第31話

拓哉はその日ずっと頭を抱えていた。あんなにからかわれても反応の変わらない根本にひたすら不思議さを覚えた。一体何を考えているのだろう。自分ばかり気にしているようで恥ずかしかった。どうして根本は平気なんだろう、考え続けて気付けばバイトに出ていた。


乾いた本の香り、僅かな人の話し声が心地いい。街の本屋というのは適度な人の出入りがあって、落ち着くにはちょうど良い場所だった。まばらな客たちの接客の合間は考え事にはちょうど良い暇さ加減だった。ぼうっと客たちを見ていると後ろから背中を叩かれた。


「ほら、しっかりして山岸くん」


後ろから声を掛けた主は拓哉の肩をぽんと叩いた後、振り返った山岸に微笑みを向けた。


「今ぼーっとしてたでしょ?分かるんだからねーそういうの」

「名取さん、すみませんつい」


彼女、名取結衣はこの本屋のオーナーだ。父親の店を継いだらしい彼女は若いながらもしっかりとした経営でこの本屋を切り盛りしていた。今時普通の本屋で稼ぐのは難しいことだ。電子書籍化が進む社会で紙の本を売ることの難しさはよく知れていた。ましてやバイトを雇えるほどに稼いでいられるのは、ひとえに彼女のアイデアとイベント企画力のおかげだった。


「何?悩み事?若者らしく恋の悩みかなぁー?」


笑みをたたえながらからかう名取さんに拓哉は曖昧に首を振った。


「恋ってわけじゃないんですけど。なんか女子と噂になっちゃって。気になるんです」

拓哉ははにかみながら口を動かした。首がひょこりと前に出る。

「何々ー?いいじゃん!どんな相手の子なの?」


名取さんは興味津々で話に飛びついた。こうやって無駄話をしていても怒られないのがこの職場のいい所だ。


「同じサッカー部のマネージャーなんですよ。たまたま一緒に帰っただけなんですけど。ほんとにたまたまなんですよ?」

「それで、可愛いの?その子」

「え?まぁ、可愛いですよ」


名取がにやにやと笑みを浮かべる。拓哉は恥ずかしくなって無駄にチラシを折り始めた。顔が熱くなるのを感じる。耳まで赤くなってるんじゃないかと思うと更に恥ずかしくて穴に入りたい気分だった。


「いいなぁ、青春じゃんそういうの」

名取は顔を上げて遠くを見つめながら、頬に手を当てた。夢見る少女のような顔つきでずっと遠くを眺める。

静寂の流れる中、店で鳴るBGMの音だけが僅かに空気を揺らした。


拓哉は恥ずかしくなって俯く。チラシを折る指は止まらず、無駄に集中して一枚一枚を折った。


「あ、あの!」


ふと、声が前方からかかり拓哉は驚いて顔を上げた。


「お会計いいですか?」

「はい…ってなんだ相田か」


声を掛けてきたのは同じクラスの相田だった。長い黒髪がふんわりとした胸にかかって揺れている。眼鏡の奥の瞳はヘーゼル色で美しい色をしていた。いつも大人しく本を読んでいることが多い子だ。この本屋には常連で度々来ていたから拓哉はある程度相田のことは知っていた。


「あぁごめんお会計ね」


バーコードを翳しながら拓哉はふと考える。今の名取さんとの話を聞かれていたんではないか。そう考えると恥ずかしくて顔から火が出そうだった。思わず相田に尋ねる。


「もしかして、今の話聞いてた?」

「え?なんのこと?」


きょとんと首を傾げた相田の様子に安堵する。相田は人に言いふらしたりするタイプじゃないことはわかっていたが、それでも知られるのは恥ずかしい。特に根本のことを可愛いと言った所なんて一番聞かれたくなかった。


「ならいいんだ。いつもご利用ありがとうございます!」


袋に本とチラシを突っ込み、笑顔で渡す。どういたしまして、と去っていく相田の顔が赤らんでいたことには拓哉は気付かなかった。

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