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マルドゥック
その高層建築物は人々にサカサキ・タワーと呼ばれていた。
このタワーは製薬業によって莫大な利益を上げているサカサキ製薬の本社ビルだ。
最上階はフロア全体が現CEOのゲンドウ・サカサキの執務室になっている。
四方がガラス張りのここからは巨大なマルドゥック市を360度見渡す事が出来た。
何世代にも渡って築き上げた栄華だ。
フロアの一角には脳の連続切片標本が展示されている。
この脳はサカサキ製薬の創業者コウゾウ・サカサキの死後、彼の頭から取り出され標本化されたものだ。
ゲンドウはその豊かな白い顎髭を撫でつけながら標本のプレートの一つを手に取った。
輪切りにされた脳の断面には、皮膚が粟立つような無数の小さな穴が空いている。
原因は異常プリオン蛋白質が侵入し、脳がスポンジのように穴だらけになる病。
クロイツフェルト・ヤコブ病にも似た、遺伝性のプリオン病だった。
一度発症すれば脳機能は漸進的に破壊され、ほとんどが一年ほどで死に至る。
これが創業者コウゾウ・サカサキの死因だった。
彼の死因であると同時にサカサキ家の宿痾でもあった。
この恐ろしいプリオン病はある一定の割合で一族内の誰かに発病する。
サカサキ製薬はその莫大な資産を投入し、あらゆる新薬を研究開発し(時に違法な物も含めて)プリオン病を制圧せんと戦ってきたが全て徒労に終わった。
そして今、ゲンドウの孫娘であるハツキ・サカサキにこの悪魔の病は発症した。
7歳になったばかりの孫は、あと半年もすればほとんどの認知機能を失うだろう。
ゲンドウ・サカサキは何とかして娘の命を救いたかった。
しかし薬では叶わなかったこの願望は、サカサキ製薬が新たに生み出した別のテクノロジーによって成し遂げられる可能性を孕んでいる。
明日、全ての書類が揃えばハツキの手術への準備は整う。
輪切りの脳をしばらく眺めていると、エレベーターのドアが唐突に開いた。
中から秘書が出てくると、ゲンドウに駆け寄ってくる。
ひどく慌てている。
「どうした?」
ゲンドウは明らかな焦りの表情を浮かべた秘書に聞いた。
「ハツキ様が、病院からいなくなりました・・・!!」
「何だと・・・!?どういう事だ!?」
秘書は息が上がったまま答えた。
「・・・ミズキ様が、連れ出されたようです」
ミズキ・サカサキはハツキの母親で、ゲンドウの実娘だった。
ゲンドウの顔に激しい怒りの色が浮かんだ。
「すぐに連れ戻して来い!!」
秘書はすぐに踵を返して走り去った。
ゲンドウは窓に近づき、休む事なく動き続けるマルドゥック
ハツキがいなくなればサカサキ製薬は傾きかねない。
必ず取り戻さなければならないのだ。
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