064 悪魔1-4


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 その屋敷は住宅街の中において、まるで他の家を遠ざけるように広大な庭を持ち、壮大にそびえ立っていた。敷地の周りにはぐるりと柵が囲っている。子供がその気になれば通れそうな柵には、所どころに傷があった。


 正門にはライオンの頭をかたどった古びた呼び鈴――これは飾りである。その呼び鈴の隣にインターフォン。それを押すと正門の柵は一人手に開いた。


 入れという事だろうか、花園は恐る恐る敷地内に足を踏み入れる。彼女が通り抜けると、門はまた勝手に閉まった。誰かが操作している様子も、電気とモーターで動いている様子もなかった。


 不気味な屋敷に向かっていく。正門から屋敷の前までは道が整備されており、その他は芝生だった。芝生にはパラソルの刺されたテーブルと椅子が置かれている。お洒落だが、こんな住宅街の中、まさかあそこでお茶でも飲むのだろうか? 花園はここに住む人間のセンスを疑った。


 また呼び鈴だ。鳴らす前に深呼吸を一度。どんな人が出てくるだろうか。きっと見ただけでその筋の達人だと分かるダンディなオジ様だわ。花園は期待を込めて呼び鈴を鳴らす。綺麗な鈴の音がする。これで中まで聞こえるのかしら? ずいぶんと小さな音だけど。


 しかしそれは杞憂だった。


 というよりも、鳴らした直後に扉が開く。驚いた花園は扉の前から後ずさった。


 中から出てきたのは無表情なメイド服の女の子だった。自分と同じくらいか、少し年上くらいだ。17~20代くらい。けれど22か23か、それくらいと言われても信じてしまう。


 栗毛色の髪と病的に白い肌。そしてその深い瞳の色。なんて綺麗な人だろう、と花園は思った。


 自分だって一応はアイドル声優をやっている身だ。容姿にはそれなりに自信がある。けれどこのメイドのそれは人に見られて培われた美しさではない。どこかマネキンじみた不気味な美しさである。確かに美しいのだが、同時に恐怖も感じている。


「よくいらっしゃいました。連絡は受けております、花園様ですね」


「そうよ。あの……貴女が?」


「いいえ、私は違います。ご主人様は部屋でお待ちです。中へどうぞ」


 花園はほっとした。こんな得体の知れないメイドに自分の命を預けるのは恐ろしい。いや、人は見かけではないのだが、しかし相手に安心を与えるには格というもの必要である。


 屋敷の長い廊下には古びた彫刻や絵画が飾られている。いかにも金持ちの家という感じのテンプレートである。まさかわざとやっているのだろうか、と疑ってしまうくらいだ。


「どうぞ、ここです」


「ええ、ありがとう」


 髪をかきあげながら花園は言う。眼の前のメイドがあんまりに綺麗なものだからつい対抗意識を燃やしてしまった。しかしメイドの少女は何も言わない。感じても居ないようだ。一人相撲、という言葉を思い出した。


 部屋に入ると大きな窓に向って一人の男が立っていた。カーテンが閉まっているというのにまるで外が見えるかのように微動だにしない。


「ご主人様、花園様をお連れしました」


「ああ……」


 思ったよりも若い声だ。だからといって元気な声というわけではない。どちらかと言えばしわがれた、今わの際に発するようなか細い声だった。


「ご主人様、外を見るのであればカーテンを開けられては?」


「うん? あ、ああ……」


 メイドの少女は窓際に行くと、カーテンレールを引いた。しかし現れたのはやはりと言うべきか曇り空だった。


「どうぞ、花園様。お座りください」


 言われたので花園はソファに腰を下ろす。


 この部屋は客間だろうか。目に映るのはアンティークの机と暖炉、そして微妙に新しそうなソファが二脚。テーブルを挟んで二つ置いてある。壁には絵画が飾られている。何の絵だろうか、学のない花園には分からない。けれど、天使のように美しい白髪の女の絵だった。天使の絵だろうか?


