が薄い」

 ウィリアムは嗤っていた。自身の強さの確認、そして変わろうとしない滅び行く旧時代の遺物を見て。もはや、キモンは自身の秤にすらなりえない。

 ウィリアムは刃を納める。

「もちろん、ギルベルト殿と打ち合い消耗している点は理解していますよ。対する私は万全です。当然フェアじゃない。ですが、それを差し引いても、私は発展途上、貴方は完成型、これから先差は開く一方……それに――」

 鬼の形相となったレスターがウィリアムに襲い掛かる。

「後進の育成もこの程度では、ね」

 その槍を容易く掴み、それを振り回す。それによってレスターは落馬を余儀なくされた。

「自分の限界値も見えていない。自分より少しばかり格上と長々やりあっていたのだ。思っている以上に消耗している。そういうことも理解できていない時点で、己を御せていない証拠。未熟ですと自分で言っているようなものだ」

 レスターは敵に苦言を呈された、敵として認識すらされなかったことに呆然としていた。

「……多少強くなって、いい気になっているようだな」

「まさか。むしろ、差をつけたと思っていたギルベルト殿、敵として見る気すらなかったカール、二人が俺の敵になりうると知った。正直、この終わった戦などどうでもいい。先のことで頭がいっぱいでね……いい気になどとてもとても」

 ウィリアムの言葉に、キモンは笑い出しそうになった。自らをして、もはやこの男の興味の外なのだ。今はおそらく実力的には互角だろう。武力も知力も、ほぼ等しい。消耗によって負けただけ。今は、それがおそらく正しい。だが、先々のことは見えきっている。ここ数年で桁外れに成長した男、ここ数年ほぼ変わらずピークを保っているだけの男、秤にかけるまでも無い。

「まったく、あの時の自分を殺してやりたい気分だよ。あの時、外壁から飛び降りてでも貴様を殺すべきだった。あの時なら、いくらでも殺せたというのに」

 キモンは理解した。自らでは届かないことを。総合力が売りの男が総合力で勝ち目がないと悟った。だから――

「だが、やはり貴様はいい気になっているようだ」

 キモンは嗤った。自らを、無力な己を嗤った。

「ほう、ではまだ底を見せていないと? 面白い、興味深いぞサー・キモン」

 ウィリアムは一つだけ勘違いしていた。一つだけ肌で感じていなかった。

「ふっ、私ではないよ。私ではなく、この戦場の王が、貴様を測る」

 ウィリアム・リウィウスは――

「後ろだ! ウィリアム・リウィウス!」

 ギルベルトの叫び。ウィリアムは一拍遅れて反応した。何故此処にいるのか、どうしてこんなに早くこっちに来れたのか、誰にもそれはわからない。来たばかりのウィリアムではなおさらわからない。

「ようやく会えたのう、白いのッ!」

 ウィリアムの背後を、『黒金』のストラクレスが突いた。一切の躊躇無く振り下ろされようとする大剣。タイミング的には絶対に間に合わない。間に合ったとしてもストラクレスの膂力の前には無力。

「ふざ――」

 黒き鋼をまといし王。その重厚な圧力は怪物と呼ぶしかない。

 アルカディア本陣にいるはずの男が此処にいる。しかもウィリアムの隙を突いて。圧倒的格上に対して、ウィリアムに備えは無かった。

「――ける――」

 応じて膨れ上がる躯の塔。そこに君臨する業の王。キモンの想定をかなり超えているが、巨星ほどの引力は感じない。

 脳裏を駆け巡るのは走馬灯。過去の記憶が一瞬で脳内を駆け巡る。その中から、ウィリアムは即座に正解を掴み取り、一切のラグなく実行に移した。

「――なッ!」

 ルシタニアの剣術、納剣状態から繰り出される最速の剣技。見よう見真似、しかし正確にトレースしていく。それほどにあの戦いはウィリアムにとって大きな契機となっていたのだ。それゆえに刻まれた動き。

