巨星対新星:蒼き咆哮

 途中から、最初からわかっていたのかもしれない。相手は巨星、自分のような凡人が勝てるわけないと。それでも奮い立たせてきた。勝たねばならないのだと。祖国の危機、愛する人が傷つき、此処に至るまで自分のようなものを慕ってくれた部下たちも失った。退くことなど出来ない。退くには、多くを失いすぎた。立ち去るには、事態は大き過ぎる。

「…………」

 それでも己が親友ならばこう言うだろう。「逃げるべきだ」と。

「名を聞こう」

 巨星が問い。問いの届く場所に巨星がいる。つまりは詰み。

「カール・フォン・テイラー」

 せめて胸を張って死のう。カールは背筋をしっかり伸ばし、せめてもの抵抗の意を示すため、大きな盾を構える。一撃じゃ死なない。少しでも足掻いてやろうとする意思を示す。

「刻もう。我が名はストラクレス。オストベルグ軍第一位、大将軍である」

 三大巨星の名乗り。それが自分に向けられているということが少し可笑しい。あの、戦争どころか喧嘩にだって一度として勝ったことのない自分が、弱虫で馬鹿でへなちょこだった自分が、今、巨星の前に立つのだ。

「見事じゃった。集の力でわしを此処まで苦しめたのは指の数程度、集のみの力ならば貴様が二人目よ。冥土で誇れ、貴様はわしが、巨星が認めた男であったと」

 身の丈ほどの大剣を振るう。カールもまた構える盾に力を入れる。おそらく一撃すら凌げない。力の差が桁違いなのだ。一撃で死ぬ。死が、迫る。

(先に逝ってるね、ヒルダ。くっそー、結婚、したかったなあ)

 轟音が迫る。

(後を頼むよ、ギルベルト。君ならきっと素晴らしい将軍になる)

 馬蹄の音が響く。

(……早く来てよ。僕の英雄)

 死は、眼前に――

 カールはじっと盾を構えていた。前は見ない。見ることが出来ない。自分の弱さが嫌になる。死と向き合う勇気がなかった。盾を構える腕が震える。必死に隠そうとすればするほど、震えは大きくなっていく。

「カール様!」

 部下の声が、またしてもカールをいさめた。せめてかっこよく散ろう。そう考えていたはずなのに、このままではあまりに格好悪いではないか。

(せめて!)