「さて、久しぶりの客人だな」


 男が振り返る。


 やはり思った通り若い。自分と同じ高校生くらいだろう。隣にいる無表情なメイドより少し歳下、という感じだ。もしかしたら姉と弟なのかもしれない。いや、それはないか。


 けれどそう思った理由があるのだ。なにせ二人とも無表情なのである。メイドの少女のそれがマネキンじみたものならば、男のそれは何も考えていないまさにプレーンな無表情だった。空っぽの男。しかし見惚れるほどに美しい男である。白痴美というのはこういうものを言うのであろう。


「キミが、花園さんか」


 そう、まるで興味がなさそうに言う。


 そんなふうに言われると、逆にこちらがこの男に興味を持った。なんなのだ、この男は。どうして私のような女を前にして、ここまで無感情でいられるのだ。


 自慢の胸元にさえ一切視線をくれない男は花園からすれば奇妙な男だった。


 奇妙と言えばその髪型もだ。髪のてっぺんだけが白く、他は黒い。まるで標高の高い山の頂だけが雪を被っているようだ。その雪の美しさときたら――そう、絵画に描かれた天使の髪と同じような色だった。


「貴方が退魔師ですか?」


「そうだ」


 と、男は簡潔に答えてソファに腰を下ろした。と思うと、机の上に刀を置いた。最初それは竹刀か何かかと思ったが、違う。鞘に修められた立派な日本刀だ。


「あの……貴方がこの業界で最高峰の?」


「初めて聞いた話だな。この業界ってどの業界だ?」


「ですから、その! ――の業界で」


 退魔師の男は花園の声など聞こえていないかのように無表情だ。


「ですから、魔物を討伐する者たちですよ! 貴方の事は色々聞きました! 貴方に頼めばどんな奇々怪々も立ちどころに解決してくれるって!」


「最高峰、というのが俺の事かは知らないが。だが一つ言えるのはそうだな。この町でならば俺は一番の卵割りだ」


「卵割り?」


「クソタレなイースターエッグを割る、って事さ」


 聞いても意味が分からなかった。イースターエッグとはいったい何か。だが退魔師の自信はそうとうなものがあった。なにより顔色一つ変えないのが良い。たしかな自信を持っているようだ。


「それで、そういうあんたは芸能人か?」


「……どうして?」


 わざわざ聞くくらいだ、もしかしたら事務所の社長から連絡は行っていないのかもしれない。この退魔師の事を探してくれたのは社長だった。声優もある種の芸能業界である。この業界、意外とこういった胡散臭いやからに頼る事は多いらしい。例えばライバル会社の俳優を呪殺したり、そこまで行かずとも事故に合わせたり。あるいは逆にそういったものから守ったり。社長自身もプロダクションを立ち上げてから、所属している者が人智の及ばぬ問題を持ってくるのは三度目だと言っていた。


「町長を通さず、わざわざ俺のところに直接来るのは三種類だ。政治家、芸能人、あとは昔なじみの近所のジジババ。あんたはまだ若いからな、この3つなら芸能人だろうと思っただけさ」


「正解よ。私の情報って、そちらに届いてないわけ?」


 退魔師はソファの後ろに影のように立つメイドの少女を振り返って見た。


 メイドの少女は黙ってうなずいた。来ています、というわけだ。


「悪いが俺は他人に興味なんてないんでね」


 と、本当に興味なさそうに退魔師は言った。これが客人に対する態度だろうか。


「じゃあ何で今の質問をしたのよ、興味ないんでしょ」


 こっちも苛立ってつい、そんな事を言ってしまう。


「いや――ただ綺麗だったからな。芸能人だろうと思っただけだ」


「え……?」


 冗談でしょう? と、思うが退魔師は真面目な顔をしている。


「ご主人様?」


 メイドが退魔師の肩を後ろから掴んだ。それを退魔師は鬱陶しそうに払いのける。


「ただ思っただけだ」と、退魔師は今度、メイドに言い聞かせるように言った。


 ――な、なんなのよこいつは!


