101 退魔腕2-9
4
時間は少々さかのぼる。
ヨシカゲが家を出ていった直後だ。リサは茫然自失といった様子で掃除の続きをしていた。
「デート……? 女の子と、ご主人様が?」
ぶつぶつと呟きながら廊下を掃いている。とはいえ先程から同じ場所をずっと掃除しているのだ。これはかなり異様な光景だった。
「ちょっと、リサちゃん」
「ああ、ビビさん。お昼ごはんならまだですよ……」
「あたり前じゃない。さっき朝ごはんを食べたばかりだわ」
デート、デートとリサは呟く。
それを見て、ビビはため息をつく変わりに色っぽく息を吐いた。
「リサちゃん、このままで良いの?」
「良いって、なにがですか?」
リサは掃除をしているのか、それともただうつむいているのか分からない。それぐらい狼狽していた。あのヨシカゲが女の子と出かけると言い出したのだ。それも依頼関係なしに。これは前代未聞の事件だった。少なくともリサにとって初めてだ。
「ヨシカゲちゃんをおめおめとデートに行かせるの?」
「そりゃあ、ご主人様が行くっていうんですから。あ、でも雨が降ってますね。傘、持っていってくれませんでした」
「もう、暗いわよ! ほらほら、元気だして!」
「いつも、こんなものです」
たしかにそうだった。リサもヨシカゲに負けず劣らずのマネキンめいた人間なのだ。しかしこれはもう無表情を通り越して落ちこんでいるだけなのだ。
「美術館に行くって言ってたわね」
「……ですね」
よし、とビビはそのタイトな服についたベルトに、小太刀を差し込む。そして長い右手をぐりぐりと回して、気合を入れた。
「行くわよ、リサちゃん!」
「どこにですか?」
リサは箒を動かしていた手を止めた。
「ヨシカゲちゃんを追うわよ。監視しましょう」
「でもそれは、さすがに……」
リサの顔が上がった。その目は迷っている。ビビの提案にのりたいが、さすがに好きな人のデートを観に行くというのはストーカーではないだろうか?
「リサちゃん、女の子がそんなに悩み抜いたような顔するもんじゃないわ。そういう顔って良くないのよ。可愛くないの。だからね、女の子がそういう顔をしていたらたとえどんな手を使っても笑顔になってもらわなくちゃいけないの!」
「男のポリシーですか?」
「まさか、オカマの優しさよ。せっかく女の子なんだから、可愛い顔しなくちゃね」
この人はなんて優しい人なんだろうか、とリサは思った。
けど違うとすぐに気がつく。だってビビは楽しそうに笑っていたのだから。
「
「その通り! さあさあ、行くわよ!」
でも、おかげで元気になれた。
ビビにはそういう魅力がある。周りの人を元気にさせる優しさが。きっと彼女はこれまでずいぶんと辛い目にあってきたのだろう。だからこそ他人に優しくできるのだ。他人を救える。
「傘を持っていきましょう」
「そうね!」
リサは掃除道具をほっぽり出すと、着替えるためにすぐさま自室に戻った。
「ちょっとだけ待っていてください!」
「女の準備に文句をいうほど狭量じゃないわよ」
リサはクローゼットをひっくり返すようにして今日の気分に合う服を探す。小雨、好きな人のデートを覗き見、行き先は美術館。
けっきょく選ばれたのはオーソドックスなゴシック・アンド・ロリィタだ。逆に普通すぎて今ではコスプレのように見られてしまうほどの、黒と白のゴスロリだった。
張りのあるもち肌にメイクをほどこしていく。時間はあまりない。しかしここで手は抜けない。メイクをばっちり決めていないゴスロリなんて画竜点睛ってなもんだ。
所要時間は20分。なかなかの速度だった。仕上げにとスカートにパニエを詰め込む。これでどこからどう見てもサブカルゴスロリ女の感性だ。いつものメイド服を5倍くらい豪華にした服装に、リサは姿鏡を見ながらご満悦だった。
――おっとっと、時間がないんだったわ。
すぐに部屋を出る。
ビビは廊下でずっと待っていてくれたのに、嫌そうな表情をひとつも浮かべなかった。むしろめかし込んできたリサを見て嬉しそうに「可愛いわねえ」と褒めてくれたくらいだ。
「勝負服です」
「下は?」
「下?」
「下着も勝負用?」
「セクハラです!」
でも不思議と嫌な気持ちはしない。なにせビビはオカマで、あきらかな冗談だったからだ。
二人は頷きあって屋敷を出る。そしてガレージへ直行した。遅れを取り戻すためにクルマを使うつもりだった。
「あら、オープンカー? お洒落ね」
「ロードスターです。世界で最高のオープンカーですよ」
もちろんそれはリサの偏見である。
ただ問題が一つあった。あまりにパニエをもこもこに入れたせいでクルマのクラッチが上手く踏めないのだ。
「ダメです、このお洋服じゃあ運転がしにくいです」
「私が運転しましょうか?」
「これマニュアルですが大丈夫ですか?」
「ダメだわ、私オートマ限定なの」