 姿勢だけでも、視線だけでも張り合おう。そう思い、カールは眼を上げる。

 そこには、二人の英傑がいた。

「な、なんで?」

 呆然とするカールを他所に、二人の英傑の剣戟は底知れぬ高まりを見せていた。一人は当然ストラクレスである。凶暴な笑みを浮かべ、実に楽しそうに刃を振るう。もう一人――

「来てくださいました。我らが大将――」

 片方は『不動』のバルディアスであった。鬼の形相で必死に喰らいつく姿に、余裕も楽しみも見出せない。それでもギリギリのところで渡り合っていた。

「オルデンガルドは放棄する! 貴様もまた自身の部隊をまとめ、即刻撤退せよ!」

 バルディアスの言葉に眼を丸くするカール。ストラクレスは意図を察したのか、笑みの性質を変えた。

「オルデンガルドを取られても、取り返す算段を見出したか!? それとも、オルデンガルドと貴様以上の価値をその小僧に見出したか!?」

「さてな。そもそも、我が勝てばよかろう!」

 バルディアスの大矛が唸る。それを受けるストラクレス。

「敵わぬぞ。わしはストラクレスじゃ。如何に不動とて、一騎打ちであればおそるるに足らんじゃろうが!」

 今度はストラクレスの大剣が唸った。馬ごと吹き飛ばされるバルディアス。

「さっさと退かぬか! 此処は我が受け持つ。これは大将命令である!」

 必死の形相のバルディアス。見ればたった数合打ち合っただけで手が痺れているのか、小刻みに震えていた。息も、絶え絶えである。

「カール様、退きましょう! 生きて、臥薪嘗胆の時を」

 カールは、決断を迫られていた。

 一歩、足を退く。


     ○


 ギルベルトとキモン、ヒルダとレスターの打ち合いは壮絶なものであった。ある種の均衡状態、目的を果たしているのはキモンとレスターの方であるが。

「くそッ! 退け!」

 焦りが二人を苛む。本陣に異変があったのは雰囲気で察した。いつ撤退の狼煙が上がってもおかしくはない。いつ、カールが、大将が討たれてもおかしくないのだ。

「退けぬよ。しっかり稼がせてもらう」

 キモンは目的通りことを運ぶ。時を稼ぐ守戦。もちろん隙あらばギルベルトの首を狙うが、基本的に守りの構えを乱さない。ゆえに生まれぬ隙。

「余所見は禁物だ、女ァ!」

 黒い槍がうねるようにヒルダの喉元に迫る。それを紙一重でかわして、

「あ?」

 返しの容赦ない刃をお見舞いする。だがレスターもそれは悠々とかわした。

「怒りに心は焼かれど、頭は常に冷静たれ。優雅たることが家訓なのですよ。貴女のような野蛮な家系と違ってね」

 いちいち癇に障る相手だが、腕は確か。今すぐに取れる首ではない。ヒルダもまた内心では焦っていた。焦りの中で勝てる相手でもない。

「閣下の戦意が極限に達した。これで、貴殿らの軍は詰みだ」

 キモンがアルカディア本陣の方を見て言い放った。それを肌で感じた三人も同じ方向を見る。終わりが、来た。


     ○


 バルディアスが落馬した。もはや力を残していない。膝を屈し、眼だけがストラクレスを睨んでいる。その強がりに、ストラクレスは畏敬の念と一抹の寂しさを覚えた。長年しのぎを削りあった相手。格下ながらその戦は幾度もストラクレスを苦しめた。不動はストラクレスの戦に対抗するための苦慮、その結果ゆえに。

「良い時代であった」

 ストラクレスは微笑む。バルディアスは渋面を浮かべ、

「ふん。我にとっては苦い時代であったわ」

 と吐き捨てた。同じ時代に生れ落ちた二人。幾度も刃を交わした。幾度も、幾度も、ラコニアで、この地で、何度も、何度も――

「新たな時代じゃ。わしは……陛下を、オストベルグを生かさねばならぬ。しばし待っておれ。すぐにわしもそっちへいく」

「苦い顔をした貴様が現れるのを待っていよう」

 バルディアスの苦笑。あまり笑わぬ男が見せる最後の笑み。

「さらばじゃ戦友(とも)よ!」

 ストラクレスの大剣が振り上げられた。バルディアスも目を瞑る。

 轟音と共に振り下ろされた剣は、大きな鉄の音を立てて――

「ぬおっ!?」

 バルディアスを吹き飛ばした。想像とは異なる衝撃に、眼を見開くバルディアス。驚き眼を広げるストラクレスが一瞬映り、続いて地面が瞳に映し出された。そのまま転がっていくバルディアス。異物感と共に無様に転げまわった。

「ぐ、ぁあ」

 苦悶の声を上げる異物。その声を聞いてバルディアスはようやく理解する。

「な、何をしている? カール百人隊長!」

 ひしゃげた大盾を装備したカールがそこにいた。腕が折れているのは巨星渾身の一撃を受けたがため、その勢いのままバルディアスと共に吹き飛んだのだろう。あまりの痛みに額には汗を浮かべている。

 逃げたと思っていた。逃がせたと安堵していた。未来へ繋げたはずの己が覚悟。まさかこのような結果になろうとは。これでは――

「まさか戻ってこようとはな。じゃが手抜きはせぬ。わしにとっては僥倖よ。今も、明日も、どちらも摘めるのじゃからのお」

 バルディアスが浮かべるのは絶望。ストラクレスが浮かべるのは失望。

「何故戻った。これでは、これでは何のために我が」

 命を賭したのかわからない。全てが水の泡である。

「……駄目じゃないですか。だって、だってこれじゃあ、何のためにみんなが死んだのか、命を賭したのかわからない! オルデンガルドを与えるなら、死ななくて良い命はいっぱいあった! その彼らに、諦めた僕らはどう顔向けすれば良いんだ!」