 花園の頭の中は混乱した。だってそうだ、そりゃあ初対面の男の人から綺麗だって言われたことくらいあるが、こんなふうに下心ゼロで純粋に言われたのは初体験だった。


 別に嫌な気分じゃなかった。それはたぶん、退魔師の容姿が優れていたからだろう。目鼻立ちの整ったやさ男である。少々ワイルドさには欠けるが、その分どこか茫漠とした底の見えない秀麗さを持っている。


 なんにせよ花園は退魔師が気に入った。なので彼女は自分の懐から名刺を一枚、取り出しす。それを机の上に置いた。「どうぞ」手に取るかと思ったが、退魔師はその名刺を一瞥してすぐに目をそらした。代わりにメイドの少女がその名刺を手にとった。



『株式会社プロダクションAC 所属声優 花園ナナナ』



 名刺にはそう書いてある。


 メイドの少女はその名刺を見て薄く笑った。この屋敷に来て、花園は初めて人間らしい表情というものを目撃した。


「なんだ、知ってるのか?」と、退魔師はメイドの方を見もせずに聞いた。


「知ってるも何も、花園ミナですよ。有名な女性声優です」


「名刺には『ナナナ』とあったが?」


「ナが三個で三奈なんですよね」


 ええ、そうよ。と花園は頷く。自分のファンならばこれくらい常識だが、まさか目の前のメイドが自分の事を知っているとは思わなかった。正直意外だ。


「お前は日がな一日テレビにかじりついてるからな」


「失礼な、きちんと家事もしています。それに花園様が出演なさっているのはアニメ、それもとりわけ深夜アニメです。そうですよね」


「まあ」


 最近では洋画の吹き替えの仕事も二つやったが、花園の代表薬としてあげられるのはやっぱり深夜アニメだ。彼女は所詮まだアイドル声優である。


「ご主人様も時々一緒に見るじゃないですか」


「だとしてもいちいち他人の名前なんて覚えないさ」


「名前といえば、私は貴方たち二人の名前もまだ知らないのだけど?」


「名前か、そんなものは必要ない。呼びたいのならば退魔師と呼べ」


「ご主人様、そういう言い方は失礼ですよ。こちら、麻倉ヨシカゲ様です。そして私はメイドのリサ。以後お見知りおきを」


 メイドの少女――リサはスカートの裾を両手でつまむと優雅にお辞儀をした。それはまるで機械式の人形の動作のような妙にかくかくしたものだった。


「麻倉ヨシカゲに、リサ。分かったわ、今度からそう呼ばせてもらう」


「あの、それでもしよろしければサインをいただけないでしょうか」


 リサは無表情でそう言った。


「お前、結構ミーハーなのな」


 ヨシカゲが茶化す。リサはふん、とその高い鼻を鳴らした。


「悪いですか?」


 リサは色紙を出してきた。もしかしたらこのために用意していたのかもしれない。だけど花園は首を横に降った。


「冗談じゃないわ。サインはしない主義なの」


「そうなんですか?」


 落ち込むかしら、と思ったがリサは無表情のままである。


「俺がしてやろうか?」


「けっこうです」


 あ、ちょっとむくれた。こうして表情が生まれると、マネキンじみた不気味さが一瞬で消え去る。そうしていればただの美しい少女だ。


「なんでサインしないんだ?」


 ヨシカゲが聞いてくる。が、実のところ興味がないのは見え見えだった。彼の場合、口から出る質問は起こった事物に対して反応しているだけの、相槌と変わらないようなものだった。


