覚醒の時:目覚め
『ウィリアム・リウィウス』は薄暗い下水の臭いのする世界に立っていた。どうしようもなく最下層、どうしようもなくド底辺。此処が世界の始まりで、此処が世界の終わり。
泥水をすすってきた。カビの生えたぱさぱさのパンをほんのひとかじり、それが幸せだと思っていた。病が流行れば真っ先に死んでゆく不衛生な環境。人の死はありがちな日常。冬を越えるため餓死者を死肉を啄ばんだこともある。生きるためならなんでもした。
それを獣というならそう言えばいい。
それを非人間というならそう言えばいい。
だが世界よ。気をつけよ。
世界を変えるのは、いつだって人の道を外れた者たちなのだから。
『アル』は泣いていた。それを優しく『アルレット』が抱きしめる。周囲の亡者はその周囲をぐるぐると回り、『いつも』と同じ怨嗟の声を上げ続けていた。『いつも』と違うのは――
「……動ける、のか?」
『ウィリアム』が動けること。『いつも』なら微動だにできず、ただ景色を見ているしかない夢であった光景は、『ウィリアム』が能動的に動ける世界へと変貌していた。ある意味神様視点しか持たなかった『ウィリアム』が、初めて己が足で世界に踏み入れたのだ。
「……仮面をつけている、か」
『ウィリアム』は己が顔をなぞろうとして異物感に触れる。慣れ親しんだ凹凸が、それを普段つけている仮面だと『ウィリアム』に知らせていた。
「まあいい」
一歩。
「なっ!?」
足にまとわりつくのは昔世話になった輸入本屋の店主、ノルマンとその妻。貌は凄絶に歪み眼窩には何も写さぬ深淵がたたずむ。白骨と肌が入り混じった醜悪な亡者の姿で、『ウィリアム』の足にへばりつく。
「何故裏切った。あれほど信頼していたのに。息子のように思っていたのに。ナァァァァァアアアゼェェェェエエエエエダァァァアアア!?」
「ぐ、退け! 邪魔なんだよ! 俺を殺すためには『アル』を知っているやつを殺さなきゃいけない。さすがにあんたたちは影を薄くしていたとはいえ俺を忘れはしないだろう。だから殺した! わかったら消え失せろ!」
『ウィリアム』は足を振り回しノルマン夫妻を吹き飛ばす。
二歩。
「君はウィリアムじゃない。ウィリアムは僕だ。君はノルマンでもない。アルですらない。なら君は誰だ? 君は何だ? ボクハナンダロウ? ナゼボクハシナネバナラナカッタ?」
ウィリアムの右腕に這いずりながらぶら下がるのは赤い髪の亡者。
「ハッ! 間抜けで哀れなウィリアム君! どうせテメエじゃその辺で野たれ死ぬのがオチ。むしろ感謝してほしいくらいだね。この俺に名が使われることをよォ!」
『ウィリアム』は右腕を払い亡者を吹き飛ばす。
三歩。
「ナゼダ?」
四歩。
「シニタクナイ」
五歩。
「カゾクニアイタイ」
六歩。
「クニノタメニ」
七歩――
すべてを振り払い『ウィリアム』は前に進む。自身が殺した亡者たちなど歯牙にもかけない。どうでもいいのだ。外側がどうなっても。そんなものにまで見向きしているとキリがないではないか。
「……やっぱりむかつくなお前」
亡者の群れを抜けた先、ひざを抱えて涙を流す黒髪の少年『アル』と、それを慰める黒髪の乙女『アルレット』がいた。
「俺の顔で情けない面浮かべやがって」
吐き捨てるように『ウィリアム』は『アル』に言葉を投げかける。それにぴくりと反応したのか、『アル』が顔を上げた。その顔は『ウィリアム』を見て不快げに歪む。
「何だその面?」
『ウィリアム』は腰の剣に手を伸ばす。びくりとする『アル』だが、その間にひとつの影が割って入った。『ウィリアム』は眉をひそめる。
「ハッ、よりにもよって貴女が俺の邪魔をするのか? アルレット姉さん!」
威勢よく声を上げた『ウィリアム』だが、腰の剣にかけた手は、動かない。
「お前は僕じゃない。僕はねえさんの騎士だ。お前みたいな化け物じゃない」
明確な拒絶。それが『ウィリアム』を苛立たせる。
