036 完全なる世界2-6
リサが帰ってくると、五反田はデレデレとリサに話をはじめた。
「いや、それがね俺に妹なんていなかったんですよ」
「五反田はそれで、俺に襲い掛かってきたんだよ、妹の敵ってな」
俺は疑問に思うのだが、これは冗談めかして言う話なのだろうか。もっと深刻な話な気もする。
「そうなんですか。妹さんの記憶を埋め込まれてたんですね」
リサは愛想笑いの一つもしないで五反田の話を聞いている。
「でもね、今でも妹がいたように感じるんですよ。記憶が残っててね、もちろん偽物なんです。『JFC』の本部に自分の情報を確認したんですけど、やっぱり俺は一人っ子で」
「殺された妹さんなんていなかった、と」
「そのとおりなんですよ」
俺はやれやれ、とため息をつく。
リサ相手に守秘義務などあったものではないかもしれないが、こうまでペラペラと殺人鬼のことを話すのはどうかと思う。
そもそも、あの時あんなに怒った妹の事だ。それがたった数日。数日の時間が開いただけで、まるで笑い話のように人に話してきかせるような事ができるだろうか?
まさか、また記憶をいじられている?
それは恐ろしい想像だった。
そして、その事を俺が確認することなどできない。
考えてわからないことは考えないにかぎる。恐ろしい妄想はやめるにかぎる。無駄なことはしないにかぎる。それは今までずっと、俺がやってきた生きた方の形だ。それを続けている内に、いつしか俺はなにも考えられない、なにも感じない、つまらない人間になっていた。いや、俺は人間ではないのかもしれない、ただの死なない肉の塊なのだ。
「いない妹が夢の中で俺に言ったこともあったんですよ。『わたしを殺した犯人を探して……お兄ちゃん、探して』って。だから俺は犯人だと思った退魔師を――でも違うんです。その記憶も全て、俺の中に埋め込まれたいつわりの記憶なんです」
「考えないほうがいいですよ、どうしようもないことです」
俺は、リサを見つめる。
彼女の言葉は、俺の哲学に似ているように思えた。それは他人を慰める優しさから出た言葉だ。しかし俺のものは、諦念である。
「リサさん、優しいんですね。二人はどういう関係なんですか?」
五反田は、俺に先程きいた質問をリサにもした。まさか俺の回答を疑っているわけだろうか。付き合っている、とでも言ってほしいのだろうか。
「主人とメイドです」
俺は、ほらねという目を五反田に送る。
「いつから一緒なんですか?」
「もう、ずっと長いことです。ご主人様のご両親が亡くなってから、わたしがずっとご主人様の世話をしています」
「そうなんですか、そしたらもう家族みたいなものですね」
「ふふふ、そうですね」
五反田は俺の耳元に顔を近づける。うっとうしい。
「なあ、僕のことお兄さんって呼んでいいぞ」
「はあ?」
「だから、僕も家族の一員にしてくれてもいいぞ」
「なに言ってんだ、あんた」
ニコニコと口の端を吊り上げて五反田は笑う。その笑顔が不気味だ。
俺達の会話をそっちのけで、リサは違う方を向いている。その視線の先に何があるのだろうかと、俺たちは目を向けた。
泣きそうな子供がいる。
目いっぱいに涙をためて、不安そうにあたりを見回している。迷子だろうか、おそらく五歳くらいの、小学校にもまだ通っていない男の子だった。
見ている間に、男の子はとうとう泣き出した。
「親がいないんっすかね」
五反田が、他人事のように言う。
いや、事実他人事なのだ。子供が泣いているからと言って、俺たちが何かをしてやる義務はないのだ。ほら、周りを見ろよ。誰も子供に救いの手を差し伸べようとはしない。それが生きるということだ。
自分のことを誰も助けてはくれない。人はいつも独りだ。
「どうして、泣いている子供をほうっておくんですか?」
リサが不思議そうに言った。
「傍観者効果だな」
リサが、それはなんですかというふうに見てくる。少し離れ場所にいる男の子を横目で見ながら、俺は説明する。
「昔、アメリカであった事件なんだが。深夜の道で女性が暴漢に襲われた。女性の叫び声を近所に住む38人が聞きつけたが、誰も通報すらしなかった。38人の中には実際に女性が襲われている現場を見ていたにも関わらず、だ。結局、女性は殺された」
「なんでそんな事が?」
五反田が信じられない、とでもいうように目を丸くする。
だが、俺はその事件を今実際に目の前で起きている事実と同じだと思った。ならばこそ、十分にありえる。
「見ている人間が多すぎたんだ。誰もが自分以外の誰かが女性を助けると思ったんだ。だから自分はなにもしなくてもいいと。これが傍観者効果だ。分かるだろ? 今、あの泣いている少年を見て我々が思っていることと一緒だ」
俺の説明を聞き終えたリサは、ゆっくりと立ち上がった。
「お優しいことで」
リサは皮肉を一つ言い残し、男の子の方へと歩いていく。肩を優しく叩く。
いつも無表情なリサは、無理するように笑顔をよそおって男の子にはなしかける。
「どうしたの、なにかあった?」不思議なもので、男の子はまるで泣き方を忘れてしまったように、突然泣き止んだ。
五反田も追うように男の子の方へと行く。
そして、三人で何やら話し始める。
俺は独り残され、席に座ったままだ。どこか冷たく三人の様子を見てしまう。どうしてか、男女の取り合わせと子供を見ると、親子を想像してしまう。
二人の大人は、男の子を連れて戻ってきた。
「ご主人様、この子、親とはぐれてしまったそうです」
「そうか」
「探してあげると良いですよ」
なんだ、その言い方は。俺が探すのか?