「一人にサインをすると不公平でしょ、みんな欲しがるんだから。それに来る人来る人にサインしてたら私の身がもたないんだから」


「結果的に最初からしない、と。だってさリサ。残念だったな」


「別にもういいです」


 リサは色紙をしまうと、飲み物をお持ちますと言って部屋を出ていく。


 そうするとヨシカゲは無言になった。まるで喋ろうとしない。これには花園の方が音を上げた。沈黙が気まずかったのだ。


「ねえ、私がどうしてここに来たのか聞かないの?」


「聞くさ。けれどリサが帰って来てからだ」


「どうして? あの人も退魔師の仕事を手伝うの?」


「いいや、あいつはただのメイドだ。イースターエッグではあるがな。間接的に俺の仕事を手伝う事もあるが、基本は全て俺が一人でやるものだ」


「じゃあ、どうして?」


 もしかして二人は付き合っているのだろうか。だとしたら少し嫌だな、と初めて会ったのに花園は思った。


「理由は簡単だ。俺は喉が乾いている。だから喋りたくない」


 言い切ったヨシカゲは、それからリサが帰ってくるまでの間、本当にひと言も声を出さなかった。まるで時を止めてしまった時計のように動きもしなかった。


 リサは時間にして十分程で帰ってきた。その間の沈黙はまさしく針のむしろで、花園はここに来たことを後悔していた。


「どうぞ、花園様。コーヒーです、砂糖とミルクはどうなされますか?」


「いらないわ」


 こくりとリサは頷いて花園の前にコーヒーカップを置く。


 そしてヨシカゲの前にも。


 次の瞬間、ヨシカゲのとった行動に花園は目を疑った。彼はリサの持ってきた砂糖入れの蓋を開けると、そこから角砂糖をいくつも取り出しコーヒーの中に投入し始めた。一つ、二つ、三つ。無表情で砂糖を入れていく。六個目の角砂糖がコーヒーの中に落ちた時、リサが砂糖の入った瓶を取り上げた。


「入れ過ぎです」


 ヨシカゲは無視して大量の砂糖の入ったコーヒーを飲む。見ているこっちが胸焼けを起こしそうだ。


「それで、要件を聞こうか」


 コーヒーカップを置くと、ヨシカゲは口を開いた。ちなみにメイドのリサは一切の飲料を口にしていない。それどころかソファに座っても居ない。大変そうだ。


「その前に、この事は絶対に他言無用でお願いするわ」


「もちろんだ、退魔師にも守秘義務はある」


 どうだとしても花園はもう藁にもすがるしかないのだ。この男を信じてみよう、そう思った。


「あの……悪魔って知ってる?」


 その瞬間、花園の頭の中に一つのイメージが沸いた。


 おどろおどろしい扉である。その扉の上にはロダンの創った有名な彫刻、『考える人』が座っている。それはまさしく地獄の扉であった。


 その扉が今、開いた。


「ああ、知ってるよ」


「見たことは?」


「つい最近も見た」


 花園はその言葉に安心感を覚えた。やはりこの男はプロなのだ。悪魔の話など普通だったら切り出されただけで一笑に付される。それをさも当然のように聞いた。場馴れしているのだ。


 心の中でガッツポーズ。この人ならきっと私を助けてくれる。


 花園の目は次の瞬間、挑むような鋭いものになっていた。


「私を、助けられる?」


「さあ、どうかな」


 ミナが何やら耳打ちする。「ん、そうなのか?」ヨシカゲはうなずいた。


「おい、あんた今日からこの町の住人なんだな」


「え、ええ。そうよ。こっちに住むことにしたの」


 これには二つの理由がある。一つは社長にそう言われたからだ。絶対にその方良い、と強く押された。もう一つの理由は、花園の方も都会の暮らしに疲れていたという事だ。どうせ死ぬならば、景色の綺麗な田舎で死にたいと思った。


 それは花園が田舎というものを知らなかったゆえの淡い憧れだったのだが。実際に来てみて、日本にこんなつまらない場所があるという事を初めて知った。もちろん、全体で見ればそんな場所の方が多いのだが。


「そうか、この町の住人なのか。ならば確約しよう。退魔師、麻倉ヨシカゲ。この生命をかけてこの町の住人であるあんたをイースターエッグから守り通す。なにせそれが俺の仕事だからな」


 そう言って、ヨシカゲは手を差し出してきた。


 花園は少し迷ってからその手をとった。ヨシカゲの手は冷たくて、本当に人形のようだった。


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