「……ふざけるなよ。お前が望んだから今の俺があるんだろうが! ねえさんの騎士だから、ねえさんの無念を晴らすんだろうが! 俺たちはそう願った! だから俺は此処にいる!」
「違う! ねえさんの願いは僕が健やかに暮らすことだ。よしんば仇をとるにしても、今のお前はなんだ? たくさん関係ない人を殺して、意味のない罪を犯して、まだねえさんの仇の顔すら知らない。それがねえさんの騎士か!? ねえさんなんか関係ないじゃないか!」
「そ、それは、必要なステップだからだ。ねえさんは俺のすべてだ。だからそれを奪われた以上、俺はより多くを奪わなきゃ――」
「ねえさんが望むとしても、それはヴラド伯爵を殺すことだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
自身より遥かに小さく弱い『自分』に言い負かされる『ウィリアム』。
「カイルの言ったとおり引き返すべきだった。お前は歪んでいる。歪み過ぎた。当初の願いを忘れ、ただねえさんを言い訳にして悪いことをしてるだけ。仇を取る気なんて何にもない。ねえさんだってほんとは愛していない。お前に人は愛せない」
いつの間にか『アル』の背後には亡者の山が出来ていた。蠢き怨嗟を轟かせ『ウィリアム』を飲み込まんと、今か今かと動くときを待つ。
「悪いお前なんか死んでしまえ。僕らが変わりにヴラドを討つ。それで終わりだ。そしたらねえさんの願いどおり健やかに生きるさ。質素に、慎ましく、カイルとファヴェーラの三人で。ああ、カールやルトガルドとも友達になろう。お前さえ死ねば、全部――」
『アル』の話している最中、『ウィリアム』の投げた剣が『アル』のお腹に刺さる。話を止め、『ウィリアム』の方を見る『アル』。
「なるほど。なるほど、な。確かにお前の言うとおりだ。俺は狂っている。俺はねえさんの騎士失格だ。……だけど、それがどうした?」
ぎょろりと仮面の奥の瞳が揺れる。首からたれるルビーが血のように輝く。
「ねえさんを喰らった時、俺が生まれた。そのときお前は死んだと思っていたよ。だが生きていたんだな? こうして、俺の中でひざを抱えて泣きながら……俺を逆に喰らってやろうと伏していた! くはっ、つくづく俺は救えねえ!」
『アル』を守ろうと『アルレット』が無言で立ちふさがる。『ウィリアム』は笑みを浮かべた。
「アルレットねえさん。貴女はいつだって俺を守ってくれた。死してなお……俺の心を支えてくれた。でも、もう子守はいらない!」
『ウィリアム』は『アルレット』の首を絞める。両腕で、優しく抱きとめるように、
「貴女を愛していた。世界のすべてより愛していた。今だって愛している。それでも、だからこそ、俺はもう貴女を言い訳にしない。しちゃいけない。俺の進む道は、たとえ始まりがそうであったとしても、もう復讐じゃないから」
どうしようもなく歪んでしまった。始まりの時点で、歪み切ってしまった。他者から奪うことに一分の罪悪感もない。むしろ愉悦さえ感じる。これを、この業(カルマ)を復讐などと言っていいわけがない。
「貴女を言い訳にして、仇討ちだと嘘ぶいて、己を正当化するのはもうやめだ。貴女は俺だ。心の何処かで眠っていた復讐心という名の言い訳……でも、もう大丈夫だよ。僕は強くなった。もう、貴女がいなくても大丈夫」
『アルレット』は首を絞められながらも微笑を崩さない。それは『ウィリアム』の思い出の中にある幻想。永遠に手の届かない夢。夢想に溺れたくなる。甘美なる夢(アルレット)に飛び込みたくなる。しかしそれを、『ウィリアム』は許せない。
「アルレットねえさんを殺す気か!?」
『アル』の怒号が『ウィリアム』の耳朶を打つ。それに顔を歪めながら視線を合わせた。
「おいおい、殺す気も何もねえさんはとっくに死んでる。この手の中にあるのは俺たちが都合よく、綺麗な一面しか見ていなかった純粋なる夢想だ。ずっと微笑んでいた? 俺を愛していた? そんなこと誰にもわからない!」
『アル』が揺らぐ。
