102 退魔腕2-10
美術館に到着した。
運転をしていた男にとっては、おそらく人生で最悪のドライブだっただろう。
「ここで良いわ」
駐車場に入る前にビビはクルマを停めさせた。美術館の駐車場は満車ではないものの、今も他のクルマ何台も入っていき混雑していそうだった。
「あ、ありがとうございます」
と、むしろ運転手の男の方が礼を言った。
「それは私たちのセリフよ。お礼にキスしてあげるわ、唇を出しなさい」
「ひいっ!」
「冗談よ、冗談。ひとをそんなバケモノみたいに。失礼しちゃうわ」
「ありがとうございました」と、リサも言う。リサの言葉を一種の清涼剤のようにして男はホッとしたような顔をする。
「そうだわ、貴方。名刺を渡しておくわ。何かあったらこの霊光ビビに相談しなさい。相談料は勉強するから」
押し付けるようにビビは名刺を渡す。それは概ね普通の名刺だった。ただし肩書には『退魔腕 霊光美々』と書いてある。
「わ、分かりました」
「よろしい」
男のクルマが走り去っていくのをビビは手を振って見送った。
「さて、ビビさん」
「ええ、うまい具合につけたわね」
あれはうまい具合というのだろうか、かなり無理矢理だった気もするが。
「ご主人様はどこでしょうか?」
「もう中かしら」
とりあえず美術館の入り口へといってみる。すごい人の数だった。いるのはたいてい学生か、あるいはどこかオタクのような人ばかり。学生らしい服装とチェックの服装は半々か、後者がきもち多い。
「チケット、並んでますね」
誘導している係員もいる。
「ねえ、リサちゃん。あれ、ちょっとあれ!」
ビビが指差すほうを見ると、ヨシカゲが見たことのない女の子と一緒に美術館に入っていくところだった。もうチケットを買ったのだろうか、出遅れた。
「どうしましょう、いまからチケットを買っていたら間に合いません! いっそ私のイースターエッグで受付の人の記憶をすり替えて入場しますか?」
「そんな犯罪に手を染めなくても大丈夫よん」
「でも、じゃあどうするんです?」
ビビがこれなーんだ、とチケットを二つ懐から取り出した。それはどこからどう見てもこの美術館の入場チケットだった。
「こんなこともあろうかと、なーんてね」
「どうしたんですか、このチケット。……招待券ですね」
「こういうイベントごとって、関わってる人全員に湯水のごとくチケットを配るのよ。だから私も持ってたの」
「イベントに関わるって……」
「私がこの腑卵町に来た理由、忘れたの? アフリカの出土品を狙うフンババの阻止よ。それって誰が依頼主だと思ってるの。この美術展の主催者に依頼されたのよ」
「なるほど、ですからチケットがあるんですね」
「ま、私も行くつもりはなかったんだけどね。こうなれば人生万事塞翁が馬ってやつね」
本当にその通りだとリサも思う。
人生なにがあるかわからないから、自分はいまこんな不思議な町でメイドの真似事をして暮らしていられるのだ。この町でなら――自分はイースターエッグを使わずに生きられる。
二人は招待券を使い美術館へと入った。
「さてさて、隠密行動ね。私は得意だけど、リサちゃんはどうかしらん?」
「苦手ですね」
というかゴスロリだ。
「ま、バレたらバレたで開き直りましょうよ。私たちも美術館に来ただけだ、ってね」
「それ良いですね」
「いっそダブルデートとしゃれこんじゃう? 私がヨシカゲちゃんとデートするからさ――」
「じゃあ私がそのクラスメイトの女の人とですね」
冗談をとばし、ヨシカゲを探しながら美術館をまわる。最初は常設展示からだ。
さまざまな展示がある。
リサが思うに、美術館とゴスロリは相性が良い。リサは満足気によく分からない美術品をみてまわる。そのたびに横でビビが解説をしてくれるからありがたい。
どうやらこのビビというオカマは美術方面への教養があるらしい。
けっこう楽しく二人で常設展示を回ったが、一向にヨシカゲの姿はない。
「けっこう広いですね」
「そうねえ……屋上に遊具があるらしいけど、まさかそこじゃないわよね?」
「どうでしょうか、でも小雨が降ってますし、そこには居ないんじゃないでしょうか」
屋上の遊具施設はこの美術館でも評判の悪い施設の一つである。なにせ腑卵町では晴れの日が極端に少ないのだ。だから屋根もない屋上の遊具施設で万全に遊べる機会は限られてくる。
けっきょく、美術館の常設展示は全て見終わった。
しかしヨシカゲの姿は影も形もない。
二人は一階にある――美術館はいちおう三階建てだ。屋上もあるが――ミュージアムショップに行った。
ここには美術家に展示された絵のポスターや、画集などが売られている。他にも町の特産品である絹織物のハンカチなど、できるだけ腑卵町で作られたものが売られているらしい。
リサが目をつけたのは、象のようなでそうでもない不思議なマスコットキャラクターのキーホルダーだった。
名前はミタゾウ。
象のような容姿をしているくせに羽がある。
「変な象ですねえ……」
けれどリサはこういうゆるキャラが好きだ。可愛いだけのゆるキャラには興味がない。見る人に疑問をなげかけるようなゆるキャラが好みなのだ。
キーホルダーを買ってクルマのキーにでもつけようかと思ったが、運転中は邪魔かもしれない。最近のクルマはキーレスが進行して鍵穴がないのだという。リサはエンジンをかけるときに鍵を回して、同時にセルが回るあの感覚が好きなのだが……そういう人間はマイノリティなのだろう。
「それ、買うの?」
「迷っております」
「あんまりかわいくないわねえ」
「ですよね」
どうしようか、とリサは上を見上げた。
そしたらぎょっとした。
なにせ天井に描かれたミタゾウと目があったのだから。
じっとこちらを見ている。その目はなにも語りかけてこない。そのキーホルダーを買えとも、買うなとも。ただフラットにリサを見つめているというだけなのだ。
それでリサはこのミタゾウがますます気に入った。
「買います」
「あら、そう」
リサの財布から出るお金は、個人的な交遊費に限りこの前のヒルダとの依頼での報酬だった。他の食費や光熱費などはヨシカゲのお金である。
リサはヨシカゲすらも知らない口座の中身を知っていた。それはもう常人ならば仕事をすることなんて辞めてしまうほどのお金だった。
が、リサはお金なんてどうでもいい。というよりもその気になれば自分のイースターエッグでどれだけでも手に入れられる。それをやっていた妹はヨシカゲに殺されたが。
とにかくリサにとって大事なのはいかにして自分の人生を有意義に素敵にすることか、だ。
――このわけの分からないミタゾウは私の人生を素敵にしてくれるだろうか?
