巨星対新星:本気の巨星、抗うは蒼の星

 オルデンガルドまで後退し、しばしの休息を取るカールたち。久方ぶりの勝利に皆ほっと一息ついていた。一局面での勝利であれ、どこかきっかけがなければずるずると大局的に負けてしまう。アルカディア軍はその瀬戸際から半歩前に進めた。

「こっちも何とか堪えてたが、そっちは凄かったみたいだな! 激戦も激戦、いったい何人の名のある首を取ったんだ、中央軍はよぉ」

 グレゴールは悔しげな表情を見せる。少しずつ調子を取り戻しているように見受けられた。嫉妬できるのも心にゆとりがあるからこそなのだ。

「さあな。今更誰それを討ったは関係ない。戦争に勝つ、それだけだ」

 ギルベルトはクールに切り返す。

「でもキモンの首が取れなくて悔しがってたよね?」

 カールがそれをばっさり切り捨てた。ギルベルト渾身の笑みが硬直する。

「まあ勝たなきゃ意味ねえよなぁ。ま、ようやく景気の良い話が出来るんだ。それだけで充分だよ、ほんと」

 グレゴールの渇いた笑みにカールたちが来る前、彼らが重ねた敗北の数を見る。依然窮地なのは変わりない。ほんの少し敗色が薄まった、それだけの話である。

「おっ、ガキんちょどもじゃねーの、っと」

 カールたちが話しているのを見つけたグスタフがひょこひょこと歩み寄ってくる。戦場で見かけたときとは印象が異なる様子。変な歩きは怪我も影響しているのだろうが。

「今日はご苦労さんっと。初日からぶっ飛ばすねえ。流石ベルンハルト大将肝いりの部隊だぜ。ブラウスタットの話ばっか聞いてるから、平手じゃ指せねえタイプかと思ってたんだけど……しっかり見えてるし、きっちり仕事をこなせる。優秀だわ、お前」

 グスタフはカールの頭をぐりぐりと撫で回す。脳震盪が起こりそうなほどの勢い。戦場で見るより小柄に見えるが、それでもカールよりはかなり大きいのだ。

「オスヴァルトの坊ちゃんもオストベルグ第二位の男相手に互角の立ち回りとは恐れ入るぜ。まああいつの怖さは万能さであって一騎打ちの強さじゃねーが、それでも強いのは強いしなあ。たいしたもんだ」

 グスタフは二人を褒め殺す。困ったように笑うカール。坊ちゃんと言われてむっとしているギルベルト。話に入れず途方にくれるグレゴール。三者三様の反応を示していた。

「ただ、ま、今日のでたぶん『黒金』に火がついたからな。明日以降超きちーぞっと」

「何人が来ようとも倒すだけだ」

 ギルベルトの強気な発言にグスタフは苦笑する。

「頼もしい話だねえ。でも、巨星ってのを甘く見過ぎだぜ、っと」

 グスタフは天を仰ぐ。まるで思い出しているかのように――

「想像の百倍はすげーからな。巨星が率いた軍は格別、ゆえにこの地上で三人しかいねーのさ。この地上にいったいどんだけ人がいると思う? その中の上位三人、掛け値なしに強い。たりめーだろ? 用心しろ、用心しても勝てねえからよ」

 まるで諦めのような言葉に、ギルベルトが反論する前にカールが前に進み出た。

「僕は、昔、ラコニアでストラクレスの戦を見ました。物凄い輝きだったし、遠目で見ても凄い存在だと思いました。でも、今の僕らなら勝てない相手ではないと、感じるのです」

 カールにしては珍しい強気な発言。ギルベルトも物凄い勢いで頷いている。

「ラコニア……あー、なるほど。あったなーそんなことも。うん、忘れろ」

 グスタフの圧力がカールを襲う。ずんと重い雰囲気。言葉に力が宿る。

「あの時とは本気度が違う。あれは負けに来た戦だ。勝ちに来た戦とは真逆。茶番と戦を比べても仕方ねえ。『黒金』と『黒羊』が揃って『不動』一人で抑え込めたものと、『国盾』、『金剣』討たれて『不動』が率いてなお劣勢の状況とじゃ違い過ぎるだろ? その時の記憶は頭から消しとけ。いらん怪我をすることになるぜ、致命傷のな、っと」