「僕も探しますよ!」
五反田のやつはバカなくらい乗り気だし、俺はやれやれとため息をつく。
「やだよ、こういうのは店内放送で呼んでもらうのが普通だろ。あとは迷子センターとかさ」
「ダメですよ」
「どうして?」
これが答えだというばかりに、リサは先程購入した絵本を取り出した。そして、それを開く。男の子はポカンとした顔で、様子を見ている。
「はじまりはじまり」
抑揚のない平坦な声で、リサが絵本を読み始めた。
俺は呆れた。リサの考えていることがまったく分からない。まさか、リサは優しさではなくただ子供に読み聞かせをしてみたかったという理由で、声をかけたのだろうか。だとしたらこの女もどこかおかしい。俺と同じように。
とは言え子供のほうは、メイド服など初めて見るであろう。リサの服のフリルを無邪気に触ってキャッキャと喜んでいる。
「こらこら、読んであげませんよ」
リサは優しい口調でやんわりと男の子の手を離す。
俺はその光景に目を疑った。リサのやつ、俺の手がフリルに少し触れただけで天地がひっくり返るくらい怒るのに、子供相手には甘い。まさか、顔に見合わず子供好きなのか?
「ここは野菜たちが暮らすサラダ王国――」
なんだ、その王国は? 十中八九田舎だろう。
「よし、退魔師。僕たちはこの子の親を探そう!」
「だから、嫌だって」
「サラダ王国のお姫様、ビーナス姫」
ナスビだ。
「そのお姫様を狙うピーマン野郎」
野郎って。
「そして我らが主人公、トマトマト」
我らが? もしかしてシリーズ物か?
「とうかその絵本、ツッコミどころ多いな」
「何がですか、文句ばかり言ってないでさっさとこの子の親を探してきてあげてください」
「いや、そもそも親の特徴の一つでも知らないと」
早く教えろよ、と男の子の方を見ると、なにやら俺のことを怖がっているようでなにも喋ってくれない。
リサは俺の代わりに男の子から親の情報を聞き出す。
「白い服と茶色のスカートをはいていて、髪は長いそうです」
「だ、そうだ。五反田」
俺は面倒なので五反田に全てを任せようとする。むしろもう帰りたいくらいだ。
「ご主人様も探してくるんですよ」
「主人を顎で使うのか?」
「いえいえ、猫の手でも借りたいくらいですよ。なので猫さんよりも使えるご主人様に頼んでいるんです。使えますよね?」
「馬鹿にしてるのか」
それで怒らせれば俺が行くとでも思っているのだろうか。あいにくとこっちは感情なんて持ち合わせていないんだ。
「グダグダ言ってないでさっさと探してきてください」
「なんでお前が行かないんだ」
「だって――」
「だって?」
「面倒ですもの。わたしはここで絵本を読んであげていますから」
本性はそれか。俺は露骨にため息をつく。しょうがなく立ちあがる。
「行くぞ、五反田。さっさと見つけてこよう」
「リサさん、僕に任せてください」
「はい、頑張ってくださいね」
なんだか俺に対するときと態度が違う気がする。
くそ、こうなれば鼻を明かしてやるさ。
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