 カールの叫び。これもまた正論である。されど――

「小僧、戦には勝者と敗者がおる。勝者は願いに近づき、敗者は願いから遠のく。此度の敗者は貴様らじゃ。なればより良き敗北を模索するが道理。大人になりきれておらぬようじゃな、カール・フォン・テイラー」

 此処は戦場。勝者に美酒を、敗者には泥水を。勝った負けたは時の運。勝者と敗者は天地の差。片方が笑えば片方が泣く。それが戦場。

「確かに、時には負けるときもある。そこから得る物だってあるだろう。でも、今日は負けちゃ駄目な日だ。負けるには失い過ぎた。学ぶには犠牲が大き過ぎた。勝たなきゃ、諦めちゃいけないんだ!」

 友であり戦場の師である男に生き抜くことを叩き込まれた。どんなことがあっても生き抜いて、その先にある勝利を掴む。生き抜くことが第一義。だが――

「僕は馬鹿だ。僕が間違っているかもしれない。だけど、今日負けて、オルデンガルドを取られて、その先に勝利はありますか? その先で生きることが叶いますか?」

 バルディアスの表情に影が差す。自分では想像もできないから、未来へ託したといえば聞こえはいい。しかし、結果は未来へ投げただけ。今日の敗北のツケを明日に回しただけ。であれば、その先に浮かぶ瀬は無いかもしれない。

「ないなら此処は退いちゃいけない! 叶わないなら、逃げて良い局面じゃない! 僕の親友なら此処は退かない。此処は、命を賭けるべき局面だ!」

 カールは立ち上がる。腕は折れ、土まみれ泥まみれ、それでも眼は、声は諦めていなかった。

「今日でアルカディアの命運が決まるなら、僕は絶対諦めない! 僕らの後ろには家族が、恋人が、友人が、いる! 僕らが敗走したならば、彼らは全て奪われる。それを僕は許せない! 僕が死のうとも、絶対に認められない!」

 あまりに青臭い言葉。

「僕らはアルカディアの盾だ! 弱い僕も、その一員だ! 命を散らせた戦友(とも)の、彼らの無念も背負って此処にいる! 来い、巨星! 砕けるものなら砕いてみろ! 僕が、アルカディアの盾だ!」

 対峙するストラクレスは笑みを浮かべた。目の前の相手は余りに危険であったと、此処で討たねば、明日のオストベルグを脅かす存在になりえたと、巨星は心の底から思った。

 泥まみれ、血まみれ、折れた腕では上がらぬのか、それでも必死に盾を構えようとするカール。その格好悪い姿、ダサく、泥臭い姿に――

「ウォォォォオオオオオッ!」

 この戦場で一番弱いものが巨星に向かって往く。その姿に――


「「「ウオォォォォォオオオオオオッ!」」」


 人は明日を見た。

 鈍足のカールをぶち抜いて、盾を構えた兵たちが巨星に殺到する。強きものも、弱きものも、一様に盾を構えて、巨星に向かっていった。ダサく、格好悪い。それでも彼らは決死で、必死に、全力で守るために走る。