 もう一度記憶を消すようにカールの頭をぐりぐりと撫で回すグスタフ。満足したのかきびすを返してそのまま歩き去って行った。

 残された三人は呆然とその背を見送った。

「勝とうと思わねば勝てる戦も勝てぬ」

 ギルベルトの言葉にグレゴールが首を振った。

「勝つ気がないんじゃないんだよ。勝てる気がしないんだ。お前らも見てみたらわかる。巨星が率いた軍勢の、あの化け物じみた強さを見たら、な」

 グレゴールは震えていた。いつも強気な男が、恥も外聞も捨てて震えているのだ。その光景にカールとギルベルトは言葉を失ってしまう。戦場で見た強き将のグスタフをして勝てないと言わしめる怪物。

 巨星の強さを、カールたちは知らなかった。


     ○


 翌日、万全の構えで望んだ戦であった。戦場は平野、誤魔化しの効かない場所である。陣形など工夫を凝らすことは出来るが、地形の利を使うことは出来ない。だからこそ平野は将の力よりも地力が試される。そしてそれはアルカディアの方が上、皆そう認識していた。オストベルグでさえ、その認識を持っていたのだ。

「そ、んな……馬鹿げている」

 だが、それらは全て凡庸なるモノの話。巨星には当てはまらない。

「……追撃が来る。退くぞ、カール」

 巨星は強かった。巨星の率いる軍はもっと強かった。地力の差を覆すほどに――ストラクレスが率いるということはそういうことであったのだ。

 ギルベルトもまた悔しそうに顔を歪めていた。否、悔しそうな顔をしているのはギルベルトくらいのもの。他は皆茫然自失の状態であった。カールもまた、今までの価値観が崩れ去っていく思いであった。マルスランを追い返した自信、ウィリアムと積み上げた勝利への自負、ブラウスタットで培った――全てが崩れ落ちる。

「良くぞ、日暮れまで持たせたなっと」

 敗走するカールたちの横に、ボロボロになったグスタフが騎馬を寄せた。

「上出来だよ。お前らがいなけりゃ、此処にいるもう二割は死んでただろうぜ。充分貢献してる。あの化け物がそれ以上ってのが……哀しいところだがな」

 カールたちは全体で見たら善戦した方であった。それゆえにストラクレスの本気を肌身で感じることになったのだが。その突貫の衝撃、失った部下、全てが忘れがたい痛みとなってカールを苛む。

「冬まで持つわきゃねーな。オルデンガルドまでは覚悟しなきゃならねーだろーよ。そして年が明けて春が来りゃあ即王手、だ。マジでやべーかもな、っと」

 グスタフのそれは弱気ではない。ただの事実であった。あまりに重いその言葉に、カールの痛みはさらに大きさを増す。

「って言ってるが、まあそこまで悲観する必要はねえよ」

 グスタフは敗走の中、少しだけ笑みを見せる。

「まだアルカディアには『強い』奴が残っているのさ。そいつが来れば、きっと戦局は変わる」

 グスタフの視線は『北方』に向いていた。その視線の先に、カールにとって最も信頼する強い男もいるはず。まだ諦めるには早い。自分たちでは勝てずとも、時間さえ稼げば可能性は残される。

「……ギルベルト、明日も頑張ろう」

 カールの目に力がともった。それを見てギルベルトは少しだけ不満そうな顔をする。

「ふん、当然だ。貴様のような弱さを俺は持ち合わせていない」

「えー、酷いよぉ」

「愚か者め」

 強がりにも似た軽口の応酬を見て、グスタフは笑った。きっかけを与えたとはいえ、ストラクレスの本気、その戦を初めて目の当たりにした彼らが今笑みを浮かべている。生半可な強がりではあの男の威容の前に消し去るだろう。それが出来るということは、屈していないということ。

(わけー連中も頑張ってるんだ。マジで急いでくださいなっと)

