067 悪魔1-7


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 これまでの経緯いきさつを語り終えると、花園はコーヒーを一口飲んだ。


 退魔師は話を聞いているのか聞いていないのか、カップの底に沈殿した砂糖をさじですくい忙しそうに口に運んでいる。


「ご主人様」と、メイドのリサがたしなめた。


「底に溜まった砂糖が、コーヒーで一番美味しい部分だよな」


「それはもうコーヒーではありません。コーヒーを浸した砂糖です」


 そうか、と退魔師のヨシカゲはスプーンをテーブルに置いた。


「それで、あんたの話は分かった。つまり願いは叶えたけれど、死ぬのが怖くなったから契約を破棄したい、と。そういう事だな」


「ええ、そうよ」


「そいつはまあ、困ったな」


 と、春風駘蕩といった雰囲気でヨシカゲは言う。全く困っていなさそうだ。


「無理なの?」


「さあ、試したこともないからな。しかし無理という事もないだろう。たぶんな」


 一人、知り合いに詳しいのがいるから、確認してみよう。とヨシカゲは独り言のように続けた。


「しかし勝手な話だな。契約はした、相手はそれを履行した、しかしこちらは対価を支払いたくはない。なあ、あんた自分が何を言っているのか分かってるのか?」


「分かってるわよ……」


 唇を噛む。


 分かっている。自分の勝手な欲望でここまで来たのだ。ずいぶんといい思いをしてきた。それに自分が悪魔の力によって手に入れたものを、本当は他の誰かが手にするはずだったのだ。


 あのヒット作の主役も。


 あの洋画の吹き替えも。


 あの声優グループのメンバーの地位も。


 けれど、だから何だというのだ。私は私の命が惜しいのだ。


「自業自得だよ」


「ご主人様、そういう言い方は……」


「もちろん仕事だからきちんとこなすさ。けれど気分が乗らないな」


 花園は席を立つ。


「もう帰ります」


 このままここに居ては泣いてしまいそうだった。


「あ、送りますから」


 そう言ってリサが一緒に部屋を出ようとした。花園が手をかける前に先回りして扉を開けた。


 ヨシカゲは何も言わない。引き留めようともしない。気になって最後に振り返ると、彼は角砂糖をそのまま頬張っていた。


「最低っ!」


 それを捨て台詞にして花園は部屋を出た。


 なにか一言でも優しい言葉をかけてくれても良いじゃないか!


 屋敷の玄関までリサはついてきた。


「気分が悪いわ」と、花園。「頼まなければ良かった」


「でも腕は確かですから」と、リサは少し憐れむように花園を見つめた。「それに、あんな事を言っても何だかんだでちゃんとやってくれますよ」


 ふと花園は気になった。この二人はどういう関係なのだろう。花園も女の子だ、そういう事には結構興味がある。


「ねえ、あなた達って付き合ってるの?」


 リサはくすくすと笑った。


「まさか」


 それを聞いて何になるのか、と花園は自分でも思った。けれど聞かずにはいられなかった。


「また来てくださいね」


「いやよ」


「ああ、それと――」


 その瞬間、一陣の風が吹いた。


 生暖かい風だった。


 その風は花園とリサを明確に分けたようだった。


「この町にいる間は悪夢の心配はありませんよ」


 え、それってどういう?


 そう聞き返そうとしたが、やめた。リサはもう話は終わったとばかりに手を振っていた。


 やはり二人は付き合っているのでは? そう思った。けれど、もう一度それを問いただす勇気はなかった。


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