「むっ!」

 あの不利な状況から追いつかれたことに驚きを隠せないストラクレス。単純な速さでは互角、軌道の距離差で詰められた。最速というよりも最短と言うべきか。

 中央で刃が接触する。轟音が戦場に轟く。

 吹き飛ばされる躯の塔。その下で蠢く躯の軍も吹き散る。

「ぐ、がぁぁぁぁあああッ!」

 だが、塔の上に君臨する王は生き残った。黒の王は討ち取り損ねたのだ。

「ぐ、がァ、ば、ばけものめェ」

 ウィリアムは苦悶の表情を浮かべながら震える手を押さえていた。一撃、たった一撃でこの様である。キモンには追いついた。しかし巨星は想像を大きく超えていたのだ。

(今の俺では逆立ちしても勝てん)

 強烈な手の痺れ。キモンのそれを大きく上書きした。

(狙いは、俺か。他の奴には見向きもしてねえ)

 ストラクレスの眼はウィリアムだけを映していた。確実に仕留めようと二撃目に移行しようとしている。二度目は、受けられない。

「閣下の一撃を、受けた、だと?」

 キモンは驚きの目でウィリアムを見る。他の者たち、特にオストベルグの兵たちも驚いていた。本気になったストラクレスが仕留めるために放つ一撃、それを受け切ったものなど、それこそ数えるほどしかいないのだから。

「悪いが退かせてもらう」

 躊躇無く馬を反転させるウィリアム。

「気にするでない。地の果てまで追って仕留めるだけじゃア」

 それを当然の如く追撃するストラクレス。

 たった一人のために、巨星は戦場を捨てたのだ。

(……否、本陣を落とす時間も、そもそも本陣の重要性も薄れた今、固執しても意味がない。バルディアスを取っても、誰かが引き継げば勝てる戦。そう、もうこの戦は我らの負けなのだ。ならば、できることは一つ)

 キモンはどさくさにまぎれて剣を拾った。それを呆然としているギルベルトに向ける。

(摘む事だ。少しでも多く、相手の力を削ぎ落とす。よりよき敗北を模索する)

 戦場の趨勢は決した。されど、まだ戦いは終わっていない。


     ○


 グスタフはうずうずしていた。ようやく動けると思ってからの待て。じらしにじらしてさらにじらされている。いい加減怒り出しそうな、そんな気分であった。

「んで、いつになったら俺は出れるんだよ?」

「あわてないあわてない。水袋の紅茶を入れてきたんだけど……飲む?」

「飲まねえよっと。つーか冗談抜きに何でこうなってる? 全然戦況が見えねえ」

 グスタフは首を捻る。ボロボロだった本陣も今となっては落ち着いたものである。ストラクレスの不在、それだけでこうも変わるのかとため息すら出てくる。

「うーん、この増援で戦局が一変したからってのがあるね。バルディアスを討っても五千に背後を取られている状況。やっこさんにしたら詰んでる。ま、勝ったってことかな」

 いきなりグスタフの前に現れたヤン。本来北方にいるはずの男がどうして此処にいるのか。

「その五千はどうやって作ったんだよ?」

 ヤンは自前の水袋から紅茶をこれまた自前のコップに入れる。

「んー、北方の五千だよ。ちょっと色々混ぜてるけど……大まかには、ね」

「馬鹿言え。んじゃ北方の守りはどうしたんだよ? がら空きってことかよっと」

 ヤンは紅茶をすする。「冷めてもうまし」と一人悦に浸る。

「いやーがら空きもクソもないさ。守る必要がなくなっちゃったんだよ」

 守る必要がなくなった。グスタフは頭を捻る。そんなこと、ありえるのか、と。一瞬、グスタフはありえない妄想を浮かべる。そしてそれを一蹴した。しかし、一蹴した後気付く、これ以外、ありえないのではないか、と。

「……北方を制圧した?」

 ヤンは茶菓子のクッキーを頬張る。

「んま、そういうこと。いやー、まあちょっとした賭けだったけどね。でも結果は成功した。ほぼ最短でこっちに来れたし、五千を動かしても問題ない環境も作れた。ちなみにあの混ぜ物五千の中には北方の有力者もかなり入ってる。人質兼戦力って感じかな。とりあえず短い期間なら最低限の人員で反乱を防げるようにはしてきた。一石何鳥だろうね?」