 屈しなければ希望は必ず芽生える。その種は、きっと――


     ○


 連戦連敗。ブラウスタット組が合流して進行速度は緩まったが、大勢が覆ることはなかった。ストラクレスの執拗な猛攻を受け、カールたちはボロボロにされる毎日。ギリギリのところで堪えるも、すでに限界を超えている。

「――シュルツ、ハイネン、ベルギット」

 カールは失った部下たちの名を口ずさむ。目の前に広がる大軍の陣。それをオルデンガルドの砦の外壁から眺めていた。明日からはとうとうオルデンガルドを守る戦いとなる。此処まで押し込まれたこと自体、すでに窮地。ここを取られたならば絶体絶命。

「ゲイツ、ラルゴ、トーマス――」

 カールは今まで自分の部下であった、自分のような頼りない上官の部下であってくれた者たちのことを『全て』記憶している。顔と名前を覚えている。彼らを失った痛みを覚えている。その悲しみを、背負っている。

「流石に冷えるね」

 ふと気がつくと、隣にはヒルダがいた。顔に走る傷跡が痛々しい。しかしそれを隠そうともせず、堂々とカールの隣に立つ。癒えたのだろう、体も心も。越えたのだろう、悲しみを。

「うん、そうだね」

 夜の帳が彼らを覆っていた。暗い絶望が彼らの軍を飲み込んでいた。明日、明後日、どこかでオルデンガルドが失われることを、この軍の誰もが疑っていない。明日も負けることを誰もが信じていた。

「ごめんね、僕、勝てないや」

 カールは悔しそうに顔を歪める。勝つと豪語した挙句このざまである。

「ばーか、誰も勝てるなんて思ってないわよ。泣き虫カール」

「あはは、そうだね。……その通りだ」

 カールは泣かない。泣けなくなっていた。泣いていい地位に彼はもういないのだ。だが、失われた者たちが抱いていた信頼に応えられないのはとても辛い。カールの立場が泣き虫でいることを許さない。泣き虫でなくなったから、カールは今の地位につけたのだが――

「泣けよ泣き虫」

「泣かないよ。泣きたくても、涙が出ないんだ。もう、ずっと」

「そっか。そうだよね。……今のあんたは私と同じ、ううん、親の七光りで此処まで来た私なんかよりもっと、ちゃんとした、アルカディアの軍人だものね」

 二人の間に夜風が通る。軽く震えるヒルダ。少しわざとらしい震え方。そして温かさを求めるようにカールに身を寄せた。

「ヒルダは僕より強いよ」

「腕っ節はね。でも心はあんたが上。それがさ、昔は凄く嫌だったんだ」

「今は?」

「そうでもない、かな」

 温かいのに、そのぬくもりに浸れることが出来ない。今は戦時である。そして彼らは軍人である。何より此処は戦地であり、明日には死地になるかもしれない場所である。

「お父様にね、昔、あんたの話をしたことがあったんだ。すっごく泣き虫で情けないちびがいるって。成り上がりの男爵家の癖に、金だけで由緒正しき第一幼学校に入ってきた泣き虫がいるって」

 カールは苦笑する。当時はいまいち理解していなかったが、カールが通わされた幼学校は貴族の中でも中堅以上のものしか入れない、アルカスの中で最も歴史のある名門であったのだ。そんなこととは露知らず、当時のカールはよくわからないままいじめられていた。

「でもね、お父様はお話を聞いて私をぶったの。そしてあんたを褒めたんだ。強い子だって。それが悔しくて次の日即行あんたを蹴ったっけ……覚えてる?」

 カールは首を横に振った。蹴られた記憶が多すぎて、どれのことだか判断できないでいた。

「どんな時でも笑っていられる、泣いてもすぐに笑える。それは強さだって。私は馬鹿なだけだって反論したけどね。実際馬鹿だったし」

「酷いよ。でも、馬鹿だったのは認めるよ。今だって、さ」

「でも、強かった。馬鹿だったから、私たちみたいに賢しさがなかったから、強くなった。今のあんたは輝いてるよ。私なんてもう見えないくらい」

「買いかぶりだよ。僕なんて大したことない」

 ウィリアムの模造品。しかも守戦しか出来ない。自分で戦えない。あまりにも劣悪な模造品ゆえにため息すら出てしまう。いつだってコンプレックスがあった。優秀な兄、輝かしい才能を持つ同期の貴族、そして自分が最も憧れる白き騎士。それを笑って誤魔化していただけ、強さなんてこれっぽっちもない。