「……これは、いかんぞ!」

 命を炎に換え殺到するものたち。その眼に巨星に対する畏れはない。死に対する畏れもない。向かってくる全ての兵が覚悟を決めていた。

 そして――

「こ、んにゃろうがァァァ!」

 グレゴール・フォン・トゥンダーの突貫。ストラクレスの意識は完全に前方へ集中していたがために、側面からの攻撃を予期していなかった。

 もちろん剣は流石にいなす。しかしその先、馬による体当たりまでは巨星をしても防ぎきれなかった。ベルガーから落馬するストラクレス。それに襲い掛かる盾の津波。

「まったく……最近の若いもんは何をするかわからんわい!」

 ストラクレスの大剣の一振り。最前線の盾が吹き飛ぶ。しかし間断なく向かってくる二列目、三列目、命度外視の突貫。

「わし一人では無理か。負けるでないぞ! 我らもまた後がないのだ!」

 ストラクレスの檄が奔る。本陣まで攻めてきたオストベルグ軍も、盾や槍を構えてアルカディアの盾たちを迎え撃った。

「……わしが、後退させられるか」

 この戦が始まって、初めてストラクレスは一歩退いた。その一歩は小さいが、この戦における影響力は計り知れないものがあったと、後に語られている。


     ○


 カールの声は、ギルベルトたちのところまで響いていた。

 それを聞いて、奮起しないものがいようか。

「ぐっ!?」

 ギルベルトの剣がキモンを圧す。勝機を失ったと、半ば諦めかけていた。そんな弱い自分を振り払うように、ギルベルトは一心不乱に剣を振るう。

「くそっ! こいつらァ!」

 レスターもまた苦戦を強いられていた。レスターたちの部下を抜けて、少しずつヒルダの部下たちがこの場に現れ始めてきたのだ。もちろん他のものが応戦を始めるも、末端まで火のついたアルカディア兵は強かった。

 乱戦模様を形成する中継地点。徐々にそこは機能不全に陥り始めていた。


     ○


「此処は出なきゃ嘘だろ! もう我慢できねえ。出るぜ!」

 グスタフは自慢の大槍を構えて騎乗する。もはや待っていられる状況ではない。明日を失っていいのかと喝を喰らったのだ。年長者として、先達として、恥ずかしい姿は見せられない。

「向かう先はどちらに向かいますか? バルディアス様の援護? それとも包囲陣形の完成の助力?」

「この大馬鹿! こっから中継地点なんて遠過ぎるし、手として遅過ぎるだろ! 向かう先は一点、じいさんの、青二才のいるところだぜっと!」

 グスタフは勢い勇み駆け出そうと――

「君にしてはよく我慢した方だけど、不正解だよグスタフ」

 駆け出す足を止め、グスタフはこの場で聞こえるはずの無い声がした方を向いた。そこには一人の男がのほほんと突っ立っている。

「さあ、逆転しようか」

 その男の頼りない笑みを見て、グスタフは「おせーよ馬鹿野郎」とこぼした。


     ○


 そこは丁度、敵の後背に程近い林であった。敵に察知されず後背、もしくは側面を突くにはうってつけの場所。

「確認が取れました。予想通り……あそこを中継とするなら不必要なほどの糧食、資源が見て取れたそうです。十中八九、推論通りかと思われます」

 片方だけ仮面の歪な男が恭しく頭を下げる。

「よし、これで条件は整った。あとは……蹂躙するだけだ」

 白き鎧を身にまとい、赤きルビーが胸に輝く。純白の髪は神々しく、仮面からこぼれる切れ長の瞳は強さに輝いていた。完成された騎士が其処にいた。

「往くぞ」

 その美しさ、カリスマ性に、後ろに控える片面の男は打ち震えていた。

「ふん、言われずとも」

 銀髪の女性は、その滾った血を落ち着かせるように、独特な形状をした槍とも斧ともつかない武器を振るった。轟音がさらに戦意を高める。

「む、何を笑っている? 私は何も可笑しいことなどしていないぞ」

 急に不機嫌になる女性。仮面の男の笑みが癪に障ったらしい。

「ああ、すまない。良く通る声だなと思ってな」

 先ほど聞こえた声、久しく聞いていなかったそれを思い出し、仮面の男は笑みを深めた。やはり昇ってきた。自身と同じ領域に。予感が確信に変わったのだ。もしかすると彼こそが、自分を――

「なるほど。確かに良い声だった。文言も良い。あれは滾るぞ。部外者の私ですら感じ入るところがあった。いわんや……どうしたキモ男、気持ち悪い顔がさらに気持ち悪くなっているぞ」

 女性の指摘する通り、片面の男は嫌悪、嫉妬、憤怒がない交ぜになった表情を浮かべていた。元の面が良い分、かなり不愉快な顔になっている。

「無駄話はそこまでだ。此処を抜ければ即開戦だ」

 林を、抜ける。その先に広がる光景を見て、仮面の男は笑みを浮かべた。

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