 唖然とするグスタフ。グスタフが聞いていた話では、確かに統一間近だとは耳に入っていた。しかしまだいくつか国が残っていたはずである。その中にはかなりの戦力を保有している国もあった。一朝一夕で落とせる国々ではないはず。

「その辺はウィリアム君が野心家なのが幸いしたねえ。一切の休み無く、手抜き無く攻め続けたからね。最後にはちょびっと交渉したりと……見事、僕のオーダーに応えてくれた形かな。優秀、優秀」

 ヤンは嬉しそうに無精ひげをさする。

 北方の情報がこちらに入ってくるタイムラグを考えても異常なペース。それを為したものはすでにひとかどの存在だろう。

「なるほどね。噂以上か、ウィリアム・リウィウス」

「うん。凄いよ。統一をしてから反転した方が結果的に早く着く。その上戦力も多く動かせるならそうすべきだって進言されちゃった。僕だったら、その手は取れなかったなあ。そもそもそういう状況になりえなかったけど」

 ヤンは笑う。その笑みの中に、長い付き合いのグスタフは何かを見て取った。

「んで、俺はいつ動けばいいんだよ?」

「ん、そろそろ、かな」

 ヤンは腰を上げた。

「うん、やっぱり君は優秀だ」

 変化する戦場を見てヤンは笑った。


     ○


「生きてんのか、俺ら」

 こんにゃろうと突っ込み、巨星を落馬させた張本人であるグレゴールは、べこべこになった大盾を放り出して膝をついていた。となりには同じく放心状態のカール。腕はしっかり折れている。

「みたいだね。生きた心地、しないけど」

 燃え尽きた本陣の兵たちは、一様に呆然と一変した戦況を眺めている。

「勝てるんだな。あの状況から」

「うん、想像もしてなかった勝ち方だったけど」

 絶望の中やけくそのような時間稼ぎ。全員が盾を持って特攻したあの時からそれほど時間は経っていない。だというのに戦場はアルカディア勝勢、本陣から敵は引き上げ始めている。

「俺ァよ。英雄になりたかったんだ。それこそこんな戦場で、ストラクレスみたいに単騎で突っ込んで、戦況を引っ繰り返しちまう、そんな英雄に」

 いきなり始まったグレゴールの独白。ただ、この場において、あの死線を潜り抜けたものにとって、そういうことがしたくなる気持ちも理解できた。

「でも無理だ。全然、これっぽっちも、今日も怖くてよぉ。ギルベルトやヒルダみたいに飛び出せなかった。中央そばで、そつなく戦おうとか、つまんねえこと考えたりさ。嫌になるよな、自分の小物っぷりに。こんなでかいなりしてんのによ」

 気落ちするグレゴール。

「でも、助けてくれた。グレゴールの突進がなかったら、あのおっきなおっきな馬に乗ったストラクレスと戦わなきゃだったんだし……それは、ちょっと無理だったと思う。値千金って奴さ。君は僕たちにとっては英雄だよ」

 カールはにへらあと笑う。それを見てグレゴールも苦笑した。

「声が、聞こえたんだ。俺はそいつのこと、ずっと侮ってた。本当は俺の方が強い、あいつより優秀だ、あいつは運だけの奴だ、って。本当はわかってたんだ。あのギルベルトがお前を選んだ時点で。階級抜かれた時点で……わかってた。でも、納得できなかった」

 グレゴールはずっと優秀だった。昔から身体が大きく、学はそれほどでもなかったが、皆に一目置かれていた。馬鹿にされていたカールとは正反対の人物、なのに逆転された。なかなか承服できる事ではないだろう。それでも今は――

「声が、聞こえたんだ。すげえでけえ声でよ。でも心地よくて、どこか弱々しくて、だからこそ、一緒に戦わなきゃって。その時理解した。誰が上に立つべきで、誰が命を張るべきかって……ようやく、自分の生き方を、理解した」

 グレゴールはそれっきり押し黙った。カールもまたそれ以上言葉を挟まなかった。

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