「あんたの声は優しいね。優しくて弱くて、それでも絞り出した声は、きっとみんなに勇気を与える。あんたの武器は私たちにはない。強さの毛皮をまとうモノたちには、決して持ち得ない武器。弱いということ。弱いのに強きモノたちに立ち向かえるということ。その姿を、弱きものも強きものも、支えたくなっちゃうんだろうね」

 カールにはわからない。弱いということは欠点である。カールにとって一番のコンプレックス。まさかそれを挙げて褒められるとは思っても見なかった。

「そういう強さを、私は知らなかった。あーあ、知ってたら、こうなるって知ってたら、もうちょっと好かれる努力したんだけどなあ。失敗失敗」

 ヒルダは顔の傷をなぞる。

「明日から私も戦に出る。あんたの下で、まあ本当はギルベルトの下だけど、そこで戦うことになると思う。女としたらさ、そりゃもう傷物で価値がなくなっちゃったけど、戦士としては優秀なつもり。しっかり使ってね。私も全力で頑張るから」

 カールはヒルダの顔を見た。刻まれた傷跡、無理して作った笑顔の下で、ヒルダは泣いていた。悲しみを乗り越えるということは忘れることではない。刻まれた傷の痛みに耐えることなのである。それでも、痛いものは痛い。泣きたい時もある。

「ねえ、前に、君を守りたいって言ったの、覚えてる?」

 ヒルダの笑顔が硬直した。きっと、此処から放つ言葉は、彼女が必死で作った笑みを壊すことになる。それでいいとカールは思う。こんな笑み、彼女には似合わないのだから。

「忘れた」

「じゃあもう一度言うよ。僕は君を守れるくらい強くなる。強くなって、君に認められたい。それが僕の野望」

「知らない。寒くなってきたから帰るね」

「駄目だ。帰さない」

 カールはヒルダの腕を掴んだ。ヒルダの方が力はある。振りほどこうと思えば容易に出来るはず。でも、震えるヒルダは、抵抗しようとはしなかった。

「まだ僕は弱い。本当はちゃんと強くなってから言うつもりだった。でも、僕がずっと好きだったヒルダ・フォン・ガードナーが、大好きだった女性が、自分に価値がないと言ったんだ。その言葉を、僕は認めることが出来ない」

 カールの目はまっすぐヒルダの目を見ていた。もう逃げない。逃げ場すら与えない。自分にも、ヒルダにも――

「傷、ついてるよ」

「気にしない。僕の好きな女性は戦士だ。傷くらいつくさ」

「暴力も振るうよ」

「……少し抑えてくれたら嬉しいけど、もう慣れたよ、うん」

「素直じゃないよ」

「うん、知ってる。ついでに意外と不器用なのも、泣き虫なのも知ってる」

「うるさい泣き虫カール」

 とうとうヒルダが泣き出した。その涙に、カールはほっとする。此処で止めていなければ、きっと彼女は永遠に泣くことはなかっただろう。女性であることを捨てて、戦士として生きることに、弱さを捨てる覚悟を決めた彼女が、人前で泣くことはなかっただろう。

 この涙は、人としての弱さ、その証なのだから。

「……もし生きて帰ったら、王都に戻ったら、気が向いたら結婚してあげる」

「………………ふえ!?」

「ふえ!? じゃないこの馬鹿カール! こっちが折角答えてあげたのに間の抜けた声出して……そこまで私を怒らせたいわけ? ってか不器用とか泣き虫とか、良く考えたら言いたい放題言ってくれてるじゃない。久しぶりにキレちゃったわ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 答えたって、ちょっと誤魔化してたじゃないか! あ、でも聞き間違えてないからね。しっかり聞いて――」