たぶんしてくれないだろう、でももしかしたら……それくらいミタゾウを気に入っていた。
「じゃあ、次は企画展示に行きましょうか」
「古代アフリカですね。……そういえばアフリカってあの呪術師。なんて言いましたか。そうそう、フンババの出身地ですよね」
フンババの死体はとうの昔に荼毘に付されていた。
「そうよ。だからこそ、やつはこの展示品を狙っていたの。ん……ってあれ、ヨシカゲちゃんじゃなあい?」
「えっ?」
リサが企画展示の方を見ると、たしかにヨシカゲの姿があった。リサが買い与えたゴシックなコートを着ている。その隣には見たことのない女の子の姿があった。
いかにも清楚といった感じの女の子だ、可愛らしい三つ編みをしている。きっと学校では委員長かなにか、そういうお硬い役職についていることだろう。服装はこの冬流行りの濃いカラーのコートにデニムを履いている。流行を取り入れた清楚さというのがうまい具合にマッチしていた。
リサは自分のゴスロリ服を考えてみる。
どうも自分の方が男受けは悪そうだ。
リサが敬愛してやまないロリィタモデルの青木美沙子ちゃんも言っていたのだ、ロリィタファッションはこの世で一番男受けの悪いファッションである、と。
「ぐぬぬ」
しかしこれがリサの選んだ道なのである。文句など誰も言えないし、言わない。
「にしてもなんで企画展示の方から……?」
ビビが不思議そうに言う。
「おそらくあちらを先に見たのでしょう」
「え? 普通は常設から見て回るでしょ」
たしかに、リサもそう思って常設展示の方でヨシカゲを探していたのだ。
しかしその理由はすぐに判明した。ヨシカゲと相手の女の子はそのまま美術館を出ていったのだ。
「まさか企画展示だけ見に来てたのかしら?」
「あるいは企画展示があんまりにもつまらなくて帰ることにした、とかでしょうか」
「ありえるわ~」
ヨシカゲたちが美術館を出ていく。
リサたちもそれを追うのだが、企画展示の方が少しだけ後ろ髪をひかれた。
だが、
「どうせ目玉のミイラはまだ届いてないわ」
というビビの言葉で一応は納得した。
ヨシカゲたちはどこに向かっているのだろうか? どうやら確固たる目的地があるようだが。
二人の足が商店街の方に向かうにつれ、リサは嫌な予感がしてきた。そしてその店が外観が見えてきた時、予感はほぼ確信へと変わった。
「あら、けっこう繁盛してる店ね」
「プリメーラハウス。最近この腑卵町に出来たばかりの喫茶店です。若者に人気でカップルのデートには新定番となっているらしい店です。ここに二人で行くということはご主人様はあの女の子と……付き合ってる!」
「ま、それはないでしょうね。見なさい、リサちゃん。ヨシカゲちゃんったら待ち時間だって言うのに女の子の機嫌をとらないわ。それどころか会話すら無いみたいね。あれは付き合ってないわよ」
「そ、そうでしょうか……」
「不安なら聞いてきたら? 本人たちに」
「そ、そんな恥ずかしいことはできませんですわ!」
混乱してよく分からないお嬢様言葉が出た。
「じゃあ大人しく見てましょうよ」
二人は物陰に隠れてこっそりとヨシカゲたちを監視している。はたから見ればかなり不審な
二人組である。
「あわわ、あんなに近づいて……」
「リサちゃんだっていつも隣にいるじゃない」
「で、でも……」
「それより私たちもお昼にしない? あの様子じゃあ一時間は待つでしょ」
ビビが近くにあったラーメン屋を指差す。
リサは断る。こんな美しい格好で小汚いラーメン屋になんて入りたくない。
次に老舗の定食屋を指差す。それならばまあ、良かった。
しかし流行りの喫茶店よりかなり格が落ちる気がする。
「……私も喫茶店が良かったです」
思わず口に出してしまった。
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