「俺たちは知らない、『花売り』をしているねえさんを。俺たちは知らない、ねえさんが金を置いてでもあのボロ小屋を出たかった理由を。素顔を知ろうとしたか? 与えられた一面だけで満足し、つらい真実から目を背けていた。それが俺だ。それがお前だ」
「違う! ねえさんは僕を愛していたし、僕もねえさんを愛していた。二人だけの世界が其処にあったんだ! だからこそ復讐には意味がある!」
「それを確かめる術はもう、何処にもない。ねえさんは死んだ。ほんとの言葉を聞く前に、もしかしたら存在していたのかもしれない汚い一面を見る前に、ねえさんは死んだ。もちろんそれを知った後もねえさんを愛す自信はある。ほんとは愛されていなくとも、愛し抜く自信はある。だが、それを知る術はない。この手の中にあるのは、都合のいい夢想でしかないのだからッ!」
一切の迷いなく、『ウィリアム』は愛していた幻影の首を手折った。こきりと渇いた音を立て、『アルレット』は崩れ落ちる。『アル』の絶叫がこの世界に響き渡った。
「俺は貴女を言い訳にしない。もちろん貴女を奪ったヴラドには相応の痛みを与える。だけど、それすらも俺は俺自身が望むからそれをするのだ。憎み、奪い。怒り、奪い。欲し、奪う。俺は俺の望むまま、存分に狂ってやる」
『ウィリアム』は復讐という『アルレット』を手折った。
「次はお前だ。小さな坊や」
『ウィリアム』は『アル』に視線を合わせた。
「お前は狂っている」
『アル』は腹に刺さった剣を引き抜き、それを思いっきり『ウィリアム』の腹に差し込んだ。『ウィリアム』は揺らがずそれを受け入れる。
「ああ、狂っているさ。これからも……狂い続ける」
『ウィリアム』は『アル』の横っ面を叩いた。吹き飛ぶ『アル』。
「お前はいつだって俺の中にいた。人を殺すたび、業を積み上げるたび、貴様は俺に囁いた。間違っている、いけないことだ、と。それは時に痛みを、躊躇いを生んだ。昔、捨て去ったはずの優しさや、愛、道徳心であり倫理、つまるとこ良心、それが貴様だ」
倒れ伏しながらも『アル』は『ウィリアム』を睨み続ける。
「お前は間違っている!」
「かもな。だが俺は進むことをやめない」
『ウィリアム』は右足で思いっきり『アル』の頭を踏みつけた。
「俺はお前たちを拒絶し続けていた。見たくなかったんだ。ねえさんを言い訳にし続ける俺を、普通の当たり前の良心が潜在する俺を、ただの凡夫と同じようなモノが俺の中にもある。それを認めたくなかった」
『ウィリアム』はぐりぐりと『アル』の頭を踏みつけた。うめき声が聞こえる。足先から征服感が伝わってくる。これぞ愉悦。これぞ業(カルマ)。
「だが俺は貴様らを受け入れよう。清濁併せて俺だ。そして清も濁も踏みつけてこそ俺だ。膨れ上がる亡者も、俺を認めぬと睨みつける貴様も、そして言い訳すら、すべてが俺を構成する一部」
ちらりと『ウィリアム』が視線を移した先、首の折れた『アルレット』が微笑みながらこちらを向いていた。それを見て『ウィリアム』は苦笑し、続ける。
「俺を止めたければ止めてみろ。俺はもっと膨れ上がるぞ。渇いて渇いて仕方がない。欲して欲して仕方がない。あれも欲しいこれも欲しい。金も足りない地位も足りない、何もかもがない俺が、それを満たす術は奪うしかない」
『ウィリアム』は亡者の群れに足を向ける。亡者たちはその異様にたじろいだ。
「奪うとは、満たされるということ」
『ウィリアム』は大恩あるノルマン夫妻を踏みつける。
「満たされるということは、勝つということ」
赤い髪のウィリアムを踏みつける。
「勝ち続けた先、満たされた先、俺の前にある景色はどうなっている? それは煌びやかなのか? それは温かいのか? どす黒いのか? 冷たいのか? そもそも俺が満たされることなどあるのだろうか?」
数多の亡者を踏みつけ昇る。もはや其処に躊躇はない。歩みに澱みなく、視線はまっすぐと『上』を見る。絶対の自信、確固たる自負、己が己である証明を一歩一歩の歩みで証明していく。
「お前は……間違ってるんだ!」
『アル』の叫びが『下』から聞こえてくる。