急いでクルマから降りる。かくなるうえは歩くしかない。もちろんパニエを脱ぐという選択肢もあったのだが、それはリサのプライドが許さない。つまりそんな選択肢はないも同然なのだ。
「美術館ってここからどれくらいかしら?」
早歩きをしながらビビが聞いてくる。
「歩けば30分以上かかります。休みの日ならいろいろなところからコミュニティバスが出ていますが――今日は何曜日でしたか?」
リサのように毎日がパラダイスのような、屋敷の中でメイド生活をしていると曜日の感覚がなくなる。朝の連続ドラマがやらなくてその日が土曜日だったと気づく、なんてことはよくあるのだ。
「木曜日だったかしら?」
「じゃあ普通の路線バスですね!」
退魔師の屋敷といったらこの腑卵町では中心に位置すると言われるほどの場所である。だからというわけではないかもしれないが、屋敷のすぐ近くにはバス停がある。駅の名前は『腑卵町中央地』というなんとも怪しいものだ。
しかし――。
「やられたわ、バスはもう出たあとよ!」
「あ、本当です! そうか、ご主人様はこのバスに乗っていかれたのですね!」
実際にはヨシカゲは駅前まで走り、それからバスに乗ったので違う。
「まずいわね、歩いちゃあ確実にヨシカゲちゃんに追いつけないわ」
「ど、どうしましょう……」
ビビがふっと笑った。任せなさない、とそういう笑顔だ。
その頼もしさにリサは舌を巻く。こういう強かさはリサには出せないものだ。
きっと妙案があるのだろう。ではお手並み拝見とリサは期待のこもった目で見つめた。
「アメリカ仕込み、本場のヒッチハイクってもんを見せてやるわっ!」
そして何をするかと思えば、親指を道に向かって突き立てた。
――ちょっとちょっと、そんなんで大丈夫なんですか?
だがビビの表情があまりにも自信満々なのでリサは何も言えない。
一台目のクルマが通った。案の定と言うべきか無視される。というか走行中のクルマからはヒッチハイクの親指なんて見えにくい。だからその道のプロはスケッチブックにでかでかと行き先を書くのだ。
二台目もスルー。
三代目もダメだった。
「ビビさん、もう諦めては?」
「リサちゃん、諦めたらそこで試合終了よ」
どこかで聞いたようなセリフだった。
道の先から白いトヨタ・ビッツが走ってきた。運転しているのはどこか気の良さそうな眼鏡の男性だ。まだ初心者マークがとれたばかりとそんな顔をしている。
ビビの目が、怪しく光った。
そして何をするかと思えば、親指を立てたまま道に飛び出す。
甲高い急ブレーキの音。
しかし、クルマは急には停まれない。そんなこと子供でも知っている。
――ぶつかる!
リサがそう思った瞬間、ビビが跳躍した。空中に高く飛び、一回転。体操選手も裸足で逃げ出しそうなジャンプだった。
白いビッツはあわやというところでビビを轢かずにすんだ。しかしさすがに驚いたのだろう、そのまま走り去っていくことはせずに、停まった。
中から男が出てくる。
「だ、大丈夫ですか!」
最初に思った通り、気の弱そうな若い男だ。良い言い方をすれば人が良さそうとなるのだが。
「あら、いい男」とビビが言う。
男はぞっとしたように自分の肩を抱いた。
「大丈夫そうなので、これで――」
男はすぐさま逃げようとするが、それを逃すビビではない。
いきなりなれなれしく肩を組むと、耳元に吐息を吹きかける。
「人様を轢きかけておいてそれはないんじゃなーい?」
当たり屋の手口である。
「すいません、すいません!」
男は必死で謝る。
そりゃあ怖い、べらぼうに怖い。いきなり道に長身のオカマが飛び出してきて、あまつさえそいつにガッチリと肩を掴まれているのだ。男だったら誰でも自分のケツを心配するだろう。
「そういえば私たち、いまヒッチハイクしてたんだけど。停まってくれたってことはそういうことかしら?」
「えっ?」
「だから、私を轢くつもりだったのか、それともヒッチハイクを見て停まってくれたのか、どっちかって聞いてんのよ!」
「ヒッチハイクです! そのためにクルマを停めました!」
「よろしい。じゃあ美術館までよろしくね」
「よろしくお願いします」
リサは失礼にならないように頭を下げた。まあ、もう後の祭りだろうが。
後部座席に乗り込む。
男はびくびくとしている。
――私たち、変なコンビだわ。
と、リサは思った。
ヒルダと組んでいるときは赤と黒でいいコンビだったが、こちらは凸凹だ。エセメイド(現在は徹頭徹尾ゴスロリ)と、身長190センチオーバーのオカマ(かなり体のラインが出る服を着ている)。このままハロウィンに出てもおかしくない。
ビッツの後部座席は長身のビビにとってかなりきついようだ。
「助手席が良かったかしら」
運転している男は泣きそうな顔になった。
「す、すぐに美術館につきますから!」
「そう? じゃあこのままで良いわ」
クルマはスピードを上げて美術館に向かっていった。
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