魂は故郷に帰らんことを


 こうして彼らの戦いは終わった。真備はこれから日本に帰り、李林甫と仲麻呂も干渉し合うことは無い。本当にこれで全てが終わったのだ。あとはそれぞれが違う道を歩み、各々花を咲かせて枯れるだけ。


 そして約ひと月後。完成した真成の墓誌が彼の墓へと納められた。位置するのは長安の東。なぜ彼がそこに埋められたのかは分からないが、確かに言えることが一つだけ······東というのは日本のある方角だと言うことである。きっとそれは、せめてもの願いだったのだろう。帰国を目前にして果てた彼への、深く寂しい一つの慈悲。だから少しでも故郷の近くへと、彼の亡骸は手向けられたのだろう。


 時は流れて二〇〇四年十月。それは突如現代に姿を表した。存在すら知られていなかった、遣唐留学生・井真成せいしんせい。彼の名が約千二百七十年もの眠りから目を覚まし、再び日中両国に蘇ったのである。それは史跡の発掘などという必然的な状況で見つかったのではない。たまたまありふれた工事に際して発見された、紛うことなき偶然なのである。

 しかし、その偶然に人間の意図が全く含まれていないのかを問われると、答えは変わってくる。墓誌が見つかったということは、真成の存在を残すためにそれを作成した何者かがいるということ。つまり、彼らの願いがこのには含まれているのだ。千年以上もの時をこえて、やっと願いが実を結んだ。それがたまたまという形で現代に姿を表した。

 もちろん、そこから真成の全てがわかる訳では無い。実際に出自も名も正確には分からない。

「彼は日本人で、唐では井真成と名乗っていた」

 日本における名は何なのか。それすら読み取れないのだ。

 しかし確かに分かるのは、彼がこの世に存在していたということ。そして、唐の国で勉学に励み、病の中でも強く生きようとしていたこと。

 未だに名を轟かせる、阿倍仲麻呂と吉備真備。彼らと同じ時を井真成という男は共に歩んでいた。墓誌を作ろうと決めた人は、せめてそれだけでも伝えたかったのだろう。

 ならばきっと充分なのだ。真成を愛おしむ彼らの想いは、今、充分に実を結んだ。だから真成の人生についてあえて深くは触れるまい。ただここに、墓誌に刻まれた最後の一文を添えようと思う。

 墓誌の最後の一文というのは、故人の死を嘆き悲しむ表現が多い。しかし真成の墓誌は違っていた。しかし、きっとそれが正しいのであろう。それが、この墓誌にとって最も自然な表現だったのだろう。

 なぜならその一文が、真成を弔った全ての人々の願いであり、彼らの愛の全てなのだから······。


「形は旣に異土に埋むるとも、魂は故鄕に歸らんことを庶ふ」


 ──その身は異国の土に埋もれてしまったが、魂はきっと懐かしい故郷に帰るのだろう。我々は、それを心から願っている。







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