「くっく、喚け叫べ。怨嗟は祝福、足掻きは拍手、鳴り響け万雷の福音よ!」
亡者たちの叫びが鳴り響く。憎しみに満ちた怨嗟の声や、踏み潰されぬよう這いずり足掻く鼓動が足先より伝わってくる。それらがすべて愉悦にそして力に変わるのだ。
「俺が隙を見せたらいつでも取り憑き殺せ。俺が弱さを見せたら何時でも下克上せよ」
もちろん『ウィリアム』は隙も弱さも見せる気はない。だが心する。自身が積み上げた業は道半ば、まだ始まったばかりだというのにこれほどの高さなのだ。もし己を満たす『上』まで到達した暁には、どれほどの高さになるのか、どれほどの命を踏みつけるのか、『ウィリアム』自身をして想像すら出来ない。
ゆえにこれは戒めである。自身の為した悪行非道の数々、それを省みてなお己が道を躊躇いなく邁進できるか否か、それを己に問う。答えは勿論――
「此処より始まる。世界よ、覚悟は出来たか? 俺は出来たぞ。貴様らを、己が意志で喰らう覚悟がなァ。俺たちは餓えているぞ。俺たちは渇いているぞ。奪うことでしか癒されぬ、それが『我』。生まれながらの簒奪者。いざ参ろう、我が道を!」
亡者の塔の上、王が君臨する。今はまだその塔は小さく、王は弱い。だが命を摘み、奪い続けた先、この塔は遥か高く大きく聳え立つであろう。その上に君臨する王の権威は際限なく高まるだろう。
それらはすべて王の力となる。
「僕はあきらめないぞ! いつかお前を止めて……僕はッ!」
「ふっ、とっくに手遅れだと思うが、まあ頑張れよ」
認識してしまった以上、『アル』でさえもはや亡者の一部でしかない。
「……好きにやりなさい。貴方の道を、貴方の足で」
その言葉は『アルレット』のものか、それとも――
「そのつもりです。今まで、お世話になりました」
『ウィリアム』は感謝する。『アルレット』と『アル』の存在に。此処まで時間をかけたからこそ、『ウィリアム』はこの亡者の上に君臨する力をつけた。彼らがいなければ一度飲み込まれた時点でただの獣に成り下がっていただろう。
「さて、往くか」
仮面の王は亡者の塔にてただ一人君臨す。
「…………」
ウィリアムはゆっくりと目を開けた。自身の存在を確認するかのように顔をなぞる。仮面の凹凸が、仮面の無機質な冷たさが指先に伝わってきた。
ウィリアムは現状を確認する。ろうそくの明かりはとっくに消え、テントの外では行われていたはずの宴会の音は消えている。それどころかほとんどすべての音は消え、聞こえるのは木々のざわめきのみ。
「……深夜、か」
ウィリアムはテントからするりと抜け出した。
ほとんど視界のない闇夜。星星のきらめきなど遠くか細い。
「……視える」
ウィリアムはゆっくりと歩き出す。山間に構える陣を抜け出し、獣すら眠る夜を一人歩く。その歩みは闇夜のそれではない。迷いなく踏み出した足はしっかりと大地を踏みしめる。凸凹している地面を、まるで平地のように歩むのだ。
「……聞こえる」
踊るようにウィリアムは弾む。音楽は夜風と木々のオーケストラ。
「匂い立つ」
山は匂いで満ちている。土の匂い、木の薫り、遠くには人と鉄の臭い、そして点在する血の香り。芳しく満ちる、世界はにおいで満ちている。
「これほどか、これほどかよ!?」
視るものすべてが新しい。聴くものすべてが鮮烈で。嗅ぐものすべてが鮮やか。触れるものも、おそらく舌で感じるものも一新されているだろう。それほど世界は変質していた。ただの景色が目を焼くほど、ただの音で踊ってしまうほど、ただの香りで昇天しそうになるほど、全てが研ぎ澄まされていた。
「く、くっはは。ひどいじゃないかカイル! こんな景色をお前は見ていたんだな。こんな世界を感じていたんだな。ずるいぞお前ら!」
世界は、これほど美しい。
「あははははははははは!」
世界はこれほど香しい。
「これがお前たちの見ていた世界か…………美しく――」
仮面の男から大量の亡者が溢れ出す。躯の群れ。それに囲まれ君臨する亡者の王。
「――残酷でクソったれだなァ! 醜い、煩い、臭い! だが良い、それが良い、それで良い! この美しい世界を、クソミソで塗り潰してやる。この俺が美しく輝けるもの、醜く腐ったものをもすべて手にし、貴様らには何も残さない。全部、俺のものだ!」
ウィリアム・リウィウスが君臨する。
「さあ、世界よ。始めよう! 俺が喰らうか喰らわれるか、勝負といこうじゃないかァ!」
全てを簒奪せしモノ、誕生ス。
○
「――え? 今なんて?」
「作戦を変更する。今日は調子が良いんだ」
いぶかしげな表情をするカールにウィリアムは頭をぽんぽんとたたく。
「俺を信じてくれ」
ウィリアムの雰囲気が昨日までと異なることにカールは不安を覚えていた。それでもカールはウィリアムを信じるしかない。うんと頷くしかないのだ。
「ありがとう。君の信頼に応えるよ」
カールの不安は、どう転ぶのか。
○
「……じょ、冗談、だろ?」
イグナーツの眼前には信じられない光景が広がっていた。
アルカディアの国旗が山頂にたなびく。地図ではタイヤルの領土であり、今までアルカディアが侵したことのない土地。今、それは一時的かもしれないがアルカディアの手に落ちていた。
たかが一拠点、たかだか山ひとつ。しかし、それを取ったのが、たった十人の隊であったならば、話は違ってくる。
「確かに、そこまで詰めちゃいなかったけど、それでも、たかが十人隊がここまでやってもいいのか?」
戦力を小出しにしていたことで、戦力に余裕がないのは全員の知るところではあった。それでも拠点が落とせるなど誰も思っていない。百人隊の総戦力ならば不可能ではないかもしれないが、リスクが大き過ぎると二の足を踏んでいた。
「構わないさ。戦争をしているんだ。勝って悪いことなんて何もない」
敵国との最前線。その内側に何があるのかなどわからない。どれだけの兵力があるのか、はっきりとわからない。だからこそ、普通ならこのリスクは取れない。百人隊でも、難しい。十人隊では正気の沙汰じゃない。
「ここ数日の配置、兵力を見れば大体詰めている人数はわかる。ここまで劣勢に追い込まれてなお、防御を増やさなかった、増やせなかった。割くべき兵がいなかったからだ」
ウィリアムの足元には躯が転がる。
「こいつは策を誤った。恥も外聞も捨てて全戦力を拠点に集中すべきだった。そうすりゃ落とせなかった。それをしなかったのは詰まらんプライドと、こいつの間違った自負」
ウィリアムは並べてある首に視線を向ける。それは前日ウィリアムを退かせた百人隊長の首であった。他に並ぶのは拠点を守っていた十人隊長ら。
「俺に勝てると踏んだから、昨日と同じように方陣を組み敵を戦場のど真ん中で迎い討っていた。俺を、俺たちを見誤った」
ウィリアムは興味なさそうに視線を外した。もはやウィリアムの興味は其処にない。
「だから負けた」
ウィリアムの言うとおりであった。昨日とほぼ同じ場所で、昨日と同じように方陣を構え、昨日とは異なりウィリアムたちの奇襲を受けた。そして負けた。
(一瞬だったっす。ウィリアムさんの剣があの百人隊長の喉を掻っ切るまで一瞬。なんつーか格が違う。正直、今日のウィリアムさんは怖いくらいっす。キレッキレだ)
これが今日だけの特別調子のいい状態なのか。それとも継続していくのか。それは誰にもわからない。わかることはただひとつ――
「カール様。勝ちましょう、テイラー家のために。私も全力を尽くします」
「う、うん」
ウィリアムは空に手を伸ばす。
「勝ち続けましょう」
タイヤルの拠点がひとつ、たった十人の部隊によって落とされたということ。百人隊長が討たれたということ。アルカディアが勝利したということである。
此処より先、不敗のカール十人隊の名は今まで入っていた侮蔑の意味が消え、名実ともにアルカディア最強の十人隊として名を馳せる。カール十人隊を加えた戦場が勝つ。そう言われるほどに――
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