「忘れろ泣き虫馬鹿カール!」

 ヒルダの拳がカールの顔面にめり込んだ。鼻血を出して倒れるカール。勢い余り過ぎて、一発ノックアウトしてしまった。真っ赤な顔をしたヒルダは、失神しているカールの顔を見てさらに顔を赤くする。

「……もうちょっと位強くなってよね」

 気絶しているカールに顔を近づけて――

「流石にそこまでを覗き見するほど悪趣味ではないのでな」

 びくりとカールから飛び退くヒルダ。その後ろには困った顔をしたギルベルトが立っていた。それを見てヒルダの顔が青くなったり赤くなったり激しく変化する。

「俺がベッドまで運んでおく。それはお互い気絶していない時にやってやれ」

 カールをひょいと背負うギルベルト。

「ど、どこから見てたの?」

「冷えるね、くらいからだ」

「さ、最初からじゃない! 充分悪趣味よこのむっつりスケベ!」

「……初めて言われたな。少し傷ついたぞ。まあ、悪趣味なのは認めよう。俺もテイラーに用があってな。先に貴様に声をかけられたので出るに出れなかった。席を外すことも考えたが……面白かったのでつい」

「ほお、天下のオスヴァルト様がそのようなご趣味をお持ちで」

「次男坊だからな」

 ギルベルトのらしくない軽口に、ヒルダはため息をついてから苦笑する。

「気、使わせてる?」

「少しな。だがその必要もなくなったようだ。明日からはよろしく頼むぞガードナー」

「はいはい。じゃあ男同士ごゆっくり」

 ヒルダがきびすを返す。そのまま歩き去ろうとするが、ふと足を止めた。

「ありがとね。あんたが黙ってくれてたおかげで、大分楽になったから。それに、言質も取ったしね。これでまたカールを弄れるわ。おーほっほっほ」

 馬鹿なことを言って今度こそ歩き去るヒルダ。その背を見つめるギルベルトの目は少し複雑な色を映していた。

 気絶したカールを背負い、一人立ち尽くすギルベルト。その顔は――

「……もう少し、黙っていることは出来なかったのか、ギルベルト・フォン・オスヴァルト」

 自問するギルベルト。その滑稽な姿に自分で自分を嘲笑う。

「未練だぞ。とっくの昔に諦めているはずだ。愚か者め」

 自分に対するちょっとした失望が浮かぶギルベルト。自嘲も渇き、カールを見る。

「生きるぞテイラー。折角貴様の宿願が叶ったのだからな」

 明日からの地獄、生き抜かねばならない。

 決意新たに彼らは決戦の日を迎える。


     ○


「来るぞ! 先頭はストラクレスだ!」

 オルデンガルドは攻城に耐え得る作りではない。一度攻められはしたが、その後一切音沙汰がなかったため、ラコニアとは比べ物にならないほど守備力が低くなっている。これでは守れぬとオルデンガルドの民を総動員して土木作業、守備力を上げようとしているがそれも付け焼刃。接敵されて半刻稼げれば上等の造り。

「矢だ、矢を射るんだ!」

 ゆえにバルディアスはまたも平野での平手を選択した。少しでも前で受け止めて、押し返せずともそこに留まらせれば充分。そういう戦を展開していた。

 結局のところ想定していなかったのだ。アルカディアはこの事態を。それゆえの窮地である。

「重装騎兵、前へ」

 ストラクレスのつぶやくような声。それでさえ敵軍に届いてしまう。恐ろしいほどの声量、そこに込められた熱き血潮が軍のボルテージを引き上げる。桁外れの熱量を前に、すでにアルカディア軍は気圧されていた。

「矢が通らない!?」

 幾度もアルカディアを蹂躙してきたオストベルグの虎の子、重装騎兵。重装歩兵の発展系であり、アルカディアが真似しようにも装備の重さに耐え得る馬が存在しない。オストベルグ原産、速さを捨て力を追い求めた超重馬、ベルシュロン。平均体躯二メートル越えの彼らに矢をも通さない分厚い鉄の鎧をまとわせたのが重装騎兵である。

 乗り手もまた分厚い鎧を身にまとう精鋭たち。普通より厚い鎧はクロスボウの直線的な矢すら通さない無敵の騎兵と化していた。数は少ないが必殺。普段は対ガリアス要員として南方に配置されているが、今回は別であった。

「蹂躙せよ! 今日で仕舞いとする!」

 ストラクレスの号令。猛り狂う重装騎兵。超重の津波が押し寄せてくる。

 今日に至るまで幾度も蹂躙されてきた。今日もまた――

「そう、何度も……やられてたまるか!」

 ストラクレスの鼻にかすかな鉄の香りが漂う。

「石弓兵前へ」

 そして現れる蒼の盾。ストラクレスの眼にはしっかりと映った。

 前線にずらりと並ぶ石弓兵。見かけはクロスボウ隊と変わらない。そしてクロスボウでは重装騎兵は止められない。ゆえに生まれる嘲笑、慢心。

「…………」

 ストラクレスをして判断に迷った。明らかに雰囲気は昨日までのモノと別物。気合が入っていると言われればそこまでだが、果たして本当にそうだろうか。

「とっておきってのは切り時が大事なんだ。ゆえに切り札って言うのさ。ウィリアムの受け売りだけどね」

 カールは微笑んだ。そして号令を下す。

「打ち方はじめ。敵を破壊せよ!」

 石弓兵が一斉に石弓、商品名『アーバレスト』を放った。ウィリアムが北方で試作品として使っていたものの正規版。エッカルトの狂ったアイデアとウィリアム、アインハルトがそれを商用にまでもっていった。そして――

「悪いね。僕は金持ちなんだよ」

 それらの大口の顧客こそがカール・フォン・テイラーであったのだ。製品化したものをこの戦争が始まる前に全て買い込んだ慧眼。それを戦時下にも拘らず送り届けたアインハルトの商魂。図らずもこの兄弟によって、

 この地獄は生み出された。

「……熱を感じぬのォ」

 直前にて歩みを緩めたストラクレスは難を逃れた。運が良かったとも言える。当たれば必殺。多少の距離も、分厚い鉄ももろともしない破壊力。殺傷ではない。まさに破壊である。人と馬に刻まれた破壊痕。そこから遅れて噴き出す血潮。

 爆散し撒き散らかされた臓腑が地獄を彩る。

「守るためなら、僕は悪魔になってもいい」

 たった一回の一斉射。当たってない騎兵もいる。しかし馬が動かない。騎士の心も折れていた。充填に時間がかかるとか、そういうところに頭は回らない。この無機質な破壊は、そういう力を持っていた。戦争を変えてしまいそうな、そんな力である。

「敵軍の勢いが止まった! 出るぞ!」

 その間隙に動き出すのはギルベルト。それに続くギルベルト隊。

「来るか小僧ッ!」

 ストラクレスは猛る。しかし――

「幾度も戦った。力の差は理解している」

 ギルベルトはストラクレスを避けた。ギルベルトの隊もストラクレス、その取り巻きを避けて迂回する。

「逃げるか!?」

「ああ、そうだ。だが、気をつけた方が良いぞ巨星」

 ストラクレスは予感を察知し、ギルベルトから視線を外した。そして、自分めがけて降り注ぐ矢の雨を見る。

「後手必勝。ようやく後手を踏んだな、ストラクレス!」

 バルディアスが本隊を動かし弓兵を前面に押し出す。わざわざ突撃する部隊が迂回する理由。近接戦で『黒金』を堕とせないならば、遠距離で嵌め殺すしかない。そのための布陣、そのための迂回、そのためにカールは大枚を叩いて先手を潰したのだ。

「今日は本気じゃのう。これほどの危機、久方ぶりじゃて!」

 アルカディア軍全体が鶴翼を形取る。つまりは――

「速さ勝負というわけか。このわし相手に……実に愉快じゃ!」

 アルカディアの包囲が先か、オストベルグの中央突破が先か、此処からは速さ勝負である。不動が動いた。此処が勝負どころと考えたがゆえに。

 此処を征した方が戦場を征す。ひいては国